交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

車椅子のアーティスト・佐野有美さん

2013-07-23 16:40:27 | 教育

┌───今日の注目記事───────────────────────┐




    「いや、大丈夫。もう一回やりなさい。有美ならできるから」



           佐野有美(さの・あみ=車椅子のアーティスト)
 
               
              『致知』2013年8月号
               特集「その生を楽しみ その寿を保つ」より



└─────────────────────────────────┘


【記者:小さい頃にご両親から特訓を受けられたと
    おっしゃっていましたが、
    どのようなことをなさっていたのですか?】


皆さんもなんで手で食事をするのって
急に言われると困るじゃないですか。
それと同じように私も唯一あったこの三本の指で、
ごく自然と周りのものを触ったり、掴んだりしていたようです。


それを見た母が、


「あれ? もしかしたら足でいろいろできるんじゃないか」


と思ったらしく、積み木やおもちゃで遊ばせたり、
フォークやスプーンを持たせてくれたんです。

三歳の時、あゆみ学園という
肢体不自由児施設に一年間だけ通っていたのですが、
そこで着替えの練習をしていた記憶があります。
これは私の中で一番嫌な訓練でしたね。

フックのついた柱が二本あって、
その間にパンツやTシャツをかけておくんです。
そこをお尻で移動して、脱いだり穿いたりする
練習をしたんですけど、なかなか上手くいかない。

私が「できない」って言うと、
母は「やってみなきゃ分からない」と。

ところが、何回やってもできないわけですよ。
それで段々嫌になってしまったんです。

ただ、どんなに弱音を吐いても、


「いや、大丈夫。もう一回やりなさい。有美ならできるから」


と言って、母はとにかくやめさせてくれませんでした(笑)。


そうやって毎日、毎日、言われるがままにやっていたら
ある日、Tシャツを着ることができました。

その時、母に


「ほらね。やっぱり有美はできるんだよ」


って言われたのが凄く嬉しくて、
そこからどんどんチャレンジ精神が出てきました。
そのうち道具を使わずに、足でTシャツの裾を引っ張って
着脱したりと、自分でいろいろ考えていけるようになりました。


私は、他人と同じ方法ではできません。
ピアノを弾いたり、字を書いたり、
裁縫とかも自分なりに工夫してできるようになりました。

それから、小学校三年生の時に水泳で
二十五メートル泳ぎたいって思ったんです。
一般学校に通っていたので、私以外はみんな手足があって、
普通に泳いでいました。

それを見て、私もみんなのように泳ぎたいなと。
そしたら父が協力してくれて、
どうやったら泳げるか一緒に考えてくれました。

そして辿り着いたのが有美泳ぎ(笑)。


バタフライのように体全体をうねらせるんです。
息継ぎする時はクルンと仰向けになって、
またクルンと戻る。

それなら泳げるんじゃないかということで、
地元の市民プールで父と特訓を始めました。

ところが、何度も溺れるんですよ。
それで水が怖くなってしまって、やっぱり私には無理だと。


でも、その時に父が


「ここで諦めていいのか?
 さっき一人で五メートル泳げただろ。まだ行けるぞ」


って励ましてくれたんです。


「そっか、私の目標は二十五メートルだ。
 諦めるわけにはいかない」


と思い直して、頑張って練習を重ねて、
遂に二十五メートルを泳ぐことができたんですよ。


そしたら父が



「学校でも泳いでみろ。もっといけると思うよ」


と。それで先生に
「限界まで泳がせてください」とお願いして、
クラスの皆に見守られながら泳ぎました。

ターンの際は、片足を水中で回し、
体を半回転させて短い足で壁を精いっぱい蹴る。
そして、顔を上げた瞬間、もう先生も友達も大拍手。
気づいたら百メートルも泳いでいたんです。

あの時の達成感はもう本当に忘れられません。
いま振り返ると、初めて心の底から
諦めないでよかったって思えた瞬間だったと思います。



●車椅子のアーティスト・佐野有美さんのお写真はこちら
 <※誌面未公開写真もあります>
http://ameblo.jp/otegami-fan/entry-11572685031.html


「クリントン大統領が取り上げた一首」

2013-07-23 14:14:04 | 徳育 人間力


┌───今日の注目記事───────────────────────┐



    「クリントン大統領が取り上げた一首」


           武田鏡村(作家)
 
               
              『致知』2013年8月号
               特集「その生を楽しみ その寿を保つ」より
          http://www.chichi.co.jp/monthly/201308_pickup.html


└─────────────────────────────────┘


「たのしみは 艸(くさ)のいほりの
 筵(むしろ)敷き 
 ひとりこころを 静めをるとき」


(私の楽しみは、世間の喧噪から離れ
 粗末な草葺きの我が家に筵を敷き、
 一人静かに自分を見つめる時である)


この歌は、江戸末期の歌人・橘曙覧の短歌集
『独楽吟』の一首です。

『独楽吟』には五十二の歌が収められていますが、
いずれもこの歌同様に「たのしみは」で始まり、
日常の些細な出来事の中に見出した楽しみが
巧みに表現されています。

人はレジャーやショッピングなど、
外の世界に楽しみを求めますが、
そうした欲求はどこまでいっても満たされることはなく、
そのことによって逆に苦しみを得ます。

人生の楽と苦は一枚の葉っぱの表と裏のようであり、
むしろ苦しみのほうが多いことを
痛感する方も多いのではないでしょうか。

橘曙覧はこの真実の中で、
苦楽の波間に高ぶる心を、
自分で見つめて静めるところに本当の楽しみを求めました。

狭い家の中でも僅かなスペースを見出して、
そこに座って静かに自分を見つめる。
そのゆとりの中から誰にも邪魔されない
楽しみの空間が広がっていく。

字面こそ平易ですが、自分の心に感応させて読むと、
実に奥深いものがあります。

恥ずかしながら、私はこの秀逸な短歌集の存在を
二十年前まで認識しておらず、
アメリカ人を通じて初めて教えられたのでした。

平成六年、天皇皇后両陛下を国賓として迎えた
クリントン大統領が、ホワイトハウスの歓迎式典のスピーチで
取り上げたのが『独楽吟』の一首だったのです。


「たのしみは 朝おきいでて
 昨日まで
 無かりし花の 咲ける見る時」


(私の楽しみは、朝起きた時に昨日までは
 見ることがなかった花が咲いているのを見る時である)


