交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

「成長を前提としない社会」における人材育成

2012-01-21 09:32:30 | 教育

人材育成の潮流を捉えたとき、
2つの大きな流れを押さえる必要がある。

一つは、新興国を始めとする「成長を前提とした社会」における人材育成。
もう一つは、「成長を前提としない社会」における人材育成です。

日本は、2005年を境に人口減少社会に突入。
2050年には1億人を切って9515万人になる。

65歳以上の高齢化比率においては、2008年時点において20%強ですが、
2055年には、40%を超える。

成長を前提とした社会においては、社会の成長、会社の成長に合わせて、
自分を成長させることが当たり前だったと思います。

学んだスキルを活かし、会社の成長、社会の成長に貢献しようとしました。

ところが、社会が成長しない、会社が成長しないとなると、
自分を成長させることに意味を見出せない人が
出てきています


成長を前提としない時代における人材育成においては、何が重要でしょうか?

スキルより先に、意識の改革が必要とされていると感じています

成長という分かりやすい方向性を見失った今、
自分にとって納得のいく方向性を見出せないと、人はさまようばかりです。

低成長時代に顕著に見られるようになって来たのは、意識の低下です。

このような低成長の時代に、どう生きるべきなのか。
どのように働くべきなのか。

高度成長時代には、意識改革などを叫ぶ必要はなかったと思います。

今の、新興国においても、そのような必要性は薄いでしょう。

スキル研修を実施する前に、意識改革をしていく。

働くことに関する意識を高めることが日本では
喫緊のテーマになってくるのではないか。


What a wonderful world - LOUIS ARMSTRONG.

2012-01-20 20:54:26 | 映画 音楽

What a wonderful world - LOUIS ARMSTRONG.

 

What a Wonderful World 

I see trees of green
 緑の木がみえる
 
Red roses too
 赤いばらも
 
I see them bloom
 咲いているのがみえる
 
for me and you
 僕と君のために
 
and I think to myself
 そして僕は思うんだ
 What a wonderful world
 なんて素晴らしい世界なんだって
 
I see skies of blue
 青い空
 And Clouds of white
 白い雲がみえる
 
The bright blessed day
 明るいうららかな日
 
And the dark sacred night
 そして暗い神聖な夜
 
And i think to myself
 僕は思うんだ
 What a wonderful world
 なんて素晴らしい世界なんだって
 
The colors of the rainbow
 虹の色が
 So pretty in the sky
 そらにとてもきれいに
 
Are also on the faces
 of the people going by
 それは通り過ぎて行く人々の顔に・・・・
 
I see friends shaking hands
 友達が握手しているのがみえる
 Saying, How do you do?
 こんにちは、と言いながら
 
They’re really saying
 でも本当ははこう言っているんだよね
 I love you
 「I love you」
 
I hear babies crying
 赤ちゃんが泣いているのがきこえる
 I watch them grow
 彼らが育っていくのをみる
 They’ll learn much more
 彼らはたくさん学ぶんだ
 Than I’ll ever know
 私が知っていることよりはるかに多くのことを
 
Yes I think to myself
 そう、そして僕は思うんだ
 What a wondeful World
 なんて素晴らしい世界だって


徳田 英幸 慶應義塾大学環境情報学部長・教授

2012-01-19 20:27:59 | 教育

経営の最適化を徹底的に追求し継続的な増益体質を構築する

仙石 通泰  株式会社三技協    取締役社長

聞き手/徳田 英幸   慶應義塾大学環境情報学部長・教授


新たなビジネスモデルを次々につくる

徳田 仙石さんは、1967年に慶應の商学部を卒業されています。在学中は柔道部に在籍されたそうですね。

仙石 本来なら65年卒業のはずでした。その年の春に、アメリカで一番多く五輪選手を輩出しているカリフォルニア州立サンホセ大学の柔道のコーチが「来ないか」と呼んでくれたんです。果樹園の真ん中のようなところで、柔道をしながらアルバイトで学費を稼いで学校にも通い勉強しました。

