昭和44年(1969) (74齢時)
今、世界はいろいろ混迷しております。
まあこれは事実かどうか知らんやけれども、
人づて聞いて覚えているのは、アインシュタインという人の話ですね。
この人は、世界的な、世紀の科学者やけど、
今から30数年前に、こういうことを言うているというんです。
「人心を安定させて、好ましい社会情勢を実現するには、
やっぱり宗教の力によらなくてはならないだろう。
いつ世でも、宗教というものがいろんなかたちにおいて存在した。
初期の宗教というものは、恐怖宗教であった。
神があって、神さんが怒る。
それでいろいろ風が吹いたり、水が出たりするんだ。
それは神の怒りである。
だから、その神の怒りを鎮めるために、
いけにえを出したり、あるいは何かを献じて神の怒りをやわらげる。
そして、安定を求めるわけである。
そういう教えが、第一の宗教であった。
ところが第二の宗教というものは、そういう恐怖の宗教ではない。
怖いという恐怖から身を保とうというような教えではなくて、
救いの宗教である。
神そのものが人間を本質的に救ってくださるのだ、
われわれは神に救われるんだという救いの宗教に変わる。
釈迦、キリストというような時代を転機として、
恐怖の宗教から救いの宗教になった。
神があたん(仕返し)すると、こう考えておったのが第一の宗教であった。
神はあたんをするのではない、
神は救いを原則としておられるんだという教えが、第二の宗教になったのだ。
それが、ここ二、三千年続いてきたわけである。
ところが、最近もう救いの宗教ではいかんようになった。
神に救われるという宗教ではいかんようになった。
多くの人はそれでは救われない、満足しないという時代になってきたように思う。
したがって、第三の宗教というものが生まれるだろうと、自分は思う。
しからば第三の宗教は、つまり恐怖の宗教でもなく、救いの宗教でもなければ、
何の宗教であるかということは、自分にも分からない。
しかし、もう時代はそうなっているだろう」 こういうことを言うてるんですね。
それを考えると、どうもそういうような感じがするわけですね。
現在のこの混迷した世相を見ていると、
宗教で救われるということはだんだん少なくなっている。
二、三日前の新聞を見ても、キリスト教の教会で、ゲバ棒が振られて、
牧師が信徒につるしあげられている、ということが出ておったわね。
ちょうど学校と同じでは生徒は先生に教えてもらえる。
先生に学問も道徳も教えてもらえるということが、
これまでの一応の常識であったわけです。
しかし、最近の学校の状態を見ると、先生は教えるものやなくして、
先生は生徒に叱られるものである、というように変わってきているわけやな。
まあ、それが今日の状態である。
そうすると、これからどうなるのか。
現代の世相ではいかんから、これから何か新しい宗教というか、
新しい理念というものが生まれてくるのやないか。
どういうかたちでどう生まれるか、ということは分からないけれども、
生まれるだろうというのが、アインシュタインの話だったらしい。
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