鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

新機種の選定と注文その2

2016年03月31日 00時00分01秒 | 紹介

 ニコンの新機種は最新ではなく、総画素数が最大の機種はD810の3709万画素である。この機種は天体観測にも活用されているようであるが、連続写真のコマ数は思ったより低く5~6コマ/秒であり、価格も高い。最新版はD5、D500であり、価格が高く手が出せない。落ち着いたところは、価格が手ごろで、連続写真が7コマ撮れるD7200となった。この機種はD7100の後継機種で、昨年の3月に発売されている。総画素数は2416万画素である。前機種はバッテリーの寿命が短いため、連続シャッターを切るとすぐにへたってしまい、スローになる傾向があった。D7200ではそこが改善されている。

 

 本体は約675gで比較的軽い。野鳥撮影に必要な機能もすべて含まれていて、十分活躍してくれるものと思っている。価格については、価格コムで調べ、本体価格が値上がりしていたが、標準レンズとのセットでの販売は、本体の割引率が高かったため、すぐに注文することにした。販売店の比較では、信用度もあり、配送が速い業者を選ぶが、自分の場合は、カード決済ができることが条件である。絞っていく段階で、浮上したのはアマゾンドットコムであった。価格面では最低価格ではないが、他のレンズ等総合的な判断により決めた。

 

 レンズも併行して検討を進めた。野鳥撮影には超望遠レンズを使う。遠方を撮るため、どうしても焦点距離の長いレンズとなる。ニコンでは800mmがあるが、大きすぎ、重すぎる。三脚に固定した撮影となれば、頭上の撮影は困難をきたし、手持ちは難しい。そこで、焦点距離最大500mmぐらいあればよく、カメラ本体の重量に加えて3㎏以内にしたかった。多摩川では時々猛禽が出る。枝に止まることはほとんどなく、頭上を俊敏に飛び去る。撮影しやすいのは対岸を横切るときである。三脚があると、カメラマンの動きが制限されるため、すぐに手持ちでの撮影が必要になるからである。

 

 ニコンレンズでは比較的安い望遠レンズが最近発売となった。ズーム機能を持ち、おもさは2kg、200-500mmAF-S NIKKOR f5.6E ED である。使ってみないとわからないが、懇意にしているカメラマンからも入手したいとの発言があり、従来では考えられない価格であるため、これに決めることにした。

 

 パソコンからネット通販で注文したところ翌日には一部が、2日後にはすべてが注文通りに自宅に届いた。今後必要なアクセサリー等を追加購入することにしているが、今夜からは使用説明書との戦いが始まる。


新機種の選定と注文その1

2016年03月30日 00時00分01秒 | 紹介

 時代の変遷は鳥撮り写真マニアにも影響する。既存の愛用メーカーのオリンパスがミラーレス、軽量化のフラッグシップカメラはOM-D E-M1という機種である。カタログを取り寄せ、二子玉川にあるキムラヤで実機を試そうと思ったのは1か月前であった。

 実際に店舗を訪ね、同じ機種ではないがミラーレスの新機種に直接触れさせてもらった。小型化だけあって、カメラボディーは軽く、手の中に納まる。これがカメラかという印象と、小型でもピリッと辛い機能の詰め込まれた重量は、軽いのであるが、自分には技術が詰まった玉手箱のような感じを持った。

 

 一番気になっていたミラーレスがファインダーにどのように写るのかであったが、時間にしては、0.016秒のタイムラグがあり、この遅れをどのようにとらえるかが決め手となった。結論からいうと、この数秒のタイムラグが、鳥撮りには致命的な欠陥ととらえた。野鳥が繰り広げる多くの動作は0.016秒よりも長い時間での行動かもしれないが、その一瞬は、決して軽んじるわけにはいかないと思えたのである。静止対象であればそれも気にならないであろうが、じっとしていない野鳥ゆえ、その一瞬をとらえられない機能は選定対象にはならなかったのである。

 

 最近このオリンパスシリーズを購入した知人に聞いてみたところ、数秒であるがファインダーから見る画像がちらつき、安定していないため、疲れるといっていた。自分も実機をのぞいてみて、これは使えないと思ってしまった。そうなると、どうするか、オリンパスはデジタル一眼レフの後継機に着手しないならば、あきらめざるを得ない。大枚をはたいたレンズ類はすぐには処分しないまでも、無用の長物となってしまう。

 

