碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

【書評した本】 春日太一 『時代劇入門』

2020年04月26日 | 書評した本たち

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。


決闘はラブシーン? 時代劇を楽しむ“コツ”

春日太一 『時代劇入門』

角川新書 990円

演出家の源孝志が、文化庁主催「芸術選奨」の放送部門で文部科学大臣賞を受賞した。代表作は内野聖陽主演『スローな武士にしてくれ』(NHK)である。

斜陽と言われて久しい時代劇を守り続けるスタッフや俳優たち。狂気と紙一重のような彼らの情熱、そして矜持と哀歓を描いた秀作だ。このドラマの最後に、登場人物である映画監督、国重五郎(石橋蓮司)の言葉が表示される。「二人の男と二本の刀さえあれば映画は撮れる」と。

春日太一『時代劇入門』は、時代劇という桃源郷を世に再認識させる「触れ太鼓」であり、迷宮へといざなう「招待状」だ。

では、そもそも時代劇とは何なのか。著者が挙げる成立要件は、新しい表現手段と現代の空気を取り込むこと。過去の舞台設定に現代的な問題意識を盛り込み、そこにチャンバラを加えたのが時代劇だという。

本書は時代劇の歴史にはじまり、基礎知識、重要テーマ、さらにチャンバラの愉しみと続くが、随所で展開される著者の持論が刺激的だ。

例えば、「どれだけ荒唐無稽でめちゃくちゃなことをやっても、そこに説得力があれば、面白くてエンターテイメントとして成り立っていれば、それでOKなのが時代劇です」。

またチャンバラの魅力をリアルファイト以上に迫力のある映像に求め、「決闘はラブシーンだ!」と言い切る。この思い入れこそが著者の真骨頂であり、本書は時代劇への熱烈な「ラブレター」となっている。

(週刊新潮 2020年4月16日号)


【書評した本】 『にっぽんアニメ創生記』

2020年04月06日 | 書評した本たち

 

“ブルドッグと猪狩り”だった

日本製商業アニメの第一号

 

『にっぽんアニメ創生記』

 渡辺泰、松本夏樹、フレデリック・S・リッテン、中川譲

集英社 2860円

 愛読している雑誌の一つに『芸術新潮』がある。過去、一番驚いたのは20179月号の表紙だ。テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する、エヴァ初号機だったのだ。「芸新がアニメを特集する時代なんだなあ」と嬉しく思ったことを覚えている。

特に批評家30人が選んだ「日本アニメ ベスト10」が興味深かった。ちなみにトップ3は、『新世紀エヴァンゲリオン』『機動戦士ガンダム』『宇宙戦艦ヤマト』だ。

 そもそも、なぜこの特集が組まれたのか。それは国産アニメの劇場公開から100年の節目だったからだ。では、1917年に誕生した「日本製商業アニメーション映画」の第1号とは何なのか。また創ったのは誰で、どんな内容だったのか。本書はそうした問いに答えるべく、国産アニメの「起源」を探っている。

その作品のタイトルは『凸坊新畫帖(でこぼうしんがちょう) 芋助猪狩(いもすけししがり)の巻』で、制作者は下川凹天(「へこてん」もしくは「おうてん」)。

ただしフィルムの断片もスチール写真も残っていない。原作と思われる6コマ漫画では、主人公である芋川椋三が、ブルドッグを連れて猪狩りに行く。椋三は獲物をシシ鍋にして食べ、ケガをした犬には骨1本を与える。当然、犬は椋三に愛想をつかして、といった内容だ。

本書には3人の執筆者の論考が独立して並んでいる。アニメーション研究家の渡辺は、前述の下川をはじめとする3人のパイオニアの軌跡をたどる。

映像文化史研究家の松本は、現存する最古のアニメフィルム『なまくら刀』の発見とその意味について考察。そして近・現代史研究家のリッテンは日本のアニメ創生期を細かく分析し、下川たちの取り組みに対して冷静な評価を与えていく。全体として、日本のアニメの起源を複眼的に捉える構成となった。

物事の「始まり」を検証することで、「現在」の認識や、「これから」の展望がより豊かなものになるはずだ。本書の価値もそこにある。

 週刊新潮 2020年4月2日号


【書評した本】 三上智恵 『証言 沖縄スパイ戦』

2020年03月28日 | 書評した本たち

 

