交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

全部が平行線で、喧嘩をして、一日ですむ議案に十日もかけて能率を減退させるという

2012-01-26 12:04:39 | 徳育 人間力

今、日本では思想の自由が許されております。
また、信教の自由も許されております。

なぜ思想の自由が許されるかというというとですね、思想の自由を許すことによって、いくつかの思想というものが日本に生まれてくる。 
そして、その思想がそれぞれ一面の真理をもつている、一つの特色をもつている。

その特色を論議しあつて、そしてそれぞれを生かして総体としてよりよき道を生み出すために、私は思想の自由というものが許されているの思うんです。

今の日本では、思想の自由が許されているという姿はどう現われているかというと、

全部が平行線で、喧嘩をして、一日ですむ議案に十日もかけて能率を減退させるという姿なんです

思想の自由はそういうことのために許されているんじゃないと私は思うんであります。

それならば、思想の自由は許さんほうがいい。 
社会主義のように一つの思想をもつて実施したほうが事が速いと思うんです。 
しかし一つの思想であれば、決して進歩発展というものはありえない。

資本主義だけをもつてやっても決して進歩しない。

いろいろな思想があつて、それぞれその一部を生かしあつて初めて、

繁栄の動きというものが生まれてくるのだと思います。

そこに思想の自由を許す価値があるんやと思うんです。

宗教もまたしかりと思うんです。 
宗教が今650あります。

新興宗教を集めると650あります。その650の宗教がお互いに切磋琢磨して繁栄していく。 
そして、お互いが力を尽くして多くの人々を助けあつていく。

そこに国民の幸せが生まれてくると思うんです。

それを信教の自由が許されるからといって、教団どうしが喧嘩してつぶしあいするというようなことでは、

信教の自由を許す意味は全然ないと、私は思うんです。

しかし、われわれ自身がすでに、みずからとらわれて、自分は正しいんだという殻をかぶって他を誹謗するということをしておるんやないか。

もしそういうことがあれば、商工業者としても発展を傷つけるものだという感じがいたします。

今、日本の真の繁栄のために国民が考えねばならない、

そして各自が各自の責任を遂行し、併せて他を顧みて、必要であれば忠言を呈して、手を握って国家の共存繁栄を図らねばならんという時期が到来していると思うんであります。

� 昭和41年(1966) 守口商工会議所 臨時議員総会(72歳)
 


初期の宗教というものは、恐怖宗教であった

2012-01-26 11:53:37 | 教育

昭和44年(1969) (74齢時)

 

今、世界はいろいろ混迷しております。

まあこれは事実かどうか知らんやけれども、

人づて聞いて覚えているのは、アインシュタインという人の話ですね。

この人は、世界的な、世紀の科学者やけど、

今から30数年前に、こういうことを言うているというんです。

「人心を安定させて、好ましい社会情勢を実現するには、

やっぱり宗教の力によらなくてはならないだろう。

いつ世でも、宗教というものがいろんなかたちにおいて存在した。

 

