この1週間に、これまで編集してきた本の著者に連絡しないといけない用事ができたが、これが大変。
著者は総勢100人はおられるが、病気療養中の方とか、ご遺族に連絡しないといけないとかで、なかなか進まない。時は残酷で、様相を一変させる。
そのときは懸命に編集してきた本だが、だいたい粗忽者の私には、あとから「こうしたらよかった」とかが多い。
また著者と編集者の関係は、最良の批評家である編集者の関係が、主従の関係とかになったりもある。そのあたりの苦い思い出はなかなか消化しきれない。
フラットな関係はお互いに尊敬するということが原点。それが一番長続きする関係である。
少しでも手を抜くとあとでとんでもないしっぺ返しをくらう。「少しでも」というのは、最後の最後の段階でのミスが意外と多いことだ。奥付けで著者の英語表記を誤ったり、最後の最後で本の大きさ(版形)を間違われたこともある。
著者と電話で話すことが出来ればラッキーで、どこにおられるのか、その場所もわからない場合もある。時は空間をも侵食していく。
著者は総勢100人はおられるが、病気療養中の方とか、ご遺族に連絡しないといけないとかで、なかなか進まない。時は残酷で、様相を一変させる。
そのときは懸命に編集してきた本だが、だいたい粗忽者の私には、あとから「こうしたらよかった」とかが多い。
また著者と編集者の関係は、最良の批評家である編集者の関係が、主従の関係とかになったりもある。そのあたりの苦い思い出はなかなか消化しきれない。
フラットな関係はお互いに尊敬するということが原点。それが一番長続きする関係である。
少しでも手を抜くとあとでとんでもないしっぺ返しをくらう。「少しでも」というのは、最後の最後の段階でのミスが意外と多いことだ。奥付けで著者の英語表記を誤ったり、最後の最後で本の大きさ(版形)を間違われたこともある。
著者と電話で話すことが出来ればラッキーで、どこにおられるのか、その場所もわからない場合もある。時は空間をも侵食していく。
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