http://www.systemicsarchive.com/ja/b/education.html
教育をすべて民間に任せれば、教育の機会均等を守りながらも、
子供たちの選択の自由を増やし、学校の質を上げることができる。
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司会
医者と教師は、客から先生と呼ばれ、
客を客とは思わない特殊な職業に従事しています。
教育は、市場原理とは無縁の聖域でしょうか、
それとも教育にも市場原理を導入するべきでしょうか。
日本の経済大国としての成功の秘訣は教育にあるとよく言われますが、
公教育は、次第に機能不全に陥り始めています。
60年代の末から大学紛争が始まり、
70年代の半ばから高校生の荒廃が社会問題化し、
70年代の後半には中学校で校内暴力の嵐が吹き始め、
80年代の半ばから、校内暴力に代わっていじめがクローズアップされ、
そして現在小学校で学級崩壊が始まっています。
公教育のあり方は今のままで良いのかどうかを議論してください。
社会
教育が荒廃しているのは、厳しい受験競争のもとで、
子供たちが仲間を蹴落とすことしか考えなくなっているからだ。
91年に文部省の調査研究協力者会議が、
小中学校の児童生徒の成績評価を、
学内順位で決まる現行の相対評価中心から到達度に応じた絶対評価中心へ
転換する旨の報告を出したが、これは重要な指摘だ。
労働者予備軍に偏差値という市場価格をつけて
労働市場で売買することは非人間的だ。
偏差値教育で子供たちを競争させるのではなくて、
一人一人の個性を重視した教育を行うべきだ。
自由
一方で偏差値や順位による相対評価を否定しておきながら、
他方で個性尊重を主張することは理論的に矛盾している。
個性があるかどうかは他人と比較しなければわからない。
昔「偏差値よりも個性値」というキャッチフレーズを掲げている大学があったが、
偏差値は個人が平均からどれだけ偏差しているかを示す数字で、
個性を数量化する値、個性値と言ってよい。
文部省の調査研究協力者会議が提案するように、
教育から相対評価を追放しても、企業の求人は定員を決めているので、
最終的には相対評価が重要になる。
日本の教育が画一的であるのは、偏差値を使うからではなくて、
偏差値の基準が画一的であるからだ。
社会
あなたは自由主義者(リベラリスト)なのに、
なぜ子供たちを受験競争から解放(リベレイト)し、
もっと自由にのびのびと勉強できる環境を作ろうとは思わないのか。
自由
自由を認めるということは、選択の自由を認めるということだ。
選択をする時、必ず選択される者とされない者が出てくる。
当然競争になる。
だから自由を肯定するならば、競争も肯定しなければならない。
社会
絶対評価なら、勉強するべき分量に上限があるが、
相対評価なら、競争の悪循環で、上限がなくなり、
勉強時間が無限に伸びていく。
子どもたちの遊びが質・量ともに貧しいものになっている状況は、
子どもの生活における時間とゆとりの乏しさと深くかかわっている。
小学生から既に多くの者が腕時計を持っていることにも象徴されるように、
子どもたちは、
学校、塾やおけいこごと、自宅での勉強などで時間に逐われるようになり、
遊びの時間は削られ、
その内容も屋内での孤立型の遊びが主役になっていく。
子どもたちは、ゆとりのある自由な時間を与えられることによって、
はじめて心から遊びを楽しみ、自分なりに遊び方を創意工夫し、
のびのびと個性や創造性を伸ばすことができる。
英語のことわざに、「勉強をしすぎるとばかになる」というものがあるが、
子供を受験地獄から救い、適度に遊ばせるほうが、教育上好ましい。
自由
日本の子供が勉強しすぎているというのはうそだ。
国際教育到達度評価学会の調査では、
日本の子どもたちの塾などを含めた家庭学習時間は、
世界ランキングで平均をかなり下回っている。
社会
でも国際教育到達度評価学会が96年に行った国際数学・理科教育調査では、
日本の子供は、世界41カ国中、3位から4位だ。
やはり日本の子供は勉強しすぎている。
もっとカリキュラムを軽減して学力を落とすべきだ。
自由
もうすでにかなり落ちている。
東京大学工学部が、81年から現在まで計4回、
工学部に進学する2年生に
まったく同じ内容の数学の学力テストを行ったところ、
第1回の81年に100点満点で54.0点だった平均点が、
第二回の83年には52.8点に、
第三回の90年には43.9点に、
第4回の94年には42.3点に下がっている。
入試科目に数学がない大学はもっと悲惨だ。
分数の掛け算や割り算すらできない大学生がたくさんいる。
また英語の学力も一段と低下していて、TOEFLの平均点を見てみると、
アジア25ヶ国の中で日本は北朝鮮とともに最下位だ。
国家
それは少子化が進んで、大学に入るのが簡単になったからではないのか。
自由
第二次ベビーブーマーの頂点が大学を受験したのは90年代の初めだから、
80年代前半よりも90年代前半の方が
大学に入るのは倍率的には難しかったはずだ。
にもかかわらず学力が落ちている。
これは、文部省のゆとり重視路線のおかげだ。
文部省は、平成14年から施行される新学習指導要領で
数学などの学習内容をさらに大幅にカットするつもりだ。
社会
私は《生きる力》と《学力》を区別している。
これからの社会が子どもたちに求める最も重要なものは、
自ら学び、自ら考える力、豊かな人間性、健康や体力からなる《生きる力》だ。
こうした力を身につけるためには、
ゆとりの中で、子どもたちが試行錯誤をしたり、
遊びを含む多様な体験を積み重ねることが不可欠だ。
小さいころから一刻を争い、
ひたすら知識を詰め込む勉強だけでは、《生きる力》ははぐくまれない。
親は、是非とも、そうした世の中の変化に目を向けて、
勇気を持って子どもたちに時間とゆとりを与える努力をするべきだ。
そして、学校週5日制によってもたらされる自由な時間を、
子どもたちの遊びの再生にも大いに生かさなければならない。
従来の詰め込み教育で頭に叩き込まれてきた知識のほとんどは
実社会で役に立たない。
そんな役に立たない学力を高めることが教育の目標であってはならない。
子供たちは地域社会での活動に参加して、生きる力を身につけるべきだ。