 オリンパスの開発担当者の意向など分からないが、医学機器に力を注ぐのであればそれも仕方ない。ミラーレスが人気となっている対象に商売すればよいし、今や、他のニコンや、キャノンに水をあけられ、追従すらしないのであれば、技術戦略に負けたといわざるを得ない。しかし、大型機を愛したオリンパスファンにとっては大変残念であることは間違いない。

 

 どうでもよいことではあるが、プロではないカメラマン仲間でも、今やオリンパスを持っている者を過去の武器を持った戦士ぐらいにしか思わなくなっている。画素数で負けるようであれば、投稿すらままならないであろう。時代が求めるものは、はやはり品質であり、画像の精度であろう。せっかくフォーサーズの利点を持った独占が、もはや失墜したことに心痛む。


新幹線開業その3

2016年03月29日 00時00分01秒 | 紹介

 函館観光の名所は函館山を中心に、そこへつながる旧市街である。函館山から見る夜景は、東洋一ともいわれ、一度は見学しておきたい場所である。十字街を中心とする旧函館中心地は、レトロな雰囲気を感じることができる。定番といわれる、旧函館公会堂、旧北海道庁函館支庁舎は元町公園にあり、隣接するハリストス正教会、聖パウロ修道院、聖ヨハネ教会等の教会群がある。立待岬側へ少し足を延ばすと石川啄木の歌碑、市営墓地には啄木一族の墓がある。途中、函館八幡宮から旧幕府軍の墓である碧血碑を見るのもよい。

 

 反対側には函館ドック側であるが、山腹に多くの社寺があり、外人墓地へと続く。舟見町には称名寺や高竜寺があり、水商売で亡くなった多くの無名墓もある。外人墓地には中国人をともらった墓もあり、この地にいかに多くの外国人が居住していたかを偲ぶことができる。

 

 函館と本土とを結ぶのは青函トンネルがなかったころは連絡船しかなかったが、津軽海峡はしけも多く、洞爺丸が沈没し、多くの乗客がなくなったと聞く。全国でもそうであるが、連絡船があるところでは、海上気象により、宿泊を余儀なくされることであろう。旅館やホテルが立ち並び、天候が安定されるまでは足止めされる。そこで宿泊客をもてなす花柳界が形作られ、大門もその名残で、赤線があった。赤線が廃止された後も函館駅前の若松町から松風町にかけては通称大門通といわれている。棒二森屋(ぼうに)デパートがあり、メーンストレートである。

 

 函館は市電を持っている。駅前から市電通りに交差する多くの通りがあり、柳小路、高砂通、京極通、祇園通りなどで、横丁には郷土料理をはじめとし、飲食店が軒を連ねている。お薦めは、北海道ならではの海産物を提供するすし屋や居酒屋である。駅前の朝市市場にも海産物が多く売られ、場内の食堂でもいくら丼や、カニ、ホタテ、北寄貝等を使った海鮮丼は旅の味覚の一つであろう。

 

 函館市内には多くの自由市場があり、中島廉売といわれ、五稜郭までの道筋に何か所もある。市民の生活を豊かにしてくれるマーケットである。旧市街は既に機能を終えていて、土地の価格が高いため、若い人の居住地にはなりえない。いうなれば、都市も年を重ねると衰退する。若い人が去った町は、どこか活気がなくなり、多くの店舗はシャッターが閉まる。すでに函館は湯の川や日吉の方へ住宅地が移ってしまっている。


新幹線開業その2

2016年03月28日 00時00分01秒 | 紹介

 以前このブログでも紹介したところであるが、函館の名所といわれる函館五稜郭は、星形の形をした幕府が構築した戦争遺跡であるが、函館戦争で津軽海峡を渡った旧幕軍と官軍との間で繰り広げた函館戦争が有名である。ちょっとだけ歴史を振り返ると、草創当時の明治新政府が旧幕軍、諸藩、不平の徒と交戦したのが戊辰戦争である。この年の始めに、鳥羽・伏見の戦争があり、これは、会津・桑名両藩を主力とする幕軍が、鳥羽・伏見で、薩長に破れた戦である。

 

 ついで、徳川慶喜の恭順を喜ばなかった不平の徒が、上野寛永寺に集合し、彰義隊と称する一団となり鎮圧される。同時に会津・庄内の両藩が反抗し、官軍は9月に会津城を陥れ、東北の地を鎮定した会津戦争があった。翌年五月に旧幕府の海軍総裁であった榎本武陽が海軍を率いて函館に走り、五稜郭にて反抗し、力尽きて陥落する。これら総ては、1868年、明治元年戊辰(ぼしん)に起こったので、戊辰戦争といっている。幕府軍が五稜郭を守る位置(背後)に四稜郭がある。土塁を積んだだけの閑散とした場所であるが、歴史を感じさせる遺構である。

