鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

画像の提供

2020年06月04日 00時00分10秒 | 紹介

  普段の生活は変化が少なく、恒常的で、代わり映えはしないが、その中にも、新しい発見や、突然の依頼等があるもので、今回、某TV局の番組を企画する会社から、以前にブログに投稿した画像を所望する旨の書き込みがブログのコメント欄にあった。現段階では、番組に乗せる最終確認ができていないため、確約できない旨の追伸であった。このような書き込みは今までになかったことで、早速、ハードディスクに収めた該当するオリジナル画像と、ブログへ投稿した縮小版の画像があることを確認後、お役に立てるのであれば、使っていただくように返信した。その後、担当者からスマホに電話があり、詳細な打ち合わせを行った。

  このときは、すぐに送信できると勝手に思っていたが、番組は3日後の午後7時放映ということで、時間的に余裕がない状況にあった。現職の時には、仕事の関係で、印刷会社との原稿のやり取りや、不鮮明写真の差し替え等、パソコンメールでのやり取りは経験済みで、場合によっては、画像を印刷後印刷会社へ手渡ししていた。相当前であったので、何度かメールサーバーの容量が上限を超えたファイルの送受信ができず、受信拒否されたこともあった。しかし、最近のパソコン環境では受信拒否など起こらないと思っていた。

  スマホでの応対で、画像は所望された画像の前後数枚を送信するとの約束であった。相手のメールアドレスを確認後、自分のハードディスクからオリジナル画像と、縮小版を計20ファイル選択し、送信メールに添付して送信したところ、受信拒否が発生し、その後、分割して何度も送りなおしたが、相変わらずの受信拒否であった。そうこうしているうちに番組企画の会社から、縮小アプリを送られる羽目になった。縮小アプリは、残念ながら小生のパソコンとの相性が悪かったのか、起動しなかったため、別途、手持ちの画像縮小アプリでファイル容量を縮小し、送信した結果、相手側のメールサーバーは拒否しなかったため、無事、送信することができた。オリジナル画像ファイルの容量は1ファイルが30Mb(メガバイト)であったので、送受信は無理であったのだろう。何とか3日後の放映に間に合った次第である。

  TV放送の番組は、鉄腕ダッシュ、5月31日放映。画像はカルガモつがいの写真であった。当ブログの2018年4月12日投稿した画像のうちの1枚である。 番組を放映するには、番組企画から始まり、撮影、録音、編集、試写に至るまで、多くの関係者が関与する。たかが、1枚の写真であっても、情報の収集、画像の選別、採用、撮影者へのコンタクト、加工、編集、組み込み等多くの手間を要する。小生の画像が活用できたことに心から感謝したい。

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黄昏

2020年06月03日 00時00分10秒 | 紹介

 読み方は「たそがれ」、古文を学習した同輩には容易い質問で、失礼しました。この語の源泉の「誰(た)そ彼(かれ)」を発する場面は、夕闇迫るころ、暗くなってきて、対面するまたはすれ違う人の顔の識別ができない場面で、お前は誰か?と尋ねるときに用いられる言葉である。今日では、知らない方に対してむやみに問うことなど考えられないが、古い時代には、その行為が許された。知人が多く、今日より、人同士の交流関係が親密であったのであろう。夜明け時点でも、夕やみ前であってもいずれでも黄昏といっていたようであったが、近世になって、夕暮れ時のみに使うようになったようである。では、夜明け時点の薄暗い時分では、お前は誰か?と尋ねる場合には、「彼(か)は誰(たれ)ぞ?」「かわたれ」、「かわたれどき」と呼んでいた。現在では死語となっている。

 黄昏は人生の盛りが過ぎたご仁に対して言うのであるが、晩年と同様、寂しい表現であり、あまり積極的に使いたくない。隠居した高齢者や、老年齢者を指して言う場合もある。  私見であるが、人生の盛りとは、若い時だけを言うのではなく、年を経て始めて得られるものも多い。人としての、充実した感動や満足度等は、まさにそれで、研ぎ澄まされた感性の備わった目で見ることが大切で、充実感や、満足度は年を重ねたことによってのみ得られると思われる。

 最近の雇用マッチング傾向では定年後の継続雇用は当然であるが、定年退職年齢が見直され、年々高齢化している。コロナウイルスの感染で、企業の損益に著しい変化を生じさせ、マイナスどころか会社を維持できないほどの減益に始終している。その結果、従来の雇用関係を維持できず、雇用条件は変化し、雇止め・人員削減等の継続雇用が厳しくなっていることも事実で、今後の見通しは楽観できないが、終身現職を貫く人も出始めている。
 もはや、人生の黄昏などと揶揄する言葉も死語になろうとしている。むしろ、体力・気力の続く限り、雇用関係を継続し、働く者の意向を大切にする時代になったともいえる。
 専門性や、売れる能力を携えた者にとっては、AIの出現で、活躍できる範囲も狭くなったようである。階層社会のフラット化が進み、同一労働同一賃金や従来の正規・非正規の雇用関係に変化を生じさせ、男女の役割区分や、年齢の制限等が緩和されるなど、雇用環境のグローバル化は冷め、新たな多様化が進んでいる。

