鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

道具箱

2016年02月29日 00時00分01秒 | 紹介

 自分の過去を知るうえで、専用の道具箱には、思い出が詰まっている。これは誰にでもいえることなのかも知れないが、転勤で職場を変わることに併せて、新たな住まいには、自らの工夫があり、こだわりと一緒に、道具箱が必ずついて回った。転勤の都度、自分が接する世界には、新たな趣味が湧く。その時に道具箱には新たな仲間が加わる。道具の仲間が増えていくわけであるが道具箱の住人となる。おかげで、道具箱は手狭になり、重量だけは重くなる。しかし整理の折に捨てるまではいかず、使わなくなった道具も一緒にある。

 

 それぞれの道具のなれそめまで語る余裕はないが、今でも、自宅以外に修理やメンテナンスの声がかかれば、同行するのは道具箱である。先ずは現場の確認が先であっても、道具箱さえ持参すれば大方の作業は片付く。どんな作業でも単純化して考えれば、腐食によるさびや変形で動かなくなるもの、ねじが緩んで、機能が果たせないもの、変形、油切れ、パッキンの寿命、ベルト等の摩耗。家電製品では断線、接触不良、部品の寿命等の現象から見れば単純な原因の故障が多い。

 

 持参する道具は一般的なものであるが、電気関係では、テスターと接点復活材、クレハ556、半だごてと半田は欠かせない。ニッパ、パイプレンチ、バイスプライヤー、六角レンチ、インチスパナ、タップとダイスセット、小刀、プラス・マイナスドライバー、鏨、ハンマー、ペンチ各種、モンキーレンチ、錐とやすり類 ビニルテープ、ビス・ナット類等である。ほとんどの処置には間に合う道具類である。

 

 これらはその都度買い足したもので、必要に迫って取りそろえたものである。電動器具もほとんどのものは揃えてあるが、常に持参するのは、ドライバードリルぐらいである。木材の加工に必要な電動ノコギリも場合によっては持っていくこともあるが、最近はほとんど出動はない。素材の種類が増え、従来の大工道具は不要になった。その分、プラスチック製品や石膏ボード、アクリル樹脂の接合等は、瞬間接着剤化、エポキシの接着剤で十分足りる。寧ろ家庭用には、石膏ボードに効くフックなどの要望が多くある。

 

 商売をしているわけではないので、自分にとって手に負えない場合は専門業に任せるようアドバイスすることにしている。しかし、道具箱が役に立つことが多く、自動車で遠出する場合には事故のことも考え、対処できる範囲の道具や工具を選んで持参している。やはり素手ではどうにもならないことも多い。これからも道具にお世話になるが、マイツールとして大切にしていきたい。


ナンジャモンジャの木

2016年02月28日 00時00分01秒 | 紹介

 今日の晴天に誘われ、神代植物園へ行ってきた。写真撮影が目的であるが、年間パスポートが満了となり、新たな申請を兼ねていた。年間パスポート千円近くであるが、1回の入園料は250円とのことで、4回行けば元が取れることになる。植物園は観梅や観桜の団体客等で大変にぎわっていた。土曜・日曜日には、ボランティアが、ガイド役となって、来園客を誘導する。お目当ての緋寒桜や、河津桜の見ごろを迎え、梅よりも桜が本命のようであった。

 

 梅も各種あるが、桜と比べると負けるのか、見劣りするようである。しかし、梅の老木に満開となる梅も大いに結構な眺めで、春を感じることができる。北国ではほとんど同時に梅と桜が咲くため、比較することもないが、それぞれの良さをめでたい。花には蜜があるようで、野鳥のさえずりはあちらこちらで聞こえ、メジロ、シジュウカラ、コゲラ、ジョウビタキ、シメ、ヒヨドリ、ムクドリ、エナガ達の活発な行動が見られた。

 

 平日に比べてカメラマンはさほど多くないようで、寧ろ家族連れや女性数名の仲間が多かった。平日に主として行っていたので、久しぶりに見る休日の風景である。高齢者も圧倒的に多かった。温室はしばらく工事中で休みであったが、近々リニューアルして開館する予定である。

 

 昼食はいつものように裏門から出て深大寺参道沿いにある蕎麦屋青木屋へ直行する。注文は冷やしたぬきそばである。正午を回っていたが、普段より早かったせいか、客は疎らであったが、しばらくすると満席になった。新そばはもうしばらくたたないと振る舞われないが、腰のある更科そばであり、食感がよい。深大寺は湧水が豊富であり、水質がよいので、そばには適しているのであろう。食事後、寺の参道をぶらついた。多くのそば店と土産物屋が林立している。多くの参拝者でごった返していた。

