引き続きストレッチです。イソシギは片方の羽を伸ばし、もう片方をのばす動作をしていました。
富山到着が午後10時過ぎ、順調に進行してもギリギリだ。周りの乗客は、大雪なら仕方ないと悠々と眠り始めた。こちらは気が気ではない。やっと、金沢駅に着いたのは門限過ぎの12時15分であった。
市電はもうない。歩いて15分だから30分遅刻だ。降等覚悟で一心に原隊に向かった。
香林坊を過ぎたところで、前に将校マントを纏った人影が見えた。同輩がやはり遅れて着いて急いでいるのだなと、同病相憐れむの気持ちで追いついた。見ると、H軍医見習士官だった。やはり、同じ列車で東京からの帰途であった。「遅れたら降等ですね」話しかけると、「なぁに、俺は将校勤務を取っているから平気だ。おまえを連れて行ってやるよ。」という返事に、地獄で仏に遭った気がした。「よろしくお願いします。」というと今までの緊張が一気にゆるんだ。軍隊は兵隊でも将校の引率であれば営門の出入りは自由であった。
自分は将校勤務を取っていないが、同じ将校マントを着ている。いよいよ営門だ。「敬礼!」という衛兵司令の声に衛兵全員が立ち上がって敬礼する。H見習士官が「おお、ご苦労」と鷹揚に返礼をして悠々と通る。自分もそれに従って営門を無事通過した。
中隊に帰ると、中隊は上を下への大騒ぎだった。週番士官を中心に、誰か公用証を持って探しに行け、少将に連絡しろとかいっている最中に姿を現したから一同安心した。「ご迷惑をおかけして済まなかった。行きで列車が遅れてどうしようもなかった。」と謝った。同僚の二人の見習士官から、「お前、降等にならなくてよかったな。」と慰められた。もし、あのとき、H見習士官に遭わなかったら、今頃は営倉入りだったかも知れないと思うと、H見習士官が神様のように思えてきた。
見習士官の身分は極めて不安定であった。教官として、初年兵教育をしている間に、兵が逃亡したり、自殺したりすると責任者としての見習士官はたちまち一等兵に降等されてしまう。自分の在任中、二人の見習士官が降等されたのを知っている。(このシリーズ最終回です)