交野市立第3中学校 卒業生のブログ

中高年の

皆さ~ん  お元気ですか~?

欲の本体は、船を動かす蒸気力のようなもの

2012-01-26 10:38:57 | 徳育 人間力

昭和25年(1950) 55歳

人間の欲といいましても、実に数限りなくあります。

仏教ではこれを三欲五欲とか、いろいろに分類し集約しておりますが、

まったく人間の欲望は、その質においてもその量においても、

他の生物とは比較にならないほど、

広くかつ深いものがありまして、

人間は欲の塊である、

いわれますのも、まことに当然のことだと思うのでたあります。


これほど欲は、人間と切っても切れない関係にあるのですが、

どうも欲といいますと、


今までの通念からして、

私たちにはよい響きを与えないのであります。

何か悪と結びついたものを連想させ、

まして、 欲が深いというとなおさらのことで、

欲が深い人

という言葉は何かよくない人の代名詞として

使われてきたように思われるのであります。

もっとも、こうした通念を私たちが抱くのま一応無理もないことで、

何かよくない事件や、

身を誤った所業、他人に害を与えた仕業などは、

いわゆる欲に目がくらみ、

欲に踊らされた結果起こることが多く、

そのことからして、 欲が悪の源泉のように思われ、

この欲を断ち、欲から脱却することが

人間の徳として教えられてきたと思うのであります

この通念自体は別に悪いことだと思いません。

しかし、 もしもこの考えにとらわれてしまって、

欲の本体を正しくつかまないと、

これは人間にとって非常に不幸なことだと思います。

なぜかといいますと、

欲の本体は、決して汚らわしいものでもなければ悪の根源でもなく、

それは人間の生命力の現われであり、

生きんとする力がかたちとなって現われてきたものだと思うからであります。

つまりこれは、船を動かす蒸気力のようなものであります

したがってもしもこれを悪とし、

その絶滅を図らなければならないと考えますと、

ちょうど船を止めてしまうに等しく、

人間の生命も絶ってしまわなければならないことになるのであります。

もちろん、古来聖賢の教えてこられた禁欲の教えは、

人間をよりよく生かすためであって

決して生命を否定するためのものではないのでありますが

この教えを表面的に受け取るために、

本来の人間の姿をゆがめてしまう場合が非常に多いと思うのであります。

そして、欲を汚らわしいもののように思い、

悪の根源として圧迫しようと考えたりするために、

本来楽しかるべき人生が非常に苦痛となってくると思うのであります。

これは非常な認識不足だと思います。

人間の欲望の本体の姿は、生命力の発現であります。

したがって、それ自体は善でも悪でもないと思います。

それは一つの力と考えるべきもので、善悪以前のものであります

この欲望の本体を、お互いにまずはっきりと知っておきたいと思うのであります。

欲望は生命力の現われであると申しましたが、

生命力は人間が生きていくために、

宇宙根源の力から与えられたものでありますから、

その現われである欲望もまた天与のものであり、

したがって人間は、これが与えられていることを

大いに感謝しなければならないと思うのであります。

すなわち、

欲望は感謝すべきものであって憎むべきものではないと思うのであります。

ただ注意しなければならないことは、それ自体は善ども悪でもない

善悪以前のものであるということは、いいかえると、

善にもなりうるし、悪にもなりうるということであります

すなわち、欲望は人間の用い方いかんによって、

善にも悪にも転化しうるのであります。

ちょうど、私たちは船のかじを握っているようなもので

蒸気力が与えられているのに対して、

これをよい方向にもっていくか悪い方向にもっていくかは、

このかじの動かし方ひとつにかかっているのであります。

すなわち、人間にはかじを

左にも右にも動かしうる自由が与えられていると同時に、

船を順調に進ませるか座礁させるかの

いっさいの責任が負わされているのであります。

自由と責任は、人間に与えられた特性でありますが、

欲望の善悪場合、

これがいちばんはっきりとしてくると思うのであります。

それでは欲望の善悪はどこから生まれてくるのかといいますと、

その欲望を満たそうとする行いが、

お互いの繁栄、平和、 幸福を進めるか損なうかによって

決まってくると思うのであります。

人間はいろいろな欲望をもちます。

そしてその欲望を満たすために、あらゆる努力をいたします。

欲望が生命力の発現であるかぎり、

どのような欲望をもち、どのような努力を続けようと、

それは生きるための尊い姿であって、

決して非難されるべきではありません。



最新の画像もっと見る