クリントン大統領はこの歌を通して、
日本人の心の豊かさを賞賛しました。
恐らく専門家の意見をもとに盛り込んだのでしょうが、
その判断は見事なもので、
私たち日本人が自らの感性の素晴らしさを再認識し、
知る人ぞ知るこの名作が平成の世に
再びスポットライトを浴びる契機となったのです。


「たのしみは」で始まる『独楽吟』は、
日常のありふれた出来事を「楽しい」と受けとめること。

そうした感性を育むことで、日頃見失っている尊いものを
受けとめられることに気づかせてくれます。

どんな苦境にあっても、楽しみを求める感性があれば、
人生はまさに「楽しみ」に満ちていることを発見できるのです。

私も早速その作品に触れ、たちまち虜になったのでした。




※『独楽吟』はなぜ人々の心を打つのか?
 詳しくは、『致知』8月号(P56~59)をご覧ください。


雲が十分寄ってくるまで天に昇ってはならないのです

2013-07-23 13:53:55 | 徳育 人間力

┌───今日の注目記事───────────────────────┐



    「『易経』に学ぶ社長の心得」


           伊與田覺(論語普及会学監)
 
               
              『致知』2013年8月号
               連載「巻頭の言葉」より


└─────────────────────────────────┘


前回(2013年5月号)は『易経』に説かれる、
立派な君子になるための正しい行為をご紹介しました。

その道筋は龍が天に昇る姿に例えられ、
初九、九二、九三、九四、九五、上九の
六段階に分けて記されています。

今回はその五段階と六段階、会社であれば社長となり、
さらに社長を退いた後の心得について紐解いてみたいと思います。


「九五。飛龍天に在り。
 大人(たいじん)を見るに利(よ)ろし」


社長ともなれば「飛龍天に在り」で、
龍が天空を自在に駆け巡るほどの実力も身についています。

しかし、お山の大将でいい気になっていてはなりません。
社長になると社外での交流も盛んになりますが、
「大人を見るに利ろし」で、
外部の優れた人物から学ぶ心掛けが必要です。

但し外だけでなく、内もしっかり見ておかなければなりません。
大きな会社になると、自分の会社の課長や係長の名前を
知らない社長も多いようですが、
普段から将来大人となるべき若手によく目を配り、
彼らの優れた意見に耳を傾けることも大切です。


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■龍は雲に乗って天に昇る
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私は昭和二十八年に大学生の塾を立ち上げた頃、
中井祖門という禅僧に
深く親炙(しんしゃ)しておりました。

ある正月にご挨拶に伺うと、
床の間に中井老師の描いた龍の絵が掛かっていました。

私はその見事さに感嘆し、
ぜひとも自宅の床の間に掛けてみたい、
と無理を言って借りて帰りました。

ところが毎日眺めていると、
その元気な龍に何か危ういものを感ずるのです。

よくよく見ると、その龍には雲が描かれていませんでした。
私はそういう絵を掛けていると自分も墜ちてしまうと思い、
すぐに老師に返しに行きました。

龍は雲に乗って天に昇るものです。
会社で重役になるくらいの人は、
能力も働きも秀でているものですが、
それだけでは一国一城の主にはなれません。
人望、徳望がなければ上がることはできないのです。


聞けば老師がその絵を描いたのは四十九歳の時。

まだ元気盛りの頃だと分かり得心しました。

自分の力だけでなく、時間をかけて徳を養い、
人望によって推挽されていくのが本当の社長であり、
地位を奪い取ったような社長は長く続くものではありません。
雲が十分寄ってくるまで天に昇ってはならないのです。


明月堂は「博多通りもん」

2013-07-23 13:49:40 | 徳育 人間力

※明月堂は「博多通りもん」で有名な福岡の和菓子店です。

┌───今月の注目記事───────────────────────┐



     「人という字を刻んだ息子」


        秋丸由美子(明月堂教育室長)

              『致知』2007年5月号
               致知随想より


└─────────────────────────────────┘


■医師からの宣告
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

主人が肝硬変と診断されたのは昭和54年、
結婚して間もなくの頃でした。

「あと10年の命と思ってください」

という医師の言葉は、死の宣告そのものでした。

主人は福岡の菓子会社・明月堂の五男坊で、
営業部長として会社を支えていました。
その面倒見のよさで人々から親しまれ、
たくさんの仕事をこなしていましたが、
無理をして命を落としては、元も子もありません。

私は「まずは身体が大事だから、仕事は二の次にして
細く長く生きようね」と言いました。

しかし主人は
「精一杯生きるなら、太く短くていいじゃないか」
と笑って相手にしないのです。


この言葉を聞いて私も覚悟を決めました。
10年という限られた期間、
人の何倍も働いて主人の生きた証を残したいと思った私は、
専業主婦として歩むのをやめ、
会社の事業に積極的に関わっていきました。

