ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜新聞読書欄簡単レビュー

2010年05月09日 12時09分51秒 | Weblog
 今週は読売、産経、毎日、日経、朝日の5紙から。
 サスペン作家である道尾秀介が人間の交歓をテーマにした小説を書いた。今週のいちおしでもある。『光媒の花』(集英社、1400円)ー読売ーがそれだ。心に暗い陰をもつ登場人物を描いた6つの短編なのだが、評者堂目卓生によれば「驚くべき巧みさによって、つなげてみせる」という。何げなく交わした言葉、眼差しが、それぞれの心に小さな光を灯すという。光媒とは光を媒介にすること。虫や風にたよらずとも光により自分の花咲かせる。それも「人は意図しなくても、存在するだけで他人に光をもたらすことができる」と評者は書く。若いこの作家の作家のテーマがこの作品群でいかんなく結晶したのかもしれない。実際に私もこの作品群に引き込まれた。「隠れ鬼」「虫送り」「冬の蝶」「春の蝶」「風媒花」「遠い光」の連作を著者自身、「この全6章を書けただけでも、僕は作家になってよかったと思います」と本の帯で書いている。この作家の造形力とテーマのたしかさはホラーなりミステリー小説で培われたものだ。この民衆の心の声と一条の光を書きたいために作家になったと私はみる。

 河上肇が経済学者の側面だけで論じられないことを論じたのが『一海知義著作集6 文人河上肇』(藤原書店、8400円)ー読売ーだ。晩年の河上は宋代の詩人陸●(さんずいの遊)の執筆であり、現在、その研究者が一海なのだ。陸●(さんずいの遊)の詩は「自己のもつ矛盾の、作為的な隠蔽ではなく、正直で赤裸々な漂白」をした人だからこそ河上が傾倒したのであり、もう1つの自叙伝だったとみる。河上の漢詩への向き方に一海は敬愛の念をこの書でいかんなく著している。「珠玉の文章が本書を彩る」と評者野家啓一は書く。なお1週間後にはネットhttp://www.yomiuri.co.jp/book/
で読売に書評が読める。

 松浦玲『勝海舟』(筑摩書房、5145円)ー産経ーは、評者が太田治子。歴史家ではなく作家だから、単刀直入の評がおもしろい。勝が大好きな太田は、福沢諭吉との関係に論をさいている。勝とは最初からウマがあわなかったのだと。福沢のナショナリストと勝の平和主義。実に対局にある2人に焦点をあてている。日清戦争を文明・日本の野蛮・清国に対する戦いとみる福沢と、不義の戦争とみる勝。足尾銅山鉱毒問題でも元が間違っていると新聞に書いたのは勝だ。太田はこうした事例をあげながら、「いよいよ好きになった」と勝について述べる。産経の論調とは、読書欄は別のところもある。いや新聞は党派の機関紙ではないのだ。違った意見、論説も当然掲載される。

 レーニン研究でデビューした白井聡が『「物質」の蜂起をめざして』(作品社、2730円)ー毎日ーを出した。1977年生の今年33歳の俊英は、レーニンが資本主義の外部を露呈させたことを本書にいかんなく論究している。「同時代の精神分析や前衛芸術、現象学哲学と同じ土壌から生まれた」と評者は書く。根底に何があり、その夢はどうした結果を招いたのか。本書はその検証するとき、大きなヒントを与えてくれる。
 
 イアン・シャピロ『民主主義理論の現在』(慶応義塾大学出版会、3200円)ー日経ーでは、民主主義論の現在がよくわかる。民意を集約する集約論、共通善に収斂する熟達論、この2つを対比させ、合理的集合的決定を不可能とする悲観主義や市民参加の理想主義にも与(くみ)しない。その理由を評者加藤淳子は「それは民主主義的決定を必ずしも根本的に覆すものではないし、市民が意見を交換する熟議も戦略的操作の対象になるからだ」と評している。シュンペーター主義的民主主義理論再評価し、代議民主主義が前提とする規範が内包する矛盾を喝破している。

 朝日の書評では福家崇洋『戦間日本の社会思想 「超国家のフロンテイア」』(人文書院、6090円)がおもしろそうだ。評者は中島岳志。戦間期の高鼻素之の国家社会主義が国家を超えるものかどうかを抽出した著者の作業を評価している。「既存の対立軸を溶解させる取り組み」とだった。喧々諤々、喧々囂々たる論日がファシズム世界はこの取り組みは成功しなかったのだが、そのアイロニーを顛末をどう見るかと評者は問いかけている。 
コメント
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