初期の宗教というものは、恐怖宗教であった

神があって、神さんが怒る。

それでいろいろ風が吹いたり、水が出たりするんだ。

それは神の怒りである。

だから、その神の怒りを鎮めるために、

いけにえを出したり、あるいは何かを献じて神の怒りをやわらげる。

そして、安定を求めるわけである。

そういう教えが、第一の宗教であった。

ところが第二の宗教というものは、そういう恐怖の宗教ではない。

怖いという恐怖から身を保とうというような教えではなくて、

救いの宗教である。

神そのものが人間を本質的に救ってくださるのだ、

われわれは神に救われるんだという救いの宗教に変わる。

釈迦、キリストというような時代を転機として、

恐怖の宗教から救いの宗教になった。

神があたん(仕返し)すると、こう考えておったのが第一の宗教であった。

神はあたんをするのではない、

神は救いを原則としておられるんだという教えが、第二の宗教になったのだ。

それが、ここ二、三千年続いてきたわけである。

ところが、最近もう救いの宗教ではいかんようになった。

神に救われるという宗教ではいかんようになった。

多くの人はそれでは救われない、満足しないという時代になってきたように思う。

したがって、第三の宗教というものが生まれるだろうと、自分は思う。
しからば第三の宗教は、つまり恐怖の宗教でもなく、救いの宗教でもなければ、

何の宗教であるかということは、自分にも分からない。

しかし、もう時代はそうなっているだろう」 こういうことを言うてるんですね。

それを考えると、どうもそういうような感じがするわけですね。

現在のこの混迷した世相を見ていると、

宗教で救われるということはだんだん少なくなっている

二、三日前の新聞を見ても、キリスト教の教会で、ゲバ棒が振られて、

牧師が信徒につるしあげられている、ということが出ておったわね。

ちょうど学校と同じでは生徒は先生に教えてもらえる。

先生に学問も道徳も教えてもらえるということが、

これまでの一応の常識であったわけです。

しかし、最近の学校の状態を見ると、先生は教えるものやなくして、

先生は生徒に叱られるものである、というように変わってきているわけやな。

まあ、それが今日の状態である。

そうすると、これからどうなるのか。

現代の世相ではいかんから、これから何か新しい宗教というか、

新しい理念というものが生まれてくるのやないか。

どういうかたちでどう生まれるか、ということは分からないけれども、

生まれるだろうというのが、アインシュタインの話だったらしい。


起こしてくださったんだ、という喜びを感ずる人と、うるさいお母さんやな、という人

2012-01-26 11:31:19 | 教育

昭和38年(1963)3月15日、 松下電器 女子新入社員導入教育(68齢)


現在では、科学的な面は非常に尊重されておりますが、

反面、精神的な面はあまり尊重されておりません。

そういう状態のまま物資が豊富になり、立派な建物ができ、

機械が進歩いたしまても、

その結果、人間的な不幸が生まれるということも起こってくるわけです。

これはやはり、心の面に貧困さがあって、

いわゆる心の豊かさが足りないということによるのだと思います。

 

人間とは妙なもので、

同じものを見ても喜ぶ人もあるし、喜ばない人もある

いや、喜ばないどころか、かえってそれを不足に思う人もある


たとえば、お母さんが朝起こしてくれる。

それを、お母さんが起こしてくれた。

やはりお母さんが気をつけていて、

起こしてくださったんだ、という喜びを感ずる人と、

うるさいお母さんやな、という人と、二つあると私は思うのであります。

どっちがいいでしょうか。

お母さんは、子どもが遅刻してはいけないからと、

早くから起きて、そして起こしてくださる。

そういうお母さんの慈愛に対して、 感謝と喜びを感じるか

または、うるさいな、もっと寝させてくれたらいいのにな、思うか。

どちらかによって、 すっかり変わってくると思います。

どちらがいいかというと、

お母さんの立場から考えても、 喜んでもらいたいでありましょうし、

また子どものほうからいっても、喜びをもって起こされるほうがいい


あっ、 お母さん、すみませんでした。

わざわざ起こしてもらって…。
私はもっと早く、自分で起きのがほんとうでしたのに、

こういうような、言葉には出さないけれどもそういう心持ち、

ここに私は、非常にお互いに温かい心がかよいあうと思うのです

 