30年前といえば、九州の菓子業界全体が
沈滞ムードを脱しきれずにいた時期です。
暖簾と伝統さえ守っていけばいいという考えが
一般的な業界の意識でした。

明月堂も創業時からの主商品であるカステラで
そこそこの利益を上げていましたが、
このままでは将来どうなるか分からないという思いは
常に心のどこかにありました。


そこで私は主人と一緒に関東・関西の菓子業界を行脚し、
商品を見て回ることにしました。

そして愕然としました。
商品にしろ包装紙のデザインにしろ、
九州のそれと比べて大きな開きがあることを
思い知らされたのです。


あるお洒落なパッケージに感動し、
うちにも取り入れられないかと
デザイナーの先生にお願いに行った時のことです。


「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。
 それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」


と簡単に断られてしまいました。

相手の心を動かすとはどういうことなのだろうか……。
私たちはそのことを考え続ける中で、一つの結論に達しました。

それは、いかに商品が立派でも、
菓子の作り手が人間的に未熟であれば、
真の魅力は生まれないということでした。

人づくりの大切さを痛感したのはこの時です。



■「博多通りもん」の誕生
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

以来、菓子屋を訪問する際には、
売れ筋の商品ばかり見るのではなく、
オーナーさんに直接会って
その考え方に触れることにしました。

しかし、同業者が突然訪ねていって、
胸襟を開いてくれることはまずありません。
行くところ行くところ門前払いの扱いでした。


忘れられないのが、神戸のある洋菓子店に
飛び込んだ時のことです。

そのオーナーさんは忙しい中、一時間ほどを割いて
ご自身の生き方や経営観を話してくださったのです。

誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、
人の温かさが身にしみました。
人の心を動かす、人を育てるとは
こういうことなのかと思いました。

いま、私たちの長男がこのオーナーさんのもとで
菓子作りの修業をさせていただいています。

全国行脚を終えた私たちは、社員の人格形成に力を入れる一方、
それまで学んだことを商品開発に生かせないかと
社長や製造部門に提案しました。

そして全社挙げて開発に取り組み、
苦心の末に誕生したのが、「博多通りもん」という商品です。

まったりとしながらも甘さを残さない味が人気を博し、
やがて当社の主力商品となり、いまでは
博多を代表する菓子として定着するまでになっています。

「天の時、地の利、人の和」といいますが、
様々な人の知恵と協力のおかげで
ヒット商品の誕生に結びついたことを思うと、
世の中の不思議を感ぜずにはいられません。



■「父を助けてください」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ところで、余命10年といわれていた主人は
その後も元気で働き続け、私も一安心していました。

しかし平成15年、ついに肝不全で倒れてしまいました。

手術で一命は取り留めたものの、
容態は悪化し昏睡に近い状態に陥ったのです。

知人を通して肝臓移植の話を聞いたのは、そういう時でした。

私の肝臓では適合しないと分かった時、
名乗り出てくれたのは当時21歳の長男でした。
手術には相当の危険と激痛が伴います。
万一の際には、命を捨てる覚悟も必要です。

私ですら尻込みしそうになったこの辛い移植手術を、
長男はまったく躊躇する様子もなく


「僕は大丈夫です。父を助けてください」


と受け入れたのです。


この言葉を聞いて、私は大泣きしました。



手術前、長男はじっと天井を眺めていました。
自分の命を縮めてまでも父親を助けようとする
息子の心に思いを馳せながら、
私は戦場に子どもを送り出すような、
やり場のない気持ちを抑えることができませんでした。

そして幸いにも手術は成功しました。
長男のお腹には、78か所の小さな縫い目ができ、
それを結ぶと、まるで「人」という字のようでした。

長男がお世話になっている
神戸の洋菓子店のオーナーさんが見舞いに来られた時、
手術痕を見ながら



「この人という字に人が寄ってくるよ。


 君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。


 お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。


 この傷は君の勲章だぞ」



とおっしゃいました。
この一言で私はどれだけ救われたことでしょう。

お腹の傷を自慢げに見せる息子を見ながら、
私は「この子は私を超えた」と素直に思いました。

と同時に主人の病気と息子の生き方を通して、
私もまた大きく成長させてもらったと
感謝の思いで一杯になったのです。






 もう一度『致知』を読みたいと思った方はこちら
 http://www.chichi.co.jp/news/3691.html
 (動機に「再講読」をお選びください)


英語や数学の学力を高めること以上に必要なこと(下村博文)

2013-06-08 02:26:27 | 教育

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     「ビートたけし氏とお母さんの感動秘話」


         下村博文(文部科学大臣/教育再生担当大臣)
 
               
              『致知』2013年6月号
               特集「一灯照隅」より


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いまの日本には偉人伝というだけで
拒否反応を持つ人がいるんですよ。
それ自体、異常な社会だと思うのですが、
そういう時、私はタレントの北野武さんの話をするんです。

