鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

雑煮

2014年12月31日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 地域により、母親の育った環境によって、正月に食される祝い膳には雑煮が供される。我が家は父親が群馬、母親は東京出身であったため、出所がわからない雑煮である。女房は大分出身であるが、醤油仕立てで、丸餅である。具材は茹でたささみ、サトイモ、小松菜、なると、ゆずの皮、三つ葉を散らす。丸餅は女房の実家からのものであったが、母親は特別養護老人ホームに入っているため、今では叔母が作って送ってくれる。

 丸餅はまぶしておる取りもち粉(上新粉)をはらい落とす。粉がついているとかびが生えやすくなるためで、冷凍庫にパックに入れて保存すれば数か月は持つ。昔はのしもちであったが、近所の米屋に米穀通帳を持って買いに行かされ、長方形に切るのも子供ながらの仕事であった。固くなったのしもちは、大根を輪切りにしたものを包丁で湿らせて切った。食前に炭火を起こし、七輪に網をのせて人数分を焼き上げる。お櫃に入れて冷まさないようにしていた。七輪はすでに姿を消し、炭火との世界はすでに記憶から忘れ去っていたが、火鉢は庭のどこかにある。

  物置を整理していたら、ごとくと火箸、炭入れが出てきたが、処分した。もはや家庭生活では無縁のものとなってしまった。真空パックの重ね餅、切り餅に至っては一年中スーパーマーケットで売っている。平素から、うどんやなべに入れて食されているからであろう。餅は祝い事にはつきものであったが、その文化も地方に限られるようになった。新築の住宅では建前えに餅を巻く習慣があった。最近ではめったにお目にかかることもなくなったが、地面に落ちた餅を拾い集めることは衛生的にもよくないのか、ポリ袋に入れられた駄菓子を撒いているのを見たのが最後であった。

 古くからの習慣が、正月行事として残されているのは、職場が年末年始休暇があり、帰省することで出身地での正月を迎えるからなのであろう。正月の都心部は人口が著しく減り、交通量も激減する。民族の大移動が始まり、しばしの静寂が都心部に舞い戻る。出身地への帰省は、地域の人のつながりを深め、地域文化の伝承の場となる。何か再生の儀式にふさわしい機会が生まれるわけであるが、新たなる歳へのエネルギーの注入源は将に地域文化なのかもしれない。

 雑煮は地域文化の表面に現れる一部なのであろうが、大いに食し、変わりつつある地域文化の再考に努めてほしいと思う次第である。


落石注意

2014年12月30日 00時00分01秒 | 提言

 予定を立てるには、気象情報が大変重要な判断材料になっている。数ヶ月先までの長期予報はあまり当てにはならないが、一週間先までの予報は多いに役立つ。過去の情報の蓄積と、観測精度が高まった気象衛星や、観測地点が大幅に増えたこと等の複合的なデータ分析のお陰で、可能になったからである。とはいっても自然を相手に突如襲う豪雨、地震、火山噴火災害等は未だ予測不可能な段階から脱皮できていない。予測はあくまでも確率であり、的中確率の高さが問題なのであるが、災害を受けてから防備を始めては意味をなさない。

 山道を車で走行していると落石注意の標識に出会う。その場を通り過ぎるとほっとするが、果たしてそのような標識の意味はあるのかと遭遇するたびに感じている。注意を喚起することは大事なことであるが、管轄する行政部門、担当部署の責任回避に思えてならない。

 同様に、南海沖地震等の大規模地震の被害予測が発表されていて、最大規模の津波予測がどれだけの確率を持って発生するかは未知であり、落石注意の標識と同じ類と言ったら言い過ぎになるのであろうか。被災予測地域に居住している場所が含まれていなければほっとするだけであり、含まれていても自宅を高く頑丈なコンクリート壁を築き、地震対策や津波対策等が出来たとしても、安心できるであろうか。火災に遭えばそれまでで、地域あげての防災など可能性からしても期待できないし、実現性も低い。自己防衛では高台へ非難するぐらいであろう。

 広島で起こった豪雨による土砂災害や、御嶽山の火山噴火災害は何れも想定外と言うことで、多くの死者を出しても自然災害として処理され、報道は評論家が発生原因の分析や特定に始終し、口を揃えて人命救助優先が叫ばれる。絵空事になるかも知れないが、亡くなった方には心よりお悔やみ申し上げたい。

