相次ぐ訃報で気持ちが重い。強制動員真相究明ネットワーク事務局長福留範昭さんが5日未明、急性心不全で亡くなられた。信じられない。まだ60歳で、仕事に一番あぶらがのられていた。
九州に行くと必ずお会いして話し込んだ。昨年6月の日韓の歴史研究交流でも下準備をされ、成功に導かれた。その仕事ぶりに、参加した私はそばから敬服して見ていた。韓国語がよくできて、うらやましい限りだった。日韓の運動体との関係もバランスがよくわかる方だった。
昨年10月の沖浦和光先生を中心として大学同教の研修でも、スタートの時間を惜しんで博多でお会いした。それが最後になる。昼食とコーヒーを飲み、「九州に来たんだから」とごちそうに供された。
今年はメールのやりとりで、『ろうそくデモを越えて』という本の共同執筆者での連絡だったが、韓国の参与連帯が書評をしてくれて、その内容を送ると、「韓国の識字運動を取上げたのが評価されてよかった」と返事をいただいた。3月のことだ。
光州事態から30年のシンポには私は参加できなかったが、福留さんは遺骨返還運動のこともあり4月26日から参加され、光州シンポに合流されたと聞いている。体調をこわされて無理をされていたのか、3日の帰国後どうなったのかしらないが、4日夜に緊急入院され、5日未明に亡くなられた。私がその情報を知ったのは、7日の葬儀の日だ。
混乱して何が何んだかわからない。どうして急性心不全になられたのか。本当にわからない。秋の遺骨返還のシンポの計画を進められていた。そのための訪韓でもあったのに。私も事務局員の1人である強制動員真相究明ネットワークはこれからどうなるのか。ぽかんとあいた空洞はとても埋まるものではない。
九州に行くと必ずお会いして話し込んだ。昨年6月の日韓の歴史研究交流でも下準備をされ、成功に導かれた。その仕事ぶりに、参加した私はそばから敬服して見ていた。韓国語がよくできて、うらやましい限りだった。日韓の運動体との関係もバランスがよくわかる方だった。
昨年10月の沖浦和光先生を中心として大学同教の研修でも、スタートの時間を惜しんで博多でお会いした。それが最後になる。昼食とコーヒーを飲み、「九州に来たんだから」とごちそうに供された。
今年はメールのやりとりで、『ろうそくデモを越えて』という本の共同執筆者での連絡だったが、韓国の参与連帯が書評をしてくれて、その内容を送ると、「韓国の識字運動を取上げたのが評価されてよかった」と返事をいただいた。3月のことだ。
光州事態から30年のシンポには私は参加できなかったが、福留さんは遺骨返還運動のこともあり4月26日から参加され、光州シンポに合流されたと聞いている。体調をこわされて無理をされていたのか、3日の帰国後どうなったのかしらないが、4日夜に緊急入院され、5日未明に亡くなられた。私がその情報を知ったのは、7日の葬儀の日だ。
混乱して何が何んだかわからない。どうして急性心不全になられたのか。本当にわからない。秋の遺骨返還のシンポの計画を進められていた。そのための訪韓でもあったのに。私も事務局員の1人である強制動員真相究明ネットワークはこれからどうなるのか。ぽかんとあいた空洞はとても埋まるものではない。
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