徳田 サンホセ州立大学に留学されていたのですね。ソニーに入られたのはどのような経緯だったのですか。

仙石 親父としてはほかに入れたい会社があったのですが、どうも堅苦しそうなので拒みまして(笑)。ちょうどソニーが銀座にソニービルを建てているときで、そこで2週間ほど夜警のアルバイトをしたんです。夜、警備をしていると、井深さんや盛田さんが外国人などを連れて来るわけです。そうすると、「誰か通訳できないか。そこの学生どうだ」と言われて、引き受けているうちに顔見知りになりまして、こういうオープンな人がやっている会社がいいと。それと、サンホセに留学していたときに味わった雰囲気を、ソニーのビルの中に感じたんですね。それで「この会社に入りたい」と強く思うようになりました。推薦人として井深、盛田といった名前があるものだから面接まで受けさせないといけないということで、面接まではいったのですが、実は一度落ちています。「なぜこんな人たちと知り合いなのか」と面接官に聞かれ、「夜警のアルバイトで知り合った」と答えたら、「そんなことか」と。で、落ちた後にお偉いさんのところに行って、「何で入れてくれないんだ」と直談判しまして(笑)。入社が決まったのが、12月でした。

徳田 そのへんはまさにアメリカのカルチャーですね(笑)。入社後に配属されたのが、ソニープラザということですね。

仙石 創設期ですから、学校を出たばかりで品揃えから何からすべてやりました。それを手始めに、ソニーらしさはエレクトロニクスだけではないということで、新事業開発に23年間携わりました。ソニーコーポレーション・オブ・アメリカに7年ほどいたのも、その一環ですね。帰国後にソニートレーディングに行き、そして家電の国内マーケティングの仕事をしまして、それからソニープラザに役員として戻って、小物の全国販売網を構築する仕事を手がけました。キャラクターライセンスやアスレチックテープの輸入販売など、エレクトロニクス分野以外で僕がつくったビジネスモデルは誰よりも多いのではないでしょうか。楽しくてしょうがなかったですね。

「見える化」で価値観を変える

徳田 お父様が創業された三技協に入られたのが、1990年。以後、マイクロ波や衛星通信、移動体通信にかかわる各種設備の施工や現地調整などが中心だった御社の業務を、総合的なITエンジニアリングサービス企業に育てあげるよう尽力されましたね。

仙石 うちの親父も、社員も、いつまでも下請けのままではいけないという思いはあったのですが、どうすれば脱却できるかわからなかった。ダサくしているほうが男らしい、ツッパっているほうが高く売れる、という感じでしたから、価値観をガラッと変えてもらう必要がありました。とかくエンジニアには、映画の「鉄道員(ぽっぽや)」みたいな、蛸壺のような人生が美しいという文化が根づいてしまっていた。しかし、広告業界も流通業界も、ソニーのようなところも、そうではないわけです。多様化ということをテーマに経営を進めていました。セリカが出たころから「これからは多様化の時代である」と社会では叫ばれていたんですね。しかし、いまだにそうなのですが、世のエンジニアには新しいパラダイムに対する抵抗感が強くあるものです。本当にそれでいいのかと聞くと、ほとんどの人間がわからないと言う。だからこそ、僕のような立場の者が新しい価値観を持たせてあげることが必要だと思っています。世の中のエンジニアをより豊かにするためにも。

徳田 そこで行われたのがオプティマイゼーション、つまり経営の最適化ですね。

仙石 何をやってもいいような雰囲気のソニーから来てみると、何もやってはいけないような業界に感じました。これは何とかしなければいけないなと。例えば衛星の地上局のオプティマイゼーションとか、マイクロのオプティマイゼーションに取り組みました。そうすると、仕事は倍ぐらいに増えましたが、やがてインフラが一段落してしまうと、別のタイプの仕事になってしまう。先行した投資も無駄になってしまうわけですが、ちょうど国際会計基準の導入時期ということもあって、3年かけて減収増益の体質をつくりました。

徳田 すばらしいですね。

仙石 どうやったかというと、「見える化」しかなかったわけです。R&Dベースの会社ではありませんから、これからも持続的に発展していくためには、徹底して「見える化」、つまり「情報の共有化」を図ることが必要でした。そこで開発したのが、「Cyber Manual」というシステムです。具体的に言いますと、徹底的に仕事をバラす、データベース化する、それを経営のプラットフォームとして活用し、さらに連続展開と革新の連鎖を続ける構造にする、ということです。もちろんそれぞれの段階で課題が生じますから、今でも格闘していますが。

徳田 ジョブ・マニュアルが企業の中で、しかもノウハウまで文書化されているというのは、非常にユニークですね。

仙石 さらに言えば、マニュアルが固定化していません。仕事の分解・解析・再設計を頻繁に行っています。ですから、例えばジョブローテーションで本部長が交代するときも引継書がまったくいりません。

