交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

「早朝会議」や「デッドライン」

2013-04-23 22:34:40 | 商い

赤字に陥っていた後発の下着メーカーの経営を担い、
   十九期連続増収増益を成し遂げた吉越浩一郎氏。

  「早朝会議」や「デッドライン」などユニークな施策を導入し、
   社員の意識改革を強力に推進した吉越氏は、
   若き日にその礎をいかに築かれたのでしょうか。

   本日は『致知』の好評連載「二十代をどう生きるか」より、
   記事の一部をご紹介します。



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



     「デッドライン仕事術」


      吉越浩一郎(トリンプ・インターナショナルジャパン元社長)
 
               
              『致知』2013年4月号
               連載第29回「二十代をどう生きるか」より


└─────────────────────────────────┘


香港での体験は、私のビジネス人生に
大きな影響をもたらした。

現地の同僚に同じ歳の二十九歳のドイツ人がいた。

驚いたことに、彼は着任早々自分の秘書を
探すことから始めたのだ。
日本の会社の常識では考えられないことであり、
私は彼に冷ややかな視線を送っていた。

ところが、いったん仕事を始めると、
彼は自分の仕事をどんどん秘書に振り分け、
私の何倍もの実績を上げ始めたのである。

衝撃を受けた私は、ボスが出張して
時間を持て余していた秘書に頼み、
レターをタイプしてもらうことにした。

私が時間をかけてようやくひねり出した拙い英文を渡すと、
彼女は当時の最新式電動タイプライターに向かうや、
凄まじいスピードでタイプし始めた。

ものの一分も経たないうちに
持ってきてくれたレターを見ると、
見事に洗練された英文に書き換えられている。
私は同僚が秘書を雇った意味が理解できた。

秘書に投資をすることばかりではない。
生きたお金の使い方をして仕事の効率を上げることは、
自分の成長を促し、ひいては会社のために
なることを私は学んだ。


もう一つ学んだことは、
常にデッドライン(締め切り)を設けて
仕事をすることの重要性である。

香港のオフィスには、社主である
トーマス・ベンツが考案した
木製の「デッドライン・ボックス」が
各自に配布されていた。

ボックスの中は月ごとに仕切られていて、
直近三か月の仕切りの中は、
さらに一日から三十一日まで日ごとに区切られている。

会社の仕事にはすべてデッドラインが設けられており、
書類はそのデッドラインの日にファイルしておく。
相手から必ずその日に連絡が入るからだ。

逆に自分が担当のデッドラインのついた
仕事のファイルは手元に置いて片っ端から片づけていき、
終えたものからデッドラインの日に入れておく。

おかげで常にデッドラインを意識して
仕事をする習慣が身についた。


例えば会社の始業時間の一時間前に出社して
ひと仕事する。

始業までに何が何でも終わらせなければ、
それ以降の仕事に支障を来すため、
一所懸命集中して取り組むことになる。

いわゆる“締め切り効果”が発揮され、
時間内にはちゃんと終えることができるのである。
そうして仕上げた仕事は質が低いかというと、
決してそんなことはない。

ダラダラ時間を費やした仕事より格段に質も高い。
そういう集中する仕事のやり方を、
平素からの習慣にすべきなのである。


自分の人生を最高の物語りにしよう。 ひすいこたろう

2013-02-20 05:17:54 | 商い

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名言セラピー     
- meigen love
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妊娠すると、妊婦さんたちはあることに気づくといいます。

街の中に、
妊婦さんってこんなにたくさんいたんだってことに……

日産の車、キューブを買おうと思ってる人は気づきます。

街の中に、
キューブってこんなに走ってたんだって……

僕らは見ているようで、実は世界をありのままには見ていないんです。

フォーカスしてるもの以外は
目にしても「見えていない」ことが多いんです。

逆にいえば、これは

「フォーカスを変えれば」
「目にする現実が変わる」ということです。

だから、
どんな現実を見たいのか
自分で、フォーカスを当てる場所を
先に決めちゃえばいいんです。

つまり、こういうことです。

「ラストシーンから書く」 byスティーヴン・スピルバーグ(映画監督)

先に、
自分はどうなりたいんだってゴールをロックオンしちゃえばいい。

2004年
8月9日
僕はなりたい自分をロックオンしました。

「天才コピーライター」と。
伝える天才になると。

そこで「天才コピーライター」と
自ら「天才」と名乗り
名言セラピーというブログを始めました。

ゴールを決めた瞬間に
「僕が伝える天才になっていくまでの物語」
が始まるんです。

作家の森沢明夫さんに
「どうやって小説を考えるんですか?」って聞いたとき、こう言っていました。

「『こんな人が、こうなる』と決まったら、それが物語の始まりです」

まさに人生も一緒だなって思ったんです。

2004年
8月9日に僕の物語が始まったんです。

「赤面症で人見知りのチキンハートの凡人」が、
「伝える天才」になっていくまでの物語です。

before→「赤面症で人見知りのチキンハートの凡人」
after →「伝える天才」

まだ、この物語は始まったばかりですが。

どうなりたいんだってゴールを決めた瞬間に、
自分の人生が「物語り」になっていくんです。

ブログを始めてしばらくしたころ、
文豪のゲーテがシャルロッテという女性に1800通のラブレターを書いてるのを知ったときに、
天才になる手がかりがつかめました。

「1800×LOVE=天才」

ゲーテは1800回も心(LOVE)をこめてラブレターを書いたから
文才が生じたんだと。
そこで僕も、読んでくれる人へのラブレターをかくつもりで
1800回名言セラピーを配信しようと決めたんです。

なんで、
ゲーテがラブレターを1800通書いたという事実だけで、
そこまで思いがいったのか?