そうすると皆さん「なるほど」と言って
聞いてくださいます。

それは北野さんのお母さんのお話なんですね。

北野さんが芸能界に入って売れるようになった頃、
お母さんから「金をくれ」と言われたというんです。

それからも何かにつけて
法外なお金を要求されたと。

とんでもない親だと思ったけれども、
親には世話になったし
迷惑を掛けたのも事実だから
言われたままに出していたそうです。

そして、お母さんの命がもう何日もないという時に
軽井沢の病院に行った北野さんは
お母さんから一冊の通帳を渡されるんです。

帰りの新幹線の中で
その通帳を見た北野さんはビックリするんですね、

いままで渡していたお金が全額入金されていた。


芸能界は浮き沈みの激しい世界ですから、
お母さんとしては息子が
売れなくなった時のことを考えて、
そっと蓄えておられたのでしょうね。


子供は親孝行したいと思っているけれども、
親が子を思う気持ちはもっと深い。


吉田松陰が「親思う心にまさる親心」
と詠んでいますが、親が亡くなって
「もっと孝行しておくべきだった」
と子供だったら皆思うんじゃないでしょうか。

これは何も国が「親孝行しろ」と言うのとは
違うわけでしょう。

道徳の授業の中でそういう話が
エピソードとして出てくれば、
誰でも素直に皆受け取るはずです。


人が人として生きるために大事なことを学ぶのは、
本当は英語や数学の学力を高めること以上に
必要なことなんですね。



【……この続きは
『致知』2013年6月号の「教化は国の急務なり」
(p.30~)をお読みください】


人生とは、・・・磨いていくことなんです。

2013-05-24 23:04:35 | 徳育 人間力


名言セラピー   
- meigen love

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「ひすいさんに、ここのうどんをぜひ食べて欲しい!!!」


四国ツアーの際、
そうつれていっていただいたお店。

そこの讃岐うどんを食べて驚いた。




「この、のど越し、これは刺身か!?」
って。




これまでのうどんという概念をくつがえされました。

うどんのコシが新鮮でハンパないんです!!!
(お店の名前忘れちゃったんだけど調べておきますね)


同じく
うどんという概念をくつがえしてくれたのは

伊勢うどんです。


これ、逆に、こしが全く無いのがウリなんです。

伊勢神宮へ参拝した方にはおなじみのうどん。
三重県伊勢市を中心に食べられるうどんです。


50分もかけて茹でるので、
麺はゆるゆる、コシのかけらもないんです。


でも、伊勢うどん、これはこれでいける。
おいしいんです。



コシがあってもウリになるし、
コシがないことだってウリになる。





ここで少し話を変えます。

伊勢といえば伊勢神宮。

伊勢神宮は、桜など、季節感がはっきりするような樹木は植えられてないんだそう。

なんでだと思います?










伊勢神宮は
「いつきても変わらないもの」
を表現しているからだそう。



季節感があることも魅力だし
逆に、季節感がないことも魅力になったりする。




つまり、



キミはキミであればいいってことです。




日本の三種の神器。

・鏡
・勾玉
・剣



共通点はなんだと思いますか?























すべて磨くものです。





人生とは
自分にないものを嘆くのではなく、
自分にあるものを磨いていくんです。



磨いていけば
コシがないことだって魅力になる!

伊勢うどんは50分茹でても、型崩れしないように
小麦をしっかりしっかり練ってあります。

麺が柔らかいので消化にもいい。


あなたにあるものを大事にしてください。
あなたにあるものを磨いていこう。
それは、あなたにしかできないことだから!


この宇宙で一番の贅沢は
自分になることです。


よかったね。
あなたがあなたで。






ひすいこたろうでした(^^♪
hisuikotaro@hotmail.co.jp 
 ▲▲▲アリガ島▲▲▲


 「気・の・せ・い・だ・か・ら」byばあちゃん

2013-05-24 22:45:25 | 教育

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名言セラピー   
- meigen love

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『ひすいこたろうの名言ラジオセラピー』 

というラジオ番組がスタートしており
いま1ヵ月分の収録を終えてきたところです。

そこでたったいま聞いてきた話。






この番組のプロデューサーの名取直子さんは
子どもの頃、視力0.04の弱視だったそうです。



視力0.04ですよ!




でも名取さんのおばあちゃんは
名取さんをミス日本に育てたいと思っていたようで

名取さんがメガネっこになるのを
なんとか阻止したかったのだとか。


結論から先にお伝えすると、
なんとおばあちゃんは
孫の名取さんの弱視の阻止に成功したのです!!!!


いや。視力の低下を阻止するどころか
むしろ、アップ!

おばあちゃんのある一言から
名取さんの視力は次第に回復し始め

受験期の高校生になる頃には
なんと、視力が1.5まで上昇したそうです。



視力0.04→1.5へミラクルジャンプアップ!!!!


37倍のアップです。

37倍のジャンプアップ、
これは月収に置き換えると

月収20万円→月収650万円になることに相当します。
(月収に置き換えなくてよかったですか?)



普通なら、受験期こそ視力は下がるのが常識。
しかし名取さんは視力があがりまくったのです。





さて、おばあちゃんはなんと名取さんに伝えたんでしょうか?





発表しましょう。











「あなたの弱視はね、
 気・の・せ・い・だ・か・ら」byばあちゃん






「な~~~んだ。気のせいだったんだ(^^♪」名取直子



そう安心したら視力がアップし始めたそうです(笑)



視力0.04→1.5へミラクルジャンプアップ!!!!





「woderful」(ステキ)という英語は、

「woder」(不思議)が「ful」(いっぱい)って意味です。


人生は不思議に満ちている。
だから、素敵なんです。



あなたのいまのその悩みも

ひょっとして、
ひょっとして、ひょっとして
ひょっとして、ひょっとして、ひょっとして、
ひょっとして、ひょっとして、ひょっとして、ひょっとして、



気・の・せ・い・か・も・ね




ひすいこたろうでした(^^♪
hisuikotaro@hotmail.co.jp 
 ▲▲▲アリガ島▲▲▲


「おまえはもっと自分のいいところを伸ばせ」

2013-05-24 22:39:03 | 徳育 人間力

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      社会で勝てる人はここが違う


           中里良一(中里スプリング製作所社長)
 
                
               『致知』2013年5月号
                  特集「知好楽」より


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【記者:伸びていく人とそうでない人の差は
    どこにあると感じていますか?】


