交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである」

2013-04-23 22:02:44 | 建て直し

「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである」  アインシュタイン

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名言セラピー
- meigen love


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日本ではちょっとエッチな色ってピンクですよね。
ピンク映画っていいますし。
でも、これ、国によって違うんです。


アメリカではエッチな色は青、ブルーになります。
だから「ピンク映画」は「ブルーフィルム」
下ネタは「ブルージョーク」といいます。

スペイン語では緑がエッチなので、
エロ本は「libro verde」(緑の本)となります。
中国は黄色がエッチ。だからアダルト映画は「黄色電影」です。


日本では、何かもらったら、「ありがとう」って言いますよね。
でも、中国では仲が良ければいいほど、「ありがとう」って言わないんです。
そんなこと言われたら、逆によそよそしい。
自分たちは仲いいはずじゃなかったのかなって思うそうです。


日本では人を励ます時に、「頑張って」って言いますよね。
でも、アメリカでは「頑張りすぎないでね!」
(Don't work too hard)となります。
まったく逆です。


日本の親は「人に迷惑をかけちゃダメ」と教えますが、
インドでは、「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、
人のことも許してあげなさいね」と教ええるそう。

また、インドでの「イエス」のジェスチャーは、日本の「ノー」のように首を振って、
「ノー」のジェスチャーは、日本の「イエス」のように首を頷けます。
もう、わけわからなくなります。


常識は国が変われば非常識になりえます。

常識は時代が変わっても非常識になりえます。
あなたの頭の中の常識だって、根拠はあやしいものです

しかし、頭の中の思い込みは、自分では「当たり前」になっていますから、
普段は気づくこともない。だから、疑ったことなど、一度もないんです。

例えば、僕には弟がいますが、弟は学生の頃、
サッカー部のキャプテンで、モテモテ、
それが当時の僕にはすごく嫌だったんです。

友達がモテるのは気にならないのに、弟がモテるのはイヤなんです。

なんでイヤだったのか。
「兄は弟に負けてはいけない」
当時、完全にそう思い込んでいたからです。

だから、バレンタインの日は、悔しくて悔しくて。
弟チョコ8に対して僕は1。


8対1


しかも僕の1は、かあちゃんからのチョコですからね。
僕はこんなとるに足らない思い込みのせいで苦しんできたんです。

この思い込みがなければ、
弟に「余ったチョコちょうだいね」って素直に言えたのに(笑)

では、なぜ、「弟に負けてはいけない」と思い込んだかというと、
「勝たなければ、親に認めてもらえない」という、
その先の思い込みがあったからです。

嫌な感情の背後には、必ず、あなたの常識(思い込み)が隠れていますので、
探してみてください。どんな思い込みがあるから、こ
のイヤな感情が生まれるんだろうって。思い込みに気づけたら、
あとは、「それ、ほんとう?」って疑ってみればいい。

「弟に負けてはいけない」

「それ、ほんと? 勝つとか負けるって誰が決めるの? 
 相手のいいところと、自分のダメなところを比較して、そもそも勝ちってあるの?」



勝たなければ、親に認めてもらえないってほんと?」

親に聞いてみた? え? 聞いてもいないのに勝手にそう思い込んでた?」



「失敗してはいけない」

「それ、ほんと? うまくいっている人ほど過去にたくさん失敗していたりするけど」



「みんなと仲良くしなくてはいけない」

「それ、ほんと? 嫌いな人が一人でもいたら、もう価値がないの?」



「弱い自分を見せてはいけない」

「それ、ほんと? むしろ、相手が本心を話してくれたときうれしかったりするけど」


たいてい、ほんとうじゃありません。
人は、ほんとうじゃないことで悩んでいるんです。
悩むのが趣味っていうならいいんです。
でも、そうではないなら、ほんとじゃないことで悩むのはやめよう。

嫌な感情がでてきたら、それは、自分の思い込みや価値観に気づくチャンスです。

気づいたら、「それはほんとう?」と疑ってみましょう。


ほんとうではない、もしくは、もう必要ではない価値観なら、
「そう思うことで自分を守ろうとしてきたんだよね。
 でも、もう大丈夫。今までありがとう」と、感謝で手放せばいい。



「君を疲れさせているのは、目の前の登るべき山ではなく、とるに足らない厄介事だ」
モハメド・アリ




出典

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「稲盛和夫氏はなぜ成功したか?」

2013-04-09 18:56:41 | 建て直し



━━━━■ 今日の注目記事 ■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



     「稲盛和夫氏はなぜ成功したか?」


            『致知』2013年5月号
            特集「知好楽」総リードより


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パナソニックの社名が松下電器だった時期、
山下俊彦という社長がいた。

