迷建築「ノアの箱家」

ひょんなことからNOAに選ばれし者として迷建築「ノアの箱家」に住むことになったKOKKOの笑ってあきれる自宅建築奮戦記

奇妙な連絡④

2010-11-20 21:11:02 | 本人登記とお金

怪しい車

は~い、お待たせ。

無料覗き部屋大女優KOKKOちゃんの“住民票・家屋表題登記騒動”第四幕の上演の時間だよ。

さあ、皆さん皆さん、寄ってちょうだい、覗き見してちょうだい。 モーヤケクソダ

 

一人で工事の続き(投光器の位置調整と屋外コード配線、窓の格子用自然木選び)をしながら、役人を待った。

約束時間の15分ほど前に高槻市役所の車(車体に「安全パトロールカー」とある)が家の前の道をノロノロ通り過ぎていった。

「あ~、ツキノワグマのパトロールだ・・・。」

(私の配ったチラシをきっかけに駐在所と自治会が注意を呼びかける回覧板を回し、高槻市役所も昨日から動き出していた。)

・・・と思っていたら、やたらとうろうろ、ぐるぐる同じ所を行きつ戻りつ。車内に二人の中年の男性が見える。向こうもこちらを見るが会釈するでなし、「ここばっかりうろうろしててもクマなんか見られへんのに・・・。」と思いながら眺めていた。

10分近く、家の周囲を行きつ戻りつ。

「ひょっとしたら、市民課の役人?」

やがて車から一人降りてきたが、20メートルほど離れた所で、じっとつっ立っている。

KOKKO:「あの~、市民課の方ですか?」

H:「はい、そうです。」

おいおい、10分も私をガラス越しに覗いていただけ???

さらに2~3分後、家の上の里道からW氏の声。

どうやら車をどこに止めようか探していたらしい。

声をかけてくれたら、ちゃんと案内するのに・・・。

は~ん、このお二人さん、コミュニケーションとるのが苦手な人間たちだな。

今回の一件がここまでに私を苦しめ混乱した訳が読めた気がした。

 

KOKKO:「ここは下(都市部)と違って、何処に止めても文句言われませんよ。」

 やがてW氏が到着。二人そろったところで、いきなり二人とも頭を深深と下げて、大声で

「このたびはご迷惑をおかけしてすみませんでした。」

まるでテレビのニュースを見ているみたいだった。

車の中から10分近く私を見ていて会釈ひとつせず、さらにH氏は5分もW氏の到着を待ってから初めて挨拶したことになる。

不自然だ。シナリオどおりにしか行動できないのか、この御仁たちは。

でも、もういい。

とにかく、話を聞こう。

 

W:「窓口の者は、住所については、この辺りは地番通りとご説明したと思います。」

KOKKO:「はい、地番とおりの住所になっています。△番○。住民票の移動の時、土地登記簿謄本を持って行って窓口で確認しました。」

H:「ここらあたりは、我々の間では△番地の○でいこうと決めてあるんです。」

KOKKO:「じゃ、地番じゃないですね。」

W/H:「いえ、地番です。」

KOKKO:「登記簿の地番のところには、△番○とありますが。地番とは、これですよね?

住居表示係りの若い男性に土地の登記簿謄本を見せて確認したら『この通りです』と仰いました。住民票の係りの若い女性にも確認しましたが、『これでいいです』と仰いましたけど? さらに役所の窓口に置いてある黄色いパンフレットにも大字地区は地番がそのまま住所になると書いてありましたが・・・。」

H:「確かに登記簿ではそうですが、こちらではそうではないのです。」

KOKKO:「???」

何や、よう分からん。面倒臭くなってきてしもた。

もう、どうでもええわ!

で、言った。

KOKKO:「『最初に、こちらのミスで住民票が間違って記載されてしまいました。それが原因で、色んな面で今後玉野井さんに支障がでてくることが考えられるので、善後策についてご相談するため、責任者とともに寄せていただきたい。』と言って欲しかった。『住民票が間違っていたので、家屋表題登記の代理申請をするから委任状にハンコ下さい』だけでは、私が悪いのかそちらが悪いのか分からない。今回の家屋表題登記は自分でしました。自分でするべきはずの手続きを何故見ず知らずの他人に委任しなければならないのか、理解に苦しみました。連絡文書にあるそちらの電話番号も間違っていたし、課長や市長などの名前や公印もないので、市役所を名乗った詐欺かもしれないと疑い、びっくりしました。」

『家屋表題登記については、法務局に問い合わせてみた結果、こちらのミスで玉野井さんの登記が間違って登記された状態になっていることが判明しましたので、これを改めなければ保存登記の時に、更なるご迷惑をおかけすることが予想されます。これ以上ご迷惑をおかけしないためにもこちらが責任もって事態改善をはかりたいと考えています。具体的には、こちらが代理任として正しい登記に直させていただきたいと考えていますが、大事な登記申請の代理を他人に依頼するのには御不安もおありでしょうから、確かに我々市役所の者が責任をとらせていただくのだということをお知らせする方々、このような事態になった原因の説明と謝罪に寄せていただきます。』と言って下されば不安は少なかったと思います。」

W:「急いでいましたので、とりあえずご連絡をと思いました。」

KOKKO:「そちらは事態を全て把握しているから、説明が一週間先でもいいと思えるのです。でも、こちらとしては、あのような説明だけでは、いったい自分は何をされるのだと恐怖心を抱いてしまうのです。夜も眠れない時がありました。」

