カテゴリー:人を育てる 田村一二(茗荷村創設者)
(『致知』1990年7月号より) http://chichi-ningenryoku.com/?p=193
私は六人の息子を持っているわけですが、
彼らがまだ小さいとき、どうしても履物をきちんと
そろえられなかった。
叱っても、そのときはそろえるが、
すぐに元通りに戻ってしまうのです。
それで、私が尊敬する糸賀一雄先生にお尋ねしました。
「しつけとはどういうことですか」と。
先生は、
「自覚者が、し続けることだ」
とおっしゃる。
「自覚者といいますと?」
と聞くと、
「それは君じゃないか。
君がやる必要があると認めているんだろう?
それなら君がし続けることだ」
「息子は?」
「放っておけばいい」
というようなことで、家内も自覚者の一人に
引っ張り込みまして、実行しました。
実際にやってみて、親が履物をそろえ直しているのを
目の前で、息子がバンバン脱ぎ捨てて
上がっていくのを見ると、「おのれ!」とも思いました。
しかし、糸賀先生が放っておけと
おっしゃったのですから、仕方ありません。
私は叱ることもできず、腹の中で、
「くそったれめ!」と思いながらも、
自分の産んだ子供であることを忘れて、
履物をそろえ続けました。
すると不思議なことに、ひたすらそろえ続けているうちに、
だんだん息子のことも意識の中から消えていって、
そのうちに履物を並べるのが面白くなってきたのです。
外出から帰ってきても、もう無意識のうちに、
「さあ、きれいに並べてやるぞ」と楽しみにしている
自分に気がつきました。
さらに続けていると、そのうちに、
そういう心の動きさえも忘れてしまい、
ただただ履物を並べるのが趣味というか、
楽しみになってしまったのです。
それで、はっと気がついたら、
なんと息子どもがちゃんと履物を並べて
脱ぐようになっておりました。
孔子の言葉に、
「これを楽しむ者に如かず」というのがありますが、
私や家内が履物並べを楽しみ始めたとき、
息子はちゃんとついてきたわけです。
私事で恐縮ですが、ここに教育の
大事なポイントの一つがあると思います。
口先だけで人に、「こら、やらんかい」
とやいやいいうだけでは、誰もついてきません。
自分が楽しんでこそ、人もついてくるんだという人生観を、
私は履物並べから学んだ次第です。