昭和36年 (66齢)
私は前から言っておりますけれども、松下電器は衆知によって経営する。
松下幸之助のいかなる努力をもってしても、会社の経営というものはできない。
結局、全員の衆知が集まるような情勢下におくことがいちばん大事である。
そういうような衆知が出やすいようにするためには、どうあるべきかということを、経営者が考えなければならない。
私がいちいち命令し、全員が命これに従うというようなことでは、
死なせる軍隊のような状態になってきて、事業は大失敗です。
だからそうではなくて、みんなが発意しないといかん。
みんなが発意し、
それが率直に結集されないといかん。
その結集されたかたちを、私は便宜上、命令のかたちにおいて出すんだ。
こういうように自分は考えなければいけない。
自己があってはならない、
私があってはならないというのが、
私が会社を経営するところの方針でなくてはならないと自問自答して、今日までやってまいりました。
皆さんは、社長から命ぜられたからこうだとおっしゃるかもしれんが、私は、社長個人として何一つ命令していない。
命令するということがありましても、
それは全員の経営意識はこうであろう、こうしなくてはならない、
彼はこう言っていた、
彼はこういうように願望しておったと、
そういうことを考えて、
こういうことがいちばん正しいであろうというところから、
それが社長の命令ともなり、
会社の方針ともなったのであります。
一人の個人的な意欲によって命令をしなくてはならないというのが、
私自身にいつも教えるところであったと思うのです。
今後とても、いかなる人が会社の社長になり、いかなる人が部長になりましても、
その精神は少しも変わらないようにやっていくべきであるし、
またやってもらわねばなりません。
名経営者といいますか、名部長と申しますか、
名部長の勤務態度というものは、そこに重点をおかなければならない。
その部長は多くの人々の知恵才覚を結集しているんだと思うのです。
おれは非常に万事にすぐれた知恵才覚を個人的にもっている、だからおれはこうするんだということがあっては、
すでに失敗の第一段階に入っている。
自分は比較的経験をもっておる。
だからこの経験を生かさなければならない。
しかしさらに最後の決定をするには、皆さんの意向というものをここに加えないといかん、
こういうような心がまえをもっていなければならない。
けれども、事を決するのに、いちいち「あんたはどうですか」
ときいてまわるということはできない。
常日ごろそれをキチッと集めておかないといかん。
だから皆さんが、50人なら50人を使っておる部下の、常日ごろの考え方、知恵というものを絶えず吸収しておかないといかん。
そうして、何か火急に命令せねばならん場合に命令したことが、
全部員の知恵才覚のちゃんと盛られたものであるということであります。
そういうものでなければならん。
それがほんとうに偉い人だと私は思うのです。
そういう人でなくては、ほんとうの意味の経営者になれないし、
また部長、主任という立場に立って、成果をあげることはできないと思うんです。
政治家のごとき特にその必要があると思うのです。
みな集めるということは分かった。
しかし集めることにひまが要って、衆知を集めることかわ大事だといって集めることに3年かかって、
何もできないということもあります。
これはべらぼうなことであって、そんなことがあってはならない。
刻々と新しい意図を発表し、
そして多くの人を導いていくとという態度をとっても、常に多くの人たちの意向というものを取捨選択して、
吸収していかないといかんと思うのです。
とかくワンマンといわれる人はそれをやらないんです。
「おれはいちばん偉いんだ、おれは経験がたあるんだ、おまえら黙っとれ」
と、
こう言うて、おれに従ってきたらいいんだというような人は、これはワンマンです。
ワンマンはとかく失敗する場合が多い。
成功する場合もありますが、究極において失敗する。
ワンマンはときに利する場合もありますが、おおむね失敗である、結論においては。
それは、いま言うように自分の知恵才覚のみによって人を導く。
いかに志が善であっても、
やはり自分の知恵才覚のみもって仕事をしょうという場合には、
結局ワンマンとなり、
究極においては、一時栄えても失敗するということです。
だから決してそうあってはならない。
見た目はワンマンのごとき存在であっても、
その人の達成するところ、行うところは、
全部全員の知恵をもとにして発表していくということが、
衆知を集めた経営ということになるわけであります