 

 函館は北海道の玄関であり、ここから発展したと聞いている。札幌が道庁になるより前の時代である。その意味も含め、函館が北海道の歴史的価値を持つと現在の函館人は内心思っていると感じた。それはともかくとして、観光に力点を置いた行政は、津軽海峡を渡った対岸青森県と協調し、一体化路線を繰り広げているところがポイントで、観光客の誘致に力を入れているようである。

 

 青函トンネルは新幹線用に掘り進めていた頃聞いた話であるが、旧青函トンネル(現在も在来線はこのトンネルを利用している)は二層になっていて、どちらかは軍事用に利用されているという。確かに大型の戦車や軍用車両は対ロシア等を意識した北の防衛の必要性を現していると考えるのは妥当であり、合理性がある。観光の一方で、戦争の痕跡は、函館山に無数に掘られた戦争遺構を見ることでよく分かる。不測の事態に対する戦略地域として、過去の厳しい状況も横たわっている。

 

 今回の新幹線の開業が、多くの観光客等を北海道へ運び、北海道が抱える問題に目が向けられる機会でもある。北海道にはロシア政府との間で北方四島の返還が案件となって久しい。解決の糸口はあるようで、政府も継続的な対話を続け、ビザなし渡航等の関係改善に向けた一層の努力を期待したい。


新幹線開業

2016年03月27日 00時00分01秒 | 紹介

 北海道新幹線が本日開業した。高速鉄道網で結ばれたのである。心より祝福申し上げたい。これによって、人口の移動が加速化され、地方という言葉が不必要になる第一歩かもしれない。青函連絡船の時代とは格段の違いである。今後、札幌までの高速鉄道化がすすめられることであろう。冬場は積雪や氷結で、決して楽ではない状況を克服されたことを敬意をもってその完成を祝したい。新函館北斗駅も、北海道の新たな玄関口として、拠点がより整備され、北海道の窓口として相応しい機能を期待したい。

 

 函館は管理職となってはじめての赴任地であった。今から思えば、なにがしかの縁によって決まった人事と思っているが、おそらく、父親も仕事で函館にいたことまでわかっての人事ではなかったはずである。人のご縁というものは不思議な縁(えにし)で結ばれている。自分が函館に赴任したのはちょうど関東で桜が開花する時期でもあり、小雪が舞い散る函館空港は、未だ真冬の状況、宿泊地の湯の川温泉の窓から吹き込む小雪に住む世界の違いを感じたものであった。

 

 飛行機でも遠いと感じ、降り立った空港はなんと小規模だったか、地方の空港の大きさではなく、閑散としたとした雰囲気に気がめいったことも事実である。出迎えもない空港での方向感覚がなくなっていたことにもよるが、将に函館の地への自分には経験のない寂寥感を持った。

 

 人生の活路はその後忘れることができない人との出会いである。北海道の赴任後3か年は思ったより短時間に思える。我が国の職業訓練は、炭鉱離職者の援助が発端である。北海道には夕張炭鉱等炭鉱の閉山で多くの離職者を出した。離職者の社会参加や、就職にはどの省も手を出さなかったため、労働省が担当することになり、再訓練の場としての離職者訓練が実施された。当時、地中での仕事が地上に出れば、同化する事すら難しいとの話があったが、職業訓練はそれなりの成果を出し.社会問題化することなく、事なきを得た。

 

 確かに離職者を雇用できるだけの企業のキャパがなかったことも事実であり、転職の難しさを実感した。特に、冬場における出稼ぎ対策も併行して行われ、市町村が行う機動訓練なども、担当して初めて分かることであった。一部特殊であったが、ウタリ対策も北海道独自の政策である。

 

 冬場の厳しさはさておき、5月になれば、一斉に開花する草木には驚かされた。なんという別世界か、本音では知られてほしくないロマンであり、自然との出会いは、感動であった。新幹線が及ぼす効果を今後とも注視していきたい。


3月下旬事情

2016年03月26日 00時00分01秒 | 紹介

 3月は年度会計の決算時期に当たる。実際には単年度予算であっても、事業の性質によっては単年度ですべてが終わるものは少ないが、契約が年度内に完了していれば、未払いという項目建てを行い、年度内の予算で処理することもある。通常は、決算を年度内に締めて、収支を明確にし、残額は会計機関(組織内の予算計画や支払う部署等)へ返納する。

