鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

相撲が国技かその2

2016年09月28日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 相撲が恣意的な取り組み番組を試合の2日前にしかるべき対応として、お歴々がひそかに対戦相手を決めるという。秘かにとは、視聴者にとってみると翌日の取り組み番組が分かればよいのであって、前々日には翌日の取り組みを決めるのである。このことの是非は判断する立場にはないが、相撲が面白いものにする。同じレベル同士の星のつぶし合いを意識的に取り組ませる。同じ部屋同士や、東西対決を取っている以上、同じグループ同士は対戦させない等の配慮は感じられるが、フェアな対戦ではなく、恣意的と感じる取り組み番組は、偶然とはいえない作為を拭い切れないのである。

 

 これという力士を、恣意的に人気力士にし、白星を先行させるなど、どのような操作も可能であるところがどうも胡散臭いのであり、国技として果たして良いのかとの疑念を持たざるを得ない。更には判定が土俵の東西南北に審査委員なる相撲経験者がいるが、判定に曖昧さを持ち、ビデオ映像とは異なる判定が下されることが多い。

 

 審議が行われ、ビデオを参考にするも、最終判断は協議するとの、なんとも時代錯誤が感じられる判定である。このことは、柔道や空手、剣道等の武道にも言えることで、高速度撮影が可能な時代に、その判定を人間の不確かな目に最終判断を任すこと自体時代遅れといわざるを得ない。技術立国が相変わらず、判定方式を変えないのは不思議でならない。

 

 機械にも苦手な部分は確かにある。しかし、人の目よりははるかに精度が高いことは常識である。同体であるなどの判断で取り直しをするが、どれだけ間違った判断で、勝負に負けた力士が多いか、録画で明らかであってもなくても、勝負には審査委員の精度が悪い感覚が優先するのかを冷静に判断すればわかることである。

 

 国技イコール古い体質を持つ、歴史を持つ、悪弊も同時にである。相撲を愛するファンが広がることは好ましい。しかし、取り組みの組み合わせには、リーグ方式が無理であれば、トーナメント方式ぐらいは導入すべきで、恣意的な組み合わせはやめるべきであろう。

すでに、相撲ファンが減ってきていることは、満席となる客席が少なくなってもいるし、古くからの茶屋などの組織や、懸賞金などの掛け金をイベントの一つとしていることは、近代的なフェアなスポーツとは異なる方向に自然発生的に進んでいるのか、それとも何らかの意図をもって行われているのかはわからないが、素直に鑑賞できない疑念が付きまとう。


相撲が国技かその1

2016年09月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

  スポーツのすべてが好きになれないのは自分だけなのか、長年持ち続けているが、はっきりしたことが分からないまま、今の年齢になってしまった。正々堂々としたフェアなプレイを称賛する気持ちはある。しかしながら、一種の博打(ばくち)に利用され、裏で金銭が飛び交う。プロ野球においても、八百長事件は頻繁にあるし、国技と称される大相撲においても八百長事件はつきものである。八百長事件が明るみに出て、世間を騒がした後、関係者は処分され、相撲協会もそれなりの処分があるが、一時すると同様なことがまた起きる。

 

 仲間内のゴルフでも、ニギリと称して、スコアの差を1打いくらかという具合に賭けが行われている。スポーツとはいえないが、競馬や競輪、オートレースなどは、もっとも、公営ギャンブルであり、公に賭けを許していて、その収益は、公共事業等に還元されている。マージンに至っては、金銭を賭けないゲームはないとまで言われていて、犯罪の温床にもなっている。

 

 国民性だけではなく、経済原理からしても、人類に共通しているのが、このギャンブル性であろう。我が国には、公営ギャンブルや宝くじ以外のギャンブルは禁止されている。パチンコもグレーゾーンであろう。カードゲームや、ルーレット、スロットルマシーンを国営として行っている米国や、モナコ等と同様なカジノ場を新たに作ろうとする動きがある。多分、東京五輪を見物に来日すると見込まれる外国人をターゲットとしているのであろう。米国にはすでに、職業訓練の一職種として、カジノで働く労働者に対して、様々なテクニックを教えているのも事実である。雇用拡大に結び付くといえば、もっともな理由にもなり得る。

 