 写真仲間でたまに出る会話の中に、夕暮れのコントラストが強くなる風景等を一の暮れ、二の暮れ等と呼んでいる。先般のブログで小生が紹介した「夜目遠目笠の内」で若干触れたが、日中の直射日光が射していると反射光が強く出て、ハレーションを起こしやすい。
 この防止のために偏光レンズやNDレンズを使用するのであるが、これも美しい画像を得るために使っている。写真撮影では、撮影条件が常に変化することを考慮して、被写体の置かれた環境のホワイトバランス、被写体の動作、(シャッタースピード)ISO感度、露出等をこまめに修正する必要がある。黄昏に迫る撮影では、四季や月の満ち欠け、天候に左右され、毎回撮影条件は異なるものである。


夜目遠目傘のうち

2020年05月28日 00時00分10秒 | 紹介

 夜見るとき、遠くから見るとき、笠に隠れた顔の一部をのぞいて見るときは、はっきり見えないので実際より美しく見えるものである。多く、女性にいう。と辞書にはあるが、現代に通じるわけではなく、古い時代に言われた表現であるが、ふとしたことで、思い出した表現である。実は、近所で親しくしている女性からワイフが日傘をもらい、自分には似合わないといったときに、頭に浮かんだ常套句であった。筆者から暗にワイフに語った意味は、今更返品するでもなければ、受け取っておきなさい。昔から、美人に対するほめたたえる言葉で、傘は、より別嬪に見せる道具でもあるから??であったからである。

 夜目は、夜暗いところで見ることで、暗がりで見る、遠くから見た女性や、被り物を被った女性の容姿は、実際よりもきれいに見えるとのことで、輪郭が茫洋とされ、または、背景によっては、輪郭だけが強調されて、オタク的であるが、男の想像を掻き立てる。写真撮影でも、夕間詰め、景色が変わり、輪郭がはっきりと見える瞬間があり、このときの画像が何とも言えず、美しく感じる。

 また、粋でもないが、気になる仕草に、「目病み女に風邪ひき男」なども、よく耳にした言い回しである。こちらの方は、今でいう近眼の女性は、物を見る際に、瞼を開いたり薄目にしたりする所作に通常とは異なる女性の色気を興味深く感じたのかもしれない。今でいう眼病ではなく、近眼や遠視を目病みといったのであろう。コンタクトが一般的な今の時代には考えの及ばない世界であったのであろうか。最近では、伊達メガネをかける女性大臣もいた。風邪ひき男は、ひ弱で、咳をする際に、かがんで、握った手を口に当て、空咳をする姿が、女性にとっては介抱してあげたいという、母親心(母性本能)をくすぐるのであろうか。

 晴天でも日傘をさす女性ばかりではなく、男性もそのような行動をとるとのこと。皮膚がんにかからぬように、直射日光を避け、皮膚にはよいのかもしれない。マスクを付けるのが日常になった今、大きな黒色の帽子をかぶり、サングラスに黒のマスク、まるで誰かに顔を見られるのを拒んでいるようで、異空間にいるようで、気色が悪い。風貌は時代を映す鏡といわれるが、度を超す風貌は、社会に溶け込めぬ違和感を覚えるのは自分一人ではないであろう。

 マスク美人はマスクで隠れた箇所を想像で思うのは良いが、あまりにも日常化すると、対人関係や、礼儀とどこまで共存できるのか試練でもある。マスクを付けない状態が好ましいことは間違いない。隠すことと防ぐことのTPOが求められているのかもしれない。 

 


イボタの木

2020年05月20日 01時00分07秒 | 紹介

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 時期的には五月の初旬から中旬にかけて開花する。白い小花をつける落葉低木で、日本中どこでも見られる植物のようであるが、木材としての利用は爪楊枝ぐらいで、多くないため、広く知られていない。今回は、ワイフが多摩川で撮影したスマホ写真を見せられ、木の名称を尋ねられた。筆者は知る由もなく、インターネットで検索してようやくたどり着いたのは、イボタの木(モクセイ科)とその開花した小花であった。この木には、カイガラムシが寄生し、ロウを出す。このカイガラムシは、カメムシ目カタカイガラムシ科イボタムシが正式名称で、通常、イボタ蝋(ろう)ムシと呼ばれている。イボタ蝋ムシはイボタガの幼虫で、オスが分泌したものがロウである。現在では、わが国でのこの虫からのロウ採取はないようで、製品化されたロウのほとんどは中国産である。価格は他のロウに比べ高めである。