昭和五十二年、先輩二十四人を飛び越えて社長になり、
話題となった人である。

弊誌にも親しくご登場いただいたが、
率直、明晰なお人柄だった。

この山下さんが色紙を頼まれると、好んで書かれたのが
「知好楽」である。

何の説明もなしに渡されると、
依頼した方はその意味を取りかねたという。

この出典は『論語』である。


子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。

(これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。
 これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない)


極めてシンプルな人生の真理である。
仕事でも人生でも、それを楽しむ境地に至って
初めて真の妙味が出てくる、ということだろう。


稲盛和夫氏。京セラの創業者であり、
経営破綻に陥った日本航空を僅か二年八か月で
再上場に導いた名経営者である。

この稲盛氏が新卒で入社した会社はスト続きで給料は遅配。
嫌気がさした稲盛氏は自衛隊に転職しようとするが、
実兄の反対を受け、そのまま会社に止まった。

鬱々とした日が続いた。
会社から寮への帰り道、
「故郷」を歌うと思わず涙がこぼれたという。

こぼれた涙を拭って、こんな生活をしていても仕方がない、
と稲盛氏は思った。自分は素晴らしい会社に勤めているのだ、
素晴らしい仕事をしているのだ、と思うことにした。

無理矢理そう思い込み、仕事に励んだ。
すると不思議なもので、あれほど嫌だった会社が好きになり、
仕事が面白くなってきたのだ

通勤の時間が惜しくなり、布団や鍋釜を工場に持ち込み、
寝泊まりして仕事に打ち込むようになる。
仕事が楽しくてならなくなったのだ。

そのうちに一つの部署のリーダーを任され、
赤字続きの会社で唯一黒字を出す部門にまで成長させた。
稲盛氏は言う。


「会社を好きになったこと、仕事を好きになったこと、
 そのことによって今日の私がある」
 

知好楽の人生に及ぼす影響が
いかに大きいかを示す範例である。


 「変化に応じてサービスを変える」

2013-04-03 23:02:01 | 建て直し

東京ディズニーランドを運営する
 オリエンタルランドは1日、
 東京ディズニーリゾートの2012年度の入園者数が、
 前年比8.5%増の2750万人となった事を発表しました。
 これは1983年の開演以来、過去最高。

 同社は、「かつて子どもと来ていたお客さんが、
 大人同士で来ているようだ」とみています。
 
 来場者の年齢層の変化に合わせ、
 シニア向け割引などのサービス強化を
 続けてきたことが、入園者数増加の要因の
 ひとつではないでしょうか。

 このように、
 遊園地では、アトラクションのみならず、
 園内の飲食店、グッズなどの小売店などを含め、
 市況の変化に応じてサービス拡充や、
 新商品の開発を行っています。
 
 「変化に応じてサービスを変える」ことは、
 どんなビジネスでも
 必須のポイントと言えるのではないでしょうか。


「議論する時は対等だ。同じ社員だ」

2013-02-19 17:00:00 | 建て直し




◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2013年2月18日 ◆


  若き日に土光敏夫氏の薫陶を受けた
  日本システム技術社長・平林武昭氏。

  石川島播磨重工業時代の土光氏との
  貴重なエピソードが『致知』2月号に
  掲載されていますので、その一部をご紹介します。



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



     「土光敏夫氏に教わった経営と人生」
 

            平林武昭(日本システム技術社長)



                『致知』2013年2月号
                 特集「修身」より


└─────────────────────────────────┘


昭和三十七年、私が石川島播磨重工業に
入社した時の社長が土光さんだったんです。

その頃は瀕死の重傷に陥った
石川島播磨の経営再建を成し遂げて
社会的に注目を集めていらっしゃいましたが、
そういう人と偶然とはいえ、
巡り合えたのは幸せだったと思います。

格調高き人物に出会いの縁・運があった。
縁とか運とか目に見えないものを大切にすることで、
道がひらかれるのではないでしょうか。

土光さんと私はまったく次元が違うし
比較にもならんのだけれども、共感するところがありましてね。

一つには土光さんは岡山市、私は播州赤穂と故郷が近いんです。
そして信仰篤い家柄、なおかつお互いに農家の出でしょ。
春夏秋冬、とにかく休む暇なく
百姓仕事に汗したことも土光さんに共感した理由です。

それに、土光さんは受験の挫折とか代用教員を経て
大学に入るなど随分苦学されたようですが、
私も学区制を破って隣県の高校を受験しようとしたり、
親元を離れて千葉の高校に転校したり
向学心が旺盛でしたから、そういう点でも
親しみを感じるものがありました。


