鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

市民アカデミーのハプニング

2015年10月31日 00時00分01秒 | 日記

平成27年10月30日

 今日は市民アカデミー別コース第4回目の講義日であった。当番であったため、自宅を出る時間は30分ほど早く、途中で軽食を食べて会場へ向かった。すでに別の当番の人が受付で待機していた。当番は5名であった。自分は受付を済ませ、前回、前々回の資料を欠席した受講者へ配る役割であった。講義開始後5分前には受付を終わり、晴天であったためか、講義室はほぼ満席に近かった。講義時間になっても講師は姿を見せず、ボランティアの進行役からの話で、講師との連絡は取れず、ご自宅へ電話した結果、奥様からは時間通りに自宅を出たそうで、もう少し待つこととしたいとの連絡であった。

 

 しばらくして受講者が待っていることを気遣ってか、生涯学習センターの事務局長からの経過説明があり、講師の到着まで、次回講師である養老孟司氏がNHKで収録したビデオ(NHKスペシャル)を見ることになった。題名は忘れたが、内容は脳と深層心理であった。30分経過後進行役から再度連絡があり、本日の講義は休講にすることとし、後日補講を行う旨の話であった。また、本日講義後に予定されていた、講師を囲む会も中止と相成った。

 

 自分は、普段このようなことは今まで経験したことがなかったので、どのような対応をとるのか興味があったが、代替えの講師は短時間に見つけることも難しい状況の中、休講を選択したのはよい判断だと思ったが、講師がどのような状況であるのかその情報がないままでの状況で、休講になったことはどうも納得がいかなかった。たとえ、事故に遭われたとしても、何らかの手段で事務局等への連絡は取れそうであるが、物理的に電車の遅れもなかったようだし、推測ではあるが、特別事態が発生したとしか思えない。

 

 ハプニングである。いずれ時間が経過すればどのような状況であったかはっきりすると思う。しかし、現代の世の中で連絡が取れない状況が果たして起こりえるのであろうか、考えられることは、心神喪失状態か、重大事故に巻き込まれたか等を推測するが、埒が明かない。健康な人でも誰であろうとも、全く平常であるとはいえず、一寸先は闇であり、何事が起きても不思議ではないことは確かなことである。冷静に考えると、何があったか別段影響はないが、ただ、連絡が不可能ということだけを考えれば、講師失格であろう。

 

 一人の講師の行動が、受講者への許容できる範囲の理由が立てば別であるが、本日の状況の進展がない状態では、無責任極まる状況となっているのは事実であり、再度の講師登用・依頼の道は閉ざされると見るのが普通と思われる。人の行動は何気ない状況でも、まして、講師という要職についていれば、多くの人の行動に影響している立場となっていることを肝に銘じなければならないはずであるが。


データ流用問題

2015年10月30日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 生活に必要な住に関わる信頼関係に広がりを見せている問題が発生した。建物を支える地盤改良に使用したコンクリート杭の支持基盤に到達しているというデータが流用され実際と異なることが判明したからである。マンションの住民が、手すりのズレに気づき、その原因を調査する過程で生じた事柄である。この業者が手がけたマンション等は全国に4000棟にも及び、住民の不安は止まるところを知らぬ状態が続いている。改築や、新築となるとすでに生活している居住者にとっては、補償問題等多くの難題に遭遇する。

 

 こうした問題の再発を防ぐために投げかけられた課題は今後どのようにして改善を図っていくか、業界や国を挙げての対策を講じていかなければならない。まずは手がけた建物の調査であるが、公表を拒む居住者も多いと聞いている。同様な不正が総てではないにしても、資産価値の低下は容易に想像がつく。補償が十分行われたとしても立て替え等の期間は仮住居に移転する必要もあろう。居住地域が異なれば、生活全般にわたって影響を受ける。ここは粛々と進めなければならないが、同様な手抜きやデータの改ざんは、同業多社に及ぶ可能性もあり得る。大手に同様な不正が判明すれば、業界全体の信頼関係は失墜する。

 

 原因を追及している段階でのコメントは避けたいが、自分なりに思いついたことについて述べることにしたい。建設業の重層構造はゼネコン、一次下請け、二次下請け以下、下請けが孫、ひ孫、玄孫と続く。管理体制が複雑化し、最先端で工事に関わる人材は、専門家ではなく、日雇いや、非正規労働者である。人材不足のため、外国人労働者も多い。

 このことはプロの職人集団ではなく、将に素人集団が関わっていることである。経験が乏しく、低賃金で3K職種でもある。工期が決まっていればどこかに手抜きが行われることが常態化するという問題が内在しているのである。

 

