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丙午(ひのえうま)の女性

2007-01-19 15:44:32 | 易経、東洋哲学
今日は丙午の次の年にお生まれになった患者さんとお話をしました。彼女の前の年の丙午(ひのえうま)の「年」の人口は非常に少なく、その分彼女の年の人口は異常に膨れ上がっていたそうです。そのため彼女の年は高校受験の年齢から競争率が以上に高くて、大変苦労をしたそうです。

それもこれも「丙午の年に生まれた女性は男を食い殺す」という迷信がいまだにあるので、60年に一度やってくるこの年に出産を控えるご家庭が多かったのです。確かに私がまだ青年だった頃、4-5歳年下の方々がちょうど丙午に当たっていて、お見合いや結納の時に本気で心配をしている方々がいました。この年365日中に生まれた女性が皆いやな思いや、迷惑をこうむってきたのです。大変な数の女性がいたでしょう。

これには大きな間違いがあります。実はこれは丙午の「日」に生まれた女性をさしているのであって、「年」ではありません。
そうすると丙午の日というのは60日に一度やってくるのであって、一年365日のうち、60で割って、たったの6日間です。

これは昔の人が四柱推命などの考え方で、統計をとった場合、たまたま「丙午の日」に生まれた方は切れ者が多く外で仕事をバリバリこなすタイプゆえ、その方々の約半分を占める女性は、当然当時の社会環境でいうところの「よい嫁」とはなりえずに離縁されたりしたわけです。

じゃあこの丙午の日に生まれた方は現代ではどうすればよいでしょうか?
「気にしなければ一番よい」のです。しかしそれでも心配な方は、私なんかより四柱推命のプロをお尋ねください。でも霊感商法にはご注意です。
しかし「外でバリバリ働く女性」は「家でしっかり働く男性」と一緒になればいいのであって、現代は楽なものです。

もうひとつ、丙午の「年」が一人歩きしたのは、多分「阿部定事件」の定さんがこの年生まれだったということらしく、「男を殺す」ということになってしまったのではないかと思います。またハレー彗星がやってくる周期とも似ていて、なにか不吉な感じがしたのでしょう。
いずれにせよ出生率自体が変わるほどの迷信、丙午恐るべしです。皆様はこんなことは気にしないで生きてゆきましょう。

なぜ私がこんなことを書いたかと申しますと、東洋医学に携わるものとして、暦を読んでいて感じたことを述べてみたのです。
この暦、いわゆる旧暦は宇宙と地球の関係でおきるさまざまな季節、気候の変化とその間で自然の恵みを受けて生きるヒトとの関連とその哲学を認識するために活用されます。農業や漁業などにも不可欠のものです。

しかし、こういった古典的なものはともすれば曲解、誤解された認識が民間に伝わっているので、その例を述べました。




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1 コメント

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お七 (ゆり)
2017-05-31 03:16:35
もともと江戸時代から八百屋お七恋の話から300年前の1666年に生れた時代劇には悲しい末路また大地主の家に嫁いだお嫁さんは気が強くて旦那早死にした真実は闇の中どっちも真実は本当に闇の中フランスは王妃マリーアントワネットの星座さそり座確か1755年11月3日日本ならつまり1855年11月3日生れのさそり座生まれ1955年11月3日生まれのさそり座生れの女性フランスは嫌う日本は丙午嫌うのはお七と大地主のお嫁さんが重なっている豊臣時代より前は丙午は女性とっても働き者面倒見もよくてやりくり上手く子育てもベテラン他人の子の面倒みる江戸時代明治の口伝え迷信と八百屋お七のお芝居ひとつ上の先輩は本当は男子より江戸時代前は吉干支と聞きました
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