入社して間もなく我われ東京・豊洲
(当時は東京砂漠といわれていた)の
工場の新入社員五、六人で経営の勉強会を始めました。

ところが、ある時「経営は学か術か」というテーマで
社長の土光さんに一度講義をしてもらおうじゃないか
という話になりましてね。


新入社員のプライベートな勉強会なんか
普通、トップは来ませんわ。


ところが土光さんは実行の人ですよ。



勤務後、バスに乗って本社からやってこられたんです。
考えたらこれは大変なことでね。
私も「やはりただ者ではない」という思いを強くしました。

いまでも覚えていますが、



「議論する時は対等だ。同じ社員だ」



とおっしゃるんです。

大企業の社長と新入社員が対等なんてありえないでしょう。
でも土光さんは私たちの考えに
謙虚に耳を傾けてくださいました。 

あの方は根っからの技術者なんです。
日本を技術立国にしようと努力した方だけに
技術者を凄く大事にされました。

工場視察に行くと普通のワーカーたちに
「ここはどうなっているのだ」と気さくに聞いて回られる。
それが楽しかったようですね。

労働組合の団交にも自ら行って腹を割って話された。


とにかく偉く見られようとか、地位に固執するとか、
そういう素振りは一切なかったし、
謙虚な姿勢は九十二歳で亡くなるまで変わりませんでした。
そういう姿を見ると誰だって信奉します。
素晴らしい傑物でしたよ。



……………………………………………………
●平林社長の心に響いた土光敏夫氏の教え
……………………………………………………

 「できない、無理、難しいは禁句」

 「仕事の報酬は仕事」

 「重荷(じゅうか)主義」

     (人間に能力以下の仕事を与えるのは罪悪。
      持っている力よりワンランク上の
      仕事を与えて進歩させよ、の意)


明治憲法の生みの親

2013-01-12 23:28:32 | 建て直し

◆日本の国柄を明文化した自主憲法の生みの親
==========================================
  19世紀、アジアでただひとつの近代国家を作りあげ、
 日本の指導者の1人として、
 19年の歳月をかけて、
 日本の国体を明文化した自主憲法を作った
 初代総理大臣・伊藤博文の話をご紹介します。

    *     * 

「近代国家日本建設の父」 
 伊藤博文(1841~1909年)


───────────
◎明治憲法の生みの親
───────────
 伊藤博文は、アヘン戦争の翌年の天保12(1841)年、
 周防国束荷村(現・山口県光市)で農民の子として生まれ、
 幼名を林利助(りすけ)といいました。
 父が足軽であった伊藤家の養子となったので、
 13歳の頃、伊藤利助となりました。

 吉田松陰(しょういん)の松下村塾に学び、
 多くの優れた先輩や友と巡り会いました。
 利助はのちに「俊輔(しゅんすけ)」「博文」と
 名前を改めていきますが、
 これらの名は彼が兄のように慕っていた
 高杉晋作が付けてくれたものです。

 博文は、27歳で兵庫県知事に就任して以来、
 政治家としての力量を存分に発揮し、
 やがて内閣総理大臣(4度)、
 枢密院(すうみついん)議長などの高い地位に就き、
 明治政府のリーダーとして近代国家建設に全身全霊を捧げました。

 博文が成し遂げた数々の偉大な業績の中でも
 特筆すべきものが、憲法の制定です。
 できたばかりの明治政府にとって、
 近代憲法の制定と国会の開設は重要な課題でした。
 当時、憲法など諸法典が整っていない国は、
 欧米から一人前の近代国家として扱われなかったのです。

 明治4(1871)年、アメリカに派遣された岩倉使節団が
 不平等条約の改正交渉を断念せざるを得なかったのも、
 このような理由のためでした。
 一方、国内でも国会開設を求める国民の声は
 しだいに高まってきていました。

 明治15年、博文は憲法調査のためヨーロッパに派遣されます。
 ドイツのグナイスト、オーストリアのシュタインらの
 高名な学者に直接教えを受けるなどして、
 1年半にわたり各国の憲法事情を調査しましたが
 憲法は、外国の憲法をそのまままねして
 作成できるほど安易なものではありません。

 諸国の憲法や政治体制は、
 それぞれの国の歴史の中から生まれて来たもので、
 外国の憲法をそのまま日本に当てはめてもうまくいかず、
 議会の開設に備えて、
 国内制度の整備や国民に対する啓蒙も必要になるなど、
 憲法制定までに乗り越えなくてはならない困難な問題が
 山積していることを再認識したのでした。


───────────
◎大激論の草案づくり
───────────
 憲法草案は、総理大臣伊藤博文を中心に、
 若手の井上毅(こわし)、伊東巳代治(みよじ)、
 金子堅太郎(けんたろう)の3人が加わって作成されました。
 時には神奈川県横須賀沖の夏島にカンヅメとなって没頭しました。
 4人がそろうと議論を始め、昼食も食べずに晩まで続けることもあり、
 夜もおおむね12時頃まで議論を戦わせました。
 