単純に差はないですよ。
その子が一番芽を出したいと思っているところに
光を集めてあげればものになる。

殆どの人は当てる焦点が違う。
人間って三百六十度のたった一度なんです。
そこに焦点を当てると勝てる。

残りの三百五十九は外れなんです、近くではあっても。
だからピンポイントの社員教育をすれば
伸びない人なんて一人もいない。

例えばうちでは、養護学校を出た子も
必ず一人は雇っています。
というのは、町工場はそれぞれの町でしか
働きに出られない人を守ってあげる職場だから。

その子は実際には普通の人の
十分の一ぐらいの仕事しかできません。

でも、挨拶とか掃除とか、本当に丁寧に、
手を抜かずにやってくれる。だから社員に言うんです。


「皆、よく見ろ。彼は、
  自分が一番仕事できないなんて思っていないだろう。
 本当に一所懸命働いてくれている。

 だから皆が五%ずつ優しくなって、
 彼の足らない給料分、皆で出してあげようよ」


って。だから、社員の育て方って一人ひとり全部違う。

殆どの会社は役職とか給料、
すべてが他人様チェックだと思います。

でも、人からの評価って素直になれない。
うちは全部自己チェックさせるんです。
幾ら給料取りたいか、どの役職に就きたいか。
だから上司と部下も希望制です。


誰についていきたいか、誰を部下にしたいか。
相思相愛にする。

で、誰も希望者がいない人は社長直轄になるんです。


「仕事できるけど周りから人望がないっていうのは
 どこか思い込みがあるよ」


と。ただ、それを直す必要はなくて、


「おまえはもっと自分のいいところを伸ばせ」


と言うんです。


たいていの人は学生の時、嫌いな科目があったと思います。
高校や大学だと、テストで三十点取ってしまうと落第ですよね。
ところが、社会人は違う。

百点のものを一つ取れば、後は全部零点でも
やり手、切れ者って言われる。
社会人の楽しさはそこにある。

だからこの「知好楽」って非常にいい言葉だと思うんです。
知らないよりは知っているほうがいいから、
勉強するって大事なんですね。

でも、知っている人よりも好きな人のほうが勝つ。

で、好きな人よりも楽しくやっている人のほうが
なおなお勝てる。

だから、好きになるための努力っていうか、
楽しくやるための手法を突き詰めていくべきです。

ただ、みんな楽しいという字を
「らく」って読んじゃうんですね。
楽しいってことは手を抜くことだと思ってしまう。

だからダメなんですよ。
片手間でやっている仕事なんて楽しいわけがない。

うちは日本一楽しい会社を目指していますが、
楽しさは向こうからはやってきません。

仕事の真の楽しみというのは、
一所懸命努力する中で創り上げていくものです。


水野彌一(京都大学アメリカンフットボール部前監督)

2013-05-19 21:39:44 | 徳育 人間力


         素人ばかりだった京大アメフト部を鍛え、
            十度の日本一に導き、同大伝説のクラブへと育て上げた
       水野彌一氏。

            水野氏のインタビュー記事が
           『致知』最新6月号に掲載されておりますので、
         その一部をご紹介します。



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



       「腹を括れ」


           水野彌一(京都大学アメリカンフットボール部前監督)
 
               
              『致知』2013年6月号
               特集「一灯照隅」より


└─────────────────────────────────┘


私は昭和四十三年に大学院を卒業した後、
本場のアメフトを学ぼうとアメリカへ留学しました。
これが一つの転機になりました。

それまではいわゆる体育会のシゴキをやって、
普通じゃない、特別な選手をつくることが
スポーツの指導だと思っていましたが、
アメリカはそうじゃなかった。

集めてきた選手に自分たちの戦術を教えて、
組織で試合に勝つと。その大切さを学びました。


それで留学前は関学と戦っても
100対0という世界だったのが、
帰国後、監督に就任した昭和四十九年の試合では17対0。
負けはしましたが、この時が京大アメフト部元年だったと思います。


ただ、そこからなかなか勝てませんでした。

その年、さすがに無給のままでは
活動を続けられないと思って、
スズキインターナショナルという会社に就職しました。

そこは西ドイツ(当時)のビール製造機械を販売しています。
社長さんは鈴木智之さんといって、
関学アメフト部を四年連続全国制覇に導いたスター選手です。

その人のもとで働きながら、
アメフトの神髄を学ばせていただきました。

それで、いつもおっしゃっていたのは
「小手先のフットボールはするなよ」と。
最初はその意味が全く分からなかったんです。
やっと理解できたのは昭和五十七年の時でした。


ある試合の休憩中、副将の四年生が
「ちょっと頭が痛い」と言ってきたんです。
凄い体当たりをしたわけでもなかったので、
ベンチで休ませていたらバタッと倒れた。

すぐに救急車で運んだんですけど、結局駄目でした。


私は入院していた一か月間、
毎日病院に詰めていました。

お父さんとお母さんがずっと看病しておられるんですね。
それを見るのは辛いことでしたけど、
そこで感じたのは、人間っていうのは
あんな頑丈なやつでも呆気なく死んでしまうということ。

もう一つは、親が子を思う心、これは理屈じゃないなと、
物凄く感動しました。

もう、彼は帰ってきません。
ならば自分も人生を捧げないとフェアじゃないだろうと。
それで、「自分をなくそう」と思いました。

それまではやっぱり
「自分が強くする」「自分が日本一にする」と、
自分が強かったんです。

でも、もう自分はどうでもいいと腹を括りました。
それからです、すっと勝ち出したのは。

だから私は京大生に「腹を括れ」と
いつも言っているんです。

腹を括れば自分がなくなる。
そうすれば、逆に自分が自由になるんです。

自分に制限をかけているのは
自分でしかないですから。


 「いかに恐怖心と向き合うか」

2013-05-19 20:34:54 | 徳育 人間力

 世界に十四座ある八千メートルを超える高峰。
       昨年五月、日本人として初めてその全てに登頂する
       快挙を成し遂げたのが竹内洋岳氏です。

       世界屈指のクライマーとして知られる
       竹内氏のインタビュー記事が
          『致知』最新6月号に掲載されておりますので、
          その一部をご紹介します。

       氏は山での恐怖心を、
       いかに克服すべく努力をされているのでしょうか?