 

柔道、留学、そしてソニーで培ったセンス

徳田 御社自身が経験されたオプティマイゼーションを、現在ではサービスとして提供されていますが、顧客のニーズを先取りしてアグレッシブな経営をされるのはアメリカ生活を含めてソニーで培ったセンスなのでしょうか。

仙石 そうかもしれませんね。横浜の元町がなぜトレンドが早かったかというと、外国人がたくさんいるからです。やはり外国から来た人はどこかあか抜けている。ありがたいことに、柔道をやっていたときも、遠征で外国に行かされたり、あるいは日本にやって来た外国の選手団の面倒を見たり試合をする機会がありましたので。

徳田 SFC、あるいは慶應の学生に期待されることをお聞かせください。

仙石 おそらく誰にでも部分最適と全体最適の狭間で悩むときが来ると思います。そこで、若い人、特に慶應の学生には、ダイナミックに動ける力を期待したいですね。

 

通泰
  (せんごく・みちやす) 1967年慶應義塾大学商学部卒業、ソニー株式会社入社。ソニーコーポレーション・オブ・アメリカ勤務、ソニープラザ取締役を経て、90年、株式会社三技協入社。92年より現職。「社内企業変身運動」「構創塾」など、ユニークな手法で企業改革を推進し、独自の業務分析手法を開発してきた。

徳田 英幸
 
 (とくだ・ひでゆき) 慶應義塾大学環境情報学部長・教授。慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了、ウォータールー大学計算機科学科博士課程修了。主著に「ディジタルメディア革命」(共著)などがある

http://sfc-forum.sfc.keio.ac.jp/forumnews/news82/forumnews82-3.html


東海・東南海・南海3連動と首都圏直下型地震も 平安時代に匹敵と地震考古学の研究者

2012-01-19 13:25:18 | 節電 経済 政治 産業 食料 エネルギー

東日本大震災規模とされる平安時代の貞観(じょうがん)地震869年)や関東直下型地震、東海・東南海・南海地震の3連動とみられる仁和(にんな)地震など9世紀に起きた地震が、阪神大震災(平成7年)以降の地震の状況と酷似していることが、産業技術総合研究所の寒川(さんがわ)旭(あきら)・招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)の分析でわかった。近い将来に首都圏直下型や3連動型地震が起きる可能性が高いとの見解を示し、「千年に一度の巨大地震の世紀になるかもしれない」と警鐘を鳴らす。

 寒川氏は、古代以降の文献史料とともに、各地の遺跡で発掘された地割れや液状化現象による噴砂などの地震痕跡を調査。9世紀前半に関東北部や東北などでマグニチュード(M)7前後の地震が相次いだ後、貞観地震が発生していることを確認した。

 貞観地震は当時の歴史書「日本三代実録」に、「海は猛(たけ)り吼(ほ)え、津波が怒濤(どとう)のように多賀城下に押し寄せ、千人がおぼれ死んだ」と記述。当時の海岸から約5キロ内陸の多賀城跡(宮城県多賀城市)周辺では道路が寸断された跡が見つかり、仙台市などでは津波で運ばれた堆積物もあった。

 878年には関東南部でM7以上の直下型地震が発生。887年仁和地震では、日本三代実録に「都(京都)の建物は倒壊し、圧死する者多数。海岸には海潮(津波)が押し寄せ、無数の人がおぼれ死んだ。大阪湾岸も津波被害が甚大だった」と記録。東海から四国にかけて甚大な被害があったという。

 寒川氏の分析によると、最近数十年間に秋田などで死者100人以上を出した日本海中部地震(昭和58年、M7・7)や阪神大震災(M7・3)、新潟県中越沖地震(平成19年、M6・8)など各地でM7前後の地震があり、その後東日本大震災が発生した点が、平安時代の状況と共通していると指摘した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110803/dst11080301010000-n1.htm

 

首都圏直下型地震や東海・東南海・南海地震について寒川氏は、いずれもフィリピン海プレートの影響下にあり関連が深く、過去の首都圏直下型や仁和地震に匹敵する3連動型地震が発生する可能性が高いとした。

 また、6月30日に長野県中部で起きた震度5強の地震は、千年あまり活動がなかった牛伏寺(ごふくじ)断層付近で発生。7月5日にも和歌山県北部で震度5強の地震があったことからも日本列島が活動期にあることが改めて浮き彫りになった。