 人知を尽くし天命を待つではないが、危険といわれていた地域の住宅分譲とその許認可、活火山であっても休火山や死火山とされた火山の指定、シェルター設備もない活火山などは、どう考えても自然の責任に期することにした人知の限界を露呈したのであった。

 多くの災害事例の中には教訓として後世へ伝えていかなければならないが、その責務は誰が担うのであろうか、多くの衆生にはその荷は重すぎる。世の中は平和を願い実現する事へは労力を惜しまない大衆が殆どである。落石注意のかけ声だけでは何の改善にも役に立たない。為政者は特に熟慮して当たって貰いたいと思ったこの1年であった。


冷気対策

2014年12月29日 00時00分01秒 | 紹介

 関東も地域によっては積雪の多い年もある。太平洋側は比較的暖かいが、北海道のような家屋全体を暖房している邸宅以外は各部屋の暖房が主だと思う。特に夜間の寝室は、夜中じゅう暖房をすることはほとんどないと思うが、家庭の事情によっては違いもある。

 我が家の寝室は空調設備はあるが、主な暖房は都市ガスのファンヒーターである。湿度が低くなると乾燥し、風邪などひきやすくなるため、空調と過失を兼ねた空気清浄機はつけたままにしている。しかし部屋の暖房は就寝する1時間前に点火し、就寝するときには消している。最近は足元が心もとなくなったので、電気行火を入れているが、これの就寝前には消している。

 室外が氷点下近くなってきたため、雨戸を閉めても朝方は冷気が忍び寄るようになった。ガラス窓と障子はしめるが、これだけでは肩が冷えるようになってきた。そこで急遽障子の上にカーテンを取り付けることにした。障子があるので、カーテンボックスはないため、かまちにレールを取り付けロフトにしまってあった冬用のカーテンを取り付けた。時間にして1時間足らずで付け終った。

 寝室の窓は、東側と南側の2面があるため、今回東側にカーテンを取り付けたが、様子を見て南側にもカーテンを取り付けることにした。南側は日航が長時間当たるため比較的冷気の侵入は少ないようだからである。ベランダがあるのでその効果も無視できない。

 カーテン一枚がどれほどの効果があるか体験してみようと思う。寝室は新築の時は和室であった。しかし、畳の部屋は、寝具の出し入れを毎日行わなければならない。寄る年波で、これが辛くなってきたため、洋室にリホームしてベッドにした。もう10年ぐらい経つが、結構満足している。別途自体を干すわけにはいかないが、定期的に上下を入れ替えている。もちろん掛布団や毛布は日中晴天の時に室外に干している。

 最近の家屋は耐震構造と各部屋密閉されていて、空気の流れが断たれているので、酸欠になりやすい。定時的に空気の入れ替えを行う必要があるので、必ずしも密閉されていることはよいとは思わないが、住居も相当進化している。結露防止のガラス窓もあるようだが、結露は外気温と室温の差がもたらすため、関東でも冬場は二重の窓が合理的であろう。


門燈の寿命

2014年12月28日 00時00分01秒 | 紹介

 門燈が20年経て点灯しなくなった。センサーがついていて、明るくなると自動的に消灯し、暗くなれば点灯する。夏場と冬場では点灯時間が変わるが、平均すると1日10時間というところであろう。夜間はつけない場合もあるため、8時間として計算すると1年間に2920時間20年間で58400時間となる。東芝のネオンボールZという電灯であるが、寿命は8000時間となっていた。寿命より7.3倍も持ったことになる。60Wの明るさであるが、13Wしか消費しない優れものであった。

 大型の電気店には常備されていると思うが、特殊な電灯であるため、地元の電気店を探し回るよりはネットで検索し注文した。若干郵送料はかかるが千円程度で購入できた。早速電灯を交換し、点灯することを確認し、カバーをかけて作業は終わった。次に購入するときにはLED電球の状況がどのようになっているのかわからないが、消費電力タイプの家電製品の技術革新は著しいものがある。