 

貴重な証言で考える戦争の悲劇

三上智恵『証言 沖縄スパイ戦史』

集英社新書 1,870円

2018年、『沖縄スパイ戦史』と題するドキュメンタリー映画が公開された。描かれていたのは、沖縄戦の終結後もゲリラ戦を続けた、少年兵たちの「護郷隊(ごきょうたい)」のこと。その指揮をしていたのが、大本営から送り込まれた陸軍中野学校出身の青年将校だったことだ。

また波照間島から西表島へと移住を強いられた多数の住民が、マラリアで死亡していた。しかも移住は戦争から逃れるための疎開ではなかったのだ。映画は知られざる沖縄の史実を淡々と映し出す秀作だった。

この作品を大矢英代と共同監督したのが三上智恵だ。以前は琉球朝日放送のキャスターとして戦争番組を担当していたが、6年前にフリーの映画監督となる。これまでに、『標的の村』『標的の島 風(かじ)かたか』などを手掛けてきた。

今回、三上が著した『証言 沖縄スパイ戦史』は、単なる映像の活字化ではない。約750頁の分厚い本には、映画では割愛せざるを得なかった多くの証言が収録されている。夜間に敵の陣地に潜入し、食料庫や弾薬庫を爆破するよう命じられた少年ゲリラ兵の実態。スパイ掃討という名目で行われた虐殺。そして住民同士の軋轢。時には、加害者と被害者の立場が逆転するような悲劇も起きた。

貴重な証言の数々から見えてくるのは、軍隊が来てしまったら住民はどうなるかであり、軍国主義に飲み込まれたらどう行動出来るか出来ないかである。新たな戦前かもしれない今こそ、読まれるべき一冊だ。

(週刊新潮 2020年3月19日号


【書評した本】 立花 隆『知の旅は終わらない』

2020年02月22日 | 書評した本たち

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

知の巨人が築き上げた巨大な文化の体系

立花 隆『知の旅は終わらない』

文春新書 1045円

今年の5月に80歳となる立花隆。その新著『知の旅は終わらない』は語り下ろしの自叙伝だ。副題の「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」が示すように、立花隆はいかにして立花隆になったのかが明かされる。

本書の読み所は、優れたノンフィクション作品が生まれた背景と内幕だ。たとえば74年の「田中角栄研究―その金脈と人脈」では、現在の1000万円に相当する費用が投じられる。力のある書き手で取材班を編成し、入手可能な活字資料は全部集めた。

記事は大反響を呼んだが、国内の活字メディアは「前から知っていた」と冷ややかで、取材に来たのは毎日新聞と週刊新潮だけだったという。

76年に連載開始の「日本共産党の研究」は当然のように共産党から猛反発を受ける。リンチ共産党事件や戦前のコミンテルンとの関係など、党として触れられたくない部分が多かったからだ。しかも取材班の中に共産党が送り込んだスパイがいたという事実に驚く。

その後、旺盛な取材・執筆活動は科学分野へと幅を広げていった。『宇宙からの帰還』『サル学の現在』『脳死』などだ。いずれもそれまで誰も手掛けなかったジャンルであり、おかげで読者は「巨大な文化の体系」としての最先端科学に触れることが出来た。

現在、著者は複数の病気を抱えながら執筆を続けている。まさに「終わりなき知の旅」であり、その姿勢もまた、後に続く無数の旅人たちを強く励ます。

(週刊新潮 2020.02.20号)


【書評した本】 『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』

2020年02月10日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

中川一徳

『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』

講談社 2640円

 

話題のドキュメンタリー映画、『さよならテレビ』の舞台は東海テレビ(フジテレビ系)の報道部だ。キャスター、派遣社員の若手記者、そして記者歴25年の外部スタッフの3人を軸に、テレビ局内部で何が起きているのかを伝えている。

報道は、「公共性」を標榜するテレビ局が存在意義を示すべき部署だ。しかし報道部長が訴えていたのは、ひたすら「視聴率を上げろ」だった。もちろん現場だけの判断ではないはずだが、この映画の中で経営陣にカメラが向けられることはなかった。

中川一徳は2005年の『メディアの支配者』で、フジサンケイグループを支配した鹿内信隆とその一族の軌跡を描いたが、本書はその続編にあたる。『さよならテレビ』の更に奥、いわば本丸に迫る一冊であり、活字の力を再認識させる問題作だ。

