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県サッカー協会の話題16

2011-01-14 01:54:39 | 旧OSS、県サッカー協会関係
 昨日、所用で岡山県サッカー協会の事務所へ行ってきました。久しぶりです。実はOSS委員会は2008年まではファジの運営ボランティアもやっておりました。当時は当方も委員長として、ファジとの折衝も行っておりました。JFLからJリーグへ昇格を決め、2009年からはファジ以外の運営に携わり、ファジへはFSS(当時はFVS)として参加しています。2008年までは、協会事務所で専務理事を囲んで、よくミーティングを行っていました。なので、協会事務所へ行くのも、1年以上の久しぶりとなります。

 去年の春から、事務局長に青山氏(ご本人に実名・写真掲載了承済)が就かれています。それまでは邑久高校サッカー部の監督をしながら、ずっと県サッカー協会の技術委員長を6年間務めておられました。そして、青山氏といえば、以前にファジに在籍した青山俊輔選手の父親にあたります。
 事務所に入ると、専務理事や女子職員Mさんとともに、青山事務局長も執務をされておりました。
   
 ネットでの情報ですが、青山事務局長は、玉野光南高校や邑久高校などで指導者として岡山県のサッカー界を支えてこられ、今から約15年前に岡山にJリーグのクラブを作ろうという目的で、「カモンJ」(2005年の一木会のような組織になりますね)という組織を立ち上げられた方で、岡山県の目指すべき将来のサッカービジョンを持ちつつ、一教師でありながら、最初に行動を起こした方だそうです。
 結局は、当時Jリーグクラブの誕生には至りませんでしたが、その時に灯した火は引き継がれ、今のファジに生きていると思います。当方も以前に新聞記事で、そういう話を見聞きした覚えがあります。A級コーチであり、クラブチーム「ヒーロ備前」の会長も務められました。素顔はとても温で、気さくな方で、人情に厚い方だそうです。

 名刺代わりに、当ブログを紹介し、少しお話を聞きました。息子さんである俊輔選手は2009年夏までファジ(ネクスト含む)、同年6~7月にアンソメット岩手・八幡平へ期限付き移籍、その年内はネクスファジに在籍、去年は福嶋ユナイテッドに移籍しています。青山事務局長のお話では今年は帰岡されるとか。
   
 昔、ファジの事務所があった一角へ行ってみました。パテーション?で囲われた空間ですが、そこに2005年から数年間事務所が置かれたのです。懐かしいですね。最初は当時の運営法人であるNPO法人ヒューマンSCとして構え、Mり井事務局長やMら井事務局次長(現Mら井氏の父親)に大変お世話になりました。当時、広報委員会がよく開催され、マスコットキャラクターの公募、選考が行われ、ファジ丸のデザインと名前がそこで決定されました。当時は当方も末席で点付け係をしておりました。

 その頃に一木会が開催され、その「新しい波」の流れで木村社長が登場しました。横浜FCから、ブラジル語が堪能なF田氏が登場。運営会社が設立されていき、Mす井現事務局長が入社されました ・・・ そこからいろいろな方が入社されていき、現在に至ります。懐かしいですね。
 その昔のファジがあった空間を久しぶりに目にすると、あの創生期が蘇ってきました。今はJ2クラブとして満ち足りた日々を過ごしていますが、当時は当時で「JFLを目指せ!」「岡山からJリーグを!」という目標に向かって、楽しい日々を過ごしていました。確かNPO時代は「ファン・サポーターの皆さん、どうぞ気軽に事務所に遊びに来てください」と口にされ、よく楽しく訪問していましたね。気軽に入りやすい空間というのは、現在は県サッカー協会事務局事務所が継承されています。

 2007年から2008年はOSS委員会の役員会が、県サッカー協会事務所でよく開催されていました。Fリーダーや貴公子氏、オヤGK氏らと、ファジのボランティアのミーティングをやっていましたね。隣の部屋ではファジのフロントの社員さん達が遅くまで残業されているのを横目で見ていた覚えがあります。
 そして今、岡山県サッカー協会は、桃太郎ビジョンを発表し、長期プランのもと、ビジョンの達成へ向けて忙しく活動をされています。青山事務局長も「ビジョンへ向けて、少しでも力を尽くしてやっていきたい」と言われています。岡山のサッカーファミリーのために、これからも頑張っていただきたいと思います。 
コメント
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