赤字に陥っていた後発の下着メーカーの経営を担い、
十九期連続増収増益を成し遂げた吉越浩一郎氏。
「早朝会議」や「デッドライン」などユニークな施策を導入し、
社員の意識改革を強力に推進した吉越氏は、
若き日にその礎をいかに築かれたのでしょうか。
本日は『致知』の好評連載「二十代をどう生きるか」より、
記事の一部をご紹介します。
┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「デッドライン仕事術」
吉越浩一郎(トリンプ・インターナショナルジャパン元社長)
『致知』2013年4月号
連載第29回「二十代をどう生きるか」より
└─────────────────────────────────┘
香港での体験は、私のビジネス人生に
大きな影響をもたらした。
現地の同僚に同じ歳の二十九歳のドイツ人がいた。
驚いたことに、彼は着任早々自分の秘書を
探すことから始めたのだ。
日本の会社の常識では考えられないことであり、
私は彼に冷ややかな視線を送っていた。
ところが、いったん仕事を始めると、
彼は自分の仕事をどんどん秘書に振り分け、
私の何倍もの実績を上げ始めたのである。
衝撃を受けた私は、ボスが出張して
時間を持て余していた秘書に頼み、
レターをタイプしてもらうことにした。
私が時間をかけてようやくひねり出した拙い英文を渡すと、
彼女は当時の最新式電動タイプライターに向かうや、
凄まじいスピードでタイプし始めた。
ものの一分も経たないうちに
持ってきてくれたレターを見ると、
見事に洗練された英文に書き換えられている。
私は同僚が秘書を雇った意味が理解できた。
秘書に投資をすることばかりではない。
生きたお金の使い方をして仕事の効率を上げることは、
自分の成長を促し、ひいては会社のために
なることを私は学んだ。
もう一つ学んだことは、
常にデッドライン(締め切り)を設けて
仕事をすることの重要性である。
香港のオフィスには、社主である
トーマス・ベンツが考案した
木製の「デッドライン・ボックス」が
各自に配布されていた。
ボックスの中は月ごとに仕切られていて、
直近三か月の仕切りの中は、
さらに一日から三十一日まで日ごとに区切られている。
会社の仕事にはすべてデッドラインが設けられており、
書類はそのデッドラインの日にファイルしておく。
相手から必ずその日に連絡が入るからだ。
逆に自分が担当のデッドラインのついた
仕事のファイルは手元に置いて片っ端から片づけていき、
終えたものからデッドラインの日に入れておく。
おかげで常にデッドラインを意識して
仕事をする習慣が身についた。
例えば会社の始業時間の一時間前に出社して
ひと仕事する。
始業までに何が何でも終わらせなければ、
それ以降の仕事に支障を来すため、
一所懸命集中して取り組むことになる。
いわゆる“締め切り効果”が発揮され、
時間内にはちゃんと終えることができるのである。
そうして仕上げた仕事は質が低いかというと、
決してそんなことはない。
ダラダラ時間を費やした仕事より格段に質も高い。
そういう集中する仕事のやり方を、
平素からの習慣にすべきなのである。
「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである」 アインシュタイン
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名言セラピー
- meigen love
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日本ではちょっとエッチな色ってピンクですよね。
ピンク映画っていいますし。
でも、これ、国によって違うんです。
アメリカではエッチな色は青、ブルーになります。
だから「ピンク映画」は「ブルーフィルム」
下ネタは「ブルージョーク」といいます。
スペイン語では緑がエッチなので、
エロ本は「libro verde」(緑の本)となります。
中国は黄色がエッチ。だからアダルト映画は「黄色電影」です。