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



       「いかに恐怖心と向き合うか」


           竹内洋岳(プロ登山家)
 
               
              『致知』2013年6月号
               特集「一灯照隅」より


└─────────────────────────────────┘


十四座完登というのは、
もちろん簡単に達成できる目標ではありません。
山というのは登る喜びもある一方、
一つ間違えれば命を落とす危険も内包しています。

では、その危険に対する恐怖心をいかに克服すべきか。
実は、恐怖心というのは克服したり
打ち消したりしてはダメなのです。

恐怖心があるがゆえに、それを利用して危険を察知し、
危険を避けて進んでいくのです。

私の中では、危険な体験を重ねる度に
恐怖心が積み重なっています。

しかし恐怖心が増すということは、
危険に対するより高感度なセンサーを手に入れるようなもので、
決して悪いことではないと思っています。

これから起こりうる危険を、いかにリアルに想像できるか。
その感覚をどんどん研ぎ澄ましていけたらいいと思っています。

もちろん、登山で相手にするのは大自然という、
人間のコントロールを超える存在です。

いくら自分が登ろうと意気込んでも、
天候に恵まれるなど自然の了解を
得られなければ登ることはできません。

私たちにできることは、自然の了解が得られた時に
すぐアクションを起こせるよう十分な準備をしておくことです。

登山の準備で大切なことも、やはり想像力です。
それは頂上に到達できるという想像ばかりでなく、
到達できずに引き返すという想像であり、
時には死んでしまうかもしれないという想像です。

そして死んでしまうかもしれないという想像ができるなら、
どうすれば死なずに済むかという想像をする。

死なないためにいかに多方面に、多段階に、
緻密に想像できるかということを、
私たちは山の中で競い合っているのです。

ゆえに想定外というのは山の中では存在しません。
想像が及ばなかった時、登山家は命を落とすのです。




「私の子育て術」 体操日本代表の田中三兄妹

2013-05-19 20:08:57 | 教育

本日は現在発行中の『致知』6月号より、
   体操日本代表の田中三兄妹(和仁選手・佑典選手・理恵選手)の
   父親であり、和歌山北高校体操部顧問の
   田中章二氏の随想の一部をご紹介します。



┌───今月の注目記事───────────────────────┐



     「私の子育て術」


        田中章二(和歌山県立和歌山北高等学校体操部顧問・
             和歌山オレンジ体操クラブ代表)

              『致知』2013年6月号
               致知随想より


└─────────────────────────────────┘


人の話をよく聞いたり、場の空気を読めたりする
精神年齢の高い子は上達も早いため、
そうした機会や課題をなるべく多く与えたいと考えてきた。


これは長男の和仁が三歳の時のこと。

スーパーへ行くと、キッズコーナーにお金を入れれば動く
電動式の乗り物があった。和仁は跨って遊んでいたが、
私は最初からお金を入れてやることはせず、
その日はそのまま帰ることにした。

次に行った時、和仁の目線の先に、
動いている乗り物で遊ぶ子供の姿があった。

和仁はその子が乗り物から降りるとすぐそちらへ駆けていったが、
止まってしまった乗り物はもう動いてはくれない。

三回目、和仁は自分は乗り物に乗ろうとはせず、
やってきた親子連れの姿を見ていた。
そしてその親がお金を入れて乗り物が動くところを
目にしたのだろう。

私のほうへ駆け寄ってきて、

「お父さん! あそこにお金を入れたら動くんや」

と実に嬉しそうに話をした。

その時、私は単にそうかとお金を渡すのではなく、

「おまえ、よう見抜いたなぁ! 
 自分で分からんことがあった時には、
 まず周りをよく見ることが大事なんや。
 おまえは凄い。きょうは好きなだけ乗せてやる」

とわざと誉めちぎった。
和仁は七回連続で心ゆくまで乗り物に乗った。

これと同じことがスポーツ指導にも言えるだろう。
大人に求められるのは子供が自ら考え、
答えを出すのをじっと待ってやることで、
端から正解を教えてしまっては本人の身にならない。

身体能力がいかに恵まれていても、
それだけで強くなっていけるのは
小学校六年生程度までがせいぜいで、
頭を使えない子は必ず行き詰まってしまう。

子供が持つ可能性は無限だが、
その能力を伸ばしてやるための環境づくりをし、
いかに本気に、真剣に取り組ませることができるかは、
我われ大人の役割であり、責任であると言えるだろう。



「ビートたけし氏とお母さんの感動秘話」

2013-05-19 19:59:12 | 教育

現在発行中の『致知』最新6月号に、文部科学大臣の
      下村博文氏が登場してくださっています。
      本日はその記事の中から、
      ビートたけし氏とお母さんの感動秘話をお届けします。



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



     「ビートたけし氏とお母さんの感動秘話」


         下村博文(文部科学大臣/教育再生担当大臣)
 
               
              『致知』2013年6月号
               特集「一灯照隅」より


└─────────────────────────────────┘

いまの日本には偉人伝というだけで
拒否反応を持つ人がいるんですよ。
それ自体、異常な社会だと思うのですが、
そういう時、私はタレントの北野武さんの話をするんです。
 