イボタの木の漢字名は「水蝋(いぼた)の木」と書き、古くは、木材の磨きに使ったイボタロウは墨筆になじみやすく、にじみやはじかないため、他の蝋(蜜蝋、ハゼろう等)やワックスとは異なる特徴を持つ。実際の用途は、桐ダンスや桐で製作された木工品の艶出しに使われていた。また、ふすまや障子と敷居との摩擦を滑らかにし、つまり、滑りやすくするために用いられた。
効き目は定かでないが、干した昆虫を疳(かん)や肺結核の薬として煎じて飲むことも行われていたようである。また、ロウソクの代用として用いられたとの記録もある。天然の素材なので、丸薬の艶出しにもこのロウが用いられていた。

イボタの木に寄生したイボタ蝋ムシのオスが分泌したものを木から剥がし取り、容器に水を沸かし、ロウ分を溶かす。水面に浮かんだロウ分を型に流し込んで常温まで冷やし、結晶化させる。沈殿したものもフィルターにかけて不純物と分離させ、前述と同様に熱でロウ分を溶かす。

 記憶違いかもしれないが、古くは漆工製品の仕上げの磨きにイボタロウを使っていたとのことであったが、現在では、植物油と砥の粉を混ぜたコンパウンドが粒子の大きさによって各種製品化されている。ワックスにおいても、シリコーン系や、水溶性のものまで各種あるので、高価なイボタロウを使うことはほとんどないと思える。

 不思議に思うことの一つに、ロウの漢字は虫偏が使われているのは、古い時代からそうであれば、産業に寄与していたと思われるイボタ蝋ムシはロウソクや磨き材料でもあり、工芸品等に貢献していたのであろう。また、鋳造に使われるロウ鋳型は、多分蜜ロウかイボタロウを使ったのであろうか。古き世界に思いを馳せ、一匹の虫が誘う不思議が見え隠れするのもよいものである。


病院点描(食事編)2

2019年08月15日 00時00分05秒 | 紹介

 毎回の食事のカロリー計算書と食事メニューが書かれた個人カードの裏面が、食事提供者と患者とを結ぶコミニュケーションツールとなっていた。どれだけの患者が、食事の感想や要望を書くのかは未定であるが、質問に対する回答を目的としてはいないようであった。つまり、食事の感想に限定しているようであった。そこらへんはあまりこだわらず、自分の感じたことなど種々雑多な感想でお伝えすることに専念した。単純計算で、3×10で30回ほど書いてみた。

 

 書き始めると、食事の内容や、組み合わせ、我が家との違いや、旬の材料の料理の仕方等が、気になり、100字ぐらいのスペースなので、己の思いも込められる。ほかの病院との比較は入院経験がないため、不可能で、病院組織としての食事部門はあまりスポットが当たらない場所でもあり、病院の治療とは直接または間接的に重要であっても、主ではないので、あまり話題にはならないのかもしれない。

 

 しかし、今回は、実際の入院患者でもあり、客観的に判断ができる立場であったため、食事の感想は、自らの病と直接関連する実態として、その重要性を感覚上の判断であったが、被検者としての立場で感想を執筆することができた。執筆した内容中に疑問点があった。それは、病室には配膳したトレーには食器に部分的に加熱が施されていることである。通常、調理室で、行うであろう料理の加熱・保温は、どのようにして行われているのかということである。この質問の答えを、食事を担当している某管理栄養士がわざわざ来室されて、筆者に説明していただけた。配膳は食事時間前にエレベータで各病棟各階へ届けられる配膳車である。配膳車自体に電気的な加熱装置が設備されていて、配膳トレーに置かれた料理を左右部分的に温めるコントロール機能を持っているとのことであった。なお、現在では多くのデータ処理や調理加工をコンピュータが担っていて、調理現場に導入されているとのことを付け加えられた。

 

 どの職種に限らず職場は、業務の効率化が叫ばれ、コストパフォーマンスは、言わずもがなで、病院でさえもその流れに抗することは不可能と言える。特に人手だけに頼ることができない栄養部署においては、高度人材を育成するための努力が求められていて、今回はそのあたりをもう少し深めて聞くべきであった。しかし、随所に独自の工夫がされていて、それらのパフォーマンスは地産地消であり、調理の手作り感、新鮮な地元産の食材の利用、さらには、期間を区切ってのことであるが、患者への選択メニューの提供等その工夫は是非とも続けていただき、食事のサービスを通じて入院中の患者への満足度を高める努力を期待したい。             


病院点描(食事編)1

2019年08月14日 00時00分05秒 | 紹介

 

 大学病院で入院患者に提供する食事は当たり前と思われているが、実際の現場の鳥瞰は、関係者以外、想像しがたく、特異な世界であろう。そのシステム上の位置づけは、医療分野との序列を云々することは意味ないが、強いて言うならば、病院という組織に付随し、主たる医療分野に付随し、従たる生活福祉の分野に入るかもしれない。それを含めて病院業務である。業務の内容はまさに神業ともいえるもので、時間軸上の微細な計画から当日の食事提供へ至るまでの一連の工程は症状が異なる患者へ個別対応を必要とし、将にマンツーマン作業である。個々の患者の病状に合わせたリクエストは時として、時間との戦いでもある。(入院が決まった時点で食事の必要性の有無については担当医師から指示されるそうである。)組織は明確ではないが、管理職をトップとするピラミッド構造であろう。大切なのは、他の部門との密接な協力関係が重要となる。他の部署との意思疎通が欠くことがないように、定期的な会合が行われている。通常の食事提供との違いは医療部門と密接にかかわり、病状に合わせたメニューの多さであろう。例えば、食事の種類は一般治療食と特別治療食とに分かれ、一般治療食は成人常食、全粥、三分粥、五分粥、流動食、軟菜食、学童食、幼児食、離乳食等があり、特別治療食にはエネルギー調整食、タンパク質・脂肪・塩分調整食、特別な疾患に適した食事が含まれる。

 

 それらのデータを調理前に掌握し、数名の管理栄養士等が企画する。予定された予算内でカロリー計算、アレルギー食材の点検、調理手順・加工時間計画、配膳、仕事の采配、スタッフ間の調整、食材の準備、調理場の衛生管理等、どれも高度の知識と、安全衛生管理上の具体的な展開が要請されている。

 

 今回の入院は10日間であった。この間毎日3食の食事は健康を維持するうえで、病状と併せて処方される医薬品に匹敵する重要な基本要素であることを認識することができた。通常はさほど意識せずに生活を送っているが、どんな料理でも食することができ、それもおいしいと感じつつ、腹八分目で満足できていれば、大いに喜ばしいことであろう。

 

 入院した4人部屋には筆者を除く3人は重い糖尿病とみられ、ほとんどの生活状況で車いすのご厄介になっていた。一定時間毎には、終日、血液の血糖値を測定し、その数値に合わせて、自らがインシュリンを注射していた。当然、食事は、糖尿病の症状に応じて、カロリー計算されたメニューとなっていた。この食事と自分の食事との違いを見たわけではないが、部屋を区切るカーテン越しに聞こえる患者の独り言を聞くにつけ、食事のまずさから提供された食事を想像できた。その点だけからいうと、今回は3食とも普通食であったため、まったく食事への不満はなかったのである。

 


病状点描3

2019年07月24日 00時00分05秒 | 紹介

    

  以上の顛末であるが、失神が起こる理由は今でも明らかにされていない。つまり、喫煙が遠因となっているとわかっているが、直接の原因が不明なのである。ナースコールを行っても、すぐには担当医との接触は難しいし、まして連休ともなれば、困難をきたす。最悪の場合は、心肺停止となる。医療処置が困難となる場合もあるからで、短時間に意識が自力で戻ったという意味で、運が良かったとしか言いようがない。幸いとなったことは、発見が困難とされる冠攣縮性狭心症が自分の体に潜伏していたことがはっきりしたことである。

 

 前述した医療受診ということの意味は、医師が個別対応の中で医師ですら判断に悩む病気が潜在していることであり、その発見には困難が伴い、多くの症例と経験が必要となる。

 

 特に今回ペンディングとなった点滴に混入したステロイド薬は、心肺停止を引き起こすこと等の問題を起こさない薬品とされていても、患者の体調、投与分量、アレルギー体質や摂取した薬剤の副作用等として解明されていない未知な部分を持っていることであろう。

 新薬が登場する頻度は頻繁であり、十分な検証や治験が行われていないことへの心配もある。解決されていない副作用等は、どの医薬品にも当てはまるとの認識を持つべきであろう。また、医師との信頼関係を大切にすることは当然であるが、上述したことを承知し、患者の方も常に薬剤が持つリスクや未知数をまた、不完全さ(リスク)を持ち続けていたい。

 

 また、ナースコールについては非常ボタンとしての機能だけではなく、車いすを利用する患者にとっては、介助依頼には欠くことができないコミュニケーション手段でもある。病室とナースとの距離は、入院患者の病状によっては集中治療室やナースステーション近くの観察室が準備され、即時性に対応しているが、夜間等の対応は必ずしも万全とはいえない。

 

 緊急を要する場合は全面的に看護師や医師に任せざるを得ないが、通常入院であれば、事前の施術の説明(診療計画)はあったとしても、医師の説明に対し、専門性が高ければ、患者にとっては理解しがたい場合も多い。俎板の鯉ではないが、医者や看護師の判断に沿うことになる。そのことに関する患者との意思疎通や相互理解は現実には十分できているとは思えない。つまり、患者への周知や了承のプロセスは医師への全面的な依存関係である。施術中であっては時間経過とともに、どのような処置がなされているのか逐次報告や相談を期待することさえ困難な場に遭遇することもある。医療機関の万全の体制を望んでいても、様々な点で改善の余地があることも事実である。治療の本質ではないが、若干気になったことである。   

     


病状点描2

2019年07月23日 00時00分05秒 | 紹介

 

 肺の機能が落ちることの影響は、貧血である。血液中の酸素濃度が低下し、正常を100とすると9098等と数値で測定できる。簡易な測定器(パルスオキシメーター)もあり、手の指の爪の上から測定でき、おそらく血液の発色の程度;酸素飽和度(酸素に結びついたヘモグロビンの比率)を数値化しているのであろう。通常は96以上のようで、これ以下だと貧血と診断される。入院が決まり、担当医師(主治医)から診療方針を告げられた。

 

 処置は、点滴による炎症の鎮静化と、酸素吸入による直接の吸入である。初日は、服用する抗菌薬(抗生物質)が供された。8時間おきに行う抗菌剤の点滴が施された。初日は特に変化はなかったが、翌朝、胸の痛みを感じ、ナースコールを行った。意識が遠のき、1分以内で意識は戻ったが、胸部には、心臓の動きを測定する心電図測定器具が取り付けられた。ナースステーションに待機していたスタッフが集まり、すぐに簡易型の心電図測定を開始、心電図波形データを取る。担当看護師は瞳孔の目視も行っていた。

 

 しばらくして再度、胸が引き絞られる発作が到来し、ナースコールを押した。意識が遠のき(失神状態)、再度、心電図測定が行われた。ちょうど連休の中日であったため、このときは、看護師から宿直の医師へ情報を伝えたようであるが、意識はすぐに戻ったため、特段それに以上の処置はなかったが、翌日になって、早朝からの点滴は、点滴落下速度を遅めにし、血圧の変化を見ながらの作業となった。点滴が終り、体調の変化はなかった。

 

 11時に次の点滴が行われた。点滴が終わり暫くすると昨日と同様に胸の痛みが発生し、すぐにナースコールを行ったが、このときは、ナースルームでも分かったようで、脈拍が極端に落ち、1分間に20回までいかなかったようであった。4回目の発作である。すぐに循環器内科の医師が、心臓超音波検査を実施した。担当医師の方で状況の分析と、今後の対策が協議されたようで、担当医からの説明があった。

 

  原因を特定できないとしながらも、失神の原因として点滴に混入した抗菌剤については取りあえず中止とし、循環器科の医師との相談の結果、心臓にカテーテルを挿入し、心臓の状況を確認するペーシングが必要とのことであった。直接、循環器科の医師から説明を受け、施術のデメリット・リスクも告げられたが、その前の段階として、心電図測定器を24時間胸部に装着するホルター心電図を行うこととなった。これは、体表面に電極を添付し、24時間心電図を記録する。自覚症状のない血管の攣縮の心電図変化をチェックするのである。翌日、データの解析結果に基づき、担当医及び、循環器科の医師から、冠攣縮(カンレンシュク)性狭心症であることが告げられた。血液検査の結果、肺炎の炎症は治癒に向かっており、翌日の退院が決まった。あとは処方された狭心症の薬の服用と自宅での治療ということになった。


病状点描1

2019年07月22日 00時00分05秒 | 紹介

皆様へ

「肺炎を起こし入院しましたが、20日に退院しました。ご心配をおかけしました。

しばらく屋外写真撮影には出れませんのでご理解ください。」

 

今回、10日余りの入院ほど人間の身体の弱さを感じたことがなかったのであるが、自分の想像とは、相当異なった形で、突然襲う現象は筆舌しがたいものであったが、参考事例としたお示しすることが良いと思った次第である。

 

人間誰しも同じ衣食住であっても、時代背景や、考え方、経験等すべてのことについて同じではない。したがって形成される身体構造・機能そのものについても、千差万別で、個別なのであるが、共通する部分はないわけではなく、そうでなければ、診療科などの区分が意味をなさなくなる。しかしながら、症例や、治療方針など、10羽一絡げとはいかず、個別で対応せざるを得ないのも事実である。

 

医療にもいえることであるが、初診外来から始まり、単発や継続を含め、病院では、個別のカルテに詳細が記録される。収集されたデータは、パソコンによって電子化され、記憶媒体に保存される。院内共通のデータ共有化が進んでいるが、診療科を跨ぐケースもあり、境界領域が定まらない場合も見受けられる。当初、決まった診療科が中心となり、PDCA(プラン-ドウ-チェック-アクション)サイクルによる診療が始まる

 

医師は罹患した症状から、病名を探るが、事前に、察知できる体温、体重、身長、血圧、心拍数、血中酸素濃度、採尿、採血・血液検査、エックス線撮影等による検査データは判断材料となる。当然、顔色や、呼吸音、脈拍等の外観検査も必要であろう。場合によっては、五感の状況、痛みや発疹の状態、触診による検査も必要となる。このほかにも、親族や個人の罹患した過去の病歴、現在治療中の病気、処方されている薬、それによる副作用等の問診も重要となる。

 

