鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

ウグイス(鶯)

2015年03月31日 00時00分01秒 | 紹介

 ウグイスの名が付いた言葉は、ウグイス嬢、ウグイス張り、ウグイス豆、ウグイス餅などよく使われている。それだけ生活の場に近いところで声を聞き、姿を見ているのであろう。日本全国にいて、人家近くにも来る。春告げ鳥との異名もある。

 

 ウグイスの鳴き声が聞こえてくる朝の犬との散歩時である。対岸の狛江市の方からも聞こえてくる。繁殖期に入ったのであろうか、高らかにさえずっている。川を跨ぐように往復していると思われる。対岸の芦原は僅かに残された整地されていない場所で、多くのカメラマンが望遠レンズを構えている。朝方は河口方向から太陽が昇るため、東側を背にするとベストショットが望めるが、日中から夕方にかけては逆光となるため、撮影に苦労するようである。高木も結構あるので、猛禽類も多いと聞いている。

 

 ウグイスであるが、留鳥で平地から山地の林、笹類や灌木の多い高原等にいる。また、藪や、植栽の多い公園、河原等にもいる。スズメ目ウグイス科で体長14~16cmである。繁殖期以外は1羽で、藪や垣根などに生息するが、秋になると群れるようである。繁殖期には縄張り宣言し、縄張りははっきりしている。昆虫類や蜘蛛などを好んで捕食する。

 

 鳴き声はご存じのように、ホーホケキョ(法法華経)とさえずる。また、突然にケキョ、ケキョとけたたましく鳴くときもある。これをウグイスの谷渡りと呼んでいる。警戒しているときの鳴き声であるという。地鳴きもし、「チャ、チャ、」と短く鳴く。うまく鳴けないときの鳴き声と聞いているが、よく分からない。

 

 雌雄同色で、地味な灰色で、決して鶯色といわれる、鮮やかな緑色をしているわけではない。メジロの色と混同しているのかも知れない。梅に鶯といわれるが、これは梅にメジロの方が正しいと思われる。ウグイス餅は、ヨモギの葉を餅に練り込んでいて、香りと発色がよい。最近は、合成着色剤を用いているようである。

 

 鳴いているときは空気を肺に貯めて、さえずるため、胸と喉が膨らんで、余り格好がよいとはいえない。今年になってからは未だ撮影に成功していない。笹藪の中で動き回る姿を見つけることは出来るが、表に出てくれないため、撮影にならない。

 

 ウグイス科に入る仲間は多く、ヤブサメ、エゾセンニュウ、シマセンニュウ、コヨシキリ、オオヨシキリ、ムシクイ、セッカ、キクイタダキ等である。


移動販売

2015年03月30日 00時00分01秒 | 紹介

 花見の時期や、神社仏閣で行う祭等、いわゆる夜店、露天商のことで、固定した店を持たない販売店であるが、どうもはっきりしない。ビル街で昼食を販売するキッチンタイプの移動販売車、高齢化社会では必要とされている、固定した店が売り物を積んで山村部等への出張販売などは同類なのであろうか、疑問を持っている。

 

 露天商というのは、野外で店舗を持たずに商売をする街商のことをいう。簡易の屋根を付けて商売するテキ屋(的屋)が含まれる。千葉、栃木、茨城等から干物や、野菜を販売に来る行商なども固定客を持つ物売りで、いってみれば小規模の小売業の範疇なのであろう。新たな露天商として、自治体などが主催する日曜マーケットやフリーマーケットなどに一般人が参加する場合もあり、定義は曖昧である。

 

 自分が子供の頃に良く自宅まで訪ねてきた研ぎ屋、鋳掛け屋、大きな駅では必ずといって良いほどあった靴磨き、駅回りに店を構える占い師などは殆ど見なくなった。これは屋台やテキ屋には含まれないようである。

 

 数年前に、テキ屋が開いていた店で、プロパンガスが爆発し、花火を見に来ていた、多数の見物客が死傷した事件があった。このときも思ったのであるが、主催者やその地域を管理する行政の責任問題が云々されていて、火気を扱う場合の安全管理について問題提起されたことがあった。詳しくは覚えていないが、露天商はどこで何が行われるのかの情報網が行き渡っていることに驚いたことを思い出す。

 