 重層構造をすぐに改善できないことは利益追求が根底にあり、効率を最大限に追求した結果であるため、そう簡単に構造転換は難しい。では管理体制を強めること、法整備を強力にといっても、業界全体に及び、管理だけではどうにもならない。自然を相手の仕事で、地形等バリエーションも多く、知らなくてはならないことが多い。とはいえ、時間はかかるが、専門家の養成以外に解決策はない。人材の育成である。

 

 若者が集まらない世界でもあり、魅力的な職場への一層の改善が求められているのであり、デザインや営業ばかりに就職希望者が集まるのは、どこかでミスリードが行われているに違いない。本質的な信頼関係の醸成は、居住者の性善説にあぐらをかいてきた業界の怠慢が起こした事故ともいえる。


偶像崇拝

2015年10月29日 00時00分01秒 | 提言

  シリアのパルミラは現在、武装組織IS:イスラム国の勢力範囲にあり、10月25日もパルミラ遺跡内の神殿柱列に爆弾を仕掛け、囚人(?)3人を縛り付け、処刑を行ったとの報道があった。柱列も無惨に破壊されている。5月にもパルミラ古代遺跡内にあるベル神殿や凱旋門を偶像崇拝を理由として爆破している。イスラム教は偶像崇拝を禁止している。

 

 アラビア語でサナムは石、木材、金属などの素材とした身体を持つ偶像のことをいい、ワサンは画像などを含めた偶像を指している。アラブでは古い時代には自然石を立てて、それを崇拝し、供え物をし、その周りを巡回する習慣を持っていたと伝承ではされている。ムハマンドが、メッカ征服の際にカーバ神殿に置かれていた偶像の目を弓で打った後、撤去し、破壊したとされていて、以後、偶像崇拝を厳に戒めている。

 

 理念的なイスラム法では、異教徒の中で、偶像崇拝者や多神教とは彼らがイスラム教に改宗するまでジハード(聖戦)の対象であるが、キリスト教やユダヤ教などの唯一創造神の信徒(啓典の民)は、政治的にはムスリム(イスラム教徒)の保護下にあることに満足すれば、その信仰を保持ができた。しかし、現実には、仏教ともヒンドゥー教徒もムスリムの主権を認めればその信仰を保持できた。実際にイスラム教徒がほとんどであるエジプトにおいて、コプト教というギリシャ正教の分派といわれているが、争いのない世界を知っている。

 

 ジハードはコーランにおいてイスラム教徒の重要な義務とされている。ジハードで戦死した戦士は天国に行けるとしていて、死することへの恩典が示され、、第二次世界大戦中の我が国の特攻精神と重複しているようである。

 

 さて、ユネスコの世界遺産(1980年)ともなっているパルミラ遺跡の破壊が、偶像崇拝だけではない戦術としての側面があると感じている。たぶん組織のプロパガンダであろう。破壊が繰り返されていることで、近隣国や有志連合への脅威をかき立てているのかもしれない。人類の文化財をいくら宗教上の極端な解釈で破壊することは明らかに犯罪であり、この犯罪をどのようにして止めさせ、文化財を保護していくか、重大な問題であり、早急に対策を講じなければならない。イスラム教徒の総てが同様な行為を行うことはないのであるが、ISとの接点がある宗教指導者からの圧力が功を奏するかもしれない。破壊工作がこれ以上拡大しないように祈るばかりである。


アラブの歌舞音曲

2015年10月28日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 人間が本来持っている楽しみの一つに歌舞音曲がある。歌い、踊り、舞うことは、古代から続いてきている。アラブ世界は、シルクロードと終着地古代ローマの中継地であり、歌舞音曲が様々な形で多くの民族に影響を与えてきた。早くから文化を発達させたイエメンにも、ヒムヤリーとハナフィーとの2系統の音楽があったことが知られている。婚礼における祝福には音楽や舞踏が盛んに行われたようである。歌手たちが花婿を中心に該当を練り歩くことは現代のアラブ世界でも行われている。

 

 強烈でテンポが速い曲に会わせて妖艶な踊り子が踊るアラビアンダンス・スネークダンス、ベリー(belly:腹)ダンスと呼ばれてる。カイロに出張へ行ったときに現地の方と同行したことがあるが、古代メソポタミアの寺院遺跡の彫刻や、ギリシャや古代エジプトの壁画にも描かれている。ベリーダンスは近代になって付けられて名称で、アラブでは、アラビアンダンスといっている。いくつかのジャンルがあり、ペルシャ、エジプシャン、ポップアラビック、ターキッシュなど地域独特の特徴があるようだ。

 