今回、主な対象となっているのはフジテレビとテレビ朝日である。それぞれの誕生から現在までを追いながら、メディアが生み出す「カネ」と「権力」に執着する人間たちの行いを徹底的に暴いていく。

両局に深く関わったのが旺文社の創業者、赤尾好夫だ。ラジオの文化放送を足掛かりにテレビにも食い込んでいく様子は、まさに「国盗り物語」。鹿内一族や赤尾一族にとってメディアは無限の「カネのなる木」だったが、そこに目をつけたのが村上ファンドやライブドアだ。

またテレビ朝日でも、ルパート・マードックやソフトバンクによる「乗っ取り騒動」が起きる。こちらも朝日新聞を巻き込んだ、長く不毛な消耗戦が続いた。誰が敵で誰が味方なのかは不明。はっきりしているのは、このマネーゲームのプレイヤーたちの頭の中に、制作現場の人々や視聴者など不在ということだ。

フジテレビ待望の「お台場カジノ」が見えてきた。テレビ朝日の経営陣も政権との親密度を増している。見る側のテレビへの「さよなら」の声は、もっと大きくなりそうだ。

(週刊新潮 2020年2月6日号)


【書評した本】 ビートたけし『芸人と影』

2020年02月01日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

一流の語り芸で「芸人の作法」を説く1冊

 ビートたけし『芸人と影』

小学館新書 880円

 

昨年の芸能界で最も大きな出来事だったのが、いわゆる「闇営業」問題だ。芸人と反社会的勢力との関係性が問われたが、いつの間にか吉本興業の旧態依然たる企業体質へと論点が移っていってしまった。

ビートたけし『芸人と影』は、この問題も含め、芸能界と芸人の「深層」を語った一冊だ。そのスタンスは明快で、元々芸能界はカタギの社会で生きられない人間たちの集まりであると言い切り、「世間一般の道徳を芸人に押しつけるから話がおかしくなる」。

また、この国の芸能界は歴史的にヤクザと共にあったわけで、「その責任を、ここ数年で出てきたような若手芸人におっかぶせること自体に無理がある」。確かに世間の過剰反応も度を越していたが、それを煽ることで利益を上げていたのがマスコミだった。

一方、著者は芸人に対しても釘を刺す。お笑いに唯一求められているのは「客を笑わせること」であり、「そのためには何をするべきか、すべきではないか」を考えて行動する。それが「芸人の作法」につながると言うのだ。自分が芸人という名のヤクザ者であり半端者であるからこその作法。そんな意識が渦中の芸人たちにあったら、事態は変わっていたかもしれない。

著者は「所詮はたかがお笑いの男の戯れ言だから」と韜晦するが、そんなことはない。業界における位置を考えると、本書での発言は貴重だ。主観と客観のバランスが絶妙で、何より一流の語り芸になっている。

(週刊新潮 2020年1月23日号)


【書評した本】 『5人目の旅人たち―「水曜どうでしょう」と藩士コミュニティの研究』

2020年01月04日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

あの伝説的ローカル番組 

ヒットの秘密は”共感の共有”


広田すみれ

5人目の旅人たち―「水曜どうでしょう」と藩士コミュニティの研究』

慶應義塾大学出版会/1760円

 

北海道テレビが制作するバラエティ番組『水曜どうでしょう』。ローカルでの放送が始まったのは1996年のことだ。出演の大泉洋と鈴井貴之は当時、道内では知られていても全国的にはまだ無名だった。

やがて番組は、「無茶な旅」という鉱脈を見つける。様々な行先が書かれたサイコロを振り、何が何でもその通りに実行する姿がおかしく、口コミなどでファンが増えていく。後には国内だけでなく、「原付ベトナム縦断1800キロ」といった壮大な企画にも挑戦していった。

この番組の特徴は、出演者2人とディレクター2人の計4人だけでロケを敢行することだ。カメラもディレクターが回している。姿は映っていなくても常にスタッフの声が入り、笑ったり、怒ったりするのも番組名物だ。レギュラー放送が終了したのは2002年。その間に各地のテレビ局に番組販売が行われ、全国区の知名度を持つバラエティとなった。