 テキ屋と聞くと暴力団との関係を疑いたくなるが、古くは市や縁日などで縁起物を売っていた商人、大道芸を行っていた手品師、曲芸師、楽士などが源流といわれていて、江戸時代になってからは、生活困窮者の救済を目的とした物売りや、飲食を簡易提供する屋台などが起源とされている。東南アジアなどでは、どこへ行っても軽食を路上で提供する屋台がある。金額的にも安く、小腹を満たす揚げ物や、焼き鳥などは、人気がある。

 

 綿飴、フランクフルト、杏飴、焼きそば、たこ焼き、げそ焼き等の定番に子供達が群がっていて、縁日のにぎわいにもなっているようで、花見客が利用しているところを見ると、良い商売が出来るのであろう。時代は変わっても、幼少期に経験した思い出がよみがえるのであろうか。


日常生活

2015年03月29日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 仕事を持っていると勤務時間が生活のリズムを作ってくれるため、規則正しい生活を送ることが出来るが、退職後は仕事の縛りから解放されるため、自らがどう過ごすのかを考えて生活リズムを作っていくことになる。夫婦二人だけの生活では自ずと役割分担が明確になっていくが、女房が実家に帰ることもあり、取りあえずは何とかなるが、病気で長期間入院する、介護が必要になるなど、日常の生活が大幅に変わることもあり得る。

 

 日常生活は何を優先するかによって決まってくるが、自分一人で出来ることは限られる。平素から出来ることは率先して行うことにしているが、数日間であるが、女房が里帰りした。掃除、洗濯、買い物、食事等如何に多くの仕事があるかが一人になってよく分かる。我が家には愛犬がいるので、夫婦で家を空けられない。犬の世話も普段はさほど気にしていなかったが、朝、夕の散歩は犬の方から要求してくる。食事もドッグフードだけでは栄養が偏るので、時々は手作りの餌を与えている。

 

 住居近辺にはゴミを曜日によって分別収集をしているため、パッカー車がくる収集時間までには決まった場所に出さなければならない。これが結構大変である。川崎市は最近までさほど厳しい区分がされずに、収集日も2日おきに来ていたから、助かっていたが、もはやそのような甘えは許されない。物を捨てることが、費用がかかるという意識変化が求められてから、久しいが、慣れてしまえば、さほど無理難題ではない。

 

 部屋の掃除は、電気掃除機があるので、さほど苦労することはないが、春先は砂埃が室内に入りやすく、水拭きも必要となる。板の間が多いため、モップを使っている。ガラス窓やサッシ周りは定期的に行っていればよいのであるが、曇ってくれば行うことにして、次は風呂場の掃除である。風呂桶の水は、夜間に抜かないことにしている。万一火災が発生したときの初期消火は風呂の残り湯が重宝する。晴天であれば、カビが生えやすい風呂桶の蓋も掃除対象となり、日光に当てる。

 

 洗濯は乾燥機が付いた洗濯機ではないが、風呂の残り湯が使える。洗濯設定機能は普段から使っていないととまどうが、標準設定で何とかなる。曇天は別にして、洗濯物を干すのも取り込んだときのことを考え、しわを伸ばしてから干している。

 

 買い物・調理はさほど苦にはならない。単身生活が長かったこともあり、冷蔵庫にある物を使って調理をする。食器の後始末も食事が終わった都度行えばよい。次から次に行うことは多いが、生活リズムというのは、次ぎに行うことを考えて段取りを如何に短時間で行うか、時間を上手に使うことである。たまには総て自分で行ってみるのも良いものだ。


早春賦

2015年03月28日 00時00分01秒 | 紹介

 「春は名のみの風の寒さや」で歌い始める早春賦、吉丸一昌作詞、中田章作曲の唱歌である。長野県の大町、安曇野辺りの早春の状景を詩にした物で、まだ雪が残り、暦では春なのに未だ寒さが続くと歌っている。旋律は何処かで聴いたことがあると思うのは、モーツァルトの春への憧れ、K596に類似しているとのことである。

 

 賦(ふ)は漢詩で歌を作ること、早春に賦することである。春は名だけでウグイスは鳴こうとしてもまだ寒いので声も出さないとはおもしろい表現である。穏やかな旋律は、春まだ遠し、としている季節感に相応しく、春を待ちわびる一時をうまく表現していると思う。

 