W:「とりあえずと思いました。」

この役人、こっちの気持ちを読みとれてないな。

せめて「心配させてごめんチャイ」ぐらい言ってくれてもええやんか。子羊ちゃんの張り裂けそうな胸を鎮めてくれてもええやんか、メェ~、メェ~。

KOKKO:「『ご不審なら法務局のUさんに問い合わせてください』と仰いましたが、こちらが自力で問い合わせしなければならない方がおかしいです。こちらに不信感を持たせないよう、また不信を取り除くようWさんがきちんとした対応をしていただきたかったと思います。」

かくして、始終神妙な顔をして黙っている課長代理(役人の演技か)と、私が話をしている時もこちらの顔をちっとも見ようとしないW氏(「このオバハン、うっせぇなぁ。これぐらいのことで何大騒ぎしとんねん」と思っているように見えてしまう)相手に話を進め、結局は委任状にハンコを押した。

申請書の原因事項には、「誤記」とあった。正しい登記簿謄本は後日、書留で送られてくる。新しい住民票には、前の住所の横に「誤記」と記載されていた。

 

W:「間違いに気付いた時、すぐに法務局に車を走らせ、表題登記の確認をしました。Uさんからこんな場合の申請書類作成の仕方の参考文献のコピーを貰ってきています。」

それを早よ言え! 大阪のオバチャンは完全にヤクザごろつきになる。ただし、心の中で。

こっちは他人が私の個人情報である登記内容まで知ってるから、びびってたんやで。

U氏もU氏だ。

「Wさんから聞いて下さい」だけや。不親切やんか。←心の中で叫びながら鼻息がどんどん荒くなる。

 

でも、U氏にも言い分があるのだろう。

「高槻市役所の間違いやのに、何でこっちに何回も問い合わせしてくるねん。市役所に聞けや。」というところか。

結局は、高槻市役所側の住民票の作成ミスと説明不足が原因だったのだ。

間違いは誰にでもある。その間違いに気付いて大急ぎで対応しようとしたW氏の行動は正しい。

問題は、事態を飲み込めない人間に飲み込ませる術というか配慮を彼が持っていないという点だ。

 

役人さん方、どうか心して下さい。

大半の市民は無知です。そして、役人を信頼しているからスムーズにことが運べるのです。

その信頼の上に胡座をかいて壊さないで下さい。

信頼が壊れてるから、私のような子羊ちゃんでも山姥ヤクザと化してしまうのです。

山姥ヤクザが誰にでも愛される可愛い子羊ちゃんに戻れるよう、丁寧に対応して下さい。

 

かくして覗き見部屋大女優の一人よがり芝居第四幕、これにて終了。

おひねり、おひねり!


  

 


死を想う

2010-11-20 07:50:20 | 写真

「死」

宮崎学の「死」という写真集がある。

カモシカと日本鹿と狸の死体を時間経過とともに変化していく様子を定点写真にしたものだ。

自然科学的視点から見ても興味深いが、この人の生き方がよく現れている写真だと思った。

奇麗ごとで動物を撮っているのではないのだ。

「カラスのお宅拝見!」とか「柿の木」とか、全て共通している視点があって、好感を持つ。

事象に対する凝視。

「死」についての前書きにそれが端的に言葉で表現されている。

 

輪廻転生

目をそむけてはならない、とおもいながら、ファインダーをのぞいていた。

鼻が曲がるかとおもわれるほどの死臭が漂うこともあり、

ハエのうじが体皮をやぶって湧き出してくることもある。

怯むことなく見つめていると、

そこにはふしぎなドラマが展開されてた。

「死は生の出発点である」

私は、自然の新しい摂理を、生きものたちから学んだ。

 

同じく、アラーキーの「チロ、愛死」

この人らしい。いい写真集だ。

陽子さんの棺を左に、チロの棺を右に編集してあるページがある。

また、陽子さんの遺骨を持った自分を左に、チロの遺骨を持った自分を右に編集してあるページがある。

チロが死に至る経過を淡々とアラキ流のヘタウマ写真で撮り続け、後半は空の定点写真ばかりが並んでいる。

最後の方になって初めて文字。「チロはAの愛人生、ずーっと」

裏表紙には「ずーっと」

たったそれだけの文字と泣いている自画像イラスト。

おい、アラキ!

思わず心の中でつぶやいていた。

写真の編集が秀逸だ。

 

30年ほど前、まだ若かった頃、彼が大嫌いだった。

巷に溢れるアラーキーの真似写真を見ると不愉快だった。

沖縄の知人石川真生さんの「熱き日々inキャンプハンセン」という写真集の寄せ書きに書いている文面なんて、当初は「こいつ、いい加減にしろ!」と思って読んでいた。

が、なんと私は浅い読み方をしていたのだろうと、数年してから気付いた。

彼の写真・文面を読み間違えていたことに。

そうか、そうか、そうだったのか。

彼が太陽賞を受賞した「よっちゃん」だったか「よっちん」だったか(「さっちん」か「さっちゃん」か?)

という写真集・・・彼は昔から一貫してちっとも変わっていなかったのだということに。

 いい写真家だ。

というより、いい人間だ、いや、もっと心情的に言うと「いい奴だ。」

ただ身にまとっている衣装が衣装なので、誤解を生みやすい。

凝視だ。柔らかな凝視。

愛情を持つということの一つの形がそこにはある。

物凄い写真家だと思う。

 

で、はたと自分の母の死を思った。

友人の死も。

また、かつて20年近くも消息をつかめなかったある人物のことも。

“消滅”が残された人間に残すものについて、考える。

「夫の死に救われる妻たち」(写真集ではない)なんて本もある。

これについてはタイトルが衝撃的ではあるが、内容には実に深いものがある。

“死”・・・やがて私にも訪れることを実感する一瞬がある。もう、歳だな、やっぱり。