交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

履物並べから学んだ人生観 

2011-12-31 23:26:11 | 徳育 人間力

カテゴリー:人を育てる  田村一二(茗荷村創設者)  
(『致知』1990年7月号より)  http://chichi-ningenryoku.com/?p=193


 
私は六人の息子を持っているわけですが、
 彼らがまだ小さいとき、どうしても履物をきちんと
 そろえられなかった。
 
叱っても、そのときはそろえるが、
 すぐに元通りに戻ってしまうのです。
 
それで、私が尊敬する糸賀一雄先生にお尋ねしました。
 「しつけとはどういうことですか」と。
 
先生は、
 「自覚者が、し続けることだ」
 とおっしゃる。
 
「自覚者といいますと?」
 と聞くと、
 
「それは君じゃないか。
  君がやる必要があると認めているんだろう?
  それなら君がし続けることだ」
 
「息子は?」
 
「放っておけばいい」
 
というようなことで、家内も自覚者の一人に
 引っ張り込みまして、実行しました。
 
実際にやってみて、親が履物をそろえ直しているのを
 目の前で、息子がバンバン脱ぎ捨てて
 上がっていくのを見ると、「おのれ!」とも思いました。
 
しかし、糸賀先生が放っておけと
 おっしゃったのですから、仕方ありません。
 
私は叱ることもできず、腹の中で、
 「くそったれめ!」と思いながらも、
 自分の産んだ子供であることを忘れて、
 履物をそろえ続けました。
 
すると不思議なことに、ひたすらそろえ続けているうちに、
 だんだん息子のことも意識の中から消えていって、
 そのうちに履物を並べるのが面白くなってきたのです。
 
外出から帰ってきても、もう無意識のうちに、
 「さあ、きれいに並べてやるぞ」と楽しみにしている
 自分に気がつきました。
 
さらに続けていると、そのうちに、
 そういう心の動きさえも忘れてしまい、
 ただただ履物を並べるのが趣味というか、
 楽しみになってしまったのです。
 
それで、はっと気がついたら、
 なんと息子どもがちゃんと履物を並べて
 脱ぐようになっておりました。
 
孔子の言葉に、
 「これを楽しむ者に如かず」というのがありますが、
 私や家内が履物並べを楽しみ始めたとき、
 息子はちゃんとついてきたわけです。
 
私事で恐縮ですが、ここに教育の
 大事なポイントの一つがあると思います。
 
口先だけで人に、「こら、やらんかい」
 とやいやいいうだけでは、誰もついてきません。
 自分が楽しんでこそ、人もついてくるんだという人生観を、
 私は履物並べから学んだ次第です。


除夜の鐘と初詣とラーメン横綱

2011-12-31 23:23:18 | 同窓会関係

青戸君とイナと一緒に行って来ました。

善林寺で、のべっちに会いました。

慈光寺で、甘酒をもらって、妙見神社でぜんざいをいただいて、

星田神社に行きました。

〆は横綱ラーメン。若いときと違って、あんまり食べられへんようになってる。


カリスマ体育教師・原田隆史氏の指導法

2011-12-31 23:19:37 | 教育

カテゴリー:人を育てる    原田隆史(大阪市立松虫中学校教諭)
   (『致知』2002年9月号 特集「心耳を澄ます」より)

http://chichi-ningenryoku.com/?p=366


 
僕がなぜ生徒指導で神さんと言われたかというと、
 短期間にしんどい学校を立て直すからです。

そのポイントは二つ。

一つは、学校の秩序を回復させるために
 警察などの力も借り、徹底指導する。

二つ目は「育てる」ということ。

つまり、生徒が何を考えているのかを探り当て、
 その子の本当の心を知り、その声に耳を澄ますことです。

だいたい事件を起こす生徒は、家庭がしんどかったり、
 満足に教育を受けていないケースが多いんです。

気を紛らわすために万引きしてもバイクを盗んでも、
 満足感も充実感も得られない。

要するに本心は癒されたい、
 分かってほしいと叫んでいるんですね。

そんな子に「煙草を吸うな」と言っても、
 また吸いますねん。

で、どうするかいうたら、彼らのマイナスエネルギーを
 プラスに転換させる。

具体的には、クラブ活動、クラスの活動、
 体育大会、文化祭などの活動を多く提供する。
 その中で何らかの役割を持たせる。

「班長やれ」とか「ライン引きをやれ」とか
 「清掃せい」とか簡単なことですよ。

それを徹底してやらせきるんです。

もちろん僕も一緒になって徹底指導します。
 一切妥協はありません。
 百回でも二百回でも反復練習させるとね、
 競技や活動のおもしろさとは別に、
 物事をやり遂げたという充実感を感じるんです。