 博文の案が激しい攻撃を受けることもあり、
 そんなとき博文は、
「伊東の三百代言(だいげん)<いい加減なことをいうやつ>め!」、
「井上、おまえは腐儒(ふじゅ)<くさった学者>だ!」と
 大きな声で叱ることもたびたびありました。
 ところが翌朝になると、
昨日の問題は、まあ、君たちの言い分を認めよう」と、
 あっさり折れたそうです。

 飾り気のない無邪気な博文の人柄がうかがえるとともに、
 4人が身分の違いを超えて、より良い憲法を目指して
 激しく議論に打ち込んでいた様子が伝わってきます

 草案作成で最も苦心したのは、
 憲法に日本の歴史や文化伝統を
 どのように取り入れるかということでした。
 欧米の憲法に基づく議会政治は、
 それぞれの国の伝統や歴史が背景にあり、
 キリスト教がそれを支える土台となっていることを
 博文はヨーロッパでの憲法調査を通じて学んでいました。
 そこで博文は、天皇が国民の精神的支柱と仰がれてきた
 わが国の伝統を踏まえて、
 皇室を憲法の土台にすえて草案を作成することにしたのです。

 練りに練って作成された憲法草案は、
 明治天皇ご臨席のもとで開かれた枢密院で議論され、
 ついに明治22年2月11日、大日本帝国憲法として公布されます。
 翌23年には衆議院議員選挙が行われ、第1回帝国議会が開かれました。
 こうして欧米以外の国では無理だと思われていた
 立憲政治(憲法に基づく議会政治)がアジアで初めてスタートしたのです。

 第2次世界大戦後、
 アジアやアフリカ諸国が次々に独立して民主的憲法を持ちましたが、
 多くの国がうまく運用できず、
 独裁国家に逆戻りしたことを考えれば、
 明治憲法と議会が1度も停止されることなく、
 立憲政治が続いたことは高く評価できるのではないでしょうか。

 その土台を築いたのが伊藤博文だったのです。


【偉人をしのぶ言葉】
(亡くなる7年ほど前、伊藤博文が大磯でつくった漢詩)

 酔中天地濶 酔中(すいちゅう)天地闊(ひろ)し
 世事且相忘 世事しばらく相(あい)忘る
 不問滄浪水 滄浪(そうろう)水(すい)を問わず
 功名夢一場 功名は夢一場 

(現代語訳――酒に酔えば、天地は広々と感じられて、
 世の中の煩(わずら)わしいことをしばらく忘れる。
 行手が青くきれいな水かどうかは問うまい。
 現世の功名は夢の一場面に過ぎないのだから)


 「目標達成に焦点を当てる」

2013-01-06 18:50:39 | 建て直し


┌───今月の注目記事───────────────────────┐

     「目標達成に焦点を当てる」

        横山信弘(アタックス・セールス・アソシエイツ社長)

                『致知』2013年2月号
                      致知随想より

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「目標達成を目指します」


「目標を絶対に達成します」


二人の言葉は、似ているようで根本的に違います。

目標達成を目指す人の時間は未来に向かって流れていますが、
目標を絶対に達成すると決めている人の時間は
未来から逆算して流れており、未来は固定されています。

両者の創意工夫や行動量にも圧倒的な差が生じてきます。


私は営業コンサルタントとして、後者のように、
どんなに悪くても目標予算の百%を達成させる
営業チームづくりを通じ、
窮地に陥った会社の再建をお手伝いしています。

業績の思わしくないチームは、
目標達成が当たり前になっていません。
目標を達成するという明確な意志がないのです。


「君の今期の目標は一億円だ」


と言えば、社員は即座に、


「そんなの無理です!」


と拒否、反発します。

今期の目標ですから、何も明日の朝までに達成せよと
言っているのではありません。
猶予期間は一年あるのです。

それを拒否するのは、これから一年間、
達成に向けて考え、工夫を凝らし、
行動することを放棄しているわけです。

なんの顧客基盤もないゼロから
会社をつくり上げてきた創業者が、
これを見たらなんと言うでしょうか。

あるいは目標達成が当たり前の優良企業に転職したら、
絶対にそんなことは言っていられないでしょう。


「そんなの無理です!」

という人には、過去の体験に基づく現状維持バイアス、
即ちいままでのやり方は変えたくないという
バイアスがかかっています。

バイアスを外すにはインパクトの強い体験が必要ですが、
いまの環境を変えずに外すのは至難の業。

そこでこれまで一日四件だった訪問件数を二十件にするなど、
行動量を圧倒的に増やすのです。
考え方は行動を通じなければ変えられない。
意識改革は行動の後からついてくるというのが私の持論です。


臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺氏の修身論

2013-01-04 23:30:33 | 建て直し

┌───今日の注目の人───────────────────────┐

      臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺氏の修身論


└─────────────────────────────────┘


 ◆  人間のいのちというのは
   一代限りではないというのは真理だと思います。
   
   何代ものいのちを経て、いまがあるのだろうと思うのです。



 ◆  すべてはこの大自然の中にあるということを、
   いろいろな経験をしながら、
   なるほど、なるほどと思い知らされていく。

   すべてはそういう過程にしかすぎないと思いますし、
   大悟といっても、
   大自然を飛び越えるようなことは別にございません。
   己のちっぽけなこと,弱さに気づくことです。



 ◆ 自分の儲けばかり追求する人は大した商売人ではないし、
   すぐにうまい話に引っかかったりします。
   禅では魔境に落ちるといいますが、
   その程度のことだと私は思います。
   
   しかし、他人様のお役に立ちたい、
   世の中のために何か尽くしたいと思って商いをする人は、
   大きな仕事ができます。



 ◆ まず生まれたことの不思議に手を合わせましょう。
   いま生きていることに感謝をしましょう。
   そして、いまこうしてこの場で巡り会ったことに手を合わせましょう。



 ◆  松原泰道先生に、私は厚かましくも色紙を持っていきまして、
   「仏教の教えを一言で言い表す言葉を書いてください」
   とお願いしたのです。

   泰道先生は嫌な顔もせずにこう書いてくださったのです。
   「花が咲いている/精いっぱい咲いている
    /私たちも/精いっぱい生きよう」


染谷和巳氏の修身論

2013-01-04 23:24:02 | 建て直し

┌───今日の注目の人───────────────────────┐

     「自分の身一つ修められない人は人の上には立てない」
 
                  ――染谷和巳氏の修身論

└─────────────────────────────────┘


  ◆ ビジネスマンとしてまず求められることは、
   会社という組織の中で嫌な仕事を命じられる時もある、
   嫌な指示命令をされることもあるけれども、
   「はい、かしこまりました」と言って実行する。

   これがビジネスにおける「修身」であり、
   もっと分かりやすく言えば「自己抑制」なんです。



 ◆  伸びる人は自分で考える人なんですよ。
   考える人は、時々上と違うことを言ったり
   やったりして失敗することもあるし、
   度が過ぎると暴走してしまうこともある。

   しかしそれは裏を返せば、
   それだけガッツやパワーがあるということです。
   そういう生命力を感じさせる人は、将来期待できます。



 ◆  社員に自ら学べとか、
   身を修めろなんて 期待しても無理ですから、
   社長が読書が大切だと思ったら、
   初めは「読め!」と強制する。
   そうしなければ読書の習慣は身につきません。

   計算が大切だと思ったら、
   毎日暗算、筆算の練習をさせたらいいんです。
   いずれ自分で気づくだろうなんて言っていたら、
   何年経つか分かりません。



 ◆  いまや日本は企業が最後の躾の場、最後の砦です。
   だから中小企業の経営者は偉いと思いますよ。
   躾をした上、仕事を教え、給料まで払っているんですから。

   今国難の時代ですけれど、日本が崩壊しないのは、
   中小企業が黙々と頑張っているからです。


「100年後に生き残れる企業の共通項」

2012-12-29 22:40:56 | 建て直し

┌───今日の注目記事───────────────────────┐

       「100年後に生き残れる企業の共通項」

                『致知』2013年1月号
                 特集「不易流行」総リードより

└─────────────────────────────────┘


以前、こういう話を聞いた。

ある人が地方都市に旅行し、市役所の人に
古くからある神社を案内してもらった。

その神社は50年前に修復を行い、
100の会社が協賛、寄付をしてくれた。

さて、50年経ったいま、そのうち何社が
残っていると思われますか、と市役所の人に質問された。

読者の皆さんはどう答えられるだろう。

残ったのは、たった1社である。
それも業態を変えて、残ったのである。

では、100年後に生き残れるのはどれくらいか。
1,000社のうち2,3社が定説である。

生存率0、2,3%。

企業という生命体を維持発展させていくことが
いかに難しいかをこの数字は示している。

その中で何百年にもわたって
存続発展しているところがある。

本号にご登場いただいた
裏千家、虎屋はともに五百年の伝統を有している。
ちなみに日本には200年以上続いている会社が
3,000社ある。
韓国はゼロ、中国は9社だという。