本書は、気鋭の社会心理学者が「ファンはなぜこの番組にのめり込むのか」を探った異色の研究書である。まず著者が注目するのは、早い段階でのDVD化やネット動画を通じて、繰り返し視聴を可能にしたことだ。また番組掲示板の活用により、ファンの間の「共感」を維持してきた。

さらに、著者はこの番組が持つ「身体性」を指摘する。まるで4人と一緒に旅をしているような、一種のバーチャル感を生み出す映像と音声。特に時間にしばられずに臨場感を高める編集を施したDVDは、通常のテレビ番組とは違う「体験」型の映像コンテンツとなった。

今回の研究は、全国のファン(藩士と呼ばれる)の中に、この番組を「癒し」と感じる人が多いと知ったことがきっかけだった。特に東日本大震災の被災者を精神的に支えるアイテムとなっていた。視聴者同士の間に生まれた共感の共有。それはまさに現在のソーシャルメディアでの「共有」の先駆けだったのだ。

週刊新潮 2019.11.21号)


<2019年12月の書評>

2019年12月30日 | 書評した本たち

 

 

<2019年12月の書評>

 

チャールズ・M・シュルツ、谷川俊太郎:訳

『完全版ピーナツ全集15』

河出書房新社 3080円

これは快挙だ。チャーリー・ブラウンとスヌーピーと仲間たちの日常を描く世界的人気漫画は、1984年に掲載紙が2000に達し、ギネスブックに認定された。その50年分が全25巻の大型版全集になったのだ。収録は初出順。もちろん谷川俊太郎の個人全訳である。(2019.10.30発行)

 

渡邉義浩『はじめての三国志』

ちくまプリマー新書

今、何度目かの「三国志」ブームだ。その中心にあるのはゲームだが、原典に興味を持つ人にとって本書は格好の入門書だ。一般的に劉備や諸葛亮(孔明)などが人気者だが、著者は時代を切り開いたという意味で魏の曹操に注目する。新たな「三国志」像の登場だ。(2019.11.10発行)

 

稲泉 連『宇宙から帰ってきた日本人』

文藝春秋 1815円

毛利衛や山崎直子など12人の日本人宇宙飛行士が語る。夜の明るさで二分される朝鮮半島に「国境」を見た秋山豊寛。船外活動で「底のない闇」を実感した星出彰彦。そして帰還時の「重力体験」に驚いた向井千秋。多様で個性的な言葉に満ちたインタビュー集だ。(2019.11.15発行)

 

赤坂憲雄『ナウシカ考~風の谷の黙示録

岩波書店 2420円

宮崎駿のマンガ版『風の谷のナウシカ』。それは「思想の書として読まれるべきテクスト」だと著者は言う。風の谷は「国家に抗する社会」であり、ナウシカは「母なるもの」の肯定と否定を背負う。宮崎をドストフスキーと並べて論じることにも挑戦した野心作だ。(2019.11.21発行)

 

西尾実ほか:編『岩波 国語辞典 第八版』

岩波書店 3300円

通称「いわこく」、10年ぶりの最新版だ。削除された古い語は200項目。「ダイバーシティ(多様性)」や「eスポーツ」など2200項目が加えられた。ただし「十分に定着」と判断できる新語に絞っており、その慎重な姿勢が好ましい。新しい年を新しい辞書で。(2019.11.22発行)

 

向田邦子『向田邦子の本棚』

河出書房新社 1980円

今年は向田邦子の生誕90年に当たる。本書は住居に遺された蔵書を通して、そ軌跡と人となりをたどる冊だ。吉行淳之介や野呂邦暢の作品。夏目漱石やバルザックの全集。そして大好きな食をめぐる本。天性の書き手は一流の読み手でもあったことを実感する。(2019.11.30発行)

 

武田百合子『武田百合子対談集』

中央公論新社 1870円

単行本未収録を含む、初の対談集である。深沢七郎を相手に武田泰淳の日常を語り、吉行淳之介と共に西鶴『好色五人女』を通して男と女の機微を探る。さらに著者を「野生の牝馬にして陽気な未亡人」と呼ぶ、金井久美子・美恵子姉妹との本音鼎談も一読の価値あり。(2019.11.25発行)

 

泉 麻人『1964』

三賢社 1650円

本書はオリンピックイヤーとなった、怒涛の1964(昭和39)年を回想したものだ。アイドルだった舟木一夫。相撲の大鵬と柏戸。「エイトマン」や「狼少年ケン」のシール。「忍者部隊月光」の活躍。そして迎えた10月10日の開会式、東京は見事な晴天だった。(2019.12.10発行)