ここで心から生徒を褒めてやる。

人間は些細なことでも、それを見ててくれる人がいて、
 認めてもらえると心が満たされるんですね。

  * *  * *  * *  * *  * *

話はずれますけど、
 生徒に遅刻をさせない方法を知ってますか?

一回目は本人と親に注意します。

二回目は朝、校門の前で立っています。

三回目は家に誘いに行く。

それでもあかんかったら、
 前の晩から生徒の家に泊まるんですわ(笑)。

親御さん、先生に泊まられたら嫌やから、
 学校に行かせる。

要は、そこまで教師はやりきらなあかんと思うんです。

ですから、僕は問題のある子を陸上部に入れる。
 そこで三年間、千日近い間、
 自分の時間とお金を全部注ぎ込んで、
 朝から晩まで生徒に付き合う。

すると、掛け替えのない絆が生まれるんです。
 気がついたら態度がよくなって陸上の成績も日本一ですわ。
 いま全校生徒三百八十人のうち、七十人が陸上部員です。

(どんな指導をされるのですか?)

四月の初めに突然、日本一ばかり集まる大きな試合に
 無理やり連れて行って、出場させてもらうんです。

結果はもうケツのケツのケツですわ。ほんで

「おまえら偉そうにしとるけど、
  陸上の世界ではべべ(最下位)や」

と世の中の幅を思い知らせるんです。

悔しくて泣いている生徒に「やるか」と聞くと
 「やります」。そこからスタートです。

それと同時に、生活習慣を改善させます。
 朝は自分で起きろ、煙草吸うな、忘れ物するな、と
 薄紙をはぐようなことから始めるんですね。


熊本の名校長・最後の授業

2011-12-31 23:05:20 | 教育

カテゴリー:人を育てる   大畑誠也(九州ルーテル学院大学客員教授)
(『致知』2011年1月号 特集「盛衰の原理」より) 
http://chichi-ningenryoku.com/?p=597 

 


私が考える教育の究極の目的は
 「親に感謝、親を大切にする」です。
 高校生の多くはいままで自分一人の力で
 生きてきたように思っている。
 親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。
 
これは天草東高時代から継続して行ったことですが、
 このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、
 私は卒業式の日を選びました。
 
式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、
 私が最後の授業をするんです。
 
そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、
 後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、
 生徒をその横に正座させる。
 そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。
 
「いままで、お父さん、お母さんに
  いろんなことをしてもらったり、
  心配をかけたりしただろう。
  それを思い出してみろ。
  
  交通事故に遭って入院した者もいれば、
  親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと
  お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」
  
 
そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。
 
「おまえたちを高校へ行かせるために、
  ご両親は一所懸命働いて、
  その金ばたくさん使いなさったぞ。
  
  そういうことを考えたことがあったか。
  学校の先生にお世話になりましたと言う前に、
  まず親に感謝しろ」
 
そして
 
「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、
  いま、お父さんお母さんが隣におられるから、
  その手ば握ってみろ」
  
  
 と言うわけです。
 
すると一人、二人と繋いでいって、
 最後には全員が手を繋ぐ。
 私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。
 
「その手がねぇ! 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。
  分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?
  おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。
  
  いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、
  おまえたちを育てるために
  大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」
 
その上でさらに
 
「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、
  心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」
  
 
と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。
 
私は
 
「よし、目を開けろ。分かったや?
  私が教えたかったのはここたい。
  親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
  
  
 と言って部屋を出ていく。
 振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。


千房社長「パセリの教訓」  

2011-12-31 22:57:01 | 教育

カテゴリー:人を育てる  中井政嗣(千房社長)
 