 

 年度を越えて契約することは単年度会計では異例の部類であり、長期の工事等ではフェーズを分ける等の工夫がいる。なぜそうなるかは、国家予算を見ればわかることで、前年度に次年度の予算を確保し、予算委員会等の審議を経て、年度内に次年度予算を成立させる。我が国では二院制であり、衆議院・参議院で議決が異なるときに開かれる両院協議会で成案が得られない場合は、または、衆議院議決案が参議院へ送られ、参議院が受領後30日以内に参議院が決議しない場合、衆議院の議決が国会の議決となる。

 

 年度内に次年度予算が成立しない場合もあり、その場合は暫定予算を組むことになる。新規の案件等については暫定予算に組み込むことができないため、予算成立後の実施となる。

 

 年度当初に配布された予算で、所々の事情があり、予算を消化できない時は返納することになるが、新年度予算に組み込まれるかどうかは分からない面があるため、できるだけ年度内に消化しようということになり、年度末の工事等が行われやすい。道路工事も同様で、それによる渋滞発生は大きな社会問題となっている。各省庁は予算の前倒しを指示していても、人件費の高騰、資材調達の困難性、優先すべき他事業による工事の遅延等が発生している。

 

 特に例年と異なる点は、オリンピック関連の工事、東日本震災関連の復旧工事等で、労働者の確保が難しい状態にある。技術・技能を持った職人等は、簡単には育成できない。作業者の給料が上がることについては良い面もあるが、十分な工期を確保しずらいことや、過重労働の発生や安全面での手抜きが行われやすいというデメリットも危惧される。

 

 さらには人事異動の時期であり、既に内示が出た企業等も多いと思われる。正式には発令をまって異動が行われるため、業務の引継ぎや、人材の流出等の状況も発生する。様ざまな変化の中で、繰り広げられる人生模様がスムースに展開するよう願っている。


高速道路の速度制限

2016年03月25日 00時00分01秒 | 紹介

 高速道路を法制面で管轄する警視庁は3月24日一部区間の最高速度100キロ/時間を120キロに変更するための制限速度を引き上げることにした。今後、試行期間を経て決めることとなるが、渋滞の緩和策ではなく、走行速度と規制速度とのギャップを埋め、利用効果を高めることとするようである。試行地点は新東名と東北道のようであるが、もったいぶった報道に違和感を感じている。

 

 自動車の性能向上や、技術的進展により、安全優先で取り組んだ結果であることは間違いないであろう。それとも、交通規制が時代にそぐわなくなったのかわからないが、速度規制とは何かを問う重要な問題である。誰が判断し、過去の規制は何であったのかの説明がいると思われるが、警視庁が高らかに宣言することではなく、寧ろ、時代に合わない規制で、国民を締め付けてきた愚かな法規制であったからで、変更せざるを得ない状況に追い込まれたといった方が適切であろう。

 

 交通規制は、状況の変化や、混雑状態によって変わってくる。事故発生も運転者のモラルばかりではなく、過重労働の結果が現れたとする学説や、高年齢者の働き口がないという求職問題、法規制と現状に合わない齟齬の問題等これにかかわる要素は、未解決の問題を多く含み、悩ましいといわざるを得ない。

 

 頻繁に起こる交通事故の原因究明は、個々のケースで、ケースバイケースで処理されてきたため、全体の傾向というか、特徴が明確に関連付けされないまま、現象面でのみとらえられてきたことに問題の根源が隠蔽されてしまっているように思える。技術的なテクニックの問題は、人工知能やセンサーをふんだんに使った装置を搭載したことでの危険性や事故を未然に防ぐことの必要性を示唆していて、車の安全性を高め、より快適な走行を保証するものでなければならない。

 

 そこに法規制はいったいどう作用するのかが明らかにされないまま、法の順守などという呪縛にとらわれ、現職警察官のロボットにも劣る行為は、文明社会とは遠く離れた、検挙するための姑息な操作が品位を下げていることは間違いないであろう。取り締まる意味が再発を防止することに焦点を当てず、罰金刑や、単なるアンラッキーであったような振る舞いは慎むべきであろう。多分に、報道番組の誇張した警察官像を強調する番組等はふさわしい番組でないことも反省すべきである。今回の決定は遅きに失した感は否めない。