鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

漆工作業その22

2015年09月30日 00時00分01秒 | マニュアル

漆刷毛の保存

 刷毛や筆は軸に動植物の毛を束ねて取り付けた道具であるが、多くの種類があり、使用する目的に併せて形状も様々である。粘調の塗料は、腰が強くないと塗料の含みを持ち合わせ、塗り広げることが困難である。漆刷毛は箱刷毛(通し刷毛)と呼ばれる物で、桧の板を膠で固めた髪の毛のような長い毛を囲ってある。使用時は、外側のヒノキ板を鉛筆のように削りだして使う。毛が塗料に馴染ませるのは、毛に含まれた灰分や膠分を取り除き、切れ毛を除去する目的で、下塗り用に使ってから上塗りに使う。

 

 箱刷毛を自分で作るのはさほど難しいわけではないが、刷毛材料を準備する手段がない。一度購入しておけば、商売で使わなければ、長い期間使える物である。しかし塗料(漆)は一度乾燥してしまうと固化するのでシンナーで溶かすわけにはいかない。その場合に削り出して調整して使えばよいが、使用後の取扱を知らないと直ぐに使えない。

 

 通常は、使用が終わった刷毛を含まれている漆を木べらでしごき出す。植物性の油の中に浸け込んでおくと空気と直接触れないため固化しない。油性塗料(合成樹脂ペイント)もボイル油の中に付けるが、水の蒸発に注意すれば水の中でも良い。漆刷毛の場合は、水に浸けると外側のヒノキが水を吸って膨張し、膠を溶かすので使えない。

 

 再度使用するときは、浸けた油分を木べらでしごきだし、数回使用する塗料を含ませて刷毛を前後左右に動かし油分を塗料に移して木べらでしごく。刷毛に油分が残っていると塗料(漆)が乾かない場合もある。

 

 長期間使用しない場合は、漆をしごき出した後、テレピン油で何度も洗い、塗料分が完全になくなるまで洗いを繰り返す。ぬるま湯に洗剤を入れて刷毛の根本に溜まった塗料や溶剤を洗う。その後日陰で乾燥させる。防虫剤を入れた容器に保存すればよい。

 

 漆以外のカシュー合成漆でも基本的には同じであり、使用後の刷毛は油に浸けておく。植物油で有れば何でも良いと思うが、自分は台所で天ぷらに使うサラダ油をホーロービーカーに入れて使っているが別段支障はない。物の本によれば、とろ箱に菜種油を使っているようであるが、不乾性油で有れば良いであろう。


幼なじみの訃報

2015年09月29日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 自宅近辺にガラス屋がある。現在の住居は昭和30年に東京都杉並区の母親の実家から転居した。神奈川県の分譲住宅である。当時、最寄り駅の近くにガラス屋が開店した。ボール遊び等で隣家のガラス戸を壊し、何度かお世話になった。先代ご夫婦はすでに他界し、兄弟で店を継いで現在に至っている。長男の方は相模原市の方へ自宅を持っていた。実質的には弟分が店を切り盛りしていたが、長男の方を最近見ることがなかった。

 

 近所にあるコンビニで、弟と数年ぶりかに出会い、立ち話であったが雑談をし、その折りに長男の消息を尋ねた。長らく患っていた肺炎を悪化させて、今年の春に他界したことを知った。小学校の同級生でもあったので、同い年の幼なじみが他界したことにショックを受けた。ガラス屋は父親譲りで、生前に父親から指導を受け、ガラスの取扱を学んだのであろう。弟と店を継いだ後は、サッシの方も取り扱うようになり、地元での受注で結構忙しい様子であった。

 

 独身を続けていたが、最近の状況は全く判らないままとなっていた。何度かTV見合いの番組で顔を見たとの話もあったが、結婚とは縁がなかったのかも知れない。淋しい死である。兄の死を受けて、店を続けていた弟も仕事から離れてしまった。店をたたんだのである。弟も腰の椎間板を悪くし、併せてパーキンソン氏病とのことであった。雑談している最中でも、身体を安定出来ないようで、左右に体を動かし続けていた。生前の兄から、仕事を卒業する旨の話があり、タイミングを同じくして弟の病気も進んだための決断であったようである。

 

 零細・小規模店舗の経営の厳しさを知ったが、家族や親族の病気は店舗の撤退に直接影響する。まして、ガラスやサッシなどの施工・メンテナンス業者は、大規模な工事に伴う下請けの仕事が少なくなれば、生活もままならないようである。ガラスやサッシは施工が完了すれば、頑丈なせいか、壊れることもない。消費製品とは言えない物になっている。零細・小規模店の衰退を地で行っていたようである。

