交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

ホームレスからハーバード大へ

2012-01-10 21:09:04 | 映画 音楽

ホームレス生活を送りながらも自立を決意し、
        ハーバード大へ たくましい女性の自伝

 


これは、1人の少女が、自分を取り巻く厳しい環境からたくましく人生を切り
開いていった実話である。
Liz Murrayは、1980年、ニューヨークのブロンクスに生まれた。彼女の両親は
麻薬中毒患者だった。Lizと彼女の姉は貧しいながらも、両親の愛に包まれて
子供時代を過ごす。両親がドラッグでハイになるのを見ながらも、幼いLizは
両親を助け、本を読み、仕事を見つけてお金を稼ぐことさえした。

しかし母の精神異常、父母の別離を経て、Lizは15歳にしてホームレスになる。
友人宅を転々とし、地下鉄や公園で寝泊りし、やがて謎めいたボーイフレンド
とモーテル暮らしをするように。


松下幸之助  社会にやらせてもらう

2012-01-10 20:52:09 | 商い

http://www.php.co.jp/fun/matsushita/

 社会にやらせてもらう

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 お互いの仕事なり職業というのは、

それぞれに自分の意志で選び、

自分の力でやっているようではあるが、

本来は社会がそれを必要としているからこそ成り立つものである。

つまり、自分がやっているのではなく、

社会にやらせてもらっているのだということが言えると思う。

床屋の仕事でも、

髪をキチンとしたいという人びとの要望があって、

はじめてそれが必要とされるのである

このことは、どんな仕事についても同じである。

そういうことを考えてみると、

そういう仕事を世間からやらせてもらえるのは

ほんとうにありがたいことだという感謝の念も生じてくると思うのである。


「生きがい」を持ちにくい人生観   「生きがい」を持ちやすい人生観

2012-01-10 15:35:30 | 徳育 人間力

「生きがい」を持ちにくい人生観


・自分は、偶然、この宇宙に存在している。
・自分は、偶然、この地球に生まれてきた。
・自分は、偶然、人間として生まれてきた。
・自分は、偶然、この時代に生まれてきた。
・自分は、偶然、この場所に生まれてきた。
・自分は、偶然、この両親のもとに生まれてきた。
・自分は、偶然、あの幼稚園・保育園に入り、あの小学校に入り、あの中学校に入り、あの高等学校に入った。
・自分は、偶然、あの学校で出会った人たちと、友人になったり、嫌い合ったりした。
・自分は、偶然、あの学校で出会った先生方の教えを受けた。
・自分は、偶然、あの人を好きになったり、恋人になったり、振ったり振られたりした。
・自分は、偶然、この人との間で話が盛り上がって結婚した。
・自分は、偶然、この仕事に就いた。
・自分は、偶然、この職場にいる人々と一緒に仕事をしている。
・自分は、偶然、これらのお客様たちを相手に仕事をしている。
・自分は、偶然、あの時、あの事故にあった。
・自分は、偶然、あの時、あの病気になった。
・自分は、偶然、あの時、あのような出来事にあった。
・自分の子どもたちは、偶然、自分たちの子どもとして生まれてきた。

このような考え方で生きていくと、「人生は失敗・挫折・不幸などの悪い偶然性に満ちており、自分はしばしば、それらの被害者となる」という、暗い気持ちに陥りかねない。なぜなら、人生で起きる出来事には深い意味などなく、「世の中には、たまたま幸運に恵まれて安楽に生きている人もいれば、たまたま不幸に見舞われて苦しんでいる人もいる」というのが、辛く哀しい現実だという解釈になるからである。
 

「生きがい」を持ちやすい人生観

 

人間にとって「生きがい」を持ちやすい人生観とは、「自分は、人生展開を支配する様々な宇宙法則のもとで生きており、人生で生じるあらゆる出来事には、必ず深い意味や理由がある」という思考方法である。本人が自覚している程度には個人差があるが、具体的な言葉にすると、例えば、次のように考えながら生きることを示す。
 