日本では、何かもらったら、「ありがとう」って言いますよね。
でも、中国では仲が良ければいいほど、「ありがとう」って言わないんです。
そんなこと言われたら、逆によそよそしい。
自分たちは仲いいはずじゃなかったのかなって思うそうです。
日本では人を励ます時に、「頑張って」って言いますよね。
でも、アメリカでは「頑張りすぎないでね!」
(Don't work too hard)となります。
まったく逆です。
日本の親は「人に迷惑をかけちゃダメ」と教えますが、
インドでは、「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、
人のことも許してあげなさいね」と教ええるそう。
また、インドでの「イエス」のジェスチャーは、日本の「ノー」のように首を振って、
「ノー」のジェスチャーは、日本の「イエス」のように首を頷けます。
もう、わけわからなくなります。
常識は国が変われば非常識になりえます。
常識は時代が変わっても非常識になりえます。
あなたの頭の中の常識だって、根拠はあやしいものです。
しかし、頭の中の思い込みは、自分では「当たり前」になっていますから、
普段は気づくこともない。だから、疑ったことなど、一度もないんです。
例えば、僕には弟がいますが、弟は学生の頃、
サッカー部のキャプテンで、モテモテ、
それが当時の僕にはすごく嫌だったんです。
友達がモテるのは気にならないのに、弟がモテるのはイヤなんです。
なんでイヤだったのか。
「兄は弟に負けてはいけない」
当時、完全にそう思い込んでいたからです。
だから、バレンタインの日は、悔しくて悔しくて。
弟チョコ8に対して僕は1。
8対1
しかも僕の1は、かあちゃんからのチョコですからね。
僕はこんなとるに足らない思い込みのせいで苦しんできたんです。
この思い込みがなければ、
弟に「余ったチョコちょうだいね」って素直に言えたのに(笑)
では、なぜ、「弟に負けてはいけない」と思い込んだかというと、
「勝たなければ、親に認めてもらえない」という、
その先の思い込みがあったからです。
嫌な感情の背後には、必ず、あなたの常識(思い込み)が隠れていますので、
探してみてください。どんな思い込みがあるから、こ
のイヤな感情が生まれるんだろうって。思い込みに気づけたら、
あとは、「それ、ほんとう?」って疑ってみればいい。
「弟に負けてはいけない」
「それ、ほんと? 勝つとか負けるって誰が決めるの?
相手のいいところと、自分のダメなところを比較して、そもそも勝ちってあるの?」
「勝たなければ、親に認めてもらえないってほんと?」
「親に聞いてみた? え? 聞いてもいないのに勝手にそう思い込んでた?」
「失敗してはいけない」
「それ、ほんと? うまくいっている人ほど過去にたくさん失敗していたりするけど」
「みんなと仲良くしなくてはいけない」
「それ、ほんと? 嫌いな人が一人でもいたら、もう価値がないの?」
「弱い自分を見せてはいけない」
「それ、ほんと? むしろ、相手が本心を話してくれたときうれしかったりするけど」
たいてい、ほんとうじゃありません。
人は、ほんとうじゃないことで悩んでいるんです。
悩むのが趣味っていうならいいんです。
でも、そうではないなら、ほんとじゃないことで悩むのはやめよう。
嫌な感情がでてきたら、それは、自分の思い込みや価値観に気づくチャンスです。
気づいたら、「それはほんとう?」と疑ってみましょう。
ほんとうではない、もしくは、もう必要ではない価値観なら、
「そう思うことで自分を守ろうとしてきたんだよね。
でも、もう大丈夫。今までありがとう」と、感謝で手放せばいい。
「君を疲れさせているのは、目の前の登るべき山ではなく、とるに足らない厄介事だ」
モハメド・アリ
出典
ひすい最新刊「常識を疑うことから始めよう」
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4861139813/nicecopy-22
(新刊発売になりました。みんなー。シェアよろしくお願いしまーす!)