何百年も続く老舗を観察すると、
共通のものがあるように思える。


1つは創業の理念を大事にしていること。

その時代その時代のトップが常に創業の理念に命を吹き込み、
その理念を核に時代の変化を先取りしている

2つは情熱である。
永続企業は社長から社員の末端までが目標に向け、
情熱を共有している。


すべての繁栄は人から始まる   今野華都子  弘法大師空海 

2012-12-29 17:31:02 | 建て直し

┌───今日の注目記事───────────────────────┐

           「発展繁栄の法則」

                『致知』2010年4月号
                    特集総リードより
└─────────────────────────────────┘


志摩半島にあるそのホテルは、さる著名な経営者が
バブルの最中に計画、三百八十億円を投じて平成四年に完成した。

全室から海が見渡せる設計。
贅を尽くした内装
足を運んだ人は、誰もが「素晴らしい」と歓声を上げる

しかしバブル崩壊後、経営不振が続き、
十年前にホテルは人手に渡った。
新経営陣も経営を軌道に乗せるべく手を尽くしたが、
赤字は年々嵩む一方となった。

仙台で小さなエステを経営していた今野華都子さんに
白羽の矢が立ったのは、そんな時だった。

平成十九年、今野さんは現オーナーに請われて
ホテルの社長に就任した。

今野さんを迎えたのは社員百五十人の冷たい、
あるいは反抗的な視線だった

それまで何人も社長がきては辞めている。
また同じ繰り返し、という雰囲気だった。

今野さんがまず始めたのは、社員一人ひとりの名を呼び、
挨拶することだった。
また、全員と面接し、要望や不満を聞いていった。

数か月が過ぎた。

今野さんは全社員を一堂に集め、言った。

「みんながここで働いているのは、
 私のためでも会社のためでもない。

 大事な人生の時間をこのホテルで生きる、と
 自分で決めたからだよね。

 また、このために会社が悪くなったと
 みんなが思っている不満や要望は、
 私や経営陣が解決することではなく、
 実は自分たちが解決しなければならない問題です」

 そして、今野さんは二つの課題を全員に考えさせた。

「自分は人間としてどう生きたいのか」

「自分がどう働けば素晴らしい会社になるのか

ホテルが変わり始めたのはそれからである。
自分の担当以外はやらないという態度だった社員が、
状況に応じて他部門の仕事を積極的に手伝うようになっていった。

就任二年半、ホテルは経営利益が出るようになった。
全社員の意識の改革が瀕死のホテルをよみがえらせたのである。

今野さんが折に触れ社員に伝えた
「自分を育てる三つのプロセス」というのがある。

一、笑顔

二、ハイと肯定的な返事ができること

三、人の話を肯きながら聞くこと

仕事を受け入れるからこそ自分の能力が出てくるのだから、
仕事を頼まれたらハイと受け入れてやってみよう。
「できません」「やれません」と言ったら、
そこですべての可能性の扉が閉まる。

そして、教えてくれる人の話を肯きながら聞くのが、
自分を育てていく何よりの道なのである。
今野さんはそう言う。

この三つはそのまま、
人生を発展繁栄させるプロセスである。

すべての繁栄は人から始まる。
ひとりの人間が自らの人生を発展繁栄させていくことが、
そのまま組織の発展繁栄に繋がる。

しかも、その発展繁栄の法則は極めてシンプルである。
今野さんの事例はそのことを私たちに教えてくれる。

弘法大師空海の言葉がある。

「物の興廃は必ず人に由る
 人の昇沈は定めて道にあり」


京セラ創業期秘話 稲盛和夫(京セラ・日本航空名誉会長)

2012-10-15 10:09:24 | 建て直し

┌───今日の注目の人───────────────────────┐


     「京セラ創業期秘話 ~前篇~」


        稲盛和夫(京セラ・日本航空名誉会長)

                『人生と経営』より


└─────────────────────────────────┘


創業して3年目(昭和36年)の5月、
会社は順調に発展していたが、私は自分の考えを
根底から覆されるような事件に遭遇した。

研究者として、自分の開発したファインセラミック技術を
世に問いたいということが、会社設立にあたっての
直接の動機であったが、そのような私の姿勢を
根本的に見直さなければならなくなったのである。

前年春に採用した高卒男子11人が、
血判まで捺した要求書を持って、
私に団交を申し入れてきた。

要求書には、定期昇給やボーナスの保証などの
要求が記さている


彼らは、その要求書を私に突きつけて、


「会社が将来、どうなるのかわからず、不安でたまらない。
  毎年の昇給とボーナスの保証をしてほしい。
 もし、保証できなければ、
 いつまでもこの会社に勤めるわけにはいかない」

と言う。

私には、とても彼らの要求をのむことはできなかった。
初年度から黒字を出すことができたとは言え、
会社はいまだ手探りの状態で、明日のことなど皆目わからない。
1年先の保証すら請け合えるものではなかった。

しかし、彼らは自分たちの要求が聞き入れられなければ、
全員が辞めると言う。
会社で話し合っても埒(らち)があかないので、
私はその頃住んでいた京都、嵯峨野の市営住宅に
場所を移して話し合いをつづけた。