・自分は、よほどの理由があって、この宇宙に存在している。
・自分は、よほどの理由があって、この地球に生まれてきた。
・自分は、よほどの理由があって、人間として生まれてきた。
・自分は、よほどの理由があって、この時代に生まれてきた。
・自分は、よほどの理由があって、この場所に生まれてきた。
・自分は、よほどの理由があって、この両親のもとに生まれてきた。
・自分は、よほどの理由があって、あの幼稚園・保育園に入り、あの小学校に入り、あの中学校に入り、あの高等学校に入った。
・自分は、よほどの理由があって、あの学校で出会った人たちと、友人になったり、嫌い合ったりした。
・自分は、よほどの理由があって、あの学校で出会った先生方の教えを受けた。
・自分は、よほどの理由があって、あの人を好きになったり、恋人になったり、振ったり振られたりした。
・自分は、よほどの理由があって、この人との間で話が盛り上がって結婚した。
・自分は、よほどの理由があって、この仕事に就いた。
・自分は、よほどの理由があって、この職場にいる人々と一緒に仕事をしている。
・自分は、よほどの理由があって、これらのお客様たちを相手に仕事をしている。
・自分は、よほどの理由があって、あの時、あの事故にあった。
・自分は、よほどの理由があって、あの時、あの病気になった。
・自分は、よほどの理由があって、あの時、あのような出来事にあった。
・自分の子どもたちは、よほどの理由があって、自分たちの子どもとして生まれてきた。

このような考え方で生きていくと、「人生は、自分を成長させる修行課題としての順調な訓練に満ちているが、本質的な失敗・挫折・不幸は存在しない」という解釈のもとで、あらゆる出来事や人間関係に深い意味づけを感じながら、真に前向きな生活をを送ることができるだろう。
 

参考文献

飯田史彦 著 『生きがいの創造』 PHP研究所 2009年

飯田史彦 吉田武男 著 『スピリチュァリティ教育のすすめ』 PHP研究所 2009年

 