 

 境内に入り参拝した。ここも参拝客が多かったが、ムクロジの大木がある。その近くに「ナンジャモンジャ」の木があるのを見つけた。女房はかねてから、境内にこの木があることを知っていたらしく、自分も初めて見る樹木であった。名前の由来を知りたかったが、変わった名前である。モクセイ科に属しているようで、白い花が大量に咲くようである。多分、キンモクセイと同じ種であればにおいも強いと察せられた。次回の来園時にはおそらく鑑賞できるであろう。南国産のようであった。


二・ニ六事件とは

2016年02月27日 00時00分01秒 | 紹介

 日本近代史の中で学ぶ事件である。昭和11年(1936年)2月26日朝、陸軍青年将校が反乱を起こし、内務大臣斉藤実、蔵相高橋是清、陸軍教育総監渡辺錠太郎等を暗殺し、首相官邸付近を占拠した事件である。東京に厳戒令が敷かれたのち、29日までにほとんど全員の帰順が終わった。五・一五事件、新兵隊事件、永田軍務局長暗殺事件等を経て、急遽高まったファッシズムの現れであり、この結果、議会は全く無力化し、軍部独裁がますます強化されることになる。

 

 高橋是清は1854年に誕生し、1936年に死亡した。政治家、財務家であり、日本銀行に入り、43年に総裁、後、政友会に入って、重職となる。原内閣のときに蔵相、原の死後、首相となり、政友会総裁であった。

 

 二・ニ六事件は鎮圧されたが、軍部はこの勢いを利用し、さらに勢力を伸ばし、ついには直接・間接に政治を掌握し、陸軍の独裁制を樹立する。1940年、大政翼賛会が成立して、政党はすべて解散させられる。ファッショ体制はいよいよ強化され、間もなく太平洋戦争の敗戦によって、ファッショ体制が崩壊するのである。

 

 ファシズムとは、第一次世界大戦後、イタリアに出現したファシスト党の名称によって付けられたもので、極端な国粋主義、全体主義、軍国主義に立脚して、自由民主性を真っ向から否定する一党独裁の独裁政治である。それは国家による社会主義を標榜し、ある程度資本家の利潤を図るものであった。ドイツのナチス党の政治もこの類である。日本のファシズムはドイツ、イタリアのファシズムのように、特定の政党に率いられた大衆運動として起こったものではなく、軍部・官僚・財閥の上層部の思惑として展開された。ここに、ヨーロッパのファシズムとの相違はあるが、その政治的・経済的・社会的性格から見て、一つのファシズムとみなすべきものであろう。

 

 すなわち、満州事変後の陸軍は、明治憲法下で保証された軍事上の特権たる統帥権を持つことで、政府からの独立を利用して、政権獲得の歩みを進め、政党政治を排し、言論の自由を奪い、共産主義、社会主義、自由主義運動を弾圧し、日華事変・太平洋戦争を遂行してついに失敗する。ここにファシズムは一挙に崩壊した。

 

 その経過を見ると、満州国の独立宣言が発せられて間もない時期に軍部革新派の青年将校たちは、総理大臣、犬飼毅を暗殺し、ここに政党内閣は否定された。いわゆる挙国一致内閣が生まれた。歴史がくりかえされることがないよう、衆目が必要なことは間違いない。


ディフージョンボックスの購入

2016年02月26日 00時00分01秒 | 紹介

 手軽な商品撮影台で、小物の撮影に威力を発揮する。商品撮影は、バックやスポットライトによって、陰影が付きやすく、影を消すのも照明の方向や、台数で工夫する必要がある。家庭での撮影は一般的に言うと困難をきたす。反射する金属類は特に難しく、周りの品物が映りこむため、素材本来が持つ光沢や色彩を忠実に再現するのは至難の業である。小型なので対象となる被写体物の形や大きさを選ぶことになるが、40cmの立体であれば小物の大部分の撮影が可能となる。

 

 今回購入した商品は、インターネットからの検索で、株式会社スタジオ・エヌが輸入販売を行っているフォルディオ2という韓国製品である。こうげんはLEDのデイライト5700K白色光(色温度単位はケルビン)、カラーバック4色(白、グレー、黒、緑)、ボディはプラスチックで、磁石によって、簡単に組み立てることができ、たたむと2.5cm程度の厚さとなり、持ち運びも容易である。値段は1万円程度するが、使わない時はたたんでしまうことができるし、電源は100Vから取れるので乾電池を使うことや、充電等は必要ない。