「先々の給料やボーナスを保証しろというが、
 今日どうやって飯を食おうかと日々悪戦苦闘しているのに、
 そんなことができるわけがないじゃないか。

 君たちを採用するとき、
 『できたばかりの会社で、今は小さいが、
 一緒に頑張って大きくしていこう』と言ったはずだ。

 だから、なんとしても会社を立派にして、
 将来みんなで喜びを分かち合えるような会社にしたいと考え、
 このように毎日頑張って仕事をやっているのじゃないか」


私は、このように彼らに話し、懸命に説得を続けたが、
当時は社会主義的な思想が蔓延し、
労使の対立という枠組みの中でしか、
ものごとを見ない風潮があった。

そのため、経営者はいつも、そんなまやかしを言って、
労働者をだます。やはり、給与や賞与を
保証してもらわなければ安心して働けない」

と、夜が更けても頑として納得しない。
結局、3日3晩ぶっつづけで話し合うことになった。


3日目に私は覚悟を決めて言った。



「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように
 全力を尽くすつもりだ。

 この私の言葉を信じてやってみないか。
 今会社を辞めるという勇気があるなら、
 私を信じる勇気を持ってほしい。
 私はこの会社を立派にするために命をかけて働く。
 もし私が君たちを騙していたら、私は君たちに殺されてもいい」



ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、
本気で語りかけているのがようやくわかったのか、
彼らは要求を取り下げてくれた。

しかし、彼らと別れて一人になったとたん、
私は頭を抱え込んでいた。


(……明日へ続く)
 

 

 

 

┌───今日の注目の人───────────────────────┐


     「京セラ創業期秘話 ~後編~」


        稲盛和夫(京セラ・日本航空名誉会長)

                『人生と経営』より


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(※本日はここから↓)


経営者である自分自身でも明日のことが見えないのに、
従業員は経営者に、自分と家族の将来にわたる
保証を求めていることを、初めて心の底で理解したからである。

私は、このことに気がつくと、
「とんでもないことを始めてしまった」と
思わざるをえなかった。

本来なら無理をして私を大学までいかせてくれた、
鹿児島にいる両親や兄弟の面倒をまず見るべきなのに、
それさえ十分にできていない私が、
経営者として赤の他人の給料だけでなく、
彼らの家族のことまでも考え、将来を保証しなければならない。


会社創業のとき、私が抱いていた夢は、
自分の技術でつくられた製品が、
世界中で使われることだった。

しかし、そんな技術屋の夢では、
従業員の理解は得られず、
経営は成り立たないということを、
この事件を通して初めて身に泌みて理解することができた。

会社とは何か、会社の目的とは何かということについて、
このとき改めて私は真剣に考えさせられた。

会社とは経営者個人の夢を追うところではない。
現在はもちろんのこと、将来にわたっても
従業員の生活を守るための場所なのだ。

私はそのとき、このことに気づき、
これからは経営者としてなんとしても、
従業員を物心両面にわたって幸せにすべく、
最大限の努力を払っていこうと決意したのである。


さらに、経営者としては、自社の従業員のことだけでなく、
社会の一員としての責任も果たさなくてはならない。
そこまで考えを進めたとき、


「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、
 人類、社会の進歩発展に貢献すること」


という京セラの経営理念の骨格ができあがっていた。

突然の反乱劇で、そのときは驚き、悩み苦しんだが、
おかげで私は若いうちに経営の根幹を理解することができたと思う。

それは、経営者は自分のためではなく、社員のため、
さらには世のためにという考え方をベースとした経営理念を
持たなくてはならないということである。

これを創業3年目という早い時期から経営の基盤に置いた結果、
京セラはその後大きく発展することができたのだと私は考えている。


二宮金次郎(尊徳)の名言

2012-10-14 21:37:24 | 建て直し

┌───今日の注目の人───────────────────────┐



         二宮金次郎(尊徳)の名言を
        7代目子孫・中桐万里子さんが説く


                『致知』2012年10月号
                 特集「心を高める 運命を伸ばす」より


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 ◆自然は偉大であっても荒れ地しかつくれない。
  田畑は、人間と自然がともに力を尽くし、
  協同することでしか実らない。

  これこそ二宮金次郎が荒れ地(自然)から学んだことでした。



 ◆二宮金次郎は
  「荒れ地は荒れ地の力で開闢(かいびゃく)する」
  「異変を前提として定め、異変への工夫をする」
  という言葉も残しています。

  荒れ地や異変を破壊力でなく「徳」として受け取り、
  その力を活かす工夫を尽くす場所にこそ人道はあると金次郎は考えたのです。



 ◆「貧困の原因が何かを突き詰めれば、
  貧困には所詮限りがあることが見えてくる。

  貧困が無限に続くことはない。
  むしろ無限なのは実りのほうである。
  実りは必ず倍々で増えていく。貧しさが無限だと思うのは、
  妄想にすぎない」(二宮金次郎)