 

 身近にいた者が他界する状況を経験することが増えてきたが、高度な医療の進展があっても、現実に幼なじみが他界すると、気持ちの何処かに空洞が空いたような虚無感を感じる。現世では再会出来ないという必然である。


漆工作業その21

2015年09月28日 00時00分01秒 | マニュアル

磨き

 最終工程の段階で、上塗り後十分乾燥させてから上塗り面を研いで、平滑にし、磨きを行う。仕上げ方法は、最初の段階で上塗り後に磨き仕上げを行うか、それとも塗り放しで磨きを行わないかによって、使用する上塗り塗料が決まってくる。上塗り塗料の乾燥時間が長くなり、埃やゴミが着きやすくなり、漆風呂のような専用設備を持たなければなおさらである。乾燥時間が長い塗料は一般的に言うと、平坦性が高く、流動しやすい。塗りやすさは塗料を薄めるために用いるシンナーの組成を変えることによって、沸点をある程度操作することが出来る。

 

 塗り放し仕上げは、本来の塗料が持つ光沢を生むことが出来るが、塗料によっては、カシュー合成漆など、輝きが強すぎる場合もあり、下品になる。これは若干の表面の凹凸で、光沢が均一にならずにギラギラしさが出るためと思われる。

 

 上塗り乾燥後の研ぎは、炭紛、地の粉、砥の粉などを使うが、予めふるいで篩っておく必要がある。通常は耐水研磨紙の番手で数が多い600~1500番を適宜使う。研いだ表面に光沢が残るところは表面が低い部分であるから、光沢のない状態まで研ぐが、研ぎすぎると中塗りまで研いでしまうので、細心の注意が必要である。ゴムべらを用いて、研ぎ汁を拭い、表面の状態を確認しながら行う。番手が粗いと研ぎ足が残るので、仕上げ研ぎは砥粒が細かい物を使う。被塗物全体が光沢のない状態にし、拭き上げて研ぎを終える。

 

 磨きの材料は、コンパウンドを用い、荒目、中目。細目、極細目を準備し、ウエスに少量付けて磨く。多量に付けると砥粒が混入されている油で滑るため、研削出来ない。磨きも広い意味では研ぎの一種で、細かくした砥粒で表面を削ることによってより平滑面を得ることである。最後に漆塗りでは角粉(鹿の角を焼いて粉末にした物)を指に付けて磨くが、角粉が手に入らない場合は、チタン白を用いても良い。自分は、ワックスを付けて磨き上げている。磨きで、注意することは同じ箇所を続けて磨くと摩擦熱のために上塗り塗膜が軟化し、艶引けを起こすので続けて磨かないことである。

 

 最近は、ノンシリコーンワックスも登場している。超微粒子コンパウンドであるが、機械研磨やバフ研磨で用いられている。磨きを行うことで、表面の平滑性を最大に発揮させ、所謂、鏡面に仕上げるのである。


幕引き

2015年09月27日 00時00分01秒 | 提言

 幕の開閉が一連の物事の開始・終結の合図として、因みに幕が上がるは開始、多分、緞帳をイメージすればよい。終わりは幕を落とすや幕を引くとなる。新国立競技場の整備計画は白紙撤回されたことに伴う引責辞任の表明があった。事務次官は辞職、文科大臣は首相へ辞意表明を示したが、来月上旬内閣改造が行われる予定であるため、その間の大臣空白は好ましくないとして、内閣改造時点で退任となった。曖昧ですっきりしない幕引きである。整備主体の日本スポーツ振興センター(JSC)理事長についても10月の人事で交代となる。

 

 結果は組織的に考えれば、両組織のトップが辞任や交代で首のすげ替えである。トップの下には多くの実務担当者がいて、幸いか不幸か、本人にとって見れば幸いになるのであろうが、責任が及ばなかった。不幸は国民の税金を無駄にしたことである。何度も申し上げてきたが、組織の業務はトップダウンではなく、ボツムアップである。トップはどのようなルートで就任したかは定かではないが、どなたが行ってもさほど害は発生しない。問題となるのは、表面には出ない実務担当者であり、新たなプロジェクトが新体制で刷新されることになり、どこまでのレベルを慰留させるかは判断の分かれるところである。

 