簡単です。

僕は「伝える天才、天才コピーライターになる」にフォーカスしていたからです。

「天才コピーライター」にフォーカスしているので
日常の中で、その手がかりが見えてくるんです。

ある日、
近所の書店で、見慣れないコーナーができていたので立ち寄り
そのコーナーで最初に手にした本がなんと白紙でした。
どのページを見ても白紙。
しかも裏表紙の価格を見たら1000円だったんです!

「白紙の本が1000円ってどういうこと?」

で、本の表紙を見たら帯びにこう書いてありました。

「ここにあなたの思いを書き込もう。
それを送ってくれれば、本になる可能性も!」

そうして白紙に書き込んで送ったものが
「3秒でハッピーになる名言セラピー」

僕のデビュー作になりました。

「伝える天才」に僕はフォーカスしていたので
白紙の本が僕には「見えた」のです。

そして、
それをちゃんとチャンスに変えられたんです。

どうなりたいか決めると
見える現実が変わってくるんです。

これはおもしろいほど変わっていく。

物語が始まった時点で
一番ダメな人
それこそが主人公にふさわしい人です。

あなたも、主人公の資格があるんじゃないですか?(笑)

最初ダメであるほどに、
最後の感動が大きくなります。
これは映画のゴールデンルールです。

ちなみに、物語の始まりの時点で
パーフェクトに強い人
それが「悪役」と呼ばれます(笑)

何がほしい?

何がしたい?

どうなりたい?

そこが見えたら、はい、
今日からあなたの人生は
「物語」になります。

自分の人生を最高の物語りにしよう。

何がほしい?
何がしたい?
どうなりたい?

ひすいこたろうでした(^^♪


「ローマ法王に米を食べさせた公務員」

2013-02-13 18:30:22 | 商い



┌───今日の注目の人───────────────────────┐



     「ローマ法王に米を食べさせた公務員」
 

            高野誠鮮(羽咋市役所ふるさと振興係)


                『致知』2013年3月号
                 特集「生き方」より


└─────────────────────────────────┘


私は日本人の気質や人間の心理というものを考えて、
いつも戦略を立てるんですね。

日本人ほど近い存在を過小評価する民族はいないんです。
近くに素晴らしい宝の原石があっても
遠くにあるもののほうが素晴らしいと評価する。

また、人は自分以外の人が持っているもの、
身に着けているもの、食べているものを欲しがるんです。
で、その相手の影響力が強ければ強いほど
メディアも取り上げるし、ブランド力が上がる。

要するに、誰がいつも食べていたら
消費者は勝手に神子原(みこはら)米を
ブランドだと思ってくれるかを考えました。

まずはここは日本ですから、天皇皇后両陛下です。
うちは「神子原」で、「皇」に「子」と書いて
「皇子」と読むからゴロもいい。

もう一つは、「神子原」を英語に訳すと
「the highlands where the son of God dwells」となって、
「イエス・キリストが住まう高原」となるんです。

ならば、キリスト教で最大の影響力のある人は
誰かといえば、ローマ法王だと。

で、最後にアメリカは漢字で書けば「米国」ですから、
アメリカ大統領に食べてもらうと、この三本柱を立てました。


まずは天皇皇后両陛下です。
羽咋市のある石川県は旧加賀藩になるわけですが、
宮内庁には加賀前田家十八代目にあたる
前田利佑さんがいらっしゃることを掴んでいました。

早速市長と一緒に宮内庁を訪ね、
前田さんに天皇皇后両陛下に神子原のお米を
定期的に食べていただけないかと直談判したんです。
山の水だけでつくった安全でおいしいお米ですと。

すると、あっさり
「いいですね。料理長にお願いしましょう」とおっしゃる。

いきなりOKですよ。

市役所に電話して「成功したぞ」と電話しまくって、
ホテルでどんちゃん騒ぎしていました。
もう私の頭の中には真ん中に金色の菊のご紋と
「天皇皇后陛下御用達米 神子原米」という昇り旗と
ポスターが完璧にでき上がっていたのですが、
部屋に戻ると伝言メッセージのランプが点滅している。

宮内庁からで「さっきの件はなかったことにしてくれ」と。


陛下が召し上がるのは「献穀田」からのお米だけと
決まっていて、そこに新たに加えることは難しいという理由でした。

まあ、一瞬はガクっときましたが、すぐに切り替えて、
次はバチカンのローマ法王様にお手紙を書いたんです。

「山の清水だけでつくったおいしいお米がありますが、
  召し上がっていただく可能性は一%もないですか」と。
 しかし一か月たっても音沙汰なし。二か月目も何もない。

ダメだ、ならば次に行こうと。
当時はブッシュ大統領の時代で、
テキサス州にあるパパブッシュの自宅住所は掴みました。
そこに届けてもらおうと、アメリカ大使館に頼みに行ったんですね。

ところがその交渉のさなかにローマ法王庁から連絡が入り、
「来なさい」と。
そこで今度は市長と町会長と三人で
四十五キロの米を担いで駆けつけました。

新米をお出しして、これを法王に
味わっていただきたいと申し上げると、大使は
「あなた方の神子原は五百人の小さな集落ですよね。
 私どもバチカンは八百人足らずの世界一小さな国です。
 小さな集落から小さな国への架け橋を、
 私たちがさせていただきます」とおっしゃったんです。

で、このことを地元の北國新聞と
カトリック新聞が取り上げたんです。
そうしたら二日後、聖イグナチオ教会のバザーの関係者と
名乗る品のいい奥様からオーダーのお電話があって、
ものすごい量の注文がありました。しかもこちらの言い値で。