高校生のダンス世界一を決める大会で、
本場アメリカの強豪チームらを抑え、
連覇という快挙を成し遂げた京都明徳高校ダンス部。
入部時は大半が初心者という同部を、
顧問の岩倉真紀子氏はどのようにして
世界レベルまで鍛え上げるのか。
『致知』最新4月号より、
全身全霊を懸けてチームの指導に当たる岩倉氏の
インタビュー記事の一部をご紹介します。
┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「感謝の気持ちをダンスで表しなさい」
岩倉真紀子(京都明徳高等学校ダンス部顧問)
『致知』2013年4月号
特集「渾身満力」より
└─────────────────────────────────┘
私はモチベーションというものを
一番大事にしているんですが、
それを保つには子供たち自身に、
自分もチームの一員なんだ、
自分が頑張れば誰かの力になるんだというふうに
思わせることが大事なのだと思っています。
それでもコンテスト前には、
三分の二がメンバーから外れます。
そこで、選ばれた子には、選ばれなかった子の分まで
三倍頑張りなさいと話をします。
倍じゃ足りん。この子に負けたら仕方がないと
思うくらいの練習をしなさいと。
選ばれなかった子には何が足りなかったかを自分で考えさせ、
そのポジションに入ったつもりで
練習に参加しなさいと言います。
そうすると彼女たちから「もっとこうしてほしい」
といった声が自然と出てくるようになるんです。
私がクラブ運営をする上で大事にしているのが、
全員でダンスをすることと、
周りの人に感謝をすることの二つ。
練習場所を提供してもらっている学校、
自分を支えてくれる両親や友達、
部の礎を築いてくれた先輩、
そういう周りの人に対する感謝の気持ちを
ダンスで表しなさいと言うんです。
自分がミスをしたり、ルールを破ったりすれば
皆にも迷惑が掛かる。
逆にいいことをすれば皆が喜んでくれる。
そうやって自分が人のために何ができるかを考え、
それを子供たちに体験させることが一番だと思うんです。
ただその時に、表現の仕方を知らなかったり、
気持ちを素直に出せないでいる子には、
いま出せる時に出しなさい、
ストレートに出しなさいと指導するんです。
だってもったいないじゃないですか。
やれる可能性があるのに、
恥ずかしいなんて言ってやらないのは。
※顧問就任時は、ご自身もダンス素人だったという岩倉氏。
指導の秘訣が満載のインタビュー記事は、
『致知』4月号
┌───今月の注目記事───────────────────────┐
「市井の剣道」
一川 一(いちかわ・はじめ=剣道教士八段)
『致知』2013年5月号
致知随想より
└─────────────────────────────────┘
中学時代に剣の道に分け入り、
気がつけば早半世紀以上が経ちます。
修練を重ねるほどにこの道の奥深さ、険しさを痛感するいま、
私の大切な拠り所となっているのが、父の遺してくれた教えです。
範士八段、当代一流の剣道家にして
野田派二天一流第十七代でもあった父は、
終生求道の歩みを止めることなく、
その人生を通じて得た様々な学び、
悟りを膨大な紙片に書き遺しました。
「剣道は、元来、相殺傷する技術を学ぶので、
残忍殺伐な道のように思われるむきもあるが、
決してそのようなものではなく、
あくまで教育的、道徳的な体育であり、精神修養法である」
「剣道で、勝ちさえすればよいという試合や、
それを目的とした稽古をしていたのでは
決して本物にはなれない。
目先の勝敗にとらわれず、基本に忠実な正しい稽古を
地道に積み重ねる。
稽古の本旨はここにあり、それが大成への大道である」
最近の剣道は、父の説く「大成への大道」から外れ、
勝ち負けにばかり目を向けがちなことが気掛かりです。
大会などで華々しく活躍するのはごく一部の人であり、
大半はそうした華やかな場とは
あまり縁のないところで黙々と修業に励む
“市井”の剣道家です。
では、試合という目標のない剣道家たちが
目指すべきものはなんでしょうか。
私は剣の五徳、
即ち正義、廉恥、勇武、礼節、謙譲だと考えます。
もちろんこれは、大会に出場する人も目指すべき普遍的な目標です。
父の生前、こんな諭しを受けました。
「お前は道場の門をくぐる時、『よし、やるぞ』と
両刀手挟んで入ってくるが、それは逆だ。
日常こそが本当の真剣勝負の場であり、
道場から出て行く時にこそ気を引き締めなければならない」
確かに道場の中は、防具を着け、
指導者の下で技術を修める場にすぎません。