これほど自由奔放にさせているのに喜びを感じない。これは恐ろしいことである。

2012-01-26 11:20:25 | 教育

これほど自由奔放に

欲するままに申していいほどにさせているのに喜びを感じない

不平がつのってきているということを考えてみますと

これは恐ろしいことである

なんでそうなっているのか。

これは、そういうことを教えない、教育しないからであると思うんです。

白い紙を持っていって、これは白いんだと、こう教えたならば、

この紙は白いことがちゃんと分かるんです。

で、この白い紙を、これは黒いんだと教えたならば、

白い紙を見ても黒いんだと言います。

教えることによって、ものを知るんでありますから。

その教えることを今は怠っている

こういうことはありがたいことなんだ、こういうことは非常に幸せなことなんだ

こういうことは不幸なことなんだ、という説明をちゃんとして教育していったならば

教育のとおりになると、私は思うんであります

アメリカで生まれ育った子ども、
あるいは英国で生まれ育った子どもは、

当然のことながら、英語がベラベラとしゃべれる。

そのイギリスで生まれた子を、すぐに日本に連れてきて、

日本の家庭で育てたならば、英語はしゃべれないけれど、

知らず識らずのうちに日本語はしゃべれる。

これはなぜかというと周囲の人が、日々教えていくわけです。

そういう、教育によって教育のとおりになっていくのが、

日本人、というよりも、世界の人間の姿であります。


ですから、非常に不平を訴えるような教育をするか
あるいは、一つのものを見て、

それをありがたいというように教えるかによって、

みな変わってくると思うんであります

そうでありますから、教育がいかに大事なものであるかということを考えて、

それに断固として取り組まないといかん。

けれども、そういう姿があるのかないのか。

私は、ここで断言することはできませんが、

 テレビの数字の教えるところによると、そういう結果が出ています。

日本の青少年が、感謝を知らない、喜びを知らない、不平不満ばかり知っている。

それは、不平不満を教えているからである。

感謝を教えないからである

喜びを教えないからであると思うんです。

昭和51年(1976)81歳 浜松ライオンズクラブ

 


人間の心の悪を刺激すれば悪になる。善を刺激すれば善になっていく

2012-01-26 11:15:04 | 徳育 人間力

私は最近感じますのに、善と悪と申しますといろいろな議論の余地はございましょうが、人間の心には善と悪との面があると思うのです。いかなる人でもそう考えていい。一方で善意があれば、一方でやはり悪意をもっている。その二つが心に住まっていると思うんであります。

そういう人間の心の悪を刺激すれば悪になる。善を刺激すれば善になっていく

 

最近の読み物を見ましても、軽く手に取る新聞、週刊誌を見ましても、悪の面を刺激するような記事が多いですね。ですから、どうしても心に住んでいる悪の面が出てくるということであります。これが青少年の犯罪になって現れてくるわけであります。

青少年でなくても、おとなでもそうだと思います。青少年ほど極端ではありませんが、お互いおとなでも、やはり悪の面を刺激する読み物があって、それを読んでいると、ついいくらかそういう気分になってまいります。これは人間の本性であります。しかし善意、いわゆる良心を刺激するものがあれば、これは悪は消えて善になってまいります。これは当然だと思うんです。

