交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

初期の宗教というものは、恐怖宗教であった

2012-01-26 11:53:37 | 教育

昭和44年(1969) (74齢時)

 

今、世界はいろいろ混迷しております。

まあこれは事実かどうか知らんやけれども、

人づて聞いて覚えているのは、アインシュタインという人の話ですね。

この人は、世界的な、世紀の科学者やけど、

今から30数年前に、こういうことを言うているというんです。

「人心を安定させて、好ましい社会情勢を実現するには、

やっぱり宗教の力によらなくてはならないだろう。

いつ世でも、宗教というものがいろんなかたちにおいて存在した。

 

初期の宗教というものは、恐怖宗教であった

神があって、神さんが怒る。

それでいろいろ風が吹いたり、水が出たりするんだ。

それは神の怒りである。

だから、その神の怒りを鎮めるために、

いけにえを出したり、あるいは何かを献じて神の怒りをやわらげる。

そして、安定を求めるわけである。

そういう教えが、第一の宗教であった。

ところが第二の宗教というものは、そういう恐怖の宗教ではない。

怖いという恐怖から身を保とうというような教えではなくて、

救いの宗教である。

神そのものが人間を本質的に救ってくださるのだ、

われわれは神に救われるんだという救いの宗教に変わる。

釈迦、キリストというような時代を転機として、

恐怖の宗教から救いの宗教になった。

神があたん(仕返し)すると、こう考えておったのが第一の宗教であった。

神はあたんをするのではない、

神は救いを原則としておられるんだという教えが、第二の宗教になったのだ。

それが、ここ二、三千年続いてきたわけである。

ところが、最近もう救いの宗教ではいかんようになった。

神に救われるという宗教ではいかんようになった。

多くの人はそれでは救われない、満足しないという時代になってきたように思う。

したがって、第三の宗教というものが生まれるだろうと、自分は思う。
しからば第三の宗教は、つまり恐怖の宗教でもなく、救いの宗教でもなければ、

何の宗教であるかということは、自分にも分からない。

しかし、もう時代はそうなっているだろう」 こういうことを言うてるんですね。

それを考えると、どうもそういうような感じがするわけですね。

現在のこの混迷した世相を見ていると、

宗教で救われるということはだんだん少なくなっている

二、三日前の新聞を見ても、キリスト教の教会で、ゲバ棒が振られて、

牧師が信徒につるしあげられている、ということが出ておったわね。

ちょうど学校と同じでは生徒は先生に教えてもらえる。

先生に学問も道徳も教えてもらえるということが、

これまでの一応の常識であったわけです。

しかし、最近の学校の状態を見ると、先生は教えるものやなくして、

先生は生徒に叱られるものである、というように変わってきているわけやな。

まあ、それが今日の状態である。

そうすると、これからどうなるのか。

現代の世相ではいかんから、これから何か新しい宗教というか、

新しい理念というものが生まれてくるのやないか。

どういうかたちでどう生まれるか、ということは分からないけれども、

生まれるだろうというのが、アインシュタインの話だったらしい。



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