 つまり、それらしき大臣が内閣総理大臣のご指名で担当となり、JSCについてもほぼ後任者が決まっているようである。しかし、有識者会議メンバー、実務担当者はお咎め無しのようで、その理由は、組織的な非違行為や義務履行違反があったのではないとされている。新体制の陣容によって、事業の成功や失敗が決まるのではないことに注意がいる。小手先の刷新案で本質的な問題が改善されるのではなく、同様な失態を繰り返すことになる。トップを交代しただけで組織が変わると思うのは早計である。

 

 有識者メンバーの責任のなすり合いは我が身の保身に始終する見苦しい態度を見せつけた。この程度の人材しか我が国には居ないのか、全くお話にならない。組織は自浄能力がないのは分かっているが、監事役や担当理事までもが責任を取らない組織とは一体何なのか、それこそ業務放棄に他ならず、全く持って腹立たしい。報道は表面の出来事のみを伝えればよいが、刷新案に盛込まれるべきである、公募や透明性は単なる絵空事のようである。検証委員会なる存在も国民に納得させるにはほど遠い隔靴掻痒の感がし、踏み込んだ内容とはなっていない。行政の失敗は情け無いの一言に尽きる。


チェック機能

2015年09月26日 00時00分01秒 | 提言

 文科省に設置された五輪開催に伴って発生した問題に対する第三者委員会の報告書が提示された。新国立競技場の整備計画を検証する第三者委員会は、問題発生原因を調査分析するという役目であるが、責任の所在がはっきりしなかったとの結論であるが、では、そうだからといって、何であるのか分からない。組織のチェック機能は、行政が持つチェック機能が何故発揮されなかったのであろうか疑問が残る。報告書を受け、文科省は今後どうするのか、大臣まで責任を取らざるを得ない瑕疵を誰がどう裁くのか、道筋が不明である。

 

 一般的に考えれば、然るべき報酬を得て、その立場に就任すれば、辞任はやむを得ないが、給与の返納だけでは済まされない。首のすげ替えや、トカゲのしっぽ切りだけでは問題は解決しない。問題発生前に何らかのチェックが行われなかったのか、行政に対し、不正を防止し、不正が行われていれば、業務が停止させられる。事案の原因によっては個人にも及び、懲罰規定によって処理され、場合によっては刑事罰が適用される。上部組織の監事監査や会計検査院が行う会計検査である。このチェックは前年度やそれよりも前の数年間をチェックする事後検査であるので、プロジェクト方式には適用されないのかも知れないが、杜撰な運営の結果を指摘するにはどのような機能が必要であるのか問題の方向を取り間違えているようである。

 

 本来、組織にはチェック機能が備えられているため、不正等の発見は事前に、又は被害が拡大されないように途中で、チェックが行われている。今回の整備計画は、白紙撤回まで進んだのである。個々の事業においても、様々なステージでPDCAが行われているためにわざわざ、第三者委員会を設ける必要もなく適正化を図っているが、そこでは見逃された今回のような問題を再発させないためにはどのようにすればよいかという大問題なのである。

 

 プロジェクト方式が適用された今回の委員会であったが、業務を推進するための業務方法書なる物が無く、構成された委員は部外者を中心に選出されたお歴々であったことの問題点を指摘しておきたい。実態は国際大会などの経験が無く、専門性が全くないに等しいシロウト集団であった。

 

 開催主体である文科省の事務方が無能であることも露呈したが、このことは、第三者委員会が指摘しているように、大規模なプロジェクトを担うだけの体制が出来ず、委託したJSC(日本スポーツ振興センター)が総括としての管理能力は無く、職員を派遣した文科省の管理も不十分で、判断の遅れをチェックして修正するメカニズムが機能しなかったとしている。第三者委員会の報告による指摘だけでは意味がないように感じたのは自分一人ではなかったと思う。当初からオープン化されない不透明さについても何らかの手当が必要であろう。


障子の張り替えその2

2015年09月25日 00時00分01秒 | 紹介

 

 でんぷん糊を桟に定量を乗せるが、刷毛で塗るよりは、ワンタッチの障子専用の糊を購入すると余分なところに糊が着かないため、作業も早くなる。ポリエチレン容器に入っていて、150㌘容器入りで障子2~3枚を貼ることが出来る。糊に空気が入ると先端から糊が途切れ、一定量を乗せることが出来なくなる。丁度ケーキの上に載せるホイップしぼり容器と同様で、空気が入らないように気を付けたい。

 