 さて、通常のスポーツ競技は、個人と団体戦であり、リーグ戦とトーナメント方式で、高校野球などでみる競技の仕方である。トーナメント方式は、組み合わせの勝ち抜き試合である。リーグ戦は、参加者が総当たりで行う戦いである。トーナメントは、対にするために最初はくじ引き等で対戦相手を決め、勝ち抜いた勝者が次々に対戦する。どちらも恣意的な要素を含まないため、時間が許す範囲でどちらかの方式を採用しているようである。リーグ戦は、オリンピック競技のように、すべての国で対戦させるため、ブロックを分けて、地域代表を決めてからそこでの勝者の対決となるが、地域や国においても選考基準なるものは若干異なっている。


久しぶりの天気回復

2016年09月26日 00時00分01秒 | 紹介

 秋の長雨がいつまで続くのかと心配していた。今日は朝から、湿度は高く、雲もあったが一日中良い天気に恵まれた。各地でいろいろなイベントが模様されていたようであるが、秋のイベントは収穫祭も含め、食材が並んでいて、買い物客でにぎわっていた。最近は農協が主催となり、地産地消の掛け声とともに、地元でとれた新鮮な野菜類が手に入る。以前は、多摩区の飛び地であった黒川という場所に、セレサモスという名の農協直売所がある。土日には駐車場も満車になり、買い物客でにぎわっている。この販売所は、集客が多いということで、全国の農協が見学に来るといわれている。

 

 午前中に調布市に住む娘家族のところに、大分県産のカボスを運んだ。この時期、毎年女房が注文し、ご近所へおすそ分けを行っている。カボスは、スダチやゆずと同様に柑橘類で、刺身や焼き魚にかけてよく、絞ってジュースとして果汁を飲まれている方もあるようで、自分にはあまり酸味が強いので、ジュースは市販の10%程度のものを飲んでいる。これから鍋の季節で、つけ汁にカボスをたらすとポン酢とは違った味を楽しめる。同僚には毎晩飲む焼酎用に送っている。

 

 天気が回復すると同時に、我が家の物干しは洗濯物のオンパレードである。午後から小雨が降るとの予想であったが、雲はあっても陽射しがあり、気温も25℃を超えていたようである。丁度、夏物と秋用の寝具や下着の交換時でもあり、主婦はこの長雨に気をもんでいたことであろう。カビの生える時期でもあり、これからは食中毒にも気を付けたい。冷凍庫、冷蔵庫の大型化に伴って、容量も大きくなり、食材が詰まることになる。時々は、賞味期限を見ながら、食材の整理を行うとよいのであるが。

 

 冷蔵庫の外側天板面には気化器を冷やすファンが数か所に取り付けられているが、鍋などを置くと排気口がふさがれ熱がこもって、オーバーヒートすることになり、センサーを故障させる。冷蔵庫の上面は調理場の気化した脂分の付着も起こり、ファンの羽に埃がついて、重くなり、回転が上がらなくなるので、定期的に点検し、埃を取り除いた方が良い。

 

 季節の変わり目には家の周りでもすることが多い。今後も台風や長雨が心配であるが、天気の時には排水溝のつまりや、樋(とい)に詰まった枯葉の除去なども行っておいた方が良い。


飼い犬のマナー

2016年09月25日 00時00分01秒 | 紹介

 住宅地には、糞尿を禁止する内容の張り紙や、プラスチック製のプレートをフェンス等へつるす家が多くなっている。飼い犬の散歩は雨天でなければほぼ毎日行う。愛犬家には糞始末は当然として、ビニール袋を持参し、脱糞後ビニールに包んで自宅へ持ち帰る。

週に2回ほどある生ごみの収集時にごみと一緒に出す。特に犬や猫の糞を専門に区分しているわけではない。最近は紙おむつが主流となっているし、幼児や高齢者がいる家庭でも処分は同じと思う。

 

 一方、犬の尿については、オスとメスでは行動の違いがあるが、垂れ流しが普通であった。特にオスは縄張り意識があるのか、足を挙げて、電柱や、フェンスの角等に脱尿する。最近よく見かけるようになったのは、ペットボトルに水を入れて、脱尿後に水をかけている愛犬家を見ることが多くなった。度重なる脱尿で、電柱等も色変わりしているので、効果があるのかもしれない。あまり深くは考えていないが、水をかけることによって、一時的には尿が薄まり、拡散される。しかしながら、ペットボトルのわずかな水をかけたとしてもさほど影響があるとは思えない。