 今年の最大ともいえるニュースに青色LEDの発見に寄与したことがノーベル賞に結び付いた日本人3人の受賞である。世界的に賞賛された功績は、後世まで高く評価され続けれれることであろう。日本人として自らもうれしい気持ちでいっぱいである。

 電力事情は、厳しさを増している。自然エネルギーへの転換は喫緊の課題であるが、安定的な電力供給源になるのには克服しなければならない課題も山積している。原子力による電力供給は、3年前に発生した地震津波による福島の原発で壊滅的な打撃を受け、一部の原発の稼働は始まっているが、全国に設置された原発までも安全性のために稼働停止となっている。

 一時的であるが、原油は安値で推移しているが、限られた埋蔵量は、簡単には増加できないことで、限界がある。とはいえ、代替えエネルギーへの転換も容易ではない。従って、消費電力が少ない家電製品や設備へ向かうのは必然である。環境面の配慮も必要で、人類の知恵が試された1年であった。根源的な問題への挑戦は、リスクを伴う。新しい年への希望は、新たに生まれるのではなく、蓄積の上に成り立つ。どのようにパラダイムの変換が行われるのか、期待したい。


鳶職

2014年12月27日 00時00分01秒 | 紹介

 トビは高い空中で輪を描きながら優雅に舞う。上昇気流を捉え、殆ど羽ばたかずに舞い飛ぶ。タカ属に属し、鋭い嘴を持ち、羽を広げると1m以上になる大形の猛禽類であるが、頻繁に現れるせいもあり、カメラマンからは余り好んで撮影する題材にはなっていないようだ。眼窩が凹んでいるため、眼孔をクリアーに撮るのは難しい。今回のテーマは野鳥のトビではなく、鳶職のことである。

 鳶職は建築の基礎工事や建築物の骨組みの組み立てなどをする職種で、江戸時代は消防の仕事をした。冬至は、纏を振り回す、威勢振りと果敢に消火に挑む姿が称讃されていたのであろう。手に持ったトビ口で、燃えさかる柱を崩し、酸素の補給を絶つ消火の仕方を行っていた。建物の骨組みを知っていたので、火消しとも呼ばれていた。トビ口は棒の先端にトビの嘴に似た鉄製の鉤を付けた道具で、丸太を移動するときや、回転させる。

 鳶職が、門松作りや商店街の注連縄を張る仕事があるのはご存じであろうか。この時期になると、注連縄作りや松飾りなどの正月装飾品を作り、又は販売しているのは、鳶職である。地域には町内毎に区分けされた場所に店舗を構える。この区分けも江戸時代から続く火消しの担当区分と一致しているのであろう。

 高校時代のアルバイトとして、近所の畳屋の加勢をしたことがある。畳屋の知り合いの世田谷にある鳶職で、正月を迎える前に、言葉を換えると歳神様をお迎えする前に、各商店の門前に注連縄を張る。竹笹を左右に立てて、御幣を渡した藁縄に取り付ける。結界すなわち、神様の入り口を作るわけである。飾り付けが済んで家からはお礼に金一封がいただけた。門松については植木職人が作る場合も多い。注連縄などの商品はおそらく専門職が作り、俄店舗に並ぶ。最近は榊(サカキ)や、若松はスーパーマーケットでも売られるようになった。注連飾りには裏白と呼ばれるシダを用い、ユズリ葉を飾る。ユズリ葉は新芽が育って始めて葉を落とすので、世代交代を示す。

 松飾りは門前に飾るが、若木を使うことで、環境破壊に繋がるとして、印刷した若松を使うところもあるようで、そのこと自体はよいとしても、神様を迎える神事であれば、正月用に栽培されているので、自然破壊にはならないであろう。新たな年を迎える儀式は、心機一転の機会であり、禊ぎによる精神性の清らかさも合わせて生み出すのであろうか。


万年筆

2014年12月26日 00時00分01秒 | 緑陰随想

  書く用具にこだわるのは、自分ばかりではないであろう。誰しもこだわりがある。プレゼントでいただく、記念として購入する、親の形見等様々であるが、自分でも気に入ったものを使い続ける。職場では2B、0.5mmの替え芯を使うシャープペンシルであった。ボールペンも何種か使っている。万年筆は、数本あり、モンブラン、パーカー、シェーファー、ウオーターマン等である。それぞれ、用いる場面が異なるが、最近はボールペンが主役となった。