ここから全国紙やテレビでも
「ローマ法王御用達米」として取り上げられ、
それまで一粒も売れていなかった神子原米は
一か月でなんと七百俵も売れたんです。


一方で、最も売れる時期に売らなかったことも
ブランド米になるための一つの戦略でした。


心に強く念じ続けた映像は必ず具現化する

2013-01-24 11:35:46 | 商い

┌───今日の注目記事───────────────────────┐

   「松下幸之助氏から教わった商売の神髄」

    中嶌武夫(ナカリングループ代表、
           メルセデス・ベンツ中央会長)

          『致知』2011年3月号
              特集「運とツキの法則」より
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しばらくして(バイク販売の)事業も
軌道に乗り始めたんですが、
しかし私にはどうしても納得できないことがあったんです。


私の実家は農家だったと申しましたが、
農民は春、田んぼに稲を植え、
それを育てるために夏は汗びっしょりになって草引きをする。

そして八十八の手を尽くして秋に米になり、
それを収穫してお金に換える。
そういう血と汗との結晶があるんですよね。

ところが、商売の世界に入ってみて
全然違っていたのはですね。

例えば百円で仕入れた物を百三十円で売る。
当たり前のことですよね。

でも私はその三十円に、
どれだけの血と汗の結晶があるのかと思うんです。

何とも納得のいかなかった私は、
松下幸之助さんが講演に見えた時に


「こんなことが罷り通っていいのですか」


と質問をしたんです。


【記者:それで、松下さんは何と?】


笑いながらね、


「あんた、それは違うよ」


と。


「お客様はね、あなたが勧めた自転車を、
  自分で有効に使われて事業などに役立てておられる。
 ものを欲しがっているお客様にその商品を届ける。

 嫌がっているものを押し付けるわけでは決してなく、
 お客様に喜びを差し上げている。
 商売とはそういうもんです。

 学校の先生であれ、商人であれ、
 人様のお役に立つこと、
 それが社会に貢献するということなんだ」


と。それを聞いて、胸の支えが
スッと取れたように思いました。


お金儲けというのは、
儲けよう儲けようとしてするものじゃない。
お客様に喜んでいただくことによって、
その代わりに給付を受け取り、
それが会社の利益にも繋がってくると。



*中嶌氏の信條

1、人間の両親は宇宙の大霊に直結する

2、心に強く念じ続けた映像は必ず具現化する

3、幸、不幸は我が心にあり


「社長が幹部に不信感を抱く5つの行動」

2013-01-16 19:50:35 | 商い

┌───今日の注目の人───────────────────────┐

   「社長が幹部に不信感を抱く5つの行動」
 
       染谷和巳(アイウィル社長)
                『致知』2013年2月号 特集「修身」より

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どこの企業も社長が一番頭を悩ませるのが、幹部の質です。

先日お会いした社長がこぼしていましたが、課長が
「景気が悪いけれど、皆も生活があるから、
 ボーナスはこのくらい出してくれなきゃかわいそうだ」と、
部下の代表みたいに訴えてきたと。

「おまえがそんなことを俺に言ってきてどうする。
 本来はおまえが従業員を指導する立場じゃない」

と怒ったらしいですが、まあ、嘆いていました(笑)。

社長の分身となることが幹部の最低条件であるにもかかわらず、
それが分かっていないんです。


幹部たるもの、景気が悪くて会社が危機的な時は
部下に「ボーナスは減っても一・五倍働け」と
指導するべきところ、優しくていい人はそれが言えないんです。

下に言えないで、
「社長、一・五倍はかわいそうだから、
 一・二倍にしてください」なんて言ってくる。


幹部会議をすると、社長の意見に反対するのはいいんだけど、
その内容が幼稚で泣きたくなるって言うんですね。

「社長、もっと目標を上げましょう」
という意見なら大歓迎だけど、大体、人手がない、
時間がないと言って、
「無理です、できません」となる。

結局「二十%が無理なら、五%は確実に頼むよ」と社長が妥協して、
「本当にうちの幹部は程度が低い」という嘆きに繋がる。


【朝倉:幹部は経営者と運命共同体ですから、
    同じ方向を向いて歩んでいかなければならないのに、
    一人は右、もう一人は左、別な人はこのまま行きましょうでは、
    会社は伸びていけない。

    一般的に社長が本気で会社をよくしよう、
    成長しようという時に邪魔をするのは、
    古くからいる幹部だといわれます】


事実その通りで、小さい組織の時、
一緒に汗水流して働いてきた人たちは功労者だから
部長とか取締役の肩書を与えられているけれども、
「社長、ここまで来たんだから、いまのままでいいじゃないか」
と言うようになる。

そういう幹部に腹を立て、「あいつをクビにする!」
という社長も多いんですよ。

だけど私は、「社長、待ってください」と。
「あの幹部をクビにすると、下の人たちは
“うちの会社は三十年も会社に貢献してきた取締役も
邪魔になればクビになるのか。
俺もいつ切られるか分からない”と影響が出ますよ」と。