 

 マナーというにはちょっと考えされられる。最近の住宅地の歩道はアスファルトかコンクリートであるため、地中には吸収されにくい。しつけとしては、できるだけ住宅地での糞や尿をさせないようにしたいが、このしつけは犬や猫が小さいうちに覚えさせないと不可能であろう。普段室内で飼っているのであれば、容易に覚えると思うが、室外であれば、どうしても屋外へ散歩をさせたときに用をさせることになる。

 

 住宅が密集してくると、犬の遠吠え、見知らぬ犬や、人にも吠える。番犬で飼っている以上、不審者に吠えてくれなければ飼う意味もなくなるのであるが、住民の中には騒音ととらえるご時世ゆえ、悩ましい問題でもある。閑静な住宅街であっても、ペットの鳴き声や、公園の砂場での飼い猫の脱糞等管理が十分できないこともある。

 

 騒音には以前殺人まであった、二階住民の生活音や、近隣のピアノ等楽器の練習音、深夜にけたたましくバイクで走る暴走族、時には救急車のサイレンも騒音になる。生活していれば、全く無音というわけにはいかないが、周りの住民にも気を使う生活の仕方を試みていきたいものである。


秋の味覚

2016年09月24日 00時00分01秒 | 紹介

 朝夕は涼しさを通り越し、寒いぐらいになった。寝具は毛布を掛けている。日増しに秋のおと連れを感じている。これからは生鮮食料品がおいしくなる。収穫の秋とはよく言ったものである。夏場は、暑さを避けるため、涼しげな料理が多くなり、漢方でいわれる体を冷やす料理となるのであろう。又はスパイシーなカレー料理なども食される。

 

 秋に入ると、きのこ類や魚介類が特に美味しく感じる。柑橘類も独特な酸味を持つ果汁が良い。スダチ、カボス、ユズなど刺身にはよくマッチする。身の部分もよいが、皮目に含まれる脂分も独特な香りを持っているように思える。レモンのそうであるが、皮の部分を千切りにし、サラダに混ぜ合わせると、レモンの香りが移り、口当たりもよいようである。柑橘類の皮は、ジャムにもするので、多分皮目が持つ油脂分がジャムに香りを与えていると思われる。

 

 青魚では、サンマが第一に思い浮かぶ、サンマほど市場には出ないが、タカベもこの時期脂がのって美味である。どちらも塩焼きが良いようで、今年は不漁のようである。値段も高いため、毎日というわけにはいかないが、一夜干しにした開きもおいしい。生のサンマより手間がかかっているように思えるが、価格が安定しているし、生より安いのも不思議である。多分開きにすると日持ちがするし、冷凍も可能なのであろう。最近は、握りずしのネタにも使われているが、不漁になれば、サンマも高級魚になるのであろうか?

 

 東北にいたときには、何か集まりごとがあれば、芋煮汁を食する機会が多かった。関東に比べ、牛肉と里芋、ゴボウ、こんにゃくなどの具が入ったしょうゆ仕立ての芋煮汁は体が温まり、この時期は最高の料理である。大鍋で炊き、イベント化しているのも、地元にあった味なのであろう。

 

 果物ではイチジク、カキ、クリ、リンゴ、ミカン、ナシ、ブドウ等が勢ぞろいである。どれも品種改良により進化し続けていて、従来から持っていた本来の味が変わってくる。出荷時期を長めにとり、糖度のコントロールも行き渡っている。あまり品種改良が進むと、従来持っていたエグミや酸味がなくなって、どれも同じようになるのもいかがかなと思っている。品種改良の中には遺伝子組み換えが行われていたりもするので、品質表示には十分に消費者へ情報が伝わるようにしてもらいたい。


ガバナンス力の低下その2

2016年09月23日 09時17分21秒 | 緑陰随想

 不祥事が発生しなければ、現在のシステムを見直すこともないであろう。重箱の隅を楊枝でほじくるような話も多いが、スクープやスキャンダルが報道関係の仕事になっている以上、ある程度仕方ないが、地位が上がれば、利権が発生する。それを完全に阻止することができないのではなく、できないようなシステムにしていかなければならない。

 