剣道家としての真価が問われるのは
まさに日常の場なのです。
同じく剣道を学んでいた兄は、大学時代に
九州チャンピオンになるほどの腕前でしたが、
就職後は竹刀を握る機会もなく、
職場での苦しい胸中を父に打ち明けていたのを
側で聞いたことがあります。
父は兄に「お前は剣道を学んできたのだろう」とたしなめ、
こう諭しました。
「剣道の技量を伸ばすには、
厳しい先生にかからなければならない。
職場も一緒だ。厳しい上司に打たれても、打たれても、
『お願いします』と真摯に向かい続けなさい」
自分の弱さを隠すことなく、真剣に打たれること。
打たれる度に反省し出直すこと。
兄は父のアドバイスを心に努力を重ね、
その後営業でトップの成績を収めました。
いくら剣道の修練を積んでも、
それで生計を立てていくわけではありません。
大切なことは、道場で学んだ業を
一般社会で実行していくこと。
修業から修行へと昇華していくことです。
剣道の稽古は自分一人ではできません。
相手があって初めて成り立ちます。
そして相手は打ち負かす敵ではなく、
自分を育ててくれる師なのです。
※……この続きは、『致知』5月号をご覧ください。
━━━━■ 今日の注目記事 ■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「稲盛和夫氏はなぜ成功したか?」
『致知』2013年5月号
特集「知好楽」総リードより
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パナソニックの社名が松下電器だった時期、
山下俊彦という社長がいた。
昭和五十二年、先輩二十四人を飛び越えて社長になり、
話題となった人である。
弊誌にも親しくご登場いただいたが、
率直、明晰なお人柄だった。
この山下さんが色紙を頼まれると、好んで書かれたのが
「知好楽」である。
何の説明もなしに渡されると、
依頼した方はその意味を取りかねたという。
この出典は『論語』である。
子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。
(これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。
これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない)
極めてシンプルな人生の真理である。
仕事でも人生でも、それを楽しむ境地に至って
初めて真の妙味が出てくる、ということだろう。
稲盛和夫氏。京セラの創業者であり、
経営破綻に陥った日本航空を僅か二年八か月で
再上場に導いた名経営者である。
この稲盛氏が新卒で入社した会社はスト続きで給料は遅配。
嫌気がさした稲盛氏は自衛隊に転職しようとするが、
実兄の反対を受け、そのまま会社に止まった。
鬱々とした日が続いた。
会社から寮への帰り道、
「故郷」を歌うと思わず涙がこぼれたという。
こぼれた涙を拭って、こんな生活をしていても仕方がない、
と稲盛氏は思った。自分は素晴らしい会社に勤めているのだ、
素晴らしい仕事をしているのだ、と思うことにした。
無理矢理そう思い込み、仕事に励んだ。
すると不思議なもので、あれほど嫌だった会社が好きになり、
仕事が面白くなってきたのだ。
通勤の時間が惜しくなり、布団や鍋釜を工場に持ち込み、
寝泊まりして仕事に打ち込むようになる。
仕事が楽しくてならなくなったのだ。
そのうちに一つの部署のリーダーを任され、
赤字続きの会社で唯一黒字を出す部門にまで成長させた。
稲盛氏は言う。
「会社を好きになったこと、仕事を好きになったこと、
そのことによって今日の私がある」
知好楽の人生に及ぼす影響が
いかに大きいかを示す範例である。
┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「あすは運動」
松原泰道(龍源寺前住職)
『致知』2008年9月号
「読者の集い」より
└─────────────────────────────────┘
これはかなり前のお話であります。
ある新聞を読んでいましたら、
女子高で教える三十歳くらいの国語の先生の投書が載っていました。
それを読んで私は非常に感動したんです。
当時の女子高の生徒でも、
やっぱり挨拶を全然しなかったといいます。
だからその先生がやり切れなくなって、
「そんなふうに黙っていたら、
家庭間も友人関係もうまくいかない。
就職してもうまくいかないから、
きょうからは少なくとも三つの挨拶を実行してほしい」
