野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

研究(者)のジレンマ(更新)

2014年02月05日 | 日記
若干30歳の若手研究者の小保方晴子氏(理化学研究所)が作りだしたとされる「STAP細胞」は、生物学や生命科学の常識を覆す「革命的な」発見であると、一時は世界的に高い賞賛を浴びました。もし、本当に「STAP細胞」が作成されたのであれば、これは、まさしく「専門家たちに共通した前提をひっくり返してしまうような異常な出来事」(トマス・クーン『科学革命の構造』みすず書房、1971年、7ページ)であり、文字通りの「科学革命」だったでしょう。

しかし、残念ながら、STAP細胞については、イギリスの科学誌『ネイチャー』が、小保方氏の執筆した2本のSTAP細胞の論文を撤回することになりました。再現実験もうまくいかない。さらに、STAP細胞の作成過程で、ES細胞が混ざった可能性も指摘されています(『読売新聞』ウェブ版)。結局、この研究は白紙に戻ったようです。

科学の世界において、「科学革命」は、極めて稀なことです。さらに、「科学革命」を追及することには、「機会費用」を伴います。「科学革命」と「通常科学」は、ある種のジレンマにあるということです。

このことを最も分かりやすく言っているのが、小保方氏の研究を手伝った若山照彦氏(山梨大学)ではないでしょうか。かれは、『読売新聞』のインタビューに、こう答えています。

――今や全国のヒロインとなった小保方さんに続く若手研究者は今後出ると思うか。
 「難しいかもしれない。……世紀の大発見をするには誰もがあり得ないと思うことにチャレンジすることが必要だ。でもそれは、若い研究者が長期間、成果を出せなくなる可能性があり、その後の研究者人生を考えればとても危険なこと。トライするのは並大抵の人ではできない」


全くその通りでしょう。

科学革命の古典的名著を残したトマス・クーン氏は、科学を前進させるには、既存のパラダイムを変革させるような「意義ある科学研究の値打ちは、間違いに導く危険を冒す賭けにあるのではないだろうか」(同上、114ページ)と言っています。もっともなことですが、しかしながら、それは、多くの研究者にとって、危険すぎることでもあります。なぜなら、多くの「博士」たちは、研究を続けること以前に、常勤の職につくことさえ、ままならないからです。大学院の博士課程を修了した少なからぬ「学者の卵」は、大学であれ研究所であれ、研究で生計を立てること自体が難しいのです(詳しくは、榎木英介『博士漂流時代』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年を読んで下さい)。だから、とりわけ若手の研究者は、自分の専門分野の慣行に従いながら、より多くの研究成果をだすことにより、アカデミックなポストを獲得しようとするインセンティブにかられるわけです。



くわえて、科学の通常の前進の仕方にも注意すべきでしょう。専門家・研究者たちは、自分たちが共有する前提やルールのようなものがあるあるから、日々の研究活動を能率よく進められるのです(もちろん、社会科学である国際関係論も同じです)。要するに、既存のパラダイムが研究を前進させる原動力になるのです。これを根底から覆す「科学革命」は、一般的な科学の研究と矛盾するとはいかないまでも、相容れないところがあるということでしょう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする