鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

パソコンは忠実なツールか(4回シリーズその2)

2013年01月31日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 氾濫する情報から何を得るのかの問いは、将に今、電子メールやパソコン検索を行う状況で再現されている。欲しい情報まで行き着くにはホームページを何カ所か渡り歩くか、検索用語の追加や何回かのキーワードによる絞り込みが必要となる。
 情報用語でいえばいらない情報(ノイズ)をいかに少なくし、必要な情報を失わせることなく(モレをなくす)絞り込み、ヒットさせることが賢明であるといえる。これには何度かの検索を繰り返し、データベースの特徴を体得することが近道である。最近では、検索を経験した人でなくても比較的簡単に情報が得られる検索エンジンや、階層状に作った目次ページ(サイトマップ)を用意したホームページが一般化している。情報を作る側と利用する側とが同じ土俵に乗らないと検索のミスマッチが発生する。
 蓄積された情報はデータベースとして整理され、検索や加工が容易となったのも、パソコンが得意とする正確な情報記憶にある。記憶力で人より勝っていれば、それを利用することは自然であり、利用する側の立場に立って操作できるものでないと使いづらいものとして敬遠されてしまう。

 同輩がパソコンを敬遠した理由の中には、書籍を読むなどのアナログの世界と人間的でないデジタル世界との違和感があるように思える。しかし、長い間パソコンに接していると馴染んでくることとは違う、人間的な反応が見られることである。パソコンの構造は基本的にはキーボードからの命令をCPU(中央演算装置)で解釈し、記憶したデータを引き出し、アプリケーションソフトと呼ばれる実行ファイルで加工し、提示する装置で、人工知能が進んできたとはいえ、人の脳が低次元で行っていることを代替えしているにすぎない。単純にいえば、人がものを見て認識する行為は、見た情報が脳に視覚情報として伝達され、脳が記憶している色や形の情報と照らし合わせ、同じであると認識する一連の動作を行わせているのがパソコンである。人間的な反応が見られることは至極当然といえるかもしれない。では、違和感は何が原因しているのであろうか。(次回へ続きます)

パソコンは忠実なツールか(4回シリーズその1)

2013年01月30日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 情報がパソコンから得られるようになってから、日課として、まずパソコンを立ち上げ、メールを読む。一日はここからはじまる。電子メールは便利さの反面、不要な情報も含まれており、件名だけでは内容がつかめないことが多々ある。氾濫する情報のなかから必要と思われるものを探し出すのはいつの時代でもそれなりに労力を要する。

 身近な同年配の諸氏が、パソコンが苦手で、あきらめた話を多く聞く。そこで、小生が経験した情報についてお話をし、パソコンをあきらめた方の再挑戦にお役に立てればと思った次第である。
 専門分野の情報は一般に、学会誌や、業界紙、専門書籍によるところが大きい。製品情報や、新たな施工技術等は、製品発表会や、セミナー等から得られた情報を利用してきた。
 最近では多くのチャンネルを有する放送衛星からの電波を受信するBS放送があり、更に、メモリースティック、CD-ROM、DVD-ROMなどの情報メディアは膨大な情報量をメモリやディスクに記憶でき、地域や時間に関係なく、いつでも好きなときに利用できる、いわゆるユビキタス社会となった。

 学生だった数十年前を思い出すと他界された大教授から卒論のテーマを与えられ、関係する専門誌に載った同類の研究論文を収集し、辞書を片手に首引きで読んだ。多くのことはすでに解明されており、研究テーマを絞るまでには相当数の仮説を整理したが、研究に許された時間内で認められる内容にするには不可能と思われた。情報が意図もたやすく収集できる今の時代には考えられないほど個人の力量が試されたといえる。悩んだ末たどり着いた結論は、教授の望む方向にほぼ近づける内容であればよいとの計算が働き、それらしい情報操作で卒業へこぎ着けることができた。

 今になって思えば、おそらく、大教授は口には出さなかったが、己の想いをお見通しで、確かな情報をいかにして早く探し出し、目的の研究成果へ展開させろということであり、そのための努力が大切であることをお教えいただいた。(次回へ続きます)

意志決定方法(3回シリーズその3)

2013年01月29日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 この方法が採れる原因と考えられることは、下位の職員が上位の職員の業務内容を知っているからに他ならない。言い換えると、下位の職員の業務姿勢は、トップの立場や考えを日頃から知り得る機会が構築されていることになる。この話をすると、トップは不要と言うことか?との疑問を投げられる。それぞれの役職は役職としての業務があり、職員管理、外部機関からの資金調達や、関係グループとの協力体制の調整等、管理者としての業務はなくなるわけではないと答えるが、残念ながら、納得してくれない。同様に、我が国独自のQC活動としての小集団活動や、5S、ZD運動や提案制度など社員からの発案は、改善を期待してのことで、意志決定の根底に流れる企業文化なのであろう。

 更に、ジョブローテーションの役割が大きいといえる。ジョブローテーションは、将来を見越した人材育成や、不満分子の左遷をも含むが、主たる機能は、意志決定を素早く行うことを意識した制度と考えられる。関係部署を異動することによって、関係部署が抱える問題や、業務内容を直接担当するため、精通することができる。この経験の蓄積が、全社的な広い視野を持つことに貢献しているといえる。

 自分の考えとしては、経済活動の低下が叫ばれており、短絡的な批判も多い中、意志決定方法まで簡単に変わるとは思えない。我が国独自といえる企業文化の中で、年功序列制賃金体系が作られたのであり、現在でも企業のコア社員や官公庁のほとんどの職員の給与は年功序列制賃金である。

 転勤やジョブローテーションのない欧米企業のような資格一辺倒で同一職種同一賃金が理想であって、迎合する要素はあったとしても、長年培われ、洗練されたボトムアップ意志決定方法が持つ様々な企業文化までも、強調して言うが、本質的に換えていく原動力にはなり得ないと信じている。(今回で最終回です)

意志決定方法(3回シリーズその2)

2013年01月28日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 家電製品の購入や、日常の買い物において、品物を選ぶ、つまり選択するにも何を考慮しないといけないのか、最適な物はどれなのか、どうすれば早く決められるのか等悩むことがある。例えば、自動車を購入する場合、新車で購入するか中古にするのか、メーカーの車種(デザイン)なのか、エンジン性能なのか、耐用年数なのか、それとも価格なのか選択肢は多い。それぞれの中でどの要素を優先するのか、優先順位は?このような判断に迷う場合には、AHP(一対比較法、階層分析法)を用いると比較的簡単に購入する物が見つけられる。この方法は、選択肢ごとに重み付けを行い、選択肢を比較することによって数値に置き換え、決定する方法で、興味のある方は、パソコンから「AHP」で検索すると良い。

 特に、随意契約が困難になってきた昨今、競争入札となり、入札条件を公示する。業者選定の理由が必要な会社や官公庁の物品の購入では同様の方法で、入札業者を決め、落札している場合もある。このほかOR(オペレーションリサーチ)やゲームの理論があるが、意志決定の基本は、情報収集→選択できる代替え案作成→代替え案の選択→フィードバックがサイクルである。各プロセスの評価も大切である。

 我が国の多くの企業や官公庁では、諸外国では考えられないトップダウンではなく、ボトムアップの意志決定を行っている。政策決定や新規事業開発などほとんどすべてで行われている意志決定方法である。事案の発案者がペーパーに書いた稟議書(原議書)を関係部署へ持ち回り、決済をもらって成案にする方法で、事前の根回しが欠かせない。もちろん、上司からの発案があったとしても、稟議書を作成するのは、部署に所属する下位職員である。職員の多くが決済に関与することで、決定までにかかる時間と手数は多いが、一度、最高責任者であるトップの決済が下りれば、組織全体が一丸となって事に当たれるわけで、問題点は決済前にはほとんど整理できているため、かえって、決済後の活動には早く取りかかることができる。日本の行政は決まるまでに時間がかかるといわれるゆえんである。(次回へ続きます)

意志決定方法(3回シリーズその1)

2013年01月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 何をするにしても、自らの意志を求められる場面がある。日常生活も中にも、いろいろな場面で何かを決めなければならないことは多い。夕食は何にしようかとか、どのサイズの液晶テレビを購入するとか、旅行の行き先、目的、費用、手段など。選択肢が多いほど時間がかかるし、迷うことも多々ある。最近の情報社会では、知らないことが多く、何から手をつけていいのか、今更聞くに聞けないとの話もある。

 情報の洪水の中から自らが必要とする情報を得るには結構大変である。情報検索をパソコン上で行っても、キーワードとなる最適語句やフレーズを入れないとなかなかヒットしない。
 キーワード検索では、知っておかなければならない原則がある。キーワード同士の関係である。語句には上位概念、下位概念、同意語、関係用語、反意語、等の関係があり、検索数によって、再検索をする場合に必要になる。用語辞典の中には、用語の関係を示した辞書の辞書といってシソーラスがある。閉じられた世界の概念や、専門用語集には、読者との共通認識を得るために必要になる場合があるが、最近の検索精度が向上したことによって、シソーラスの必要性は低下したと思われる。
 ヒット数が多い場合にはデータを絞る必要から、下位概念に該当する語句を用い、ヒット数が少ない場合は上位概念や同意語を用いる。例えば、モレについては、「ガビチョウ」という名の鳥がいるが、名前や生態を知ろうと思い、鳥、野鳥というキーワードで検索してもなかなかヒットしない。実は中国人に飼い慣らされた鳥で、旅行者等が、声がよいので、中国から購入したが、野生化した鳥である。野鳥ではないのでヒットしない。ヒットしても鳥と鳥の下位概念の野鳥からのデータを探し出すため膨大なデータにヒットし、そこから人力で探すことになる。

 ガビチョウは声が大きいため近所迷惑であったのだろう、籠から逃がし、野鳥化したため、鶏と同じ部類にはいる。分類上は野鳥に属さない。野生化、外国の鳥、籠抜け鳥などとキーワードを換える必要がある。ヒット数が多い場合には関係ないデータが含まれることがある。これをノイズといっている。また、ヒット数が少ない場合や、データを絞る場合には、抜け落ちるデータが出てくる。これをモレと呼んでいる。適切な用語検索で、自分が望むデータにたどり着くようノイズが少なくモレのない検索にも精通することが大切で、情報社会を生き抜く知恵でもある。(次回へ続きます)

学校教育の側面(7回シリーズその7)

2013年01月26日 00時00分01秒 | 緑陰随想

終わりに、世の中の変動、特に、技術革新にあまり影響されない教育改革のヒントとして、ご紹介したいと思う概念は、米国ロバーツ・カッツがモデルを出した社会人に必要な能力は、テクニカルスキル、ヒューマンスキル、コンセプチュアルスキルであるとしている。どの段階で何をどの割合で教えるかの基本までは述べているわけではないが、ここらあたりから逆にさかのぼれば、教えるべき中身がはっきりすると思う。当然、大企業、中小企業、個人企業という企業別の抽出、産業別や、業態別のアプローチもあるであろう。

 要は、改革の前提は、現在の教育制度と並行して行わなければならず、人材、時間や経費、改革の難易度などによって総合的に熟慮が大切であり、将来を見据えた手がかりをまず探索することと思っている。

 因みに、テクニカルスキルとは、担当職務に関する固有の能力であり、ヒューマンスキルとは、対人関係を円滑に処理する能力であり、交渉力とか折衝力といった資質が該当する。コンセプチュアルスキルは概念的スキル、概念的技能と呼ばれている。言うなれば管理能力、あるいは管理に関する能力である。問題解決能力と訳している人もいる。教育はこればかりではなく、人物的側面がある。センスやマナー、柔軟性、意欲や体力、人柄、生活態度などである。(このシリーズ最終回です)

学校教育の側面(7回シリーズその6)

2013年01月25日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 学校教育の集団方式が必ずしも悪いわけではない。むしろ低学年での情操教育、社会性の附与や相互啓発には集団方式が持つ良い面が多い。相手を思いやる気持ちを芽生えさせると同時に、一方では競争原理で相手をけ落とすことになる矛盾する環境を良としているのか、良としていれば子供に混乱させることにはならないのか、また、記憶力が悪いと言って、挫折し、判断力を著しく阻害し、考える力をつみ取っている状況が掌握できてないのか不思議でならない。主に記憶力の評価、点数制の相対評価と競争原理による序列化が結果的に知識偏重になっているのが問題なのである。

 全国的な絶対評価が取り入れられない理由もよく分からない。これも疑問の一つである。
 理解ができていない部分の習得は個人的な努力に依存するため、その環境を持たない者は、理解無しにあきらめることになる。従って、フォローが十分できていないと考えざるを得ない。少子化によって、小中学校の廃校や統合化が言われ、30人学級も登場している。

 学級の生徒数が少なくなる傾向は、今後、増えるようで、教師の負担が減少し、歓迎したいところであるが、手薄となっている部分に人材を投入してほしい。個別教育へ近づけるには、集団教育とは違った教育方法に換えていかなければならない。つまり、個人の持っている潜在能力の探求にかける密度が高くならなければ、個別教育計画もできないであろう。ILO方式や類似システムが参考になると思った次第である。

 更に言えば、系統立てた教え方は、学者を造るのでなければ必要ない部分が多い。実務を通じてそれに必要な知識を教えれば十分だと思われる。この意味は基礎学力偏重を指摘しているのではなく、実験・実習を通じて原理へ導く、実践を通じてそのシステムを学ぶといった実態と知識習得との遊離を最小限にし、関連性を主に、教え、導く教育方法を指している。競争主義・記憶力主義・知識偏重主義を改めることから始めることであろう。どこに投入するかは別にして、社会を経験した定年退職者を活用することも早急に考えて良い。(次回へ続きます)