鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

習熟曲線(2回シリーズその2)

2014年04月30日 00時00分01秒 | 紹介

 通常の指導は原因を見つけ、自転車の例で言えば、一定の速さでハンドルを持ち、ベダルを踏まずに自転車を押して、早足で押してみる。うまく自転車を操作できるようになると、次ぎにペダルに片足を載せて、一方の足で地面を蹴らせて自転車を進ませる。これが出来るようになれば、サドルに座らせて、両足を使って自転車を進ませる。ここまで出来ると後はペダルに足を置いてペダルを踏ませる。このように自転車に乗れるまでの行動を分解して優しい方法で、少しずつ、順番に教える。このとき失敗しても諦めずに何度も繰り返すことである。出来れば褒め、出来た状態を身体に記憶させる。プラトーから脱出させる方法である。

 つまり、指導現場では、訓練生が行っている作業方法を見て、どこが悪くてうまくできないかの観察から始め、作業を分解して、悪いところを確認し、それぞれの作業の正しい仕方を教え、指導員がやって見せて、良く理解させた後、本人にやらせて正しいやり方を覚えさせる。訓練生は何事もやっている内に、独自な方法で行い、基本を忘れてしまうことが多々ある。プラトーに陥った場合には基本に返り再度教えることである。

  学習曲線とは習熟度をグラフに表したもので、縦軸に上達度、横軸に時間を取り一定の時間ごとに上達度をプロットしていくと曲線となる。途中時間が経っても上達度が上がらない段階がありこれをプラトーと呼んでいる。

  学習曲線は、誰しも同じパターンとは成り得ないが、プラトーを脱しても再び上達する、または何回かのプラトーを経験するが、これ以上は進歩しない人間の持つ限界が来る。これを生理的限界といっている。ここまで来れば指導者が付く訓練は終了であり、個人の挑戦の世界であり、熟練の世界となる。(このシリーズ最終回です)


習熟曲線(2回シリーズその1)

2014年04月29日 00時00分01秒 | 紹介

 同じ仕事を続けていると興味を失い、気乗りがせず、果たしてこの仕事が自分に向いているかどうか疑問に感じてくるときがある。いわゆる、スランプに陥ることがあり、継続することを諦めてしまう場合がある。誰しも経験することであるが、自分を責め、原因を十分に考えずに投げ出してしまう。あまり一般化してないため、知られていないが、物事の習熟といわれることとして、例えば、自転車を乗ることを考えてみると良い。

 初めて乗る自転車は、誰しも簡単に乗れると思うが、それでも最初の内は、補助輪なるものを取り付けた、安定性がある自転車に乗る。当然、補助輪を付けると4輪となるため、倒れることはない。しかし、カーブを曲がると接地輪は3輪となり、スムーズには行かないが一応倒れることはない。

  3輪の自転車もあるが、スピードが出ないし、本来の2輪の良さが得られない。補助輪を使う時期が過ぎると、いよいよ2輪となり、誰かに荷台を押さえてもらって、何度か練習をする。1週間も練習すれば何とか自力で補助輪無しで、安定した走りを体得できる。

  その後が問題である。荷台を押さえて貰っているときは既にペダルに足が乗っていて、サドルに臀部が固定されているので、ハンドルの操作とペダルのこぎ方だけに注意すればスムーズに走ることが出来る。自転車にもよるが、どうも思った運転が出来ない。始めに乗るときのスピードの出し方、腰を下ろすタイミングが完全ではなく、発進できないのである。このときに運転を諦めてしまうと、それ以後自転車が乗れなくなる。ちょっとした原因であるが、物事の習熟はこんな所に隘路(分かれ目)がある。専門用語で言えばプラトー(学習の高原)という。

  プラトーにはいると諦めが先に立ち、自分は適していないと判断しがちとなる。気分を変えて、うまくいったときのことを思い出し、こうすれば良かったと思い出す。自転車に乗れる人(指導者)に聴いてみるのが早道であるが、正しく教えてくれるかどうかはよく分からない。自転車については親にも教えることは出来るが、自分の子供となるとやさしく教えるより、返ってきつくしかり、子供を萎縮させてしまうことがある。的確な指導者を捜すしかない。(次回へ続きます)


モチベーション(動機付け)

2014年04月28日 00時00分01秒 | 紹介

 教育現場ではよく使われる用語で、動機付けのことをいうが、動機となること、動機を与えること、刺激、誘因などを意味する名詞である。動詞はモチベートで、人に動機を与える、動機となる、刺激剤として作用する、人に興味を起こさせる等の状況で使われる。つまりやる気を起こさせる意味を持っている。

  馬を馬引きが水辺に連れて行っても、馬に水を飲む気がなければ水を飲まないし、連れて行った意味が無くなり、失敗に終わる。教育や研修の場で生徒や受講者にやる気がなければ教えたことを理解せず、本人のためにはならない。本人がやる気を起こさせるためには、教育を受けることや研修を受講するためのメリットがなければ、気持ちが違う方に向くであろう。やる気を起こさせるには外発的誘因と内発的誘因とがある。