かといって主要なポジションに置いておくと
下の若手に悪い影響を与えるから、
とにかく切らずに若い人に影響のないポストに
置くことが最善策じゃないですか。

そのあたり、会社が大きくなると
経営者が頭を悩ませるところです。


      * *

経営者が幹部に意識のズレを感じて不信感を抱くのは、
大きくは次の五つなんです。

一、陰で社長を批判しているのが耳に入る

一、報告せず指示を勝手に変える

一、失敗を隠す
一、労働者意識を感じる

一、業績不振など、いざという時に逃げる


これに関しては、私も失敗した経験があります。


「運とツキの法則」

2013-01-14 17:46:37 | 商い

┌───今日の注目記事───────────────────────┐

    「運とツキの法則」

    『致知』2011年3月号 特集「運とツキの法則」総リードより
└─────────────────────────────────┘


人生に運とツキというものは確かにある。
しかし、運もツキも棚ぼた式に落ちてくるものではない。


『安岡正篤一日一言』に
「傳家寳(でんかほう)」と題する一文がある。

ここに説かれている訓えは全篇これ、
運とツキを招き寄せる心得といえるが、
その最後を安岡師は、


「永久の計は一念の微にあり」


と記している。

人生はかすかな一念の積み重ねによって決まる、
というのである。



松下幸之助氏は二十歳の時、
十九歳のむめのさんと結婚した。


幸之助氏が独立したのは二十二歳。

以来、勤勉努力し大松下王国を創り上げるのだが、
独立当時は日々の食費にも事欠き、
夫人は密かに質屋通いをした。


そんな若き日をむめの夫人はこう語っている。


「苦労と難儀とは、私は別のものだと思っています。
“苦労”というのは心のもちようで感じるものだと思うのです。

ものがない、お金がないというのが
 苦労だといわれておりますが、
  私はこれは“難儀”だと解しています。

  常に希望を持っていましたから
  私は苦労という感じは少しも持たなかったのです。
  難儀するのは自分の働きが足りないからだと
思っていたふしもありました」


難儀を苦労と受け止めない。
若き日のむめの夫人はすでに、
一念の微の大事さを感得していたことがうかがえる。

 


室町時代、京の地で創業し、500年近い歴史を刻んできた和菓子の虎屋。

2013-01-06 19:52:24 | 商い

虎屋社長の黒川光博氏と、裏千家前家元の千玄室の
 対談記事の一部を紹介します。


┌───今日の注目記事───────────────────────┐

      「虎屋」に代々伝わる儀式と掟書

          黒川光博(虎屋社長)
          『致知』2013年1月号 特集「不易流行」より

└─────────────────────────────────┘

私自身は父からこれをせよ、あれをせよと言われたことは
特にありませんでした。

しかし元気だったのが、がんが発覚してから
ほんの半年後に亡くなり、平成3(1991)年の
四十七歳の時に跡を継ぐことになりました

私ども虎屋には代が替わり、新しい当主が
事業を引き継いだ時に必ず行う儀式があるんです。

京都の店には福徳、富貴の神様である
毘沙門天(びしゃもんてん)が祀ってあるのですが、
普段は厨子(ずし)の奥に封印され、扉が閉められてある。
その中に当主が一人で入り、お像を拝むんです。


【千】 ほお、それは興味深いですね。


お像の前に立って三、四十分間対峙していますと、
いろいろな思いが胸を去来します。

お客様に対する責任、従業員やその家族に対する責任、
何千人という人たちのことを
これから考えていかなければいけないと感じたり。

では自分は何をやるかと考えましたが、何も書かれたものがなく、
これをしてはいけないという決まりもない。

だから後のことはおまえに任せるぞ。
おまえがこの時代を背負っていくのだから、
自分の責任でやっていけばいいと、
そのお像は言っているのではないかと私は解釈したんです。


【千】 なるほど。その儀式によって父祖伝来の精神と
    いうものが注入されていくのでしょうね。

    その他にも代々残されてきた教えのようなものはありますか。


一番分かりやすく現代的なのが「掟書(おきてがき)」というもので、
これは九代目光利が1805年につくったものです。

それを見ますと


「倹約を第一に心がけ、
 良い提案があれば各自文書にして提案すること」




「お客様が世間の噂話をしても、こちらからはしない。
 また、子供や女性のお使いであっても、
 丁寧に応対して冗談は言わぬこと」


など、現代にも通用するようなことがいろいろ書いてある。

この掟書は、もともと天正年間(1573~1592)に
書かれたものを、九代目が書き改めたのです。

いまから四百年以上前に書かれたものに九代目が共感し、
それが現代にも通用することを考えると、
ものの真理や商売の心得はいつの時代も変わらないのだなと思います。


【千】 そういう資料というものは、いろいろな面においての
    手解きにもなるでしょうね。


そうですね。ただ、変えてはいけないものがある一方で、
変えていかなければいけないものもあると思います。

虎屋のように古くからある店は味も不変だろうと
多くの方がおっしゃるんですが
私は味に不変ということはないだろうと思うんです。

やはりその時代時代に合った味というものがあるのではないかと。

例えば戦後、甘いものが不足している中でお感じになる甘さと、
現代のように和洋菓子が豊富にある中での甘さというのは少し違う。
和菓子の味は、時代によって変えていかなければならないと私は思います。
 
 
 


「営業で結果を出す人、出せない人」

2013-01-06 19:12:18 | 商い

┌───今日の注目記事───────────────────────┐

     「営業で結果を出す人、出せない人」
 
           飯尾昭夫(BMW正規ディーラー東立取締役)

             『致知』2013年2月号 特集「修身」より

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【記者:日本一BMWを売ったセールスマンとしてご活躍ですが、
    これまでの販売実績は2400台を超えるそうですね】


確かにこれまでたくさんの車を売ってきましたが、
それは結果的に売れたのであって、
自分が何かテクニックを使って売ったとは思ったことがないんです。
お客様に買っていただいた、そういう気持ちのほうが強いですね。

マネジメント職に就いてからは、
BMWの青山スクエア、高輪、新宿の3つのディーラーで支店長を務め、
いずれも販売台数日本一の店にすることができました。

2010年から二年間は現場を離れ、BMWジャパン(本社)で
仕事をしていたのですが、今年(2012年)の3月から、
ここ練馬BMWで営業マンの指導を行っています。