そうすると皆さん「なるほど」と言って
聞いてくださいます。
 
それは北野さんのお母さんのお話なんですね。
 
北野さんが芸能界に入って売れるようになった頃、
お母さんから「金をくれ」と言われたというんです。
 
それからも何かにつけて
法外なお金を要求されたと。
 
とんでもない親だと思ったけれども、
親には世話になったし
迷惑を掛けたのも事実だから
言われたままに出していたそうです。
 
そして、お母さんの命がもう何日もないという時に
軽井沢の病院に行った北野さんは
お母さんから一冊の通帳を渡されるんです。
 
帰りの新幹線の中で
その通帳を見た北野さんはビックリするんですね、

いままで渡していたお金が全額入金されていた。
 

芸能界は浮き沈みの激しい世界ですから、
お母さんとしては息子が
売れなくなった時のことを考えて、
そっと蓄えておられたのでしょうね。
 

子供は親孝行したいと思っているけれども、
親が子を思う気持ちはもっと深い。
 

吉田松陰が「親思う心にまさる親心」
と詠んでいますが、親が亡くなって
「もっと孝行しておくべきだった」
と子供だったら皆思うんじゃないでしょうか。
 
これは何も国が「親孝行しろ」と言うのとは
違うわけでしょう。
 
道徳の授業の中でそういう話が
エピソードとして出てくれば、
誰でも素直に皆受け取るはずです。
 

人が人として生きるために大事なことを学ぶのは、
本当は英語や数学の学力を高めること以上に
必要なことなんですね。
 


「早朝会議」や「デッドライン」

2013-04-23 22:34:40 | 商い

赤字に陥っていた後発の下着メーカーの経営を担い、
   十九期連続増収増益を成し遂げた吉越浩一郎氏。

  「早朝会議」や「デッドライン」などユニークな施策を導入し、
   社員の意識改革を強力に推進した吉越氏は、
   若き日にその礎をいかに築かれたのでしょうか。

   本日は『致知』の好評連載「二十代をどう生きるか」より、
   記事の一部をご紹介します。



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



     「デッドライン仕事術」


      吉越浩一郎(トリンプ・インターナショナルジャパン元社長)
 
               
              『致知』2013年4月号
               連載第29回「二十代をどう生きるか」より


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香港での体験は、私のビジネス人生に
大きな影響をもたらした。

現地の同僚に同じ歳の二十九歳のドイツ人がいた。

驚いたことに、彼は着任早々自分の秘書を
探すことから始めたのだ。
日本の会社の常識では考えられないことであり、
私は彼に冷ややかな視線を送っていた。

ところが、いったん仕事を始めると、
彼は自分の仕事をどんどん秘書に振り分け、
私の何倍もの実績を上げ始めたのである。

衝撃を受けた私は、ボスが出張して
時間を持て余していた秘書に頼み、
レターをタイプしてもらうことにした。

私が時間をかけてようやくひねり出した拙い英文を渡すと、
彼女は当時の最新式電動タイプライターに向かうや、
凄まじいスピードでタイプし始めた。

ものの一分も経たないうちに
持ってきてくれたレターを見ると、
見事に洗練された英文に書き換えられている。
私は同僚が秘書を雇った意味が理解できた。

秘書に投資をすることばかりではない。
生きたお金の使い方をして仕事の効率を上げることは、
自分の成長を促し、ひいては会社のために
なることを私は学んだ。


もう一つ学んだことは、
常にデッドライン(締め切り)を設けて
仕事をすることの重要性である。

香港のオフィスには、社主である
トーマス・ベンツが考案した
木製の「デッドライン・ボックス」が
各自に配布されていた。

ボックスの中は月ごとに仕切られていて、
直近三か月の仕切りの中は、
さらに一日から三十一日まで日ごとに区切られている。

会社の仕事にはすべてデッドラインが設けられており、
書類はそのデッドラインの日にファイルしておく。
相手から必ずその日に連絡が入るからだ。

逆に自分が担当のデッドラインのついた
仕事のファイルは手元に置いて片っ端から片づけていき、
終えたものからデッドラインの日に入れておく。

おかげで常にデッドラインを意識して
仕事をする習慣が身についた。


例えば会社の始業時間の一時間前に出社して
ひと仕事する。

始業までに何が何でも終わらせなければ、
それ以降の仕事に支障を来すため、
一所懸命集中して取り組むことになる。

いわゆる“締め切り効果”が発揮され、
時間内にはちゃんと終えることができるのである。
そうして仕上げた仕事は質が低いかというと、
決してそんなことはない。

ダラダラ時間を費やした仕事より格段に質も高い。
そういう集中する仕事のやり方を、
平素からの習慣にすべきなのである。


「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである」

2013-04-23 22:02:44 | 建て直し

「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである」  アインシュタイン

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名言セラピー
- meigen love


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日本ではちょっとエッチな色ってピンクですよね。
ピンク映画っていいますし。
でも、これ、国によって違うんです。


アメリカではエッチな色は青、ブルーになります。
だから「ピンク映画」は「ブルーフィルム」
下ネタは「ブルージョーク」といいます。

スペイン語では緑がエッチなので、
エロ本は「libro verde」(緑の本)となります。
中国は黄色がエッチ。だからアダルト映画は「黄色電影」です。


日本では、何かもらったら、「ありがとう」って言いますよね。
でも、中国では仲が良ければいいほど、「ありがとう」って言わないんです。
そんなこと言われたら、逆によそよそしい。
自分たちは仲いいはずじゃなかったのかなって思うそうです。


日本では人を励ます時に、「頑張って」って言いますよね。
でも、アメリカでは「頑張りすぎないでね!」
(Don't work too hard)となります。
まったく逆です。


日本の親は「人に迷惑をかけちゃダメ」と教えますが、
インドでは、「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、
人のことも許してあげなさいね」と教ええるそう。

また、インドでの「イエス」のジェスチャーは、日本の「ノー」のように首を振って、
「ノー」のジェスチャーは、日本の「イエス」のように首を頷けます。
もう、わけわからなくなります。