 一方、古代以降、M8・2程度の元禄関東地震(1703年)や3連動型の宝永地震(1707年)があった「18世紀初め」、安政東海地震(1854年)や、高さ9メートルの津波が襲ったという翌日の安政南海地震、死者1万人といわれる安政江戸地震(1855年)が起きた「幕末」にも巨大地震が集中したが、三陸沖では東日本大震災に匹敵する地震はなかった。

 寒川氏は「東日本大震災では『想定外』という言葉がしばしば使われたが、文献史料には過去の巨大地震が詳しく記されており、決して想定外ではない」と話した。

 古村孝志・東大地震研究所教授(地震学)の話「これまで、江戸時代以前のデータは不確かさがあるということで防災対策などでもあまり注目されなかったが、今回を教訓に文献史料などを見直さないといけない。東日本大震災後の余震は以前より落ち着いてきたが、陸のプレート深部はまだ動いており、バランスをとるために再び大地震が発生する可能性が高く、対策が急がれる」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110803/dst11080301010000-n2.htm


大地震、震源と活動が9世紀と酷似 専門家が警鐘

2012-01-19 13:20:02 | 節電 経済 政治 産業 食料 エネルギー

 平安時代の869年に起きた貞観地震は、その震源域や津波被害などの面から東日本大震災との類似性が指摘されている。この地震の前後には、東日本の日本海側と中部、関東地方で大きな地震があった。西日本では兵庫県で山崎断層帯による「播磨地震」(868年)が発生。887年には南海地震が起こった。

 南海地震や東日本大震災のようなプレート境界型地震は、その発生前に内陸部で地震が多発する「活動期」に入るとされる。実際、東日本では9世紀と同じような地域でこの50年間に大地震が多く起きた。今後30年間の発生確率が60%に高まっている南海地震も、1995年の阪神・淡路大震災が活動期の始まりといわれる

 

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004384230.shtml

 


「鳴かぬならそれもまたよしほととぎす」

2012-01-18 10:58:04 | 徳育 人間力

「鳴かぬならそれもまたよしほととぎす」
      
『致知』2001年5月号   特集「流れをつくる」より
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「鳴かぬなら」の第一句に、天下取りを果たした
戦国時代の三人の武将が三様の第二句をつけた
有名な「ほととぎす」の句がある。
 
信長は「殺してしまえ」といった。
秀吉は「鳴かせてみよう」といった。
家康は「鳴くまで待とう」といった。
 
もちろん史実ではない。
だが、三者三様の個性、やり方、歴史的役割などを
あますところなく表現して見事である。
 
以前、ある人が八百人ほどの経営者にこの
「ほととぎす」の句を示し、
「あなたはどのタイプか」と質問した。
 
ほとんどの経営者がそれぞれ信長、秀吉、家康になぞらえて、
「自分は何々型である」と回答した。
その中でたった二人だけ、自分はどのタイプでもない、
と答えた経営者がいた。
 

「では、あなたならどう詠むか」
 

とさらに質問すると、一人はこう答えた。
 

「鳴かぬならそれもまたよしほととぎす」
 

もう一人はこう答えた。
 

「私は俳人ではないのでうまく詠むことはできないが、
 その三つのタイプには入らない」
 

前者が松下幸之助氏であり、後者が本田宗一郎氏である。
 
人間は選択肢を与えられると、
その枠の中に閉じこもってものごとを考えてしまいがちである。
与えられた枠、既成概念を踏み越えて
発想を飛翔させることが難しい。
 
松下氏も本田氏もそれができたからこそ、
新しい流れをつくり得たのだろう。
 

さて、時代はいま、いよいよ混迷の度を加え、閉塞感が色濃い。
これを突き抜け、新しい流れをつくるには何が必要か。
 
歴史の中に、企業経営の中に、
新しい流れをつくってきた人たちがいる。
そこから流れをつくり出す条件を探り、学ばなければならない。
 
流れをつくる。
そのためにわれわれ日本人がどのような発想に立ち、
何をなすかを見定めるのは、焦眉の急なのである。
 

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故・松下幸之助さんの考えは「無税国家論」でした。

2012-01-18 00:04:45 | 節電 経済 政治 産業 食料 エネルギー

故・松下幸之助さんの考えは「無税国家論」でした。

無税国家論とは、
まず財政の単年度制度を廃止し、予算を使い切らずに、余ったお金を積み立てていく。
それを複利で運用すれば、100年後には税金を取らなくても運用益だけで予算をまかなえるというものだ。