【記者:これまで数多くの営業マンを育成されてきた中で、
    結果を出す人とそうではない人の差はどこにあるとお感じですか】


売れない営業マンはお客様からの
「○○をしてほしい」っていう気持ち、ここを大事にしないんです。

「車が欲しい」「買い替えたい」など、
売り上げに直結することにはすっ飛んで行くんですが、
それ以外の要望については優先順位を一番下にしている。

一方、売れる営業マンは些細なことや煩わしいことでも、
お客様の要望にすぐ応える。即やる。
最初は労だけ残って、益はないんですけど、
それが積み重なってお客様から評価をいただける。

「あの時ちゃんとやってくれたから、あいつから買おう」と。
それが成績に全部繋がっていくんです。


【記者:商品を買うというよりも、この人だから買おうと】


そう。だからもう、普通の人間関係が先なんです。
我われ営業マンはお客様にお会いして
初めて、チャンスをいただけるわけですよね。
神様は平等にそのチャンスを与えていると思うんです。

でも、そこから先、結果を出すかどうかは、その人次第。
そこでお客様から選ばれる営業マンにならなければ、
物は売れないんですね。


「why?」であり、「think!(考えろ)」です。 「人生を劇的に変えるユダヤの教え」

2012-12-29 13:53:40 | 商い


┌───随想ベストセレクション───────────────────┐


    「人生を劇的に変えるユダヤの教え」

          星野陽子(翻訳家)

               『致知』2012年12月号
                       致知随想より

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若い頃の私はどちらかと言えば控えめな性格で、
大人しく、人生に対する姿勢もまるっきり丸腰だったと思います。

しかし、私は変わりました。
私を変えたもの――それは約十年におよぶユダヤ人夫との結婚生活です。


出会いはひょんなことからでした。
当時シティ・バンクに勤めていた私は、
お客様として来店した彼と知り合い、
友人たちを交えて親しくなって交際に発展、
結婚に至りました。

結果的に十年で破局しましたが、
その鮮烈で濃密な時間に身につけた「ユダヤ的思考」が、
現在、約六億円の不動産資産等を築いた
自分のベースになっていると思います。

ユダヤ人には、例えばロスチャイルドや
投資家のジョージ・ソロス、
あるいは映画監督のスティーブン・スピルバーグなど
世界的な成功者が数多くいます。

なぜユダヤ人の多くは事業等で成功し、
富を得ることができるのでしょうか。


まず、彼らはお金に対してネガティブなイメージがありません。
ユダヤ教ではお金は神からの祝福とされていますから、
素直にお金を尊び、手に入れようと努めます。

一方、日本でお金持ちの代表例といえば
時代劇の越後屋。腹黒く、悪事を働き、
最後は成敗されます。

多くは清貧の思想こそが美しく、
お金は「持ち過ぎると身を持ち崩す」
「親族との争いの種になる」など、
一種の心理的ブロックが掛かっています。

富裕層であっても日本人は
「年収は三千万円もあれば十分だ」と言いますが、
ユダヤ人に「これで十分」というリミットはありません。
稼いだお金で他者を助けるという大義があるからです

彼らは収入を得始めた当初から年収の十%を慈善に回します
施しは十倍になって戻ってくるという教えがあるため、
皆、喜んで寄付するのです。

また富を得た人は妬みやバッシングではなく、
尊敬の対象となります

人びとは彼らを訪ね、どうすれば自分も後に続けるかを聞き、
成功者たちも自分の体験や知識を余すところなく教えます。
よって常日頃から「お金に関する会話」が
当たり前に繰り広げられています。


これは私が日本で家を建てた時の話です。
日本の友人たちは「素敵なお家ね」「木の香りが心地よい」
などと言うのに対し、ユダヤ人の友人たちは
「土地はいくら?」「ローンは?」「総額は?」
と聞いてきます。

日本人は失礼な質問だと感じるかもしれませんが、
彼らにとっては有意義な情報交換。
そのくらいオープンなのです。

一般的にユダヤ人の成功の根底には
「タルムード」と呼ばれる教えがあるといわれます。
しかし私はその内容よりも、それを
“自分はどう考えるか”と議論することが、
彼らの成功の下地ではないかと感じています。

彼らは幼少の頃から議論の訓練を
日常的に行ってきているので、
自分と反対の意見を言われて腹が立つということはありません。

むしろ、新しく革新的な考えを好み、
それによってより深く、
熱く議論を戦わせることを楽しみます。
もちろんそれが終われば仲良しに戻ります。

十年の結婚生活でとにかく元夫に言われたことは
「why?」であり、「think!(考えろ)」です

「なぜ日本で贈り物をもらったら半額分を返すのか?」

「風習だから……」

「君はそれが正しいと思うのか。だいたいなぜ半額なのか?」

と、こちらがきゅうきゅうとするほど問い詰められます。

また、すべて戦略を持っています。
夫婦であっても何気ないおしゃべりではなく、
すべてに「考え」がある。

例えば彼が家事をやりたくないとすれば、
それを前提に会話を仕掛けてくるので、
考えなしで受け答えをしていると、
いつの間にか私がせざるを得ない状況になっている。
そんなことがよくありました。