 イスラム教での厳しい戒律の中では賛否両論があり、現地で行われていることを見れば、さほど深刻な問題ではないのであろう。踊りは戦いの前に行う小刀を振りかざす踊りは、戦士の志気を高め、また、一定のテンポは、脳震盪を起こし、恍惚となる精神状態は呪縛的な面もあるのかもしれない。土着の宗教性も見て取ることが出来る。

 

 正倉院の御物の中には様々な面、楽器、衣装等があり、宮中にも宗教性の強い雅楽には、神道ばかりではなく、仏教の影響の強い迦陵頻伽(かりょうびんが:仏教で語られる想像上の鳥で、極楽浄土にすみ、妙声を持って法を説くといわれ、人頭鳥身、有翼の菩薩形の上半身、鳥の下半身姿で表される)もある。乏しい知識で歌舞音曲を語る立場ではないが、歌舞音曲が、為政者や皇帝等が盛んに奨励してきたのも大衆の不満のはけ口や、おもてなしに利用されてきたことは、個人が楽しむばかりではない世界を彷彿とされる。

 

 カラオケが我が国発祥といわれ、近隣諸国にはカラオケが浸透しているようで、自らマイクを持って曲に合わせて歌うことが、喜びとなり、一種のエクスタシーを感じることは、単なる歌手への憧れだけではなく、人間が本来持っている性質かもしれない。詩に音韻を付けて詩吟へ昇華させた先人の知恵は元々持っていた音楽的表現のリズムなり抑揚が良く合う。平和な世であるから生み出せる世界であり、歌舞音曲に対し、楽しむ余裕がなかったが、秋も深まり、夜長を過ごすのに民族音楽も歴史を感じながら楽しみたい。これからも積極的に古代音楽との関わりを深めていきたい。


空気圧縮機の始動

2015年10月27日 00時00分01秒 | マニュアル

 コンプレッサーは空気を圧縮し、加圧した空気を動力として使う機械であり、小型から大型まで各種あるが、自分は塗料を吹き付けるスプレーガンやエアサンダー等の工具に利用している。加圧してあるので、自転車や自動車の加圧空気の補充用にも利用できる。電気器具の埃の除去にも時々使うが、そのためにだけで始動することはない。しかし、3ヶ月に一度ぐらいは始動点検を行っておかないと、いざというときに故障では仕事に使えない。

 

 古い機種であるが、ガソリンエンジンで、配電設備がない屋外でも利用でき、自重が重いため、簡単には移動できない。塗料の吹き付けは、ご近所に迷惑がかかるので、行わないが、それでも放置していれば、動かなくなる。始動点検は、動力を使う前に、手動で、ベルト式のプーリーを回してみる。このとき空気の吸い込みがあり、さび付いていないことを確認する。タンクに残っている空気を放出して、排出用のコックを閉じてから始動する。無鉛ガソリンを規定量燃料タンクに入れる。燃料コックを開く。スロットルを中ぐらいの位置に動かして、夏場や始動後はチョークレバーを中の位置に閉め、冬場ではチョークを閉める。チョークを閉めることによってガソリン蒸気が濃くなる。

 

 ガソリンエンジン2気筒のリコイル方式で、始動ノブを人力で引いて始動する。運転が開始し、しばらく暖気運転をした後、チョークを徐々に開き、安定した動きとなるようにスロットルレバーで調整する。タンク内の圧縮空気が加圧され、5気圧ぐらいになると自動的に加圧を止めるアンローダーが機能する。圧縮空気は空気圧調整器(エアトランスホーマー)を経由して、吐出される。空気タンク内の気圧が下がれば、自動的に加圧が始まる。空気圧調整器は、一定気圧の圧縮空気を得るように調圧出来る装置で、空気中に含まれる水分を除去できる。空気中に水分があると塗料は油であるため、水と混合すると乳化(エマルション)されることになり白濁する。

 

 エンジンが始動しない場合には、いくつか点検する必要があり、分解掃除をする必要があるかもしれない。多くはキャブレターからの混合機が薄い場合や濃すぎる場合があり、チョークの操作で調整できるが、点火(スパーク)プラグがリコイルで電流が流れない場合や、混合気で濡れてしまっている場合が考えられる。プラグを点検し、電極のカーボンを取り除くとともに隙間を0.6~0.8mmに調整する。プラグの締め付けは、プラグのガスケット部分がシリンダー・ヘッドに当たってから1/2~3/4回転締め付ける。

 