(『致知』2007年10月号 特集「人生の大則」より)
 http://chichi-ningenryoku.com/?p=1031

(義兄のレストランを手伝っていた若い頃)
 一度ランチの時間にこんなことがありました。
 
エビフライをお客さんに出して、
 まさにソースをかけて食べようとしている時、義兄が
 
「あれを下げてこい」
 
と言うんです。わけも分からず姉が下げてくると、
 その皿を私に見せて、
 
「おまえ、なんか忘れたやろ」
 
と。だけど分からないんですね。
 しばらくしたら、
 
「これや!」
 
と言うて、パセリを皿の上に置いたんです。
 
急いでお客さんにお戻ししたら、お客さんは
 
「何やったん?」
 
と。姉が
 
「すみません、パセリ忘れました」
 
と言ったら、
 
「パセリなんか食うか!
この忙しい時に、アホか!」
 
と怒って帰らはったんです。
 そうしたら義兄は
 
「見てみい、おまえのせいでお客さん帰ったやないか!」
 
と私を叱ったんですね。
 
「なんでやねん。お客さんは
  パセリなんか食べんって言うてたやないか。
  機嫌よく食べてたのに、
  あんたが下げさすさかい、
  こんなことになったんやないか……」。
 
口には出しませんでしたが、納得できなくて、
 ずっとふくれっ面のまま働いていたんですね。
 そうしたらカウンターのお客さんが私にこう言いました。
 
「兄ちゃん、あんたパセリ忘れたんやろ。
  忘れたら素直に謝らなあかんやんか。
  素直に謝って、まだなんやかんや言われていたら、
  みんなあんたを応援する。

 
 でも、いまのふくれっ面の態度はなんやの。
  もっと素直にならなあかんやんか」
 
この時は涙が出ました。
 義兄の下で修業した間に学んだこと、
 教わったことは一生の基礎となっています。


人は生きてきたように死んでいく  

2011-12-31 22:45:11 | 徳育 人間力

カテゴリー:心を磨く
柏木哲夫(金城学院大学学長)
(『致知』2008年1月号 特集「健体康心」より)

http://chichi-ningenryoku.com/?p=1098


 
(これまでに二千五百名もの方を看取られてきて、
  何か発見されたことはありますか? の質問に)
  
  人は生きてきたように死んでいくということです。
  これは私の実感ですね。
 
 ですから、しっかり生きてきた人は
  しっかり亡くなっていかれますし

  表現はおかしいけれども
  ベタベタ生きてきた人はベタベタ亡くなっていく。
  
  それから、周りに感謝をして生きてこられた人は、
  我々にも感謝をして亡くなられるし

  不平ばかり言って生きてきた人は
  不平ばかり言って亡くなっていくんですね。
 
 
  このことは、よき死を迎えるためには、
  よき生を生きなければいけない、ということを
  教えてくれていると思うのです。
 
 では、よき生というのはいったい何か。
  
  そこには個人の主観がだいぶ入ると思うんです。
  
  Aさんにとってよき生とはこうだし、
  Bさんにとってよき生とはこうだというふうに、
  人によって皆違う。
  
  ただ、二千五百名の看取りの中で私が感じることは、
  やはり前向きな人生ということ、
  それから周りに感謝できるということ。
  
  その二つに集約されるような気がして仕方がないんです。
 
 
  物事には必ずプラスとマイナスがありますが、
  物事のプラス面をしっかり見た生き方をしてこられた方々。
  そういう方々の生は、やっぱり前向きで
  よき生なんだろうと思うんです。
 
 それから、感謝というのはとても重要な
  キーワードだと思うんです。
  
  家族に対して、周りの人たちに対して、
  最後に「ありがとう」と言いながら、
  そして自分も相手からありがとうと
  言ってもらいながら生を全うできるのも、
  よき生だと思うんです。
 
 そういう生を全うする人を、
  私は人生の実力者と呼んでいるのです。


事業に失敗するこつ十二か条  菅原勇継(玉子屋社長)

2011-12-31 22:35:52 | 商い

カテゴリー:リーダーの条件
(『致知』2002年12月号 特集「なぜ哲学が必要なのか」より)

http://chichi-ningenryoku.com/?p=355

 
(記者:社長室に掲げられている「事業に失敗するこつ12か条
  これは実にユニークですね)