 役所や銀行の窓口にはお客のためにボールペンが用意されている。自分はボールペンだけはどこへ行く場合には必ず持ち歩く。使い慣れているものがベストで、先端にインキがたまるものはいただけない。すぐに乾かず、書いた文字がこすれて読みづらくなる。指先に着くと石鹸を使っても簡単には落ちない。多数の人が利用するので、さほど気にはしないが、不潔であることには違いないであろう。エチケットとしてボールペンぐらいは自分のものを使いたい。

 万年筆を使う場面は葉書や手紙がほとんどである。最近では年賀状の添え書きに使った。万年筆は、ペン先から自動的にインキが出る仕組みで、インクの容量にもよるが、200枚ぐらいの年賀状の添え書きでは補充することもなかった。万年筆は、付けペンから進化したものであるが、インクもカートリッジ式がほとんどで、インク壺を持ち歩くこともない。葉書に万年筆で書くと、雨天の日では雨に当たってインクが滲むこともある。ろうそくの蝋を使って、防水目的で、コーティングしたこともある。

 子供のころ、近所のお宮の境内に、万年筆工場が火災になり、泥に埋まった万年筆を売る露天商がいた。丁度、小学校の通学路に面していて、物珍しいせいか、小学生が取り巻いていた。まさか小学生を相手の商売ではなかったと思うが、そのような商売があったことが今思い返すと不思議である。

 文具売り場ではどこも商品の種類が多く、2000種はあるといわれている。しかし、多くの筆記具の陳列棚と異なり、万年筆は別格のようで、ショーウインドウに鎮座している。未だ、万年筆は、高級品にふさわしいと思う存在感がある。


朔旦冬至

2014年12月25日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 19年に一度の冬至を朔旦冬至というらしい。冬至は一年の内で昼の時間が最も短く、夜が最も長い日である。ユズ湯に入り、カボチャを食べると健康によいとされる。古くからの習わしで、二十四節気の一つに数えられる。陰暦では、この日から始まる。では、何故に朔旦冬至というのか。物の本によると、新月と冬至が重なる年のことで、19年に一度訪れる。古来、冬至は極限までに弱った太陽が、復活する日とされ、太陽と月の復活の日が重なる朔旦冬至はお目出度い日とされている。その日を長汀では祝宴を盛大に催したようである。

 現代では陰暦は使っていないので、余り感心が無くなったが、月の満ち欠けによって、潮が変化するので、漁業者にとっては陰暦が重宝していると聞く。陰暦を記入されているカレンダーもあるが、だからといって、二重の暦は混乱を来す。博学者にはこのようなことも知っておくことは必要かも知れないが、ことさら強調すべき事ではないと思う。

 誕生日や結婚記念日など、生活に必要なことは各自で管理すればよいし、創立記念日は学校や、会社では必要であろう。両親の命日ぐらいは忘れずに記憶にとどめているが、歴史は戻ることが出来ない。常に記憶の中だけで遡ることが出来る。最近では語呂合わせで、2月2日は夫婦の日とか、6月4日は、虫歯予防デーかと何かと特別な日にさせたいのか、その裏には商魂たくましさもあるようで、率直には喜んでばかりは居られない。

 12月が師走といい、忙しいイメージで瞬く間に過ぎ、今日は24日。クリスマスとなれば、家族が集い、お互いにプレゼントを交換する。家族の絆を深める良い機会でもある。キリスト教から来たと言われ、その風習が、違っていることを否定されても、もはや本来の意味には戻らない国民性もある。独自に発展すればそれも一つの文化として定着することに誰しも異論はないであろう。

 物事の根源が、時代と共に変化するのは当然であり、そのことによる遡及が、伝統を守ることに繋がるが、ニューヨークで、新作寿司店の若い店主が語っていたことに、江戸前寿司はニューヨーカーが好む味に仕立てることの方が、新たな職の世界を広げるといっていた。板前の同僚は江戸前の不文律なルールを固執していたが、その答えは、評論家が出すのではなく、チャレンジする店主に軍配が上がるように思え、地域が創る文化であると思うのであるが如何なものであろうか。