過去に行った臓器の摘出後の経過観察で、発症した病気が別の診療科に及んだ今回の入院は、気管支内科であったが、数日間就寝時の呼吸が荒くなり、胸部が圧迫される状況が続き、日中も微熱が続く状況にあった。気管支の状況は、前回の外来診療でも指摘され、ステロイドと吸入薬を併用していた。(ステロイドとは、副腎(両方の腎臓の上端にある)から作られる副腎皮質ホルモンの1つで、ステロイドホルモンを薬として使用すると、体の中の炎症を抑えたり、体の免疫力を抑制したりする作用があり、さまざまな疾患の治療に使われている)

 

しかしながら、気管支炎の発作は喘息の発作のことで息苦しいが、自分ではよくわからなかった。医師の聴診器からは呼吸に雑音が聞こえるようで、レントゲン写真と血液検査の結果から肺炎と診断された。

 


カラスの合図

2018年12月10日 00時00分06秒 | 紹介

 野鳥撮影は被写体である野鳥を探すことが第1のポイントである。野鳥の習性を知ることも大切なポイントである。野鳥がどこにでもいるわけではない。また、居るとしても、人目に付きやすいところばかりではなく、樹木の中にいたとしても容易に発見できる方がまれであり、むしろ人目を避け、葉や樹木に擬態しているともいえる。鳴き声や雑草の微妙な揺れに注意し、撮影者自身の動きや会話、雑音なども気を付けなければならない。できるだけ自然に溶け込むことが大切である。つまり撮影者の不用意な気配を野鳥に察知されないようにする。

 

野鳥が集う環境は、食べ物があり、水があり、天敵から身を守ることができる場所である。しかし、いつまでも同じ場所に留まっているわけではなく、居場所を変える。まるで隠し絵を探すようなものであろう。うまく野鳥に遭遇するには、多くの場合、季節や天候に左右されやすく、時間帯も重要な要素となる。

 

 昨今、カラス公害で困りものの代名詞にされ、嫌われているカラスであるが、一方で「七つの子」(作詞野口雨情)の童謡で古くから日本人に愛されてきた身近な野鳥でもある。野鳥の写真撮影には、カラスは欠くことができない被写体(猛禽類とのバトル等)でもあり、集団行動は時として猛禽類飛来の目印ともなる。カラスが声を上げ、逃げ回る時は、ハヤブサかオオタカが近くにいることが多い。枝どまりしたこれら猛禽を、追い出す役目をカメラマンから期待されている。

 

 カラスの習性が、一番影響していると考えられるのは、数羽で周到に猛禽類を追うことであるが、どうも、カラスに対しては攻撃しない、ハイタカ、チョウゲンボウ、ノスリなどの小型猛禽類や、襲って食料にしないトビなどに限られている。オオタカやハヤブサの幼鳥であっても場合によっては、カラスを攻撃して食料とするため、カラスは鳴き声で、警戒しているようである。襲う速度はハヤブサでは新幹線と同じぐらいの300キロに及ぶこともあり、飛行速度の遅いカラスはそれだけでも太刀打ちできない。

 

 鳥類のことを書いた書籍を読むとカラスの知能は高いようで、住環境への同化性や、適応力が特に高いとされている。道具といっても、最近では、ビニールを巻き付けた針金の衣紋かけや、コード類等を巣の材料に使い、また、ゴミをあさり、道路にまき散らすなど、その行動は不人気の原因となっている。クルミの殻を割るのに、高いところから落としたり、自動車にひかせたりすることもある。パンの耳をどこかで仕入れ、護岸で水につけて柔らかくしてついばんでいる姿を見たこともある。最近、TVで、駅の改札でカラスが、ICカードを乗客から盗み、チャージを行っていた映像を見たことがある。

 

 野鳥を見つければ、撮影条件を瞬時にカメラにセットする。光量は露出であり、順光か、逆光かの判断を行う。シャッタースピード、ISO感度等最適条件を操作する等、この辺は、何度も撮影を積み重ねるほかに王道はないようである。


遠方より友来る

2018年10月29日 00時00分06秒 | 紹介

 学生時代からの友人で、専攻科は異なるが同窓会があり、すでに古希を過ぎているが、ひと月前から上京するとの連絡を受け、同窓会を前後して都合が良い日に自宅に招くことにした。昨日、新横浜駅に送り届けたが、我が家には1泊することになった。当日の午前中は、女房を神代植物園に送って、午後から夕食の準備にかかった。

 

 メインは手軽な手作り餃子を作ることにした。3人での会食なので、そう多くは必要なかったが、すでに準備した材料といってもシンプルな餃子で、豚のミンチ500g、キャベツ、玉ネギ、長ネギ、にんにく、しょうがのみじん切り、つなぎは片栗粉、ごま油にカキ油、しょうゆ・酒少々に塩・コショウで味付けした。竹の菜箸で十分混ぜ合わせ、市販の皮を使って、40個を作った。餃子鍋をする予定であったが、焼き餃子にすることにした。余ったミンチは、肉団子を作ることにした。

 