予算を使い切らずに余剰を出すには、無駄を減らすしかないが、そのためには公務員にそのためのインセンティブを与えなければダメ。
そこで、予算が余ったら、余剰金の20%は公務員の人に特別賞与として分配し、残りの80%を毎年積み立てていくわけです。
そうすると公務員は賞与獲得を目指して一生懸命無駄を無く。


【民主主義を裏書きするだけの良識が、国民に培われておらなければならない】

2012-01-17 14:20:13 | 節電 経済 政治 産業 食料 エネルギー

昭和51年(1976) 松下電器 全寮フエステイバル記念講演会(81歳)

 

民主主義の国家としていちばん大事なものは何かというと、

やはりその民主主義を支えていくところの良識というもので、

それが崩したならば、民主主義は非常に危険なものである、

それはすぐに勝手主義になってしまうということが、私はいえると思うのです。

個人の権利を非常に主張して、

それを重んずるということも、民主主義の大きな一つの柱であります。

これはまことに結構であって、大いに尊重されるべきものだと思います。

 

けれども、同時に他人の権利も同様に重んじないといかんということを自覚しなくてはならない

そういう義務をはっきりと意識しないといけない。

そうでありますから、民主主義がいい意味に働いて立派な社会を構成するには、民主主義を裏書きするだけの良識が国民に培われておらなければならない。

そうでなければ勝手主義になって、収拾がつかない混乱に陥るということもいえると思うのであります。

つまり民主主義というものは、非常に高度な常識というものを養っていかねばならない。

そういう国民の良識が低い状態において、民主主義というものを強調しすぎますと

非常に混乱してしまうということになりはじないかという感じを、

私は最近もつようになりました。

日本が今後、民主主義というものをさらに培養していく以上は、

それに伴うて、その民主主義を民主主義たらしめる裏づけをするところの義務観念というものを培養することを忘れてはならない。

いいかえますと、

国民の良識が高まってきますと、民主主義は立派な花を咲かせる、

民主主義の花が咲く。

けれども良識という水をやらなかったならば、

立派な花はあだ花になってしまう。

それで非常に醜い姿になってしまう。

いいかえると勝手主義になってしまう。

秩序を保つことができないということに陥るおそれがあるという感じが、私は民主主義の本場であるアメリカの現状を見ましていたしている次第であります。


【松下幸之助のいかなる努力をもってしても、会社の経営はできない】

2012-01-17 13:22:51 | 建て直し

昭和36年 (66齢)