と言われたそうなんです。
先生が唱導されたのが
「ありがとう、すみません、はい」
の三つの言葉でした。
この三つさえ言えれば、交友関係もうまくいくし、
人に憎まれることも、人をいじめることも少なかろう。
君たちが上の学校に上がらず、このまま就職したとする。
その職場の中で皆が黙っていたら、
君たちが進んで大きな声で
「ありがとう、すみません、はい」
と言えばいい。これを繰り返せば、必ず事故が減る。
そして先生は三つの言葉の頭文字を取って
「あすは運動」と名づけたそうです。
私は、これはいいことを聞いたと思いましてね。
その後、いろんな会社やどこかでお話をするたびに、
この「あすは運動」をお勧めしたのです。
そうしたら確かに事故が減るんだそうですね。
皆さんも試しにやってごらんなさい。
ご家庭でも職場の中でもいいですから。
「ありがとう、すみません、はい」
この挨拶を繰り返していけば、自然に心が安らかになっていく。
これは禅語の上からも考えられます。
「ありがとう」という言葉は「感謝」と同義語になっていますが、
本来の意味は「有ること難し」です。
滅多にないということ。稀有の事実であります。
いまお互いがここに生きているということは、
考えてみれば稀有の事実です。
私なんか、後期高齢者も越えてしまって、
もう末期高齢者ですよね。
孫が挨拶代わりに「おじいちゃん、いつ死ぬんですか」
なんてことを聞いてきます(笑)。
この頃、朝起きて着物を着せてもらう時にしみじみ思うのですが、
あぁ、きょうもまた生きていた、と。
百歳を越えましてね。
何もかも人様のお世話になりながら、
生きさせていただいているんだということが、
本当に分かってまいりました。
有り得ないことが、いまここに有るんだという事実。
だから感謝の前に、まず、稀有の事実を知ることです。
それから「すみません」。
この言葉は若い女性が嫌うんです。
何にもしないのに「すみません」なんて謝るのは
侮辱だなんておっしゃるけれども、そんなふうに考えずにね。
すみませんとは、「謝る」という意味より前に、
「すんでいない」ということなんです。
決済をしていない、未済だということです。
皆様もお気づきでありましょうが、
私たちは自分一人で生きていられるんじゃなく、
大勢の人の力を借りて生きさせていただいている。
その恩返しがまだすんでいません、という深い反省の言葉なんです。
それを自分に言い聞かせる意味で「すみません」。
これなら気持ちよく言えるだろうと思います。
第三の「はい」は、単に人に呼ばれた時の返事だと思うから、
なかなか声が出てこないんです。
「はい」と返事をすることは、自分が自分になるということ、
自分自身を取り戻すことができるということです。
誰かに呼ばれた時にモゴモゴするよりも、
「はいっ!」と、こう返事をしてごらんなさい。
気持ちがスカーッとして、自分に出会うことができる。
だからそういう何でもないような挨拶や言葉の中にも、
これこれの意味が含まれているということを
考えていただければと思います。
(『致知』2008年9月号「読者の集い」より)
┌───今月の注目記事───────────────────────┐
「般若心経が教える智恵」
重松昭春(意識開発フォーラム「メタワーク・ナウ」主宰)
『致知』2013年4月号
致知随想より
└─────────────────────────────────┘
かつて、十年もの間、夜尿症に悩み、
中学二年生になっても治る気配のない子供の親から
相談を受けたことがあった。
特に器質的な疾患があるわけではなく、
鍼灸、漢方薬を始め、様々な治療法を試み、
宗教にも縋ってみたが、一向に効果が見られない。
そのうちどうにかなるだろうと考えているうち、
十年が経過してしまったというのである。
私は昭和三十年頃から脳力開発の研究に取り組んできたが、
器質的な疾患がなく、夜尿症が続いているケースには
おおよそ次の特徴がある。
おねしょが発生する問題の根拠は消えていて、
「問題を持続させる根拠」だけが続いているのである。
ではその根拠とはなんだろうか。
こうした時、私が問題解決の糸口とするのが、般若心経である。
若い頃に教えを請うた巽直道先生は元エンジニアで、
仏教の専門家ではなかったが、その教えは
実に具体的かつ実践的なものだった。
巽先生の仏教講座を受け、自分自身の持つ思い込みから
解放された人たちが、病気や家庭不和をたちどころに
解消してしまう姿を何度も目の当たりにしてきた。
先述のおねしょを持続させている根拠とは、
親子のおねしょに対する強いとらわれと不安である。