 

 ディフージョンボックスには各社いろいろ種類を販売している。背景となるスクリーン、光源、組み立て易さ、、保管のし易さ、使い易さ、大きくかさばらないことも購入条件であった。これらの条件に合う商品はなかなか見つからなかった。アマゾン・コムからの購入であったが、注文して2日後に自宅に届いた。

 

 以前、商品撮影では、バックの素材はフェルトがよいとされていた。ある程度の大きさとなるとたたんで保管するが、使う度にアイロンをかけなければならず、苦労したことがある。この製品は裏側に加工が施されているため、アイロンが不要である。大きさは37.5✕73cmである。段差をつけないようにカーブをさせて上部から垂れ下げる。色変えも簡単で、磁石を使って取り付けてあるため、容易に取り換えることができる。

 

 組み立てて、不良個所がないかを点検した段階である。実際に使ってみて操作性や、光源の調光状態、光源安定性等を見極めたい。調光もディマースイッチではなく、指でダイアルを回すアナログ方式であり、リニア(無段階)ディマーをつかっている。

 

 写真撮影は光と影の芸術でもあり、風景写真と異なる商品撮影は、写真の分野でも独特である。雑誌等に広告や、食品等が掲載されていて、普段目にするものであり、特殊性を意識しないでいるが、実際の撮影となるとディフージョンボックスのような装置が必要である。


騒音の影響

2016年02月25日 00時00分01秒 | 紹介

 2月も中旬が過ぎ、3月になろうとする時期、しばらくは騒音とのつきあいに悶々とする毎日である。年度末に集中する建設等の工事は何とかならないものか。毎年恒例となって久しいが、年度末に集中するのは仕方ないとしなければならないのであろうか。このところ、水道管の取り替え工事は最終段階となってきた。現在は工事が終わった簡易舗装の表土を切り取り、アスファルト施工を行っている。

 

 工事の多くが機械化されていて、建設機械がひしめく。中でも土を固めるランマーの音は騒音の発生源として、また、振動を伴い、作業者の交わす声さえもかき消す。作業に当たっている多くの作業者は、騒音の中での作業、慣れとはいながら、楽な作業ではない。工事箇所は日々異なる。道路を封鎖し、通行止めとなり、迂回路の設定だけでも苦労されているようである。

 

 振動は、時として家屋を地震のような連続した揺れを引き起こす。波長が共振すると障子やサッシ戸が音を立てる。揺れの都度びっくりすることが続く。今回、最悪なのは、近所の家屋解体工事が始まったため、重機による解体作業は騒音と舞い上がる埃とのダブル、トリプルパンチが炸裂した状態にある。こちらは散水しながらの作業であり、一応は、ネットを張って、飛び散る瓦礫の飛散防止はしているが、天井は張ってないため、細かい粉塵が舞っている。

 

 継続して何日も続く訳ではないので、我慢も出来るが、工事に伴う挨拶ぐらいは事前に行ってほしいものである。住宅地であるため、夜間の工事はないが、定年退職後は家にいることも多いため、騒音の世界がいかに住みづらいかがよく分かる。日中にはTVを見ることもないが、ラジオの音も聞こえないときがある。困るのは玄関で鳴るチャイムの音が聞こえずに、宅急便の業者には何度か来宅させてしまった。

 

 昔、アルバイトをしていた時分に、板金工場の社員に難聴者が多くいた。会社側が、騒音発生場所と知っていての採用であり、考えた末のことと後日知ったが、難聴者であっても、周波数によっては耐えられない領域があるとのことで問題となったことがあった。現在ではそのようなことはないと思っているが、騒音が身体に及ぼす影響については未だ分からないところがある。騒音も人力に変わる機械化の落とし子かも知れないと思った次第である。


飲酒の習慣

2016年02月24日 00時00分01秒 | 提言

 アルコール飲料は未成年には禁止されているが、酒饅頭、ウイスキーボンボン、粕汁、甘酒等、アルコール度数は低く、特に子供でも口にすることがある。我が国では常習になるほど子供には与えないが、子供の時から何らかの形で、身近にあるといえる。家庭料理においても料理酒は重宝する。古くから、発酵文化に浸ってきているといえそうである。

 