(腎臓がんから)退院して会社に復帰してしばらくした頃、
 かつての遊び仲間が僕にファクスしてくれたんです。

誰の言葉か知りませんが、 これは僕の経営哲学みたいなものですね。

ちょっと読み上げてみましょうか。

【第1条】
   旧来の方法が一番よいと信じていること

【第2条】
   餅は餅屋だとうぬぼれていること

【第3条】
   ひまがないといって本を読まぬこと

【第4条】
   どうにかなると考えていること

【第5条】
   稼ぐに追いつく貧乏なしとむやみやたらと骨を折ること

【第6条】
   よいものは黙っていても売れると安心していること

【第7条】
   高い給料は出せないといって人を安く使うこと

【第8条】
   支払いは延ばす方が得だとなるべく支払わぬ工夫をすること

【第9条】
   機械は高いといって人を使うこと

【第10条】
   お客はわがまま過ぎると考えること

【第11条】
   商売人は人情は禁物だと考えること

【第12条】
   そんなことはできないと改善せぬこと

 (記者:この言葉をどのように経営に生かされているのでしょう?)

そうですね。

例えば第6条。
 (菅原社長が経営する玉子屋の)お弁当は好評だといって
 経営者が安心していたら進歩はありません。

だから僕は毎日弁当を食べて味付けや盛り付けを見ているし、
 回収したお弁当に何が残っていたか、
 何が人気があったのかを調べる。
 5万人のお客様の代表は僕だという意見なんです。

食中毒(事件)の辛かった時期に取引先の人情で救われ、
 機械化で汚名を返上してきた僕にとっては
 9条、11条も教えられることの多い言葉ですね。

あと、僕は根っからの遊び人なので、
 最後の12条に励まされることも数多くありました。

常識的な経営者が「そんなむちゃな」と思うことも、
 結構平気でやってこられたんです。

玉子屋がこれまで高価な機械を思い切ってたくさん導入して
 きたのも、僕が減価償却などを細かく計算するタイプの
 経営者でなかったからでしょうね。

僕は会社に必要だと思ったら
 多少無理をしてでも行動に移すタイプの人間です。

その結果、失敗もあったが、そこから得た教訓も大きかった。
 大事なのは多少のリスクはあっても
 遊び心で何でもやってみること。
 ビジネスの原点はそこだと思います。


会社がおかしくなる六つの要因  永守重信(日本電産社長)

2011-12-31 22:16:10 | 商い

カテゴリー:一流経営者の発想

(『致知』2011年10月号特集「人物を創る」より)

http://chichi-ningenryoku.com/?p=1060

(牛尾:日本電産本社の一階奥に設置しておられるプレハブ建屋は、
 創業当時に作業場として使っていたものだそうですね)

 

はい。あれをご覧になった方の反応は半分半分に分かれるのです。
涙を流さんばかりに感動される方と、
本社ビルの一番いい場所になんであんな汚いものを
置くのだという方がいらっしゃって、おもしろいですよ。

私としては、創業期のあの厳しい時期を乗り越えてきたからこそ、
ここまでこられたわけでね。

 

辛い時にそこへ行くと、あの時の苦しさに比べたら
こんなものは大したことはないなと思い直して、
また元気を取り戻せるのです。

新入社員にも入社時に必ず見せますし、
落ち込んでいる幹部がいたら、ちょっと見てこいと言うのです。

一番怖いのは、後から入ってくる幹部が昔の苦労を経験していないために、
一流企業に入ってきたような感覚で振る舞うことです。

そういう人たちには口で言っても伝わりませんから、
プレハブ建屋を見せるのが一番いいのですよ。

そこは建物だけではなしに、当初からの記録もたくさん残っていて、
私自身が現場で懸命に仕事をする様子も残っている。
それを見ると皆ハッとするのです。

逆に、それを見ても感激しない人は、
最初から採用しないほうがいいです。

やっぱり考え方が一致していないと
今後のグローバルな戦いは勝てません

ただ頭がいいとか、経験が豊富だとかいうだけではダメで、
本当にその会社が好きだという人が集まってこないとしらけてしまいますね。

だから私は採用担当者に言うのです。
最近は一流大学からどんどん入社してくるようになったけれども
気をつけろよと。

一番大事なのは、日本電産という会社が好きだという人間、
よく働くこの会社で自分も一緒に頑張りたいという人間が
集まってくることだと。

一所懸命働くところから始まった会社なのに、
ただ有名で給料も高いから入りたいとか、
役員として入ってきて威張り散らすような気持ちでやられると、
会社なんてあっという間に沈んでいくのですね。