 
私は前から言っておりますけれども、松下電器は衆知によって経営する。

 
松下幸之助のいかなる努力をもってしても、会社の経営というものはできない。

 
結局、全員の衆知が集まるような情勢下におくことがいちばん大事である。 
 
 
そういうような衆知が出やすいようにするためには、どうあるべきかということを、経営者が考えなければならない

 
私がいちいち命令し、全員が命これに従うというようなことでは、

 
死なせる軍隊のような状態になってきて、事業は大失敗です。 

 
だからそうではなくて、みんなが発意しないといかん。

 
みんなが発意し、

それが率直に結集されないといかん。

 
その結集されたかたちを、私は便宜上、命令のかたちにおいて出すんだ。

 
こういうように自分は考えなければいけない。

 
自己があってはならない、

 
私があってはならないというのが、

 
私が会社を経営するところの方針でなくてはならないと自問自答して、今日までやってまいりました。

 
皆さんは、社長から命ぜられたからこうだとおっしゃるかもしれんが、私は、社長個人として何一つ命令していない。

 
命令するということがありましても、

 
それは全員の経営意識はこうであろう、こうしなくてはならない、

 
彼はこう言っていた、

 
彼はこういうように願望しておったと、
 
そういうことを考えて、

 
こういうことがいちばん正しいであろうというところから、
 
それが社長の命令ともなり、

 
会社の方針ともなったのであります。

 
一人の個人的な意欲によって命令をしなくてはならないというのが、

 
私自身にいつも教えるところであったと思うのです。


今後とても、いかなる人が会社の社長になり、いかなる人が部長になりましても、

 
その精神は少しも変わらないようにやっていくべきであるし、

 
またやってもらわねばなりません。

 
名経営者といいますか、名部長と申しますか、

 
名部長の勤務態度というものは、そこに重点をおかなければならない。

 
その部長は多くの人々の知恵才覚を結集しているんだと思うのです。


おれは非常に万事にすぐれた知恵才覚を個人的にもっている、だからおれはこうするんだということがあっては

 
すでに失敗の第一段階に入っている


 
自分は比較的経験をもっておる。
だからこの経験を生かさなければならない。

 
しかしさらに最後の決定をするには、皆さんの意向というものをここに加えないといかん

 
こういうような心がまえをもっていなければならない。

けれども、事を決するのに、いちいち「あんたはどうですか」

 
ときいてまわるということはできない。

 
常日ごろそれをキチッと集めておかないといかん

 
だから皆さんが、50人なら50人を使っておる部下の、常日ごろの考え方、知恵というものを絶えず吸収しておかないといかん。


そうして、何か火急に命令せねばならん場合に命令したことが、

 
全部員の知恵才覚のちゃんと盛られたものであるということであります。

 
そういうものでなければならん。

 
それがほんとうに偉い人だと私は思うのです。

そういう人でなくては、ほんとうの意味の経営者になれないし、

 
また部長、主任という立場に立って、成果をあげることはできないと思うんです。


 
政治家のごとき特にその必要があると思うのです。

 
みな集めるということは分かった。

 
しかし集めることにひまが要って、衆知を集めることかわ大事だといって集めることに3年かかって、

 
何もできないということもあります。

 
これはべらぼうなことであって、そんなことがあってはならない。


 
刻々と新しい意図を発表し、
 
そして多くの人を導いていくとという態度をとっても、常に多くの人たちの意向というものを取捨選択して、
 
吸収していかないといかんと思うのです。

 
とかくワンマンといわれる人はそれをやらないんです。

 
「おれはいちばん偉いんだ、おれは経験がたあるんだ、おまえら黙っとれ」
と、

 
こう言うて、おれに従ってきたらいいんだというような人は、これはワンマンです。


 
ワンマンはとかく失敗する場合が多い

 
成功する場合もありますが、究極において失敗する。

 
ワンマンはときに利する場合もありますが、おおむね失敗である、結論においては。


 
それは、いま言うように自分の知恵才覚のみによって人を導く。

 
いかに志が善であっても、

 
やはり自分の知恵才覚のみもって仕事をしょうという場合には、

 
結局ワンマンとなり、

究極においては、一時栄えても失敗するということです

 
だから決してそうあってはならない。

 
見た目はワンマンのごとき存在であっても、
 
その人の達成するところ、行うところは、

 
全部全員の知恵をもとにして発表していくということが、

 
衆知を集めた経営ということになるわけであります


【自分より数倍偉い人が幹部におって、秩序正しくやっていけるのが名経営者】

2012-01-17 12:28:51 | 商い

昭和47年(1972) 松下電器 第1回事業部長経営研修会(78齢)

 
自分が偉いから人が動くというのはしれている

 
経営者よりもっと立派な人、技術の点においても、

 
経営の点に置いても、もっと立派な人が周囲にいる。

 
その人たちが経営者を徳として協力してくれるということにならなければ、

 
偉大な仕事はできない。

 
自分が偉いからついてくるというのでは、その人の限界はしれている。

 
その人の限界で終わってしまう。
 
だから自分より数倍偉い人が幹部におって、
 
それでしかも秩序正しくやっていけるというのが、

 
ほんとうの名経営者だと思いますね。

 
それにはいろんな徳望を必要としましょうし、
 
そのほか自分以外の原因も、
 
また社会の情勢もありましょう。

 
しかし、やはりそういうことが大事だと思うのです。

 
みんながそういうことにポイントをおいて、仕事をしないといけない。

 
百人までは、いわば命令で人は動く

 
千人になれば、命令ではなくて、命令であっても心の底に、
してください

 
という心の柔らかみがなければ、その命令は生きない。

 
一万人にもなれば、

くださいではなく、
頼みます

という
 
頭を下げるという気持ちがなければ動かないのやないかということを、

 
僕は考えたのです。

 
皆さんそれぞれ自由に解釈してもらっていいわけですが、

 
僕はそう思う。
 
そうしたらみんな得心して、やってくれるのではないかと感じがするんです。 

 
幸之助さんは、

 
指導者は衆知を生かして、組織の総合力を最大限にまで引き伸ばすべきである

 
というのが、幸之助さん流の経営哲学であることは明らかです。

 
百人までは単なる命令で動くが、社員が何万人もなると
 
 
『拝みます』というくらい頭を下げて、お願いする必要がある」という

(松下幸之助に学ぶ人生論 PHP研究所)