 以前、職場に近くにあったスナックで、店を借りて職場の同僚に振る舞ったことがあり、このときに、スナックのママさんから教えてもらった、卓上コンロで焼きながら食べる餃子が酒のつまみとしてとっても美味だったことを思い出した。今回は、友人の好みがわからずに、40個をすべて焼き、大皿に盛っただけであった。女房は、スーパーの魚屋に頼んでおいたカンパチの刺身半身を携えて帰宅した。このほかにはだし巻き卵、野菜サラダなどを準備した。

 

 午後三時を回ったころ、友人からの電話で、最寄り駅に着いたという知らせを受け出迎えに出かけた。10年ぶりに会う友人は、少し肉付きが良くなったようであったが、元気な様子である。長旅疲れも癒え、前日の同窓会での多量の飲酒もすでに酔いは冷めていたようであった。再会を喜び合い、自宅へ向かった。

 

 友人は、現在、退職した滋賀県近江八幡市に定住しているが、5~6年前に奥方を喪っている。琵琶湖の葦を使った和紙に自作の葦で作った筆を使った水墨画の画伯であるが、因みに、小生が名付け親となり、美人画の範疇で、「麗人画」の創作活動を続けている。すでに10年を経過していて、画風のマンネリ化に悩んでいたようで、そこからの脱皮を模索していたようであった。酒を飲みながらの画風談義が宴会を盛り上げることになった。根源的な麗人をどこまでそれらしく画像に表現するか、男女の表情の違い、麗人の有り様等に話が深まった。次回また会えるとも限らないが、何らかの糸口が捕まえることができたようで、再会が、大変意義深く、満足したようであった。マンネリ化を脱却した次作を期待したいところである。

 

友人のブログ

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麗人画  麗人画の世界② 


腹腔鏡下前立腺全摘除術その2

2018年03月27日 00時00分01秒 | 紹介

 術後3日目に起こった症状は、全身の掻痒感である。この掻痒感は、今までに知覚したことのない痒さであった。担当看護師経由で知った担当医の所見は、体質等によって現れる麻酔薬の副作用とのことであった。早速、掻痒感を除去する成分の点滴が実行され、併せて、自己麻酔を行うための薬剤の変更が行われた。この自己操作麻酔とは、手術前に背骨に針が刺され、チューブによって、手元で一定微量の麻酔薬が脊髄へ注入されるという簡易廃棄処理可能なポンプである(携帯型ディスポーザブル注入ポンプ)。術後に痛みが知覚したときに、簡易ポンプを押すことによって、体内へ麻酔薬が注入されるものである。術後5日目には、掻痒感も消え、痛みが治まったため、背中のチューブと針およびポンプ一式は取り除かれた。

 

 麻酔が自己管理されるということ自体が驚きであった。確かに痛みを知覚するのは患者本人であり、痛みの程度も我慢できる範囲であれば我慢すればよいが、それ以上であれば、医師のご厄介となる。自己処理が利用できれば患者にとっても有効と思われる。この麻酔薬は即効性ではなく、装置操作後約10分後に効果が出てくるとのことであった。医師から許可が出て、歩行が自由となっても、この簡易装置はわずらわしさもついて回る。移動するといっても院内であり、そう長い距離を移動するのではないが、点滴棒を転がし、排尿チューブ、タンク、それに腹部からのドレーンが一緒に移動するため、今思えば、格好良い姿ではない。まるで実験中のロボットである。そのことと同時に、術後の歩行である。

 

 手術の前日には、ふくろはぎを締め付けるストッキングをはかされる。これは、長時間同じ姿勢を保つことが強いられる手術時や、術後の安静期に血流の異常を防ぐ目的があるそうで、よく言われているエコノミー症候群の防止のためだそうである。まさかと思ったが、手術の翌日には、歩行練習があった。もちろん、看護師の介助が必要であることは、実際にその状況を経験するとよくわかる。始めの第一歩はまっすぐに立てないし、ふらつき感があり、自分の歩行はどうかしてしまったかと思える状態であった。歩行中しばらくは看護師の支えが必要であった。すぐに車いすのお世話になったが、自分の歩行がおぼつかないことを実感した次第である。

 

 付け加えると、下の話で申し訳ないが、術後、7日目に尿道に刺したカテーテルとバルーンが取り除かれた後は、排尿のコントロールが全くと言ってできない。尿漏れのパットのお世話になる。この期間は人によって異なるそうであるが、月単位というから悩ましい。以上、初めての経験はあまり繰り返したくない心情である。避けて通ることができればよいのであるが、日頃の節制と健康第一ということをつくづく実感した次第である。

 


腹腔鏡下前立腺全摘除術

2018年03月26日 00時00分01秒 | 紹介

 既に前立腺のがん化については、事前に行った各種の検査の結果で、判明していたのであるが、治療にはいくつかの選択肢があり、必ずしも前立腺や周辺組織の切除だけではない。切除に至るまでにはいくつかの条件があり、体力面を考慮すると、個人差もあるが、一般的に言えば、年齢が75歳以上では切除手術は困難ということであった。つまり手術によるリスクが高くなる。切除以外の治療には、例えば、放射線療法で放射線を一定期間照射することや、合わせて抗男性ホルモン注射による内分泌法、これは、前立腺肥大化を抑え、がん化した組織を死滅させる方法が用いられている。