 

だいたい会社がおかしくなる要因を
六つ挙げよと言われたら、
一番はマンネリでしょう。

それから油断

そして驕(おご)り

人間はすぐこういう躓(つまづ)きをするのですが、
この段階はまだ元に戻せるのです。

その次が妥協

震災がきたのだからしょうがない、
円高だからしょうがないと妥協する。
これはもうさらに落ち込みますね。

次は怠慢です

頑張っても怠けても給料は一緒じゃないかとかね

そして最後は諦めです

そんなこと言ったってできません、
という考えがはびこってきた時は末期症状ですね。

最初の三つはそんな大敵ではないけれども、
後の三つに陥ったらもう取り返しがつきません。


当然の限度の高い社員。青天井型社員 長谷川常雄(キューサイ社長)

2011-12-31 22:09:04 | 徳育 人間力

カテゴリー:人を育てる
 
 (『致知』1997年5月号特集「リーダーシップの本質」より)

http://chichi-ningenryoku.com/?p=1199 

(長谷川社長は十数年で青汁を年商131憶円<末端ベース>の事業に
  育てられたわけですが、そのエネルギーの源泉はどこにあるのですか)
 
これもまた難しい質問ですね(笑)。
 先程いったように、私は仕事にのめり込む人間なんです。
 
でないといい仕事ができないと思っている。
 経営計画書にも、切望する社員の人間像として
 そう明記しています。
 
第一は、仕事に対して、こうしたいああしたいという強い「念」を持っている人。
 
第二に、その仕事を成し遂げる「パワー」のある人。
 
第三に、その仕事に「のめり込む」人。
 
この他に何項目かあるのですが、例えば、
 
「当然の限度の高い社員。青天井型社員」
 
というのがある。
 
たとえば、ソフトバンクという会社は
 翌日決算のできる会社です。
 普通は翌月に月次決算が出ない会社がいくらでもある。
 
そんな会社で翌日決算を出せといっても、
 そんなことは無理ですとなる。
 
しかし、社長の私はいろんな会社を見てますから、
 そんなことは「当然できる」という。
 


それが「当然の限度が高い」ということです。
 その限度は上層部の人間ほど高くなっていくもので、
 社長が一番高い。
 
社員にも「当然の限度」を高くしていってもらいたい。
 そして最後には、何でもできるという
 「青天井型の社員」になってもらいたい。
 
       * *
 
そしてもう一つ私のエネルギーの元といえば、
 くよくよしないことです。
 
中村天風(てんぷう)先生の本にこういうのがあります。
 
虎に追いかけられて木に登ったら、
 木の上から大蛇が出てきた。
 
枝に逃げたら、ポキッと枝が折れた。
 下は断崖絶壁。
 
蔓に飛び移ると、ポリポリと音がする。
 見上げるとリスが蔓を噛んでいる。
 
「さあ、どうする」と聞かれた天風先生は何と答えたか。
 先生は「落ちてから考える」(笑)とおっしゃったそうです。
 
私も「落ちてから考える」タイプの人間なんです。
 頭には「いま、ここ」しかない。
 
過去の過ちも功績も
 「そりゃそうだろう。それでよかったし、当然なんだ」と認め、
 受け入れ、悲観せず、有頂天にもならない。
 
また、将来のことは、戦略や予測は真剣に考えるが、
 思い煩うことはしない。過去も未来も、
 煩いをスッパリ切り捨て、いま、ここに集中する。
 これを前後際断(ぜんごさいだん)というそうです。