そういった背景には、やはり迫害に遭い、
長い間祖国を失った歴史があるのだと思います。


ある日、テレビで「イスラエル人が二人死亡」
というニュースが流れました。

彼は「これは嘘だ。なぜなら……」
と自分なりの解釈を述べていましたが、
どんな時でも人の意見を鵜呑みにせず、
自分の頭で考え、納得しなければ信じない

仮にそれで自分が命を失うことになっても
すべては自己責任。
逆に言えば、自分の運命を他人に委ねることはしないのです。

離婚後、私はフリーランスで翻訳の仕事をしながら、
投資によって資産をつくりました。

しかし、もともとは特許翻訳者の会社で
翻訳と雑務のアルバイト、
とてもフリーで仕事をする自信はありませんでした。

帰国子女でもなく、特許法に関する知識もなかったからです。
そんな時、私はユダヤの教えを思いました。

自分でリミットを設けない。自分の運命を他人に委ねない。
それで降りかかるリスクは自分で背負おう  。

フリーになると決心し、行動を始めたら
次第に周囲が変わっていきました。

パソコンやコピー機など
仕事に必要な器材一式を譲ってくれる方が現れたり、
家族や友人が子供の面倒をみると申し出てくれるなど、
応援の手を差し伸べてくれるようになったのです。

もしかすると、私たちは積極的にではないにせよ、
「普通に考えれば無理だよね」と
周囲の情報に流されて制限を設け、
受け身で生きているのかもしれません。

自分の運命は自分で切り開く。
その覚悟を決めて、一歩踏み出すだけで
人生は劇的に変わります。

ユダヤの教えは丸腰で平凡だった私の人生を
大きく変えてくれたのでした。


「ラーメン店“一蘭”に行列ができるまで」

2012-12-03 20:19:10 | 商い

┌───随想ベストセレクション───────────────────┐


     「ラーメン店“一蘭”に行列ができるまで」


        吉冨学(一蘭社長)

                『致知』2012年12月号
                       致知随想より

└─────────────────────────────────┘


「おまえは商売に向いているから、商売人になれ」。

これが、半年にわたる闘病生活の末、
サラリーマンだった父が残してくれた
最後のメッセージでした。

私は知恵が回るから必ず成功するはずだと、
父は力強く励ましてくれたのです。

商売とは無縁だった当時大学一年生の私に、
商売人としての道を授けてくれたのは、
この父の言葉でした。

そして商売のことは右も左も分からない学生ながら
起業を決意しました。

一軒一軒問屋を回ることから始めた商売、
徐々に本質が分かってきたものの、
苦しい生活が続きました。

大学卒業を間近に控える頃になると、
このままでは留年という状況に追い込まれます。

すがる思いで授業を取っていた英語の先生に
相談を持ちかけると、返ってきたのは
思いがけない言葉でした。

長い人生の中で一年や二年はどうということはないから、
留年してもう一度先生の授業を取りなさいというのです。
そして、こう言うのでした。

「俺が人生を教えちゃる」と。


これが恩師・徳永賢三先生との出会いでした。
以来、熱いハートを持った先生に
マナーから人としての生き方まで、
私の根幹となる大切なことを教えていただいたのです。

当時手掛けていた派遣事業が軌道に乗り、
商売人としての光が見えてきたのも先生のおかげでした。


福岡の片田舎でラーメン屋を営む老夫婦から、
ある相談を持ち掛けられたのはちょうどこの頃でした。

閉店を考えているが店の名前だけでも残したいと、
常連だった私に受け継いでほしいというのです。
店の名前は「一蘭(いちらん)」といいました。

やっと商機を掴みかけた派遣事業でしたが、
その一方で競合他社との差別化が難しく
今後の成長を描けずにいた自分にとって、
直接エンドユーザーであるお客様と関われる
飲食業は魅力的でした。

また、学生時代に切り盛りしていた食堂で培った
ラーメンの味には自信がありました。
やり方次第では世界にいけるかもしれない、
という思いが私を駆り立てたのです。

それまでの経験から、新しい店のイメージづくりは
すぐにでき上がりました。

一つは、お客様にラーメン以外の情報を
遮断することでした。

なぜなら同じラーメンでも、
そこに誰がつくったのかという情報が加わることで、
人の味覚は左右されてしまうからです。

そこでつくり手が味の一つにならないように、
カウンターを仕切りで囲い、
店員も他のお客様も見えない状態にすることで、
純粋に目の前に出てくる一杯のラーメンに
向き合ってもらおうと考えたのです。

また、ラーメンはとんこつ一本に
絞り込むことにしました。

商売の秘訣とは人びとの記憶に
粘りつくイメージをつくることだというのが
過去の失敗から得た私の持論でした。

一蘭はとんこつ一杯にこだわっているというイメージは、
他社との差別化にも有効だと考えたのです。

こうしたアイデアを踏まえ、
平成五年に誕生したとんこつラーメン専門店一蘭。

もとは片田舎のラーメン店が、
いまではチェーン展開を進めて海外にも出店を果たし、
売上も七十億円を超えるまでに成長を遂げました。

もっともすべてが順風満帆だったわけではありません。


いまから十年前のことでした。
突然幹部六名を含めた社員三十名が
雪崩の如く退社していったのです。


リッツ・カールトンでは九十九度と百度の違いを意識しているんですね

2012-11-17 10:11:30 | 商い

┌───今日の注目の人───────────────────────┐


     「百度と九十九度の違いを意識する」


               高野登(人とホスピタリティ研究所主宰)

                『致知』2012年11月号
                 特集「一念、道を拓く」より
    
└─────────────────────────────────┘


最初に齋藤泉さんの存在を知ったのは
僕がまだリッツ・カールトンにいた頃でした。

山形新幹線で驚異的な売り上げを誇る乗務員がいると。
しかも二か月更新のパート契約の立場だという記事を週刊誌で見て、
「こういう仕事の仕方をされている人がいるんだ」と。