般若心経でいえば「け礙(心身の自由を失うこと)」と
「恐怖」に支配されている状態だ。
その気持ちの表れとして、親は子供が寝る時の夜具に
おねしょマットを敷いている。
また、夜半にはわざわざ子供を起こして
必ずトイレに行かせるという。
これは自律神経の働きから言っても不自然であり、
子供に心理的負担を強いることにもなってしまう。
つまりおねしょに対する母親のこだわりが強いと、
子供の意識にも深い影響を与え、
母親の不安どおりにおねしょは繰り返される。
私は彼女にそのことを理解してもらった上で、
お母さんの意識の転換がまず必要なのだと訴えた。
そして子供に対して次の宣言をしてもらうことにした。
「きょうからおねしょマットを取ります。
夜に起こして一緒にトイレに行くのもやめます。
おねしょがちゃんと治る方法を先生に教えてもらったから、
あなたはお母さんを信頼してくれさえすればそれでいいのよ」
ただ、母親としてはおねしょマットを取り、
子供を起こすのをやめたとしても不安は消え去らないだろう。
そこで私は彼女に
「本当に問題を解決したいのであれば、
どんなことでも素直に実行しますか」
と確かめた上で、般若心経の「般若波羅蜜多」の実践を勧めた。
といっても難しいお経の話をするのではなく、
次の言葉を唱え続けてくださいというだけである。
「治る、治る、治った。ありがとうございます」。
これが実は「渡った、渡った、彼岸に渡った……」という
「般若波羅蜜多」の翻案で、未だ成し得ない現象が
自分の意識の中で実現して喜びに満ち、
感謝していることを示す。
その行為を何回も繰り返してもらうのである。
本当にそんなことだけで、長年におよぶ子供のおねしょが
治るだろうかと疑問を持たれるかもしれない。
しかし実際に私のアドバイスを実行した母親により、
子供のおねしょは四日目には完全に治ってしまったのである。
私はこの後、夜尿症に悩む十組以上の親子から相談を受けたが、
いずれも数日間で問題は解決した。
他にも般若心経の教えを応用していじめ自殺を思いとどまらせた子、
勉強嫌いだった子が高三から突如猛勉強を始めて
難関大学に合格したケースなど、例を挙げていけば枚挙に遑がない。
※この続きは『致知』4月号をご覧ください。
◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2013年3月31日 ◆
『致知』が届けば、まずここから読む、というファンも多い
人気コーナー「致知随想」。
本日は『致知』4月号に掲載され、
反響を呼んでいる蓮華院誕生寺内観研修所所長・
大山真弘氏の記事の一部をご紹介します。
┌───今月の注目記事───────────────────────┐
「ありがとう」の反対語
大山真弘(おおやま・しんこう=蓮華院誕生寺内観研修所所長)
『致知』2013年4月号
致知随想より
└─────────────────────────────────┘
してもらったこと。
お返しをしたこと。
迷惑をかけたこと。
この三つの問いかけを通じて人生を振り返り、
自分を深く見つめていくのが「内観」です。
日本で発祥したこの心理療法に私が出合ったのは、
いまから二十五年前のことでした。
かつて私は商社やメーカーに勤め、
社長賞をいただくほど熱心に仕事に励んでいました。
海外勤務の機会にも恵まれ、
充実したビジネス人生を送っていました。
母が重い病で入院したのは、
私がブラジルに出発する直前でした。
余計な心配をかけまいと、
父も母も私に本当の病名を伏せていました。
「しっかり仕事をするんだよ」
病院のベッドで送り出してくれた母の微笑みと手の温もりは、
いまも忘れられません。
危篤の報を受けたのはそれから一年後でした。
赴任先からようやく駆けつけた時、
母は既に息を引き取っていました。
大切な親の死に目にも会えないこの仕事にどんな意味があるのか。
父はなぜ本当のことを告げてくれなかったのか。
自分はこのままでいいのだろうか……。
激しい葛藤から私を解放してくれたのが内観でした。
幼い頃まで遡り、母にしてもらったことや、
迷惑をかけた記憶を思い起こすと涙が止めどなく溢れ、
ほとんどなんのお返しもできていなかったことに愕然としました。
同時に、父が息子の活躍を願ってあえて母の病名を隠した親心、
私を育てるためにかけた数々の苦労に思い至り、
わだかまりは氷解しました。
私は学生の頃から「人の役に立つ人間になりたい」と
いう思いを抱いていました。
内観の素晴らしさを実感した私は、会社を辞めて出家し、