  インセンティブといっているが、金銭的な動機、社会的な動機、自己実現的な動機がある。金銭的な動機は、達成すれば賃金が上がるといった報償である。社会的動機は、社会的な評価が高まり、人物として尊敬を得ることや社会貢献が認められることである。自己実現はそのことを学ぶことによって、例えば語学を理解することや、工作機を使うことが出来る。自動車運転が出来る・運転免許の資格を得る。といった自己目標を達成することである。自己実現が出来る場を与えることが大切となる。

 指導的な立場にある者は、モチベーションを高め、受講することによるメリットや夢を語り、受講する者にやる気を起こさせる。受講の導入にはこのことを知っておかなければならない。教育は親の背中を見て判るとか、技術・技能は盗むものといわれ、精神や根性を問題にする極端なスパルタ式が流行ったこともあるが、そのことによって、受講者にやる気を起こさせる効果があればの話である。

  ピグマリオン効果といって、教育の場では得点の高いグループに成績が悪いといい、得点の低いグループには努力を過大に評価し期待すると、得点が高かったグループのその後の成績は落ち、逆に励ましたグループは成績が良くなったという実験結果で、人は褒めて育てる必要性を説いている。つまり、教える側の期待によって、学習者の能力向上が図れるといわれ、良い方向に変わることを、ローゼンタール効果といい、期待しない場合をゴーレム効果といっている。ピグマリオンはギリシャ神話に出てくる王様で、自作の彫像に恋をして、女神アフロディティにその思いを叶えられて、彫像はガラティアになったとの逸話に依っている。このことで依怙贔屓をしないよう教える側は気を付けなければならない。


教育改革(2回シリーズその2)

2014年04月27日 00時00分01秒 | 紹介

 一方、陶冶であるが、大きく二分され、実質陶冶と形式陶冶とがある。英語では instruction (文化の投入)である。教える人はInstructor(指導員、教導))といっている。

 陶冶とは、陶器や鋳物を作る場合にいろいろな試作や試練を経て品物が出来上がることを意味しており、転じて、役に立つ一人前の人間に育て上げることである。実質陶冶は知識・技能の習得に重きを置き、学習する内容の実質的な価値観に注目している概念である。

 これに対し、形式陶冶は、思考力として、記憶力・創造力・問題解決能力・判断力・推進力・観察力・意志力・感情面をあげて、これら精神面に重きを置く概念で、教育現場の実施例として、速読・多読・ディベート・体験学習・勤労体験等のことである。

  最近では特に概念を二分するまでもなく、あまりこの根元的な概念を探求することはないが、両者を複合し、段階的に捉える方が発達段階からすればふさわしいと感じている。

  ブログで前掲した社会人の資質として、ロバート・カッツのモデルとして資質(能力)を三つに分けている考え方である。すなわち、コンセプチュアルスキル、ヒューマンスキル、テクニカルスキルである。コンセプチュアルスキルは管理能力、ヒューマンスキルは対人関係を円滑にする交渉力や折衝力のことで、テクニカルスキルは職業に関する固有の専門性である。管理者になるほどこれらのバランスが変わるわけであるが、この他にも体力や人柄、意欲、柔軟性、センス、勤勉さなどの人物的側面も大いに関係するといっている。

  決して学校ばかりが教育の場ではなく、多くの情報に接することが可能な昨今では、幅広い知識や経験を積むことによって、また、養われる教養を積んでいくことが大切と思われる。天性といわれる生まれつきの性質も、多くの機会を積極的に利用して、経験することによって、社会人の品格として、幅広くなおかつ深く備わることが期待される。(このシリーズ最終回です)


教育改革(2回シリーズその1)

2014年04月26日 00時00分01秒 | 紹介

  いじめ問題が浮上して久しいが、安倍政権の公約でもある教育改革の抜本的な見直しがかまびすしい。教育委員会制度は中立的な立場を堅持することで、行政とは一線を画する、崩壊の危機にあった教育委員会という独立組織が、学校でのいじめ問題を正面から取り組む中で、責任の所在が不明確であるという、組織と行政とがどのようにして役割区分し、明確にするかの別の問題が浮上した。現在は問題の根源を見極め、新たに責任の所在を明確にするための委員会が立ち上がり、改革案なるものが出されている。

 果たしていじめ問題が解消できるか疑問を残すところであるが、この案をベースとした国民的議論が活発化してきている。政治(行政)と教育という関係がどの様にあるべきか、過去の歴史をふまえた、将来に向け、国民の納得のいく方向を目指して欲しい。

  大学に在学中、担当教授から、口癖のように、「娑婆はそんなに甘くないぞ!」「全く誰々は教養がないのだから!」と叱咤されたが、教育問題をもう少し突っ込んでみることも必要かと思い、昔の参考書を取りだし、今のご時世に参考になるかと勝手に思い、この問題を取り上げてみた。