 悪者探しに始終するTV番組や報道は妬みや嫉妬が大いに関係しているようで、後味が悪い。築地市場移転問題が、今後どのように展開していくのか、食の安全性が、どこまで保たれていくのか、6000億円を費やした豊洲市場は都民が支払った税金である。土壌汚染が発端となった今回の問題は、時間が解決してくれるとは思えない。新知事に期待することは多いが、果たして知事一人が奮闘しても、限界があることは確かなことで、行政を行う都議会や都庁の抜本的な改革が望まれる。

 

 組織の監査機能が弱いことは我が国の特徴かもしれない。不正を防止し、組織の運営に間接的の関与する立場の者が、実は同じ組織のポストであるため、厳しい意見や、粛清を行うことができないため、単なるご意見番であり、これでは一向にらちが明かないであろう。地方自治体は多かれ少なかれ、国の資金や税金が投入されていて、これに関しては、会計検査院の介入するところであるが、ほとんどの部分は、会計検査院と同様な内部監査が行われている。とりもなおさず、性善説によって運営されているのであって、自浄能力は低いといわざるを得ない。

 

 都議会での百条委員会は、それなりの機能を果たしているといえるが、今回浮上した豊洲市場問題には、使われた資金は返ってこない。用途を変えて利用するなどの邪推も聞こえるが、本来老朽化で改築なり、移設なりの方向が出され、時間をかけて現在に至っているし、時間は遡ることは不可能である。当時設計に関与した関係者を引っ張ってきて、罪を認めさせたとしても、何ら建物の安全性が担保できないのである。風評被害が今後とも続くといわれる市場に、市場にはしたくないとの判断に向かう可能性が高いと予測される。

 

 さて、仕切り直しに、都民に納得がいくものができるのであろうか、お手並み拝見であるが、負担を伴う大事業、資金豊富な東京都、金持ち喧嘩せずで、おおらかに行くのか今後とも注視していきたい。


ガバナンス力の低下

2016年09月22日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 情報の共有化が我が国の国際競争力向上や、企業統治のあり方の根幹をなすものであった。組織力、ガバナンスといってもよい。今回、浮上した築地市場移転に見ることができる情報共有化欠如の原因は何であったのだろうか。一つには組織が大きくなりすぎたことが原因していると考えられる。一般的に言われていることは、組織が肥大化することは、組織の基盤をなす、人、モノ、金とその目的が、多くの都民等に理解されていて、存在意義が経済力や、雇用吸収力を良好にしているとの評価によるためであり、良いこととされている。

 

 しかしながら、アメーバーのごとく増長続けると、不要な組織構成要素が発生する。時代の流れ等で、陳腐化するのである。政策についてもマンネリ化し、組織の活力に対してはマイナス要因となる。そこで、組織自らの自浄能力が試される。自浄能力とは、内部・外部を問わず、監査機関や、評価組織であり、結果によっては、人を変え、モノを刷新し、資金を加減することによって、旧体制を切り捨てるか、刷新するかが行われる。このことが常に行われていれば、組織を継続的に発展することが可能となる。

 

 情報はモノに入ると思うが、現在の情報は人工知能に近く、人といっても良いかもしれない。業務の中心は、情報処理にあるとまで言っても過言ではないであろう。細部の業務に至るまで、標準的なシステムが構築され、一見、問題なく、均一な業務を維持しているかのように見えるが、このシステムに頼りすぎる傾向も強く、例外を排除するため、応用が利かないサービス等が横行することになり、横断的や上下の関係も希薄になりやすい。

 

 従来行われていた、ホウレンソウ、(報告、連絡、調整)機能が、働かなくなってしまったのではないであろうか。根回しも同じことで、組織の業務が、ボトムアップ方式で行われていたことが、セクショナリズムに陥り、組織全体の合意とまではいかず、縦割りとなってしまったと考えられる。このことが、重要案件についても、上部が知らない、聞き及んでいない等と組織の体(てい)をなさない傾向を強めていると考えられるが、いかがなものであろうか。

 

 パソコンメールの便利さは、業務を一変したが、隣の同僚や、同じ部署の上司への連絡手段がメールとなっていることも気がかりなことである。確かに変形労働時間制が進行しているし、在宅勤務も試みられ始めている。勤務時間が同一ではなくなり、組織のサービスも24時間体制へ移行しつつあるため、職員同士のすれ違いも発生している。勤務時間が異なることによる弊害も、ガバナンス力を低下させているようである。