昭和41年(1966)71歳全国小学校道徳教育研究発表会


欲の本体は、船を動かす蒸気力のようなもの

2012-01-26 10:38:57 | 徳育 人間力

昭和25年(1950) 55歳

人間の欲といいましても、実に数限りなくあります。

仏教ではこれを三欲五欲とか、いろいろに分類し集約しておりますが、

まったく人間の欲望は、その質においてもその量においても、

他の生物とは比較にならないほど、

広くかつ深いものがありまして、

人間は欲の塊である、

いわれますのも、まことに当然のことだと思うのでたあります。


これほど欲は、人間と切っても切れない関係にあるのですが、

どうも欲といいますと、


今までの通念からして、

私たちにはよい響きを与えないのであります。

何か悪と結びついたものを連想させ、

まして、 欲が深いというとなおさらのことで、

欲が深い人

という言葉は何かよくない人の代名詞として

使われてきたように思われるのであります。

もっとも、こうした通念を私たちが抱くのま一応無理もないことで、

何かよくない事件や、

身を誤った所業、他人に害を与えた仕業などは、

いわゆる欲に目がくらみ、

欲に踊らされた結果起こることが多く、

そのことからして、 欲が悪の源泉のように思われ、

この欲を断ち、欲から脱却することが

人間の徳として教えられてきたと思うのであります

この通念自体は別に悪いことだと思いません。

しかし、 もしもこの考えにとらわれてしまって、

欲の本体を正しくつかまないと、

これは人間にとって非常に不幸なことだと思います。

なぜかといいますと、

欲の本体は、決して汚らわしいものでもなければ悪の根源でもなく、

それは人間の生命力の現われであり、

生きんとする力がかたちとなって現われてきたものだと思うからであります。

つまりこれは、船を動かす蒸気力のようなものであります

したがってもしもこれを悪とし、

その絶滅を図らなければならないと考えますと、

ちょうど船を止めてしまうに等しく、

人間の生命も絶ってしまわなければならないことになるのであります。

もちろん、古来聖賢の教えてこられた禁欲の教えは、

人間をよりよく生かすためであって

決して生命を否定するためのものではないのでありますが

この教えを表面的に受け取るために、

本来の人間の姿をゆがめてしまう場合が非常に多いと思うのであります。

そして、欲を汚らわしいもののように思い、

悪の根源として圧迫しようと考えたりするために、

本来楽しかるべき人生が非常に苦痛となってくると思うのであります。

これは非常な認識不足だと思います。

人間の欲望の本体の姿は、生命力の発現であります。

したがって、それ自体は善でも悪でもないと思います。

それは一つの力と考えるべきもので、善悪以前のものであります

この欲望の本体を、お互いにまずはっきりと知っておきたいと思うのであります。

欲望は生命力の現われであると申しましたが、

生命力は人間が生きていくために、

宇宙根源の力から与えられたものでありますから、

その現われである欲望もまた天与のものであり、

したがって人間は、これが与えられていることを

大いに感謝しなければならないと思うのであります。

すなわち、

欲望は感謝すべきものであって憎むべきものではないと思うのであります。

ただ注意しなければならないことは、それ自体は善ども悪でもない

善悪以前のものであるということは、いいかえると、

善にもなりうるし、悪にもなりうるということであります

すなわち、欲望は人間の用い方いかんによって、

善にも悪にも転化しうるのであります。

ちょうど、私たちは船のかじを握っているようなもので

蒸気力が与えられているのに対して、

これをよい方向にもっていくか悪い方向にもっていくかは、

このかじの動かし方ひとつにかかっているのであります。

すなわち、人間にはかじを

左にも右にも動かしうる自由が与えられていると同時に、

船を順調に進ませるか座礁させるかの

いっさいの責任が負わされているのであります。

自由と責任は、人間に与えられた特性でありますが、

欲望の善悪場合、

これがいちばんはっきりとしてくると思うのであります。

それでは欲望の善悪はどこから生まれてくるのかといいますと、

その欲望を満たそうとする行いが、

お互いの繁栄、平和、 幸福を進めるか損なうかによって

決まってくると思うのであります。

人間はいろいろな欲望をもちます。

そしてその欲望を満たすために、あらゆる努力をいたします。

欲望が生命力の発現であるかぎり、

どのような欲望をもち、どのような努力を続けようと、

それは生きるための尊い姿であって、

決して非難されるべきではありません。


組織のナンバー1とナンバー2の一番の違いは責任の重さです

2012-01-25 21:46:09 | 商い

だから組織のナンバー1とナンバー2の一番の違いは責任の重さです。
 
ナンバー2も相応の責任は負っていますが、まだ竹刀の勝負だと思います。
間違えてもまだ自分の後には
社長がいるという思いがどこかにある。
 
しかしナンバー1が間違えたら会社が傾いてしまう。
その差はとてつもなく大きいですよ。
 
だからナンバー1である経営者は、
いつもヒリヒリするような緊張感、恐怖感の中で真剣勝負をしているわけです。
 
気魄(きはく)も違いますよね。
使命感も責任感も違う。
まぁそうならざるを得ないわけですが。
 
やっぱりナンバー1とナンバー2以下の意識の差は拭いきれません。

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「ナンバー1とナンバー2の違い」 
       
  古森重隆(富士フイルム社長・CEO)
        
  『致知』2012年2月号  特集「一途一心」より

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8月10日~17日までの8日間、ストックホルムに滞在した様子の一部を写真で紹介

2012-01-24 21:13:36 | ニッポンバラタナゴ

http://www.japanriver.or.jp/sjwp/sjwp2007/report.htm

2007年ストックホルム青少年水大賞(SJWP)国際コンテストに

清風高等学校生物部 木村諭史さん、辻井悠希さん、関西大倉高等学校 松葉成生さんの3名が、清風高等学校の指導教諭 加納義彦先生とともに2007年SJWPに参加しました。