運命に上手に乗るといったほうがよいのではないかと思います

2012-01-10 15:26:01 | 徳育 人間力

運命の作用というものはわかりませんけれど、

分からないままに、

これが人によってみな違うものだということはいえると思います

ちょうど人間の顔かたちが、一人として同じものがないように、運命の働き方は人によってみな違うと思うのです。

たぜ違うのかといっても、これは人間の顔かたちが、

人によってみな違のと同じことで、天地自然の理にもとづいてそうなっているのです。

すなわち、自然の理が人間にそう運命を与え方をしていると思うのです。

 命が違うということは、他人と同じ歩み方をする必要はないということです

また同じ歩み方をしょうとするすることは、ムダなことだということです

だからある人が、一つの道で成功したからといって、

他の人がこれと同じ道を歩んで成功しょうと考えても、

それはできないことだと思います。

いやむしろそう考えることは、その人にとって不幸なことだと思います。

なぜかといいますと、その人にとっては、ほかに成功するような道が与えられているからなのです。

たとえば生まれつき非常に声のよい人と、また悪い人とがあります

そこでよい声に生まれついた人が

立派な声楽家を志すのはよろしいが、悪い人がこの人と同じ道を歩もうとするのは間違いです

声の悪い人は、声楽家にはなれないかもしれないが

たとえば絵が非常にうまく画家になれるという場合もあるのです

だから、みんなそれぞれの道を、

それぞれにせいいっぱい歩んでいけばよいと思うのです。

他人の歩み方を見て、そこから教えを得ることはよろしいが、

他人の歩み方をそのまま真似する必要はないと思うのです。

自分の道を一生懸命歩めばよいと思うのです

それがその人の成功への道だと思うのです

もちろん、それぞれの道といっても、それがどんなものか、それは分かりません。

運命の内容は、さきにも言いましたように分からないからです。

ただ分からないけれども、

人の運命はみな違って与えられているということ、

これだけははっきりしているのですから、

この点をお互いによく認識しておきたいと思うのです。

そうすれば、お互いにムダな努力は避けることができるようになるでしょう。

それでは、

この運命に対して、どう対処すればよいかということが、

つぎに問題になってくると思います。

これはちょっと言葉では、こうしなさいと言い表わせないのではないかと思います。

ただ、いままでにお話ししましたように、運命というものは存在する、

しかしその内容は分からない、そして分からないけれども、人によってそれはみな違うということを、

まず率直に認めることが大切ではないかと思います。

すなわち以上お話しした運命観に、

率直に立つことができましたら、

お互いにそれぞれの運命に対処する道は、それぞれに自然に会得できるようになると思うのです。

ちょっと考えればむずかしいことのように思えますが、心を虚にして、率直に自分のなすべきことを考えたならば

運命に対処する道はおのずから分かってくるのではないかと思うのです

世間ではよく、

運命は服従すべきものではなく、開拓すべきものだといわれます。

これはまことに結構な考え方だと思います。

しかし、この言葉をそのままに直訳して受け取りますと、

無理をして、かえって運命を生かされないことになるかもしれません。

ですから、運命を開拓するという考え方もよろしいけれど、

これは、運命に上手に乗るといったほうがよいのではないかと思います

 


人間の幸せは、自分の運命を生かすことである

2012-01-10 15:04:26 | 徳育 人間力

とにかく今日われわれがここまで来たのは、われわれの意思でない。

両親の意思によって生まれたかというと、

完全に両親の意思とはいえない。

もっと大きなものがその上にあると思います

そういう力があるとするならば、それを見ておって、

それをごまかすことは私はできないと思います。

そうすると、

あんまりあくせくとやらなくても、悠々と自分の運命に従って進んでいくということが大事である

悪心がないならば、その人がもって生まれた運命が完全に生きると思います。

運命に従う以外にほんとうはないと私は思います。

そうしてみると大丈夫の精神が出てくると思います。

人間の幸せは自分の運命を生かすことである

自分の運命を平社員で終始することになっていればそれで結構ではないか、というような感じでおれば、

私は皆さんの生涯というものは非常に強く、

かつ正しく、幸福なものだというふうな感じがするのであります。


相互の力というものは倍となり、三倍となり、四倍となって働くものだと思うのです

2012-01-10 14:48:18 | 徳育 人間力

この世のことは理屈で割り切れないこともたくさんあります

そういうこともさらに世が進歩しますと、

割り切れるようになるかもしれませんが、

今のところは割り切れないものがたくさんある。

そういう理屈で割り切れないものが成り立つということから、

理屈では説明できない一つの絆、

大きな縁というものがそこに力強く働いているということを感知するということになるのであります。

皆さんが松下電器にこうして入社してくださったということも、

私は一面にそういう両者のあいだに強い縁があって

それで結ばれたんだと考えてみてはどうか。

理屈以外である、いいかえますと、

そういう運命をもっているんだ、

諸君は松下電器に社員として入り、

そして社員として社会人として、社会に活動するというような運命をもっておるんだ、こういうように私は考えられるとも思うのであります。

そうでありますから、私は、お互いに一面非常に強い結びつきをもっていると思います

そういう運命をもっておるんだ、

理屈やない、諸君が松下へ入ったという運命のしらしむるところである。

えらい旧式なことを言うな

と皆さんは思うかもしれないけれども、

私はまじめに、皆さんを迎えることは運命だという考えをもっているんです

皆さんを十分に試験し考査して、

この人は理想的な社員になられる人だと思って、松下電器が採用したのであります。

しかしそうは思うものの全部が全部そうかというと、私はそうもいかない方々もあろうかと思うんです

皆さんは、まあ松下へ入って誠実に働いて、社会のため国家のため、

また会社のため努力しょうという決意をもっておられましょうけれども、

そのうちにはそういう決意もだんだん薄らいできて、

好まざる社員というような傾向になる人も、なかにはあると思うんです。

 