リッツ・カールトンで我われが考えている立ち位置と
似ているなと思って興味があったんです。


リッツ・カールトンでは九十九度と百度の違いを
意識しているんですね。

九十九度は熱いお湯だけれども、
あと一度上がって百度になると蒸気になって、
蒸気機関車を動かす力が出る。

しかし、九十九度ではまだ液体だから蒸気機関車は動かせない。
この一度の違いを意識しながら仕事をすることが、
リッツ・カールトンの仕事の流儀でした。

だから最初に齋藤さんの記事を読んだ時、
この人は百度だと思った。

百度の仕事とは、誰もがしている仕事を、
誰も考えないレベルで考え、
懸命に汗を流さないと見えてこない世界です


業即信仰

2012-11-17 10:04:03 | 商い

┌───随想ベストセレクション───────────────────┐


     「業即信仰」


        米倉満(理容「米倉」社長)

                『致知』2012年11月号
                       致知随想より

└─────────────────────────────────┘


私の祖父・米倉近が弱冠二十二歳で
理容「米倉」を開業したのは大正七年のことでした。

後に近の義父となる後藤米吉は、
当時西洋理髪の本場といわれた英国で理容技術を習得し、
「三笠館」という理髪店を開業した人物でした。

その義父と同じ理容の道を志し、日本橋に店を構える
「篠原理髪店」に祖父が弟子入りしたのは、年の頃十三歳。
両親と別れての暮らしはさぞ寂しかったことでしょう。

しかし、一人前になるまで家には戻らないと修業に専念し、
二十一歳になるまでの八年間一度も
親と顔を合わせることはありませんでした。

独立開業する際には、修業中に祖父の腕を見込んだ
名士たちの後押しもあって、
築地の精養軒ホテルの一角という一等地で開業。

関東大震災で店が焼失したことで、
銀座の中央通に移りましたが、
「米倉」は一流のお客様を相手にして、
満足させる銀座の床屋だという矜持が祖父の力の源でした。

実際、店には日本画家の伊東深水氏、作曲家の山田耕筰(こうさく)氏や、
陶芸家の川喜田半泥子(かわきた・はんでいし)氏をはじめ、
個性溢れる一流のお客様が顔を連ねる理容店として賑わい、
今日に至るまで多くの名士の方に親しまれてきました。

その中には松下電器(現パナソニック)の
創業者・松下幸之助氏もいらっしゃいましたが、
かつて松下氏はほとんど容貌を気にされず、
頭髪もぞんざいだったそうです。

ある時、そんな松下氏と初めてお会いする機会があった祖父は、
即座に


「あなたはあなたの顔を粗末にしているが
  これは商品を汚くしているのと同じだ。

 会社を代表するあなたがこんなことでは会社の商品も売れません。
 散髪のためだけに時間をつくるというような心掛けがなければ、
 とても大を成さない」


と言い放ったといいますから大したものです。

もちろん祖父の言葉に悪意は微塵もなく、
むしろ自らの仕事に対する誇りから生まれたものといえるでしょう。

仕事に打ち込む中でお客様を満足させたいという
姿勢を貫いてきたからこそ、経営の神様に対しても
思いの丈をぶつけることができたのだと思います。


「誠にもっとも千万で、至言なるかな」


と口にした松下氏は、祖父の言葉に意気を感じられたのでしょう。
祖父との出会いを機に身だしなみにも気を使われるようになり、
「米倉」をご贔屓くださるようになったのです。

私が理容師としてまだ駆け出しの頃、
祖父の鞄持ちとして熊本県の阿蘇まで赴いたことがありました。

現地では松下電器の代理店を集めた年に一度の大会が開催されており、
祖父はそこに招かれたのでした。


宿泊先でのことです。

二人きりになった晩、祖父は堰を切ったように
自らの歩みを語り始めました。

既に晩年を迎えていた祖父は、
特別に私に伝えたいという思いがあったのでしょう。
その中にはこんな話がありました。


祖父の母は大変信仰心の厚い方で、


「おまえの守り本尊は観音様であるから、
 毎月十八日はお参りに行きなさい」


と言われた祖父は母の言いつけをよく守っていました。
ところがある月の十八日の朝、祖父は寝坊をしてしまい、
慌ててお参りを済ませるも開店時間に間に合わないことがありました。

ちょうどその時分に店を訪れた松竹の大谷竹次郎氏は
祖父の不在を知り、後日改めて来店された際、
開口一番こう聞かれました。


「君は何か自信をなくしたことでもあるのか」と。



祖父が驚いて聞き直すと、大谷氏は
観音様にお参りに行くことそれ自体はよいが、
開店中に主人が留守とはどういうことか。

お客様に不自由をさせて、ご利益などあるだろうかと懇々と諭され、
最後に


「客商売は、客が店の信者なのだ」


とおっしゃったそうです。

祖父は我が身を恥じたといいます。
お客様を差し置いて観音様をいくら拝んでも、

ご利益などあろうものかと。そして理容業という生業に打ち込むことが、
そのまま信仰になりうるのだという確信を得たのでした。


業即信仰。


祖父はこの時の教訓をこの四文字に込めたのです。


このことに関連して、世の中にある無数の業には、
それ自体に良し悪しがあるわけではなく、
その業を行う者の人格のいかんによって良し悪しが決まる。

それゆえに理容師は、理容の技術を磨き高めることはもちろん、
教養を身につけ、お客様と誠実に相対する中で、
理容師的人格を高めることの大切さも訓えられました


また祖父は、日頃から


「毎日が開業日」


と口癖のように言っていたことを思い出します。
店というのは古くなると惰性に流れだらしなくなるから、
毎日が開業日のように新鮮な気持ちで場を清めれば、
自然と仕事に励む気分が湧き上がってくるというのです。