 

 実際、前立腺がんの知識がない者にとっては、医師からどうしますかと問われても、どの方法が良いのか返答に困る。特に重視した治療にまつわる各種の付帯条件を短時間で調べることなど、選択肢を絞り込むには困難が伴う。したがって、医師のアドバイスで数種の検査指標によって判断することとした結果、腹腔鏡下前立腺全摘除術を行うことにたどり着いたのである。

 

 検査指標は、PSA、病理組織のグリソンスコア、X 線画像評価などの結果、前立腺がんの高リスクにランクされていたため、現在検査等にかかっている大学病院で行える摘出手術を行ってもらうように依頼した。実際には、気管支ぜんそくの持病があるためにできるだけ持病のリスクを下げることを医師から告げられ、約1か月後の手術が計画された。持病の検査は、スパイログラムという、簡易的なパソコンのソフトを利用した肺活量等の測定を行い、長年服用していた治療薬も見直すこととなった。治療薬のおかげで、数週間後に再度測定したスパイログラムの結果は病状の改善傾向がつかめた。

 

 腹腔鏡下前立腺全摘除術は腹部にあけた5が所の穴から手術器具を挿入し、前立腺と精嚢を摘出し、合わせて周りのリンパ節を摘出した。手術は全身麻酔を行い、実際には麻酔から覚睡するまでトータルで9時間を要した。術後経過は良好であり、術後1日目には看護師の付き添いで歩行が開始された。術後7日目には尿道に入れたカテーテル及びバルーンを取り除き、切開した後に挿入された腹部ドレーン(排液管)も術後8日目には抜き去ることができた。因みに食事は術後2日目から摂取することができた。

 

 手術には数名の専門医集団の綿密な連携があり、術後のケアは泌尿器科医師・看護師等の完璧といえるほど高い評価を与えることができる。しかしながら原因不明のハプニングともいうべき術後3日目に起きた症状は、特筆すべきと思われるので、次回にお伝えしたい。


ベニマシコの探索

2018年03月06日 00時00分01秒 | 紹介

  野鳥学者でないことをはじめに断っておく。鳥のことは「鳥に聞け」で、本当のところはプロのカメラマンでもよくわからないはずである。プロのカメラマンとて、何をもってプロとなっているのか、自分でプロと宣言すればよいなどと勝手なことをのたまう輩も多いが、本来ならば、プロと称することによって、生計を立てているとするのであろう。そうはいっても、芸術の部類に入る写真の世界では人によってその判断には幅があり、芸術性といわれる相対的な価値判断となり、商売には程遠い。野外の撮影は、まさに天候の変化に左右され、同じ条件での再現性はないに等しい。つまり出たとこ勝負である。

 

 写真撮影に必要な、写真機本体、カメラに取り付けるレンズ、三脚使用か手持ちか、シャッター速度、露出、ISO感度、ピント合わせがオートかマニュアルか、逆光か順光か、被写体の動作、被写体までの距離、背景、連写等を瞬時に判断し、満足いく画像を得るかである。これらの撮影画像を左右する因子が多いわけで、常に一定の条件とはならない。

 

 しかしながら、プロとなれば、もしくは熟達すれば、ある程度の良好な画像を得ることができる。熟練するからで、高性能な機材であっても、すべてが自動というわけではない。

 被写体の状況によって、瞬時に最低条件をセットするのである。さらに、条件を変えながら、最適性を求めるのである。被写体が出現する頻度は場所や天候が異なれば、その都度変わるため、毎回同じとは言えない。その塩梅がプロとアマの違いであろう。

 

 話がそれたが、多摩川中流域で、この時期にベニマシコがつがいもしくは、メス2羽とオス1羽で飛来し、盛んに雑草の種を食している。セイタカアワダチソウの種が有名であるが、このほかにも多くの種を食している。どこからか聞きつけてベニマシコを探すカメラマンが来ているが、ベニマシコに出会う確率は低いようで、ベニマシコの習性が影響しているようである。地元では、鳴き声を聞いて、居場所の見当をつけて探す。さらに言えば、飛来する場所に順番があるようで、食事がすめば水を飲むために河原へ移動する。一か所にとどまる時間は比較的長いが、飛び去るとしばらくは戻らず、数時間後に飛来することが多い。飛行の傾向は日によって異なるし、気象条件も一定ではないため、確実なとこは言えず、偶然がなせる場合がほとんどである。

 

 あえて言えば、同じ行動パターンは持っているようで、そのパターンを飲み込めばベニマシコに会えるチャンスが広がることにつながる。河川敷といえども数百メートルはあるので、鳴き声を頼りにし、くまなく頻繁に探すことが最善である。追っかけは厳禁である。