消費は生産、生産は消費
言葉のあやではなく、まじ、そう実感している。
樫田に来てから、生ごみを“棄てる”ことに躊躇しなくなった。
勿論、無駄に棄てるつもりはない。
しかし、下に住んでいた時のように、生ごみの処理能力の限界がない土地なので、仕方なく一部をゴミ箱に棄てなければならないという事態が発生しなくなったので、野菜くずが出てしまうことに「勿体無い」という何だか追い詰められているような気持ちが無くなったのは確かだ。
生ごみをゴミ箱ではなく、コンポスターや庭に“棄てる”ことは、それが土に返った後に、新たな野菜や草花として生まれ変わるということを意味している。だから、罪の意識を感じなくなったし、残り物を無理やり胃袋に押し込む必要も無くなったのである。
又、トイレから出てくる堆肥も、ガーデニングや自給自足に貢献してくれている。
私は、自分の消費した食べ物でう○○を生産し、それを別の食べ物に変えていくわけだから、「消費は生産。生産は消費」である。
庭のねっとり甘い無花果も、いろんな生ごみや私のう○○が姿を変えたものだと思うと、不思議な感じがするし、愛しいと思う気持ちまで湧き出てくる。
私は、自分の命の分身を食べているのだ。
この世のもの全てに命と魂は宿る。
恵まれ、生かされているという気がしてくる。
感謝。
とまあ、「循環型生活」を宗教っぽく語ると以上のようになる。
「え!? 大便とか小便って、肥料になるんですか?」
我が家の青少年の友人が、日本人は、つい最近まで下肥で野菜作りをしていたということを話したら、ビックリ仰天した。
無理もない。水洗トイレで暮らしてきた世代にとって、排泄物は文字通り排泄物でしかない。
レバー一つで目の前から消えていってくれる。正真正銘“臭いものには蓋”。
防空壕時代、私は祖父の命じられるまま、便壷にはちり紙を投げ落とすことはしなかった。いや、ちり紙なんて上等なものはあまり使わなかった。新聞紙をしわくちゃにしてよく揉み、それでお尻を拭いていたのである。
昭和30年代生まれの子供たち、特に農村の子どもたちの中には、それに近かった子どもはけっこういたのではないだろうか。
それが、今では、大小便は単なる排泄物でしかなくなり、自分の身体から直接“生産”したそれらを肥料にするなんて、大変不潔なゲテモノとして怪しまれることが増えた。
私が、コンポストトイレで家の建築確認申請を取ろうとしたときに、若い設計士がぎょっとしたのも、まあそんなところからだったのではないだろうか。
下肥は商品
江戸時代の大阪では、淀川沿い農民達が舟に乗って、浪速の都心部まで下肥を買いに行っていたというのは有名な話である。大家が、店子の便壷の中身を売ることで二度“おいしい”思いを味わっていたというのも有名な史実だ(便壷の中身の所有権は店子ではなく大家にあった)。
廓と武家屋敷の下肥は特によい値で取引されていたというから、人間が何を消費することによって下肥を生産しているのかということは、下肥に含まれる栄養分(肥料分)、ひいては下肥の価格を決定する重要なファクターだったということだ。
そうだ、私もせいぜい、美味いものをしっかり食べようじゃないか!
自給自足をしようとしている限り、野菜作りで一儲けする気なんてさらさらないけど、ふと、大根一本と便壷の中身を物々交換している百姓姿の自分を想像してニタニタしまうKOKKOなのである。