 春を歌った曲が多いのも、日本人の感性が鋭く、長い冬の期間を耐え、白の世界から色鮮やかな陽光輝く春への憧れは、誰しも持つのであろう。北国ほどその意識は強いと思われる。最近ではむしろ北国の室内の方が、北国ではない地域に比べ暖かいようで、結構なことである。一世代前のことが歌われていたのであろうか。自然の移ろいは、季節を肌で感じ、風薫のように、空気の匂いも吸い込んで判るという。体感が大切のようである。

 

 都会では季節感が薄れ、住みやすくはなっているものの、人工的になり過ぎているように感じているのは自分一人ではないであろう。多摩川の近くに住んでいるので、まだまだ、自然はたっぷりなのであるが、最近は、土手もサイクリングロードとなり、河川敷もグラウンド整備が進み、野原や、芦原が少なくなっている。自然をどこまで残すかは、その時代の為政者の判断によって変わるが、手つかずの場所が少なくなっているのも事実である。

 

 整備すればするほど盲点は無くなるが、一方では自然の崩壊が進む。きれいに整備されることと裏腹の関係にあり、どちらに重点を置くかによって、自然環境の破壊と住環境の安全性とをバランス良く進める必要があろう。

 

 多摩川は周辺工場からの汚染水垂れ流しが無くなったせいもあり、水質浄化が進み、鮭の遡上も確認されている。今はマルタウグイが遡上中で、多くの釣り人がルアー釣りを楽しんでいるが、釣られた魚に傷がつき黴菌によって多くが犠牲になっている。針の付いたテグスは放置され、野鳥の足や嘴にまとわりついた姿を見ることが多くなった。

 

 春の暖かさに誘われ、満喫するのはよいが、自然の保護も大切であることを感じる今日この頃である。


臨死体験

2015年03月27日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 死後の世界を垣間見る経験が臨死体験という現象で、世界中の多くの人が経験しているといわれている。この研究で有名な作家は立花 隆氏であり、数日前に深夜テレビで放映されていたので、見ることが出来た。3回シリーズで、第1回目であった。書籍も多く出版されているが、大変興味深い話である。通常人が死亡するときには、どうなるかは、死んでしまえば伝えることは不可能であるため、判らないで済まされていた。

 

 しかし、物理的に呼吸が停止し、脳の活動が停止し、脳波が停止すれば生き返ることはないといわれていたが(不可逆性)、生き返る人がいて、その人が見た世界があるようで、殆どの人が共通した体験をしている。精神というか、心であり、魂といわれるものが、体内から離脱し、例えば、事故等にあって、緊急手術をしている自分の様子を別の自分が俯瞰的に見ており、生き返った後にそのことを事実として語ることが出来るとされている。

 

 死に際して、暗いトンネルを抜けると明るい場所に出て、花畑や、既に死亡している両親などに会い、会話をするとのことである。光を浴び、精神的にも穏やかで、苦痛など全くなく、晴れやかな気持ちになったとのことである。

 

 生き返っていることは、死んだのではなく、何らか理由やきっかけで、生き返ったのである。生から死の連続性ではなく、いわゆる、不可逆性ではなく、可逆性で捉えられる。死と生の境界にいることで、どちらかへの移行が生死を分けるのであるが、別世界へ行くことは、宗教観などの潜在意識が活性化されて、そのシーンを見ているようである。暗いトンネルから抜けるということは視神経が復活するのであろうか、光を浴びることはそのことを意味しているのであろう。

 

 臨死体験を否定するつもりはないが、証明することは難しい。様々な動物実験もされているようである。数億個といわれる脳神経のネットワークの動きを確定することは不可能に近く、再生医療の分野で人間の脳の働きをミクロレベルで同定することに成功すればの話となるが、挫傷部分の復活等、新たな再生医療の可能性もある。ひょっとすると、その延長として、臨死体験が証明され、死後の世界が明らかになるかも知れない。

 

 この世界は科学的に未だ確立できていないとされていて、なぞが多いが、はっきりとさせるよりは、ロマンや想像の世界としておいた方が、良いような気もする。次回の放映が楽しみである。


羽田空港道すがら

2015年03月26日 00時00分01秒 | 紹介

 だいぶ春らしくなってきた昨今である。桜開花のニュースが伝わってくる。女房の帰省で、羽田空港へ車で送っていった。年度末の平日であったが、渋滞もなく、時間通りに着いた。小中学校が春休みに入ったせいか、子供を連れた家族の帰省客を多く見かけた。短い休みであるが、故郷で有効に過ごすことは良いことである。

 