"ああ 困ったな" と 会社が思う人も 皆さんのうちには
  一人や二人は でるかもしれません。
 しかし、仮に そういう人がでても、
 "それは運命だ。 会社のもつ運命だ。
 だから、その運命に従って その人を許容していこう"
 こういうような考えを  会社も やはり もつべきだと思うんです
 それと同じように、皆さんも  いい会社と思って入ったけれども、全部が全部、
 いいことずくめではない。
 なかには、気に入らん点もあるし、面白からざる点もある。
 けれども、これが やはり 俺の運命だ、だから、ある程度これを 許していこう、
 そして、協力していこう と いうように考える。
 そういうように考えますと、会社も 皆さんの中から 好ましからざる人が出ても、
 温かい心をもって 終始 その人に接することができるし
 皆さんのほうも面白くない会社だと思っても 誠意を持って 会社を見守っていこう
 ということに なっていくのだと思うのです。
 結ばれた縁、結ばれた運命というものに立脚して、心を広く物事を考えてみますと、
 辛抱できないことでも辛抱する
 お互いに許しにくいことでも許しあおう という気になってくる。
 そこに、本当の結合というものが生まれてきて、
相互の力というものは倍となり、
 三倍となり、四倍となって働くものだと思うのです。


悩みは生きがい。

2012-01-10 14:25:24 | 徳育 人間力

かりに、世間からいい会社だといわれているような会社があって、

そこに新しい社長が来たとする。

そのときに、

「やつぱりいい会社だな。 これは具合いいな。

いい会社へ入った」と思うような社長だったらもうダメです。

新しく来た社長が

ほんとう立派な人だったら、

いい会社だと世間では言ってるが、入ってみたら問題だらけだ

これは直さなきゃいかん。」ということで、

そこから心配が出てくるわけです。

その日から、それが3年続く

3年間心配につぐ心配です。

そうやっているうちに、その会社がコロッと変わって、立派になるわけです


「何かどこかに喜びを感じとるんですね」  松下幸之助(73歳)

2012-01-10 00:07:12 | 徳育 人間力

ニチボーの大松(博文)監督がバレーの練習で鍛えているのは見えましたが、実にすさまじいもんですえ、実際。

銭金でなんなことをやれと言われても、する人はおそらく一人もないと思いますね。  

まあ、

あんたに10万円月給をあげるからやってくれと言っても、誰もやらないと思うんです。

命がけですわな。 よくあそこまでやったなと思う。

それが、まあプロというんなら、職業的な意識でやるという場合があるけれど、

あれはプロでも何でもない。

しかしプロでもできないほどの猛烈な練習をやっている。

ハラハラするくらいです。偉いもんやと思うたです。

苦しいだろうと思うんですけれど、本人はあまり苦しいとは思っていない。

何かどこかに喜びを感じとるんですね

私は、あそこまでいく必要はない、

われわれは本業としてやるんやから、

また違った意味においてものの見方、考え方がありますから、

あそこまで思いつめてやらなくてもいいと思いますけれども、

しかし、なかなか厳しい練習もしなくてはならんし、

厳しい開発もしなくてはならん。

それには単に汗を流すだけやなく、知恵を絞るとでも申しますか、

そういうような状態に再々直面する。

そして、知恵を絞っていくようなこともやらなくてはならん。

まあ、一面に選手の苦しみというようなことが、見た目では感じるかしらんけれども、

はたから見たら、

あれだけ勉強したら苦しいだろうな、

やせやしないかというてね、

はたがハラハラするようであっても、

本人は苦しみを感じるようなことでは私はあかんと思います

本人はそのこと自体に、

非常な感激と喜びと生きがいを感じることでなければいけないですね

そういうようなことでないと、ほんとうに物事というものは成就しないと思うんです。