内観指導の道を歩むことを決意したのです。
現在、指導を行っている熊本の蓮華院誕生寺には、
健常者ばかりでなく、摂食障害や鬱病、
アルコール依存症等々、様々な問題を抱えた方々も
お越しになります。
一週間も内観を続けると、それまで他者を非難し、
被害者意識に陥っていた方が、問題の原因が
実は自分にあることに思い至ります。
正しいと思い込んでいた自分が、
これまでいかに人に迷惑をかけてきたか、
にもかかわらず、いかに支えられて生きてきたかを悟り、
感謝の念を抱くことで、楽に、
明るく生きられるようになるのです。
夫婦や子供の問題に悩み、相手を変えたいと思っている方は、
まず自分が内観することで問題が大きく改善することに驚かれます。
こうした指導体験をもとに、私はこの程
『お母さんにしてもらったことは何ですか?』を
上梓しましたが、内観ではまず、
母親についての記憶を辿りながら、
冒頭の三つの問いかけをしていきます。
母親は自分を産んでくれた大切な人であり、
あらゆる手間をかけて自分を育ててくれた
最も身近で尊い存在だからです。
母親のいない人でも、それに代わる方はいるはずです。
一人静かに記憶を辿るうちに、不思議なもので、
心の奥にしまい込まれていた遠い日の思い出が
一つ、二つと甦ってきます。
母親との関係が良好ではない人も、
それまで思い至らなかった母親の心情を悟り、
憎しみが感謝の念に変わっていきます。
ある男性は、重度の認知症になった母親の介護に
葛藤を抱えていました。
意思の疎通もできなくなった親を
介護することにどんな意味があるのかと。
最初は内観にあまり乗り気ではありませんでしたが、
あるイメージが浮かんだことをきっかけに、
一気に内観が深まりました。
そのイメージとは、俵形の真っ黒なおにぎりでした。
……この随想のタイトルでもある「ありがとう」の反対語とは?
続きは、『致知』4月号をご覧ください。
◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2013年4月1日 ◆
松本薫選手や谷亮子選手といった、
世界の頂点を極めた女子柔道家を育成されてきた稲田明氏。
ご自身も全日本選抜体重別選手権で優勝という経歴を持ち、
指導者としても日本が誇る名選手を育てられました。
『致知』4月号に稲田氏と、
女子レスリング吉田沙保里選手の父、吉田栄勝氏との
対談記事が掲載されていますので、その一部をご紹介します。
┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「谷亮子選手との出会い」
稲田明(帝京豊郷台柔道館館長)
『致知』2013年4月号
特集「渾身満力」より
└─────────────────────────────────┘
私は福岡県警にいた二十七歳の時、
東福岡柔道教室を始めたんですが、
十年が経って全国少年大会にも出られるようになった
昭和五十八年に、彼女(谷亮子選手)は
お母さんに手を引かれて道場へ来ました。
当時七歳でしたが、まだ五つくらいかなと思うくらい
体が小さくて、柔道は全然やったことがないと。
三つ上のお兄ちゃんがいましたから
その見学に連れてこられたのだと思いますが、
柔道着を着せてみると、その着こなしが実にうまいんですね。
試しに受け身を教えてみたら非常にもの分かりがよく、
この子、何かあるかもな、と思いながら最初は見ていました。
私は子供が成長していく上で、
指導よりもアドバイスが大事だと思うんですが、
最初に言ったのは
「おまえは体が人一倍小さいのだから、
三倍の努力をしなさい」
ということでした。
二つ目は
「柔道に限らず、一度やろうと決めたら
最後までとことんやり通しなさい」
と。すると本人も聴く耳を持っているというか、
そういう器があったんでしょうね。のみ込みが早いんですよ。
学校へ行く前の朝練でも皆より一時間も前に道場に来て、
掃除をしたり、ゴムチューブを引いたりして
練習が始まるのを待っている。まだ小学校の二年生ですよ。
練習中も絶対に手を抜かないし、
小学生の部が終わった後も一人居残り練習をし、
高校生と同じように、夜十時半までトレーニングをして帰る。
それくらいの努力を小さな頃からしていました。
それでも、小学校の時はまだ体が小さくてもやれたんですが、
中学生になると体が小さ過ぎて団体戦には使えません。
そうすると、いままで一時間早く出てきていたのが
だんだん遅くなり、どうしたのかなと思って本人に尋ねました。
すると「ピアノと習字を習っている」と言ったもんだから、
「おまえ何を考えてるんや!