 梅酒につけた梅の実を食すこともあるし、奈良漬は、酒粕につけたものである。最近は、塩麹がはやりであり、肉や魚を数日漬けると生臭さや、異臭を消すこともでき、味がまろやかになるため、我が家でもよく利用するようになった。発酵食品の代表格は、イースト菌を使うパンやピザである。中華まんじゅうのあんまんや肉まんもイースト菌によって発酵させる。

 

 飲酒の習慣はいつごろから始まったか覚えていないが、就職して、独身の頃からであろう。同僚に酒好きがいて、同じ寮にいたため、毎晩ビールを飲んでいた。寮は山の上にあり、坂を下って降りたところに魚屋があり、地元で揚がる根魚等の刺身をつまみにしていた。当時は決して高級品ではなかったが、日によって揚がる魚が異なるため、満足していた。今思えば贅沢なつまみであった。

 

 学生時代の専攻は塗装で原料の樹脂や、樹脂を溶かす溶剤等の組成分析や、物性の実験を手掛けていた。毎日、溶剤臭気が漂う実験室にいると次第に溶剤臭も気にならなくなり、直接には関係ないと思っているが、アルコールにも耐性ができるのかもしれない。しかし、教授陣や、先輩諸氏もアルコールには強いといわれる人ばかりであった。実際のところは、アルコールに強いとは、解毒機能が弱い臓器の持ち主であり、正常ならばすぐに酔うのであり、強いことは機能不全なのである。

 

 適度な量で酔うのがよく、大酒飲みは決して歓迎されるものではない。新人歓迎コンパ等で、急性のアルコール中毒となり、死に至ることもあるので、これからの時期注意したい。自分も、毎日の晩酌で慢性のアル中に近い状況であるが、休肝日を設けて云々と言われて久しい。いいわけではないが、深酒はしなくなった。百薬の長などと勝手に思い込むのもそろそろ終わりにしたいところである。酒にまつわる話は多々あるので、これからも何かの折にお伝えしようと思う。


家屋の解体工事

2016年02月23日 00時00分01秒 | 紹介

 町会は異なるが、道路を隔てて向こう3軒に入る住宅が売りに出され、住宅業者が決まり、解体工事が始まった。早朝から工事用トラックが3台入り、道路は通行止めとなった。

 家財が運び出され、トラックには廃棄処理業者の名前が入っている。しばらく空き家となっていて、所有者は二世代目、昭和30年代に建てられ、すでに55年以上は経過している。先代夫婦は既に他界していて、兄弟が2人いたが、長男は病気で早死にしている。自分と同年代で、顔を合わすことも多く、雑談した思い出がある。

 

 別段、詮索する必要もないが、幼馴染であり、死亡を契機として以後、ほとんど付き合いはなかったが、弟が長らく海外に住んでいて、時々姿を見たことのあるが、挨拶すら交わすことはなかった。今般の売買には弟が行っているようである。

 

 世代が変わり、二世代目が殆どになっている居住地周辺では、建て替えや、離散された世帯も多い。アパートが何軒かあるし、平地(ひらち)にして、世帯住宅に変わった家もある。二世代目同士の交際はほとんどないし、ご両親も他界又は高齢者となっている。そういう自分も高齢者の仲間入りとなった。時の流れは止めることができないし、住む人が変わるのは仕方ないことである。

 

 この住宅地は、起伏が少ない平地(へいち)であり、古くは耕作地であった。水はけがよいせいもあり、ナシや桃畑となっていた。一部は陸稲や麦が植えられていた。多摩川の氾濫で、土手が決壊したこともあったが、南武線の線路が高台に敷設されていたことが水没を防いだ。南側は500mくらい離れているが、多摩丘陵があり、多摩川が何度も氾濫し、流れを変えたようで、一帯は3mも掘ると水が出ていた。

 

 耕作地は住宅に変わり、都内に出るのも、川崎や立川、町田等へ電車で30分以内で行ける場所にある。工場はほとんどなく、静かな場所である。住居には最適で、アパートも多いが、発展する余地はほとんどないといってもよい。

 

 解体工事が始まったが、しばらくは工事関係者が出入りするであろう。近所に住めば、顔見知りとなり、挨拶もするようになるし、一体感が生まれる。居住者との特別な交流もないが、疎遠となった近所づきあいについてもほどほどの付き合いで、良いのかもしれない。近所で始まった解体工事は、新たな再生の機会であり、寂しい気もするが、世代交代の一面に触れたような思いである。