りんご農家・木村秋則氏「足りない、足りない、工夫が足りない」

2011-12-31 21:56:24 | 徳育 人間力

プロの流儀          
 
(『致知』2008年1月号 特集「健体康心」より)
 
http://chichi-ningenryoku.com/?p=1101

実は、以前見たことがある戦時中の新聞に、 こんな言葉があったんです。
 
「足りない、足りない、工夫が足りない」 って。
 
私はいつも、この言葉が 頭にこびりついて離れないんです。
 
結局さ、自分のやったことが間違っているから(りんごの木の)葉っぱが落ちるんですよ。
 間違っているから虫が集まるんですよ。
 それを見て、女房が悪い、天気が悪いって、 ほかに責任を転嫁する人が
 いまはあまりにも多いと思うんです。
 
そうじゃなくて、自分が悪いんだと。
 自分が勉強不足なんだ、観察不足なんだ
、ということなんです。
 
だから(対談相手の)斎藤さんがおっしゃったように、
 誰も気づかないところを見る目、
 キャッチする力が大事になってくるんです

 
同じものを見ても、表を見るのか、
 裏を見るのか、それとも横を見るのか、
 その見方によってみんな捉え方が違うと思うんです。
 
斎藤さんは、牛や馬や人間が歩くところをよく見ていて、
 牧草が芽を出していることに気づいたとおっしゃいましたが、
 そういうのは、いま見たからってすぐ答えは見えないですよ。
 
3か月も4か月も見続けてやっと分かることですから。
 自然というのは、それくらい長いサイクルで
 動いているんじゃないかなと思う。
 
だけど、きょうやったからきょう結果を出すのが現代社会です。
 まるで時間に押し流されるように結果を求めようと
 しているのがいまの社会じゃないかなと思います。
 
自然はよ、きっと笑っているかもしれないです。
 人間は一体何をやってるんだと。
 せかせか動いてこんなに自然から
 かけ離れた社会をつくってしまって。
 
もう少しのんびりしなさいよ、
 余裕を持って自然を見つめてみなさい、
 自然の摂理に帰りなさいって、
 自然は私たちに話し掛けていると思う。
 
         (略)
 
常識の中には間違っているものも 多いんじゃないかと私は思います。
 
斎藤さんにしても私にしても、周りから 変わり者とされているけれどもさ、
 逆に自分の間違いに気づかないでいる人も すごく多いと思うんです。
 
学問栄えて国滅びるっていうけれども、
 いまの社会の混乱ぶりがそれをよく表して
 いるんじゃないでしょうか。


限界費用と限界効用が働かないビジネスモデルの開発

2011-12-31 18:51:52 | 商い

☆ ビジネスの主戦場は物理空間から情報空間へと移行していく。

☆ 洗濯機がない時代なら2,3日ぐらい同じ服を着ていても平気だったはず。

   洗濯機の普及で手軽に選択ができるようになると、

   毎日、きれいな服を着ないと嫌だと感じるようになります。

   さらに、乾燥機つきがいい、静かなものがいい、仕上がりがきれいなものがいい、

   地球に優しい洗濯機のほうがいい、・・・・

   こうした欲求のすべて、テクノロジーによって生み出された幻想です。

☆ あなたがブログやツイッターをするのはなぜ?

   本来は、「あなたが何をしたいのか」というあなた側の目的が意識が重要であって、

   {~を使うと楽しい」「~を使うと便利」という情動には何の意味もない。

   初めにゴール(目的)がありゴールを、実現するために発信すべき情報があり、

   ブログやツイッターが情報を発信するのに適したメディアだと判断したから使う。

☆ 「今日、〇〇を食べました」「旅行で〇〇に行きました」といった情報は書きません。

   自分のゴールとは関係ないし、書くだけ時間の無駄です。

   仮に私がレストランを経営しているとしたら、

   「今日、〇〇を食べました」と書きこむかもしれません。

   なぜなら、その場合のゴールは、「レストランを成功させること」であり、

   私の食事の好みを知ってもらうことが、

   私のレストランに興味を持ってもらうことにつながるのであれば。

☆ 明確なゴール(目的)を持たないまま、ただ単に「新しいから」「便利だから」

   という理由で飛びつくと、使われることになる。

   ゴールがなければ、テクノロジーの側からニーズが生み出され、

   テクノロジーに支配された生き方を送ることになる。

 

                 超ネット社会で絶対成功する脳と心の作り方