ピアノや習字には五輪はないんやぞ。
どれか一つにしろ。
でないと三つとも全部ダメになってしまう」
と言いました。
その日はもうポロポロ涙を流して帰りましたが、
明くる日にはケロッとした顔で一番に来て
「柔道を頑張ります」と言ってくれました。
◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2013年4月2日 ◆
生まれる前の記憶を語る子供たちがいるといいます。
この「胎内記憶」が示唆するものは何か。
医療の現場に胎内記憶を生かし、
妊産婦の啓蒙に尽力してきた池川明氏に
これからの親子のあり方や生き方について
村上和雄氏とご対談いただきました。
『致知』4月号より、その記事の一部をご紹介いたします。
┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「親を選んでくる子供たち」
池川明(池川クリニック院長)
『致知』2013年4月号
連載「生命のメッセージ」より
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胎内記憶を語る子供たちの中には、例えば
「僕はさぁ、雲の上で見ててママのところにビューンて来たんだよ」と、
生命が宿る前の中間生や過去生の記憶まで出てくるケースもあるんです。
最初に気づいたのは、ある女の子が、女優さんになりたいから、
空の上から綺麗なお母さんを選んできたって
話しているのを聞いた時です。
調べて分かったのは、胎内に宿る前の記憶を持っている子が
二十%、五人に一人いたんです。
おなかの中の記憶以上に不思議な話ですから、
オカルトっぽいし、虐待や中絶をする親はどうなんだといった
疑問や反論も受けます。
わざわざそんな親を選んでくる子がいるのはおかしいと。
こういうことを言うと結構批判を受けるんですが、
これまで聞いた話から推測すると、どうもそういう子は、
敢えて虐待や中絶をされるために
その親を選んできているようなんです。
恨んでいる子は一人もいなくて、みんな
「お母さんありがとう」って言うんです。
赤ちゃんはお母さんを精いっぱい応援していますし、
命を懸けてお母さんを守ろうとしています。
そして長い目で見ると、中絶や虐待があったことによって、
お母さんや家族が愛情を取り戻したりすることがあるようなんです。
あるお母さんは義理のお父さんを恨んでいたそうなんですが、
赤ちゃんを流産した後、そのお義父さんが
「神様は絶対に悪いことをしないから」と
声をかけてくれたそうなんです。
実はそのお義父さんは、かつて病気で九死に一生を得た方でした。
お母さんはお義父さんの優しさを初めて実感して、
家庭が穏やかになったそうです。
それからあるお母さんは、自分が子供の頃に
虐待を受けて嫌な思いをしたのに、
今度は自分が我が子に虐待をしていた。
ある時我が子の写真を見たら、
目の奥に仏様の慈悲の心が見えてハッとしたそうなんです。
すぐ子供にそれまでのことを謝ったら、
その子は僅か五歳なんですが
「僕はお母さんが分かってくれるって信じていた。
だってお母さんがそうするのは
お祖母ちゃんからそうされたからだし、
お祖母ちゃんもそうされてたんだから誰も悪くない。
お母さんが気づいてやめてくれてよかった」
って言ったそうなんです。
【村上:考えさせられる話ですね。
その母親のように、自分が子供に選ばれたことを自覚すれば、
親子関係は随分変わるでしょう】
それは子供にも言えることで、
この母親を選んだと思うと親子関係はよくなります。
人生が辛かった人も豊かになるんです。
東京ディズニーランドを運営する
オリエンタルランドは1日、
東京ディズニーリゾートの2012年度の入園者数が、
前年比8.5%増の2750万人となった事を発表しました。
これは1983年の開演以来、過去最高。
同社は、「かつて子どもと来ていたお客さんが、
大人同士で来ているようだ」とみています。
来場者の年齢層の変化に合わせ、
シニア向け割引などのサービス強化を
続けてきたことが、入園者数増加の要因の
ひとつではないでしょうか。
このように、
遊園地では、アトラクションのみならず、
園内の飲食店、グッズなどの小売店などを含め、
市況の変化に応じてサービス拡充や、
新商品の開発を行っています。
「変化に応じてサービスを変える」ことは、
どんなビジネスでも
必須のポイントと言えるのではないでしょうか。