 和紙はロールに撒かれているので、平らなところに和紙を広げるとカールする。この性質を利用して、洗い終わって、乾燥した桟を平らな場所に置き、ロール和紙の片側を桟の貼る方向に仮止めする。障子の長さまで鋏で切り取るとカールして仮止めした場所に巻き込む。次ぎに糊を桟に置きながら、和紙をゆっくりと桟に広げる。直ぐにローラーや竹へらで和紙と桟の空気を抜いて密着させる。そのままの状態で乾燥させる。

 

 障子と霧吹きは欠かせない。障子が、完全に乾燥した後でないと霧吹きをすると桟から和紙が剥がれやすくなる。更に、霧吹きの噴霧する粒子があらいと、斑(まだら)に乾燥するため、和紙に差が生じ、ピーンと張れない。乾いた後、再度霧を吹きかけると修正出来る。天候の加減にもよるが、出来れば糊の乾燥に1日おいた方が無難である。

 

 カッターナイフでまだ未乾燥の糊が残る状態のタイミングで、定規を当てて、ガイドにし、余分な和紙を切り取る。切るタイミングを見定めることが大切で、余り糊の乾燥が進むと、紙は切れやすくなるが、桟に貼りついて余分な和紙が剥がれなくなる。

 

 カッターは普通のものでよいが、失敗が少ないのは丸刃である。丁度半月状の刃が出し入れ出来るタイプを準備すると良い。定規はプラスチック製や竹製の物があり、目盛りが刻まれた場所を直接使わない。刃の動く方向に指や手があるとカッターで切る場合もあるので注意が必要である。

 

 障子の乾燥が終わると、もとの据え付けてあった場所へ据え付ける。上下は逆には取り付けられないので、間違えることはないが、引き戸は左右に違いがある。日本間にあうように間違えないようにしたい。もし貼った和紙がたるんでいるようであれば、この状態で霧を吹きかけても良い。日本の家は木と紙で出来ているなどと外国人が揶揄するが、最近の障子紙は強度といい、紫外線に対し相当高性能で、進化している。障子は直射日光を遮り、防音、防湿、保温等の機能もある。


芸術の秋走り

2015年09月24日 00時00分01秒 | 提言

 町田市薬師池公園の中にあるフォトサロンの展示品撤去のために、車を出した。女房が、年1回行っている写真同好会の展示会へ出品した額入り写真2枚の撤収である。昨年までは写真のサイズはA3サイズであったが、今年からはA3ノビサイズに拡大されていた。A3とA3ノビとの違いは僅かにノビの方が大きいが、額に入れると大分大きく見える。

 

この連休中にどれだけの来客があったのか定かではないが、年中何らかの同好会等が施設を利用しているようで、市で運営管理をしているため、安い費用で借りられるようである。薬師池公園に遊びに来る来園者が訪れるのであろうが、自家用車ならば結構広い駐車場も完備している。自家用車以外は市営バスの利用のようである。

 

 道すがら女房と話しに上がったのは、展示会での賞状はないのかとの問いに、昨年まではあったようで、今年から無くなったそうである。その理由は、幾つかあったようで、審査員となった師事が、数人おられ、審査の作風というか、視点が異なり、審査結果が、徐々に偏る傾向にあったそうである。

 

 入賞するがためには、審査員に気に入られるような作風になってしまい、自分がよいと思った作品が入賞されていなかったとか、点数制を一般の人も入れて、来場者からアンケートを取るなどのことも行われていたが、特定の出品者の関係者が多数来館し、たいした作品ではなくても入賞したなどの不満があった。結局、同好会の意義は、お互いの切磋琢磨にあり、努力した成果が展示されればそれだけでよいとした意見が多数を占めたため、賞を出すことが中止されたとのことであった。

 

 どこか五輪エンブレムの中止の問題と錯綜するようで、これから芸術の秋が到来するため、気になる。日展では古くからの体質が長く続き、流派の輪番制で入賞者を決めていたとの内部告発があり、その是非が問題になったこともある。感覚を重視する芸術は、その採点が難しい。大臣賞や知事、市長賞など役職者が出す賞もその実体は不明のままであり、無いとなると淋しい気持ちもするが、特定の会員が有利になるような不正があると賞の意義も失墜する。

 

 スポーツでは採点基準がはっきりとしていて、比較的順位を付けやすいが、芸術点などになると感覚が入りやすくなり、曖昧になりやすい。参加賞だけにするところもあるようで、賞についての在り方についても今一度熟慮すべき課題であろう。