常識は国が変われば非常識になりえます。

常識は時代が変わっても非常識になりえます。
あなたの頭の中の常識だって、根拠はあやしいものです

しかし、頭の中の思い込みは、自分では「当たり前」になっていますから、
普段は気づくこともない。だから、疑ったことなど、一度もないんです。

例えば、僕には弟がいますが、弟は学生の頃、
サッカー部のキャプテンで、モテモテ、
それが当時の僕にはすごく嫌だったんです。

友達がモテるのは気にならないのに、弟がモテるのはイヤなんです。

なんでイヤだったのか。
「兄は弟に負けてはいけない」
当時、完全にそう思い込んでいたからです。

だから、バレンタインの日は、悔しくて悔しくて。
弟チョコ8に対して僕は1。


8対1


しかも僕の1は、かあちゃんからのチョコですからね。
僕はこんなとるに足らない思い込みのせいで苦しんできたんです。

この思い込みがなければ、
弟に「余ったチョコちょうだいね」って素直に言えたのに(笑)

では、なぜ、「弟に負けてはいけない」と思い込んだかというと、
「勝たなければ、親に認めてもらえない」という、
その先の思い込みがあったからです。

嫌な感情の背後には、必ず、あなたの常識(思い込み)が隠れていますので、
探してみてください。どんな思い込みがあるから、こ
のイヤな感情が生まれるんだろうって。思い込みに気づけたら、
あとは、「それ、ほんとう?」って疑ってみればいい。

「弟に負けてはいけない」

「それ、ほんと? 勝つとか負けるって誰が決めるの? 
 相手のいいところと、自分のダメなところを比較して、そもそも勝ちってあるの?」



勝たなければ、親に認めてもらえないってほんと?」

親に聞いてみた? え? 聞いてもいないのに勝手にそう思い込んでた?」



「失敗してはいけない」

「それ、ほんと? うまくいっている人ほど過去にたくさん失敗していたりするけど」



「みんなと仲良くしなくてはいけない」

「それ、ほんと? 嫌いな人が一人でもいたら、もう価値がないの?」



「弱い自分を見せてはいけない」

「それ、ほんと? むしろ、相手が本心を話してくれたときうれしかったりするけど」


たいてい、ほんとうじゃありません。
人は、ほんとうじゃないことで悩んでいるんです。
悩むのが趣味っていうならいいんです。
でも、そうではないなら、ほんとじゃないことで悩むのはやめよう。

嫌な感情がでてきたら、それは、自分の思い込みや価値観に気づくチャンスです。

気づいたら、「それはほんとう?」と疑ってみましょう。


ほんとうではない、もしくは、もう必要ではない価値観なら、
「そう思うことで自分を守ろうとしてきたんだよね。
 でも、もう大丈夫。今までありがとう」と、感謝で手放せばいい。



「君を疲れさせているのは、目の前の登るべき山ではなく、とるに足らない厄介事だ」
モハメド・アリ




出典

ひすい最新刊「常識を疑うことから始めよう」
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4861139813/nicecopy-22 
(新刊発売になりました。みんなー。シェアよろしくお願いしまーす!)


自分もチームの一員なんだ (京都明徳高等学校ダンス部)

2013-04-23 21:56:09 | 教育

高校生のダンス世界一を決める大会で、
   本場アメリカの強豪チームらを抑え、
    連覇という快挙を成し遂げた京都明徳高校ダンス部。

    入部時は大半が初心者という同部を、
    顧問の岩倉真紀子氏はどのようにして
  世界レベルまで鍛え上げるのか。

    『致知』最新4月号より、
   全身全霊を懸けてチームの指導に当たる岩倉氏の
   インタビュー記事の一部をご紹介します。
 


┌───今日の注目の人───────────────────────┐



          「感謝の気持ちをダンスで表しなさい」
   

           岩倉真紀子(京都明徳高等学校ダンス部顧問)

           『致知』2013年4月号
            特集「渾身満力」より


└─────────────────────────────────┘


私はモチベーションというものを
一番大事にしているんですが、
それを保つには子供たち自身に、
自分もチームの一員なんだ、
自分が頑張れば誰かの力になるんだというふうに
思わせることが大事なのだと思っています。

それでもコンテスト前には、
三分の二がメンバーから外れます。

そこで、選ばれた子には、選ばれなかった子の分まで
三倍頑張りなさいと話をします
倍じゃ足りん。この子に負けたら仕方がないと
思うくらいの練習をしなさいと。

選ばれなかった子には何が足りなかったかを自分で考えさせ、
そのポジションに入ったつもりで
練習に参加しなさいと言います

そうすると彼女たちから「もっとこうしてほしい」
といった声が自然と出てくるようになるんです。


私がクラブ運営をする上で大事にしているのが、
全員でダンスをすることと、
周りの人に感謝をすることの二つ。

練習場所を提供してもらっている学校、
自分を支えてくれる両親や友達、
部の礎を築いてくれた先輩、
そういう周りの人に対する感謝の気持ちを
ダンスで表しなさいと言うんです。


自分がミスをしたり、ルールを破ったりすれば
皆にも迷惑が掛かる。
逆にいいことをすれば皆が喜んでくれる。

そうやって自分が人のために何ができるかを考え、
それを子供たちに体験させることが一番だと思うんです。

ただその時に、表現の仕方を知らなかったり、
気持ちを素直に出せないでいる子には、
いま出せる時に出しなさい、
ストレートに出しなさいと指導するんです。

だってもったいないじゃないですか。
やれる可能性があるのに、
恥ずかしいなんて言ってやらないのは。



※顧問就任時は、ご自身もダンス素人だったという岩倉氏。
 指導の秘訣が満載のインタビュー記事は、
 『致知』4月号