 
 ◆「名を残さず、行いを残せ」という遺言は
  二宮金次郎の人柄を端的に象徴しています。

  人間は所詮無一物で生まれ無一物で土に帰っていく存在なのだから、
  名利に汲々とするより、人々や世の中の役に立つことを実践するほうが
  よほど価値あることだ、と伝えたかったのでしょう。


石原進(九州旅客鉄道会長)  「創意工夫の湧き出ずる職場のつくり方」

2012-10-02 10:41:12 | 建て直し

「創意工夫の湧き出ずる職場のつくり方」

   石原進(九州旅客鉄道会長)


      『致知』2012年10月号
      特集「心を高める 運命を伸ばす」より
      http://www.chichi.co.jp/monthly/201210_pickup.html


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スピードアップや車両の改善などのハード面とともに、
もう一つ大事なのが社員のサービスです。
このサービスの改善に徹底的に取り組みました。

サービスを決めるのはその人の心なんですね。
本当にお客さまのことを大切に思っているか否かによって、
まるで対応が違ってくる。

社員をサービスという最も大事なマネジメントに
直接参加させなければならないと考えて、
それまでとは別の方法でサービス改善運動を始めたのです。


【記者:具体的にはどんなことを手掛けられたのですか】


「新・感・動・作戦」と銘打った
サービスの取り組みを始めました。

感謝の気持ちをベースにしたサービスの提供と、
お客さまの声を商品や施策に反映するという2点に重点を置き、
ネーミングにもその思いを込めました。

サービスの事象はすべて現場で起こります。
そこで私は、社内LANを活用し、
現場で起こったことについて
社員に直接入力してもらうような仕組みをつくりました。
何かあったらすぐ入力してくれと。

そして、入力された社員の声を専門部署で集約し、
お金の必要な設備改善や、制度改善など、
従来は時間がかかっていた問題に
すべて2週間以内で対応策を出すようにしました。

自分たちが発信したことがすぐ会社の施策に反映されますから、
現場は喜びます。

さらに次々と問題が上がってくるようになって、
それをどんどん直していく。

列車の本数を増やしてほしいとか、
あそこの設備が汚いとかいろんな問題が提示されるんですが、
結局それが非常に有効なマーケティングにもなり、
おかげで随分業務改善が図れました。
 

【記者:自発的に業務改善が促進されていったことは実に大きいですね】


結局、事業は、社員が知恵を出し合うことが大切です。
皆がそれぞれの持ち場でどうしたら
お客さまのためになるかを真剣に考えることが、
収益の種になるのです。

社員の意識を高め、創意工夫の湧き出ずる職場にすることが、
会社を伸ばすことにも繋がっていくと思います。


石原進氏 九州新幹線全線開通と新博多駅ビルの2大プロジェクトを牽引 

2012-09-16 17:39:50 | 建て直し

国鉄からJR九州への転換を舵取りし、
九州新幹線全線開通と新博多駅ビルの
2大プロジェクトを牽引した同社会長の石原進氏。



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



         九州新幹線全線開通と新博多駅ビルの
          2大プロジェクトを牽引した
           石原進氏の名言


                『致知』2012年10月号
                 特集「心を高める 運命を伸ばす」より


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 ◆ 事業は、社員が知恵を出し合うことが大切です。
     皆がそれぞれの持ち場でどうしたら
     お客さまのためになるかを真剣に考えることが、
     収益の種になるのです。

     社員の意識を高め、創意工夫の湧き出ずる職場にすることが、
     会社を伸ばすことにも繋がっていくと思います。



 ◆ もちろん失敗した事業もいくつもありますよ。
しかしその経験を次に生かせばいいわけですし、
     大事なことは絶えず危機感を持って日々変わり続けることです。
いつまでも同じことをやっていてはならない。



 ◆ (リーダーの条件とは)まずは何をすべきかという
   ビジョンを確信を持って示し、企業なら社員の気持ち、
   政治家なら国民の気持ちを自分の考えている
   ビジョンに向かってまとめることだと私は思います。

   当然いろんな反対も出てくるでしょうが、
   その中でできる限り多くの支持を得て実行に移していく。
   それがリーダーです。



 ◆  グローバルに通用する企業になるためにも、
      人を大切にし、一人ひとりが心を高めていくことが重要であり、
それが企業を伸ばす重要な鍵になると思います。



 ◆  サービスを決めるのはその人の心なんですね。
   本当にお客さまのことを大切に思っているか否かによって、
   まるで対応が違ってくる。

   社員をサービスという最も大事なマネジメントに
   直接参加させなければならないと考えて、
   それまでとは別の方法でサービス改善運動を始めたのです。