 明治以来、教育現場で考えられた教育の概念に訓育と陶冶(とうや)がある。訓育とは社会人として必要な心がけや習慣を身につけることで、人格形成に重きを置く考え方である。英語で education (教育の結果開発された素養・教養をいう)、教師のことを educator・teacherといっている。

 よく言われていることに教育者は学習者本人の生まれながらにして持っている能力を見極め、必要な能力を引き出し、その発達を支援・助長することを仕事としている。教育者という多くの方に接してきたが、様々な思想や経験をされた先人としての生き様は、大いに影響を受けるもので、自らも反面教師などとレッテルを張られないように生きることを理想としている。(次回へ続きます)


アカデェミー受講初日その2

2014年04月25日 00時00分01秒 | 日記

 また、急速充電が可能となり、充電開始後6分間で80%の充電効率を持つ特性が述べられた。さらに寿命が1万回行っても容量回復率が90%と高く、繰り返し使用できる電池寿命が長くなったことである。しかし、近隣他国の追従もあり、シェアーは独占できていないとのことであったがその理由の一つとして、数年前に、高齢者の再就職の道が閉ざされた時期に、厚遇で隣国からの技術者の引き抜きがあり、研究成果の持ち出しも影響しているとのことで、悩ましく、しかし、興味をそそる話を聞くことができた。技術の流出の問題は稿を改めて述べることとしたい。

 講座の終了後に質問の受付があったが、自分は日ごろ疑問に思っていることをと思ったが、講師の人柄もわからなかったため、今回は遠慮した。同様な疑問を持たれている方もおられると思われるので、ご参考までに申し上げるが、バッテリーの寿命であるが、日常使う単1、単2、単3などの乾電池の残量がわからないことである。もちろん繰り返し充電が可能な回数なども簡単に計測できればよいと思っている。

  電池の容量が低下して起動できない機器は、その時点で新品の電池と交換すればよいのであるが、新品も使っても容量が低下している場合がある。テスターで測定すればよいのであるが、充電可能な電池でも残充電可能回数まではわからない。消耗品であることはわかっていても、電池に問題があり、故障してしまう場合も多い。アルカリの乾電池では液が漏れ出し、接点や本体まで腐食して使い物にならなくなるので、長期間機器を使わない場合は電池を取り外しておくとよい。

  高齢者の熱心な聴講には頭が下がる思いである。開催場所は武蔵小杉駅から徒歩12分の川崎市生涯学習プラザで、RC4階建で、多くの研修室が完備されていて、同時に多くのコースが行われていた。以前何かの会議で利用したことがあったが、当時も盛況であったことを思い出した。自分がこの年になって、受講生になるとは思ってもいなかったが、大いに楽しめた講座初日であった。(この項終わります)


アカデェミー受講初日その1

2014年04月24日 00時00分01秒 | 日記

4月17日(木)午後1時10分から午後3時

 平成26年度前期の川崎市アカデェミー受講初日に出席した。初日日に限り、開始時間が20分早く始まり、事務局のあいさつと受講全般にわたる説明がなされた。77名の参加者があり、うち49名がリピーターで、平均年齢は70歳、最高年齢者は90歳、最低年齢者は54歳とのことであった。10名の世話役がいて、ボランティアのようでもあったが、一緒に受講していたので、リピーター受講生の中で決めているようであった。

  コース名は「地域社会に貢献している川崎の会社と人々」であり、企業連携の分野で、その概要は工業都市川崎を支える企業の新技術、独自技術を学び、モノづくり川崎の未来を探っていくである。7月中旬までの間に10回の講座が予定されていて、うち5回は現地で見学会が企画されている。最終回には懇親会も計画されているようで、別途オプション見学会なるものが準備されていて、10回の受講終了後3か所について予定されているが、現在調整中で、参加人数によっては抽選や、中止となるようである。

  初回は東芝の研究開発センター首席技監高見氏の講座であった。テーマは「急速充電から低炭素社会の実現に向けて云々」というリチューム電池の開発に向けての経験談で、初回から高度な科学技術の話であった。ビデオも用意されていて、飽きさせない進め方は講義に慣れている方だと思った。

  リチューム電池の主たる用途は電気自動車やハイブリットのバスや乗用車用の電源であるが、蓄電・放電の機能が今後の社会に有用であり、充電放電を繰り返すことによる経時変化に対し、エネルギー効率が高いリチューム電池開発の成果がポイントであった。開発したリチューム電池は、負極にチタン酸リチューム、正極にリチューム複合酸化物を使うことによって、衝撃などによるバッテリー本体の破損に対し、従来の負極にグラファイトや炭素を使ったリチューム電池の弱点であった、発火や爆発をなくし、安全性が確保できる点である。(明日へ続きます)