 

第55回日本学生科学賞の入賞者が決まりました。入賞者は下記のとおりです。

2012-01-24 21:10:12 | ニッポンバラタナゴ

http://www.jssa.net/2011/winners55.php

第55回日本学生科学賞の入賞者が決まりました。

入賞者は下記のとおりです。

<高等学校>
内閣総理大臣賞
「ヨーグルトによる発電の機構」堀内 遥加 (長野県屋代高等学校3年)  [ISEF派遣候補]
文部科学大臣賞・個人
「キイロショウジョウバエの眼色色素」宇賀神 希 (埼玉県立川越女子高等学校2年)  [ISEF派遣候補]
文部科学大臣賞・共同
「ゼニゴケの表裏の分化について」名古屋市立向陽高等学校SSクラス309ゼニゴケ研究グループ [ISEF派遣候補]
環境大臣賞
「カクレクマノミの粘液の秘密」愛媛県立長浜高等学校チーム・ニモ
環境大臣賞
「富士火山溶岩流シミュレーション」松井 信太郎 (静岡県立富士高等学校2年)
科学技術政策担当大臣賞
「グラスハープの音階と振動の研究」北海道札幌北高等学校物理化学部
全日本科学教育振興委員会賞
「トンボ相の多様性の変動」北海道札幌旭丘高等学校生物部
読売新聞社賞
「蹴上がりの研究」山口県立山口高等学校蹴上がりの研究班
科学技術振興機構賞
「新しい意識調査の開発」 池澤 匠 (東京学芸大学附属国際中等教育学校1年) 
日本科学未来館賞
「銅(I)水酸化物と光沢銅樹生成」宮城県仙台第二高等学校一価銅研究班
旭化成賞
「ゴム膜の選択透過に関する研究」大山 暁人 (八千代松陰高等学校2年)
読売理工学院賞
「アオコの凝集・浮上・除去方法の開発」清風高等学校生物部

<中学校>
内閣総理大臣賞
「ナミテントウは悪い虫?」村田 篤志 (つくば市立谷田部東中学校3年)
文部科学大臣賞・個人
「シャトルの羽根はなぜ必要?」篠原 梨菜(川崎市立高津中学校3年)
文部科学大臣賞・共同
「金管楽器は何故あの音が出るの?」 牛久市立下根中学校牛久下根シスターズ
環境大臣賞
「サヤミドロはイネにとって有益か」甲賀市立甲南中学校科学部
環境大臣賞
「Tsunami」大塚 有莉(可児市立中部中学校2年)
科学技術政策担当大臣賞
「未来の生物を現代に」朝倉 源気(久留米大学附設中学校3年)
全日本科学教育振興委員会賞
「なぜ人の目で光条が見えるのか」西尾市立鶴城中学校科学部光条班
読売新聞社賞
「シュークリーム 空洞ができて膨らむ条件」由利本荘市立出羽中学校科学部シュー班
科学技術振興機構賞
「壁を登る動物の足のつくりの研究」八丈町立三原中学校サイエンスクラブ
日本科学未来館賞
「水がねじれる秘密」刈谷市立富士松中学校科学部 ねじれ班
旭化成賞
「クモに会いたい!?Ⅵ」松戸市立第六中学校クモ研究グループ
読売理工学院賞
「岩黒島の岩石の研究 Ⅱ」坂出市立岩黒中学校科学クラブ

<学校賞>
岩手大学教育学部附属中学校
滋賀県立膳所高等学校

<指導教諭賞>
加納 義彦 (清風高校)


60以後になってから、後悔しないような道を

2012-01-21 12:01:30 | 健康 怪我 ダイエット 老後 など

実際、人生は2度とはないですからね。

60以後になってから、後悔しないような道を

歩む心構えが大切です。

知事だの大学教授だのと言ってみたところで、

60を過ぎる頃になれば、

多くはこれ恩給取りのご隠居さんにすぎません。

           (修身 教授録 森信三著)