 産業道路と同様に多摩沿線道路は、物流の道路でもあるので、大型貨物車やダンプが多い。貨物車が多いと景気がよいとの話はその通りのように思える。一種の景気判断バロメータである。目を引いたのは新築住宅が多くなっていることである。多摩沿線は、古くから果樹栽培が行われていて、梨や、モモ畑が多かった。多摩川の洪水で、地盤が砂地であることで、水はけが良いため、果樹栽培に適していたのであろう。しかし、後継者問題や、駐車場・住宅地の転用で、中流域の稲城地区ぐらいしか残っていない。

 

 住宅地の分譲を宣伝している広告はJAの文字が見える。住宅の分譲事業までもJAが手がけていることを知った。おそらく兼業農家が大部分で、採算の面からも土地を手放す会員が多いのであろう。JA改革は緒についたばかりで、農業に携わる人口は急激に減っている。JAのガソリンスタンドは殆ど目にすることはなくなった。近郊農産物の生産が望めない以上、都会のJAの在り方は暫く模索が続くことであろう。

 

 以前タケダ製薬が発売していた「プラッシー」という名称であったが、オレンジジュースの飲料を主に扱っていた物流拠点が、中原街道と交差する辺りにあった。広大な面積があり、そこを更地にする工事が進んでいた。おそらく、高層住宅が建つのであろう。高層住宅は、武蔵小杉近辺や、川崎駅周辺に拡がっている。これも多摩川の治水が安定していることも原因で、臨海部や羽田空港周辺部の精油基地、製鉄関連企業、精密製品製作企業等を除き、住宅地化が進んでいる。空港が持つ物流拠点は変わらないにしても、川崎は、人口の増加傾向にあり、過疎化で学校の統合が進んでいるところに比べ、喜んで良いのかどうか考えさせられる。

 

 羽田空港へ行った道すがら、目に付いた風景であったが、東京オリンピックが近づくに連れ、地域の状況が刻々と変化していることが判る。訪れた外国の方に誇れる街作りに邁進して欲しいと思った次第である。


塩麹

2015年03月25日 00時00分01秒 | グルメ

 数年前から食卓に新たな味を提供しているのが塩麹を使った漬け物や魚の切り身等にまぶした麹漬けがある。古くは秋田、山形、福島県で食されていた郷土料理の三五八(さごはち)漬けがあり、ハタハタ漬け等は有名である。塩、麹、米を3:5:8の分量で床を作り、野菜等を漬けた物である。塩麹の瓶詰めや液体タイプも市販されているが、米麹と塩と水で家庭でも簡単に作れる。

 

 ウキペディアから作り方を引用すると次の通りである。

1.麹に塩を加える。分量は重量比で塩:麹=1:3程度が基準量となる。塩の独活は好みに応じて加減できるが、下げすぎると調味機能や保存性が低下する。

2.米麹を良くほぐして、塩と混ぜ、全体を馴染ませる。

3.水を加え、一週間から10日程度室温で保存し発酵させる。一日一回空気に触れさせるように混ぜると、塩味に米麹の甘さが加わり、甘塩のような風味が増す。

 その他の作り方

 1.ほぐした米麹200g、塩95gを混ぜる。

 2.ひたひたになるまで水(400cc)を加え、全体をかき混ぜ、冷暗所で常温で保存する。

 3.最初の内は麹が水を吸うので、毎日ひたひたになるまで水を足し良くかき混ぜる。

 4.水を吸わなくなれば、かき混ぜるのみにし、冬季は暖かい部屋で1週間~10日位(夏季は5日程度)発酵させる。

 この作り方だと近年広まっている重量比で10:3のものより塩分量が多い。野菜を漬ける際はぬか床のように切らずに丸ごと漬け込む。  以上引用

 

 酒のつまみで最近よく食すのは、塩鮭のみを短冊に切って、塩麹でまぶしたものである。塩気は塩麹の甘みで塩辛さはなくなり、タンパク質が糖やアミノ酸に変わるためうまみが増して、口当たりも良い。塩麹を鍋などに入れても隠し味となる。調味料としていろいろと使ってみると調理の幅が拡がること請け合いである。

 

 麹が発酵食品として利用されてきた歴史は長く、日本酒や味噌、醤油と日常の調味料であり、酒粕を用いた食品も多い。日本人に馴染んだ味であり、何故最近になって拡がってきたのか不思議な感じを持つが、食の発信候補になるのも時間の問題と思っている。