理容「米倉」は四年前に創業九十周年を迎え、
その間祖父の業に対する信仰心の如き思いは
父、叔父を経て四代目である私へと受け継がれてきました。


業を高めることが、そのまま自己を高めることになる――。


これが理容師として、四十年間歩み続けてきた私の実感です。

業即信仰という祖父の祈るような仕事に対する姿勢を胸に、
理容師として生涯を全うできるよう
これからも一途に歩み続けたいと思います。


人は答えを得た時に成長するのではなく、疑問を持つことができた時に成長する。

2012-11-17 09:42:01 | 商い

┌───今日の注目の人───────────────────────┐



         天才建築家・ガウディの遺志を継承する
           彫刻家・外尾悦郎氏の幸福論


                『致知』2012年12月号
                 特集「大人の幸福論」より


└─────────────────────────────────┘



 ◆ この34年間、思い返せばいろいろなことがありましたが、
   私がいつも自分自身に言い聞かせてきた言葉がありましてね。

  「いまがその時、その時がいま」というんですが、
   本当にやりたいと思っていることがいつか来るだろう、
   その瞬間に大事な時が来るだろうと思っていても、
   いま真剣に目の前のことをやらない人には決して訪れない。
 
   憧れているその瞬間こそ、実はいまであり、
   だからこそ常に真剣に、命懸けで生きなければいけないと思うんです。



 ◆ 人は答えを得た時に成長するのではなく、
   疑問を持つことができた時に成長する。



 ◆ 仕事をしていく上では「やろう」という気持ちが何よりも大切で、
   完璧に条件が揃っていたら逆にやる気が失せる。
   たやすくできるんじゃないか、という甘えが出てしまうからです。



 ◆ 本来は生きているということ自体、命懸けだと思うんです。
   戦争の真っただ中で明日の命も知れない人が、
   いま自分は生きていると感じる。

   病で余命を宣告された人が、
   きょうこの瞬間に最も生きていると感じる。

   つまり、死に近い人ほど生きていることを強く感じるわけで、
   要は死んでもこの仕事をやり遂げる覚悟が
   あるかどうかだと思うんです。



 ◆  当たり前のことを単に当たり前だと言って済ませている人は、
   まだ子供で未熟です。それを今回の震災が教えてくれました。

   本当に大切なものは、失った時にしか気づかない。
   それを失う前に気づくのが大人だろうと思うんです。


気働

2012-11-03 17:22:31 | 商い

┌───今日の注目の人───────────────────────┐



     日本に「ザ・リッツ・カールトン・ホテル」と
     ホスピタリティの概念を根づかせた
     伝説のホテルマン・高野 登 氏の名言


                『致知』2012年11月号
                 特集「一念、道を拓く」より
      http://www.chichi.co.jp/monthly/201211_index.html


└─────────────────────────────────┘


 ◆  99℃は熱いお湯だけれども、あと1℃上がって100℃になると、
   蒸気になって、蒸気機関車を動かす力が出る。
   しかし、99℃ではまだ液体だから蒸気機関車は動かせない。
   この1℃の違いを意識しながら仕事をすることが、
   リッツ・カールトンの仕事の流儀でした



 ◆  「想像力に翼をつけないと夢には届かない」
    という言葉があるのですが、
    やっぱり夢に届くには想像力を働かせるしかないと思うんです



 ◆  やっぱり男はね、気を働かせられないとダメなんですね。
   僕は気遣いと気働きは違うと思っているんです。
   女性は細やかな気遣い、心配りが大切ですが、男がするのは気働き。
   木下藤吉郎(豊臣秀吉)が織田信長の草履を温めていたのは、
   気遣いじゃない。あれはしたたかな気働きです



 ◆  リッツ・カールトンがいま評価されている理由は、
   そういう日常の小さなこと、
   日本人として当たり前のことをやり続けて、
   自分たちの当たり前のレベルを上げていっているという、
   それだけなんです。
   それだけで感性は磨かれていきます。



 ◆  目の前のことに
   これ以上ないほどに真剣に取り組めば必ず道は拓けるし、
   自分が思いもよらなかった場所に運ばれていく


「デザインの力で新時代を切り開く」  佐藤可士和氏(クリエイティブディレクター

2012-10-15 16:31:22 | 商い

 働く環境をデザインすることによって社員の意識や働き方を変え、より高いパフォーマンスを発揮することができるのです。

 

 固定観念に囚われず、本質を突き詰めていけば、答えは必ず見えてくる。

 

 全然知らない分野の仕事を依頼されることも多いので、「アイデアが尽きることはありませんか」と、よく質問を受けるんですが、アイデアは自分が無理矢理ひねり出すものではなく、答えは常に相手の中にあると思っています。

 

 僕はいつも、打率10割、すべてホームランにしようと思ってやっています。何人ものクライアントを抱えていると、つい目の前のクライアントを大勢いる中の一人と捉えがちですが、それは違います。

 クライアントにとっては1回、1回が真剣勝負で、社運を賭けて臨んでいるわけですから、失敗なんて許されないですよ。

 

 商品の本質を見抜く上で最も大事だと思うのは、「そもそも、これでいいのか?」と、その前提が正しいかどうかを一度検証してみることです。

 過去の慣習や常識にばかり囚われていては、絶対にそれ以上のアイデアは出てきませんから。

 

 自分が常にニュートラルでいること、それが重要です。邪念が入るとダメですね。

 人間なので好き、嫌いとか気性の合う、合わないは当然あるじゃないですか。ただ、合わない人の言っていることでも正しければ、その意見に従うべきですし、仲のいい人でも間違っていれば「違いますよね」と言うべきでしょう。

 感情のままに行動するのではなく、必要かどうかを判断の拠り所とする。いつも本質だけを見ていようと思っていれば、判断を間違えることはありません。