 

成瀬政博『表紙絵を描きながら、とりあえず。』

白水社 2420円

20年以上も『週刊新潮』の表紙絵を描き続けている画家の自伝的エッセイ集だ。養子に行った実兄、横尾忠則のこと。「どう生きていったらええんや」と言っていた晩年の父。そして大阪から移り住んだ信州安曇野での生活。絵はいかにして生まれてくるのか。(2019.12.10発行)

 

 


【書評した本】 森繁久彌 『道―自伝』

2019年12月28日 | 書評した本たち

 

 


週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

すこぶる付きの名文家でもあった

名優「森繁久彌」の自伝集 

 

森繁久彌

『道―自伝 全著作(森繁久彌/コレクション1)』 

藤原書店/3080円

 

俳優の森繁久彌が亡くなったのは2009年11月。96歳だった。ある世代以上の人には、それぞれの「モリシゲ体験」があるのではないか。

1950~60年代の東宝映画『社長』シリーズ。1967年から20年近くも続いた舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』。向田邦子も脚本を書いたドラマ『だいこんの花』を挙げる人もいるだろう。

いや、著名人の葬儀で、「本来なら私が先に逝くべきなのに」と弔辞を読む姿を思い浮かべる人もいるはずだ。

ただ、森繁が名優であることは知っていても、すこぶる付きの名文家だったことを知らない人は多い。

その意味で、今回の全5巻におよぶ「コレクション」の刊行は僥倖かもしれない。何しろ第1弾は森繁の文名を高めた『森繁自伝』や『私の履歴書―さすらいの唄』を収めた「自伝」集だ。

この2作を読めば、森繁久彌という「特異なキャラクター」がどうやって出来上がったのかが、よくわかる。しかもそのプロセスは、「小説より奇なり」という常套句そのままに波瀾万丈なのだ。

大正2年の生まれ。関西実業界の大立者だった父親を2歳で亡くす。旧制・北野中学に入学するが、一気に不良化。早稲田第一高等学院に転じて早大へと進む。学業半ばで飛び込んだのが東宝新劇団だ。

やがてNHKのアナウンサーとなり、満州の新京中央放送局へ。それが昭和14年、26歳の時だった。敗戦時の混乱と悲惨を満州で体験する。

本書で注目したいのは、随所に見られる独特の人生哲学だ。「昨日の朝顔は、今日は咲かない」と過ぎたことには拘らない。

俳優の仕事もまた「瞬間を生きるもので、それらは網膜に残影を残して終りである」と覚悟して臨んでいる。今を生きることに全力を注ぐ姿勢は、人気俳優となってからも一貫していた。

自伝の面白さは書かれていることだけではない。行間に漂う歴史の闇を想像するのも本書の醍醐味だ。

週刊新潮 2019.12.19号)


【書評した本】 佐高 信 『いま、なぜ魯迅か』

2019年12月24日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

「いまこそ魯迅」という著者の闘争継続宣言

佐高 信『いま、なぜ魯迅か』

集英社新書/880円

 

佐高信『いま、なぜ魯迅か』は、今年74歳になる著者の思想的自叙伝である。自身の「思想の源郷」というべき魯迅。その魯迅に影響を受け、そして著者に影響を与えてきた人々の「思想と行動」を振り返っていく。

いや、逆かもしれない。著者の血や肉となってきた彼らが、それぞれに魯迅と繋がっていることを再検証したのが本書だ。

登場するのは中野重治、久野収、竹内好、むのたけじなど。魯迅と重なるのは「批判と抵抗の哲学」であり、それは著者の拠って立つところでもある。

たとえば久野は、「(魯迅には)文学や言論の役目を深く信じ、(中略)ある段階へ行くと政治的影響力に転化する、という気魄がある」と語っている。

また、むのが書いた「行く先が明るいから行くのか。行く先が暗くて困難であるなら、行くのはよすのか。よしたらいいじゃないか」という厳しい言葉。まるで魯迅が憑依したようだ。

さらに本書では魯迅とニーチェの類似性にも注目する。「腐敗した秩序をも維持させてしまう通俗道徳に爆薬をしかけたこと」で共通していると著者。

確かに