 機種によって若干取り扱いが異なるため、付属の取扱説明書を熟読して作業されると良い。


自浄能力その3

2015年10月26日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 自由に選択が出来る場合に、つまり他者からの強制力が働かない場合には、行った行為やその結果に責任が発生する。逆に考えれば、責任は自由に選択が可能であるという状況があって初めて責任が生じる。英語ではresponse,responsibility(応答、反応、責任があること、義務、義理等)であり、職責、責務、信頼度、義務履行の能力をいう。resuponsibleは形容詞で、人が法律的・道義的にある義務を実行するに当たって、過失・失敗などに対して責任のある立場にあることである。仕事・地位などに責任を負うべき、責任のある、責任を伴うなどの表現で使用する。

 

 また、日本語では、自分の分担として、それだけはしなければならない任務や負担、不結果、失敗に基づく損失や制裁を自分で引き受けることを意味している。責任についてパソコン辞書であるウィキペディアから引用すると、

 

 責任とは、社会的に見て自由があることに伴って発生する概念である。自由な行為・選択があることに伴い、それに応じた責任が発生する。(中略)責任の概念は、他のことを意志できること、少なくとも意志したとおりの行為をなすことが出来るという意味での自由意志の概念を前提としている。そのため、責任という概念は伝統的に自由意志の概念とも結びつけられてきた。責任にまつわる近・現代的な観点からは、心に重きを置く考え方と、ある人の行為に重きを置く考えとがある。現代社会において、ひとりひとりの人間は、何らかの自由を行使し行為を選択する際には、その自由に応じた責任があると認識・自覚する必要がある。(ただし、その自由に応じた責任以外まで認める必要はない。ともされるので、どこまでが自由であったか、どこまでが選び得た行為か、どこまでが強制された行為か、ということはしばしば曖昧で、争いの原因となることがある。)また、責任という概念は、何らかの行為を行ったことだけについて適用されるのではなくて、行われるべきだったのに行われなかったことに対しても適用される。また、一般には、責任は原因とは区別される概念である。BがAの原因ということだけからは、BがAの責任を担うべきことが結論されることはない。(以上引用)

 

 管理責任があるといっても、強制されるものでなく、行為者が自由に選択できる余地があるかどうかが判断のポイントとなり、道義的責任や、無過失責任については、司法上の凡例や判断を要する。我が国では曖昧になりやすい仕事上においての責任とその範囲を明確にする職務記述書(ジョブディスクリプション)の必要性を感じる。


市民アカデミー15後期別コース3回目

2015年10月25日 00時00分01秒 | 日記

平成27年10月23日

 映像メディアコースの3回目であり、鈴木肇講師所用のため、代わりにシルクロード研究者で古代楽器復元を手がける劉 宏軍講師が任に当たった。現在は日本に帰化し、麦島文夫と名乗っている。1946年大連生まれであり、日本語は上手であるが、発音や助詞の聞き取りが出来ない場面も多くあり、講師はなれていないようであった。

 

 シルクロードが文化面でも機能した時代には、楽器も同様で、多くは現存している物は中国にはほとんどなく、我が国伝えられた物が現在まで当時の現物となっているようであった。その意味においては、宮中での雅楽や正倉院の御物が研究対象としていると話されていた。中国にはないのは文化大革命がそれらの破壊を行ったためといわれるが、中央アジアの古代遺跡に彫刻や絵画が残っていて、そこから類推して復元に当たったそうである。

 

 我が国にもたらされた物は、貢品(みつぎひん)として天皇や寺院へ寄贈された物であり、東大寺等古くからある寺院にも大切に保管されている。講師の弁を借りれば、シルクロードが舞台となった楽舞は世界文化遺産であり、後世へ残すための努力は大変重要であるとのことであった。今回の講義には、講師が復元された多くの古代楽器を持参されていて、当時の楽譜から曲の復元まで行っている。メロディなども現地での舞踊曲を多数録音されて、聞かせてくれた。

 

 旋律は使っている楽器が、雅楽に利用されている、笙、シチリキ、横笛、琵琶、太鼓等であり、リズムも明るい物から、もの悲しい物、壮大で、威厳に満ちている物等多彩であった。古代楽器のハープ(クゴといっていた)が、古代バビロニアから生まれ、4000年以前であり、壮大な歴史が刻まれている。宗教とのドッキングや、当時の為政者の婚礼や、宴会等で行われていただろう歌舞音曲にこれほどまでの長い歴史があることが分かった貴重な話であった。

 

 雅楽は8世紀に大陸から渡来した音楽である。その源流は古代中国まで遡る。伝来以来、日本固有の神楽等も加わって宮廷を中心に貴族たちの間で行われたが、鎌倉時代以降は華やかさを失い、宮廷内や興福寺、四天王寺等で限られた寺院で命脈を保っている。

 

 世界遺産を巡る旅や、中央アジアに点在する遺跡類を見物する旅行の機会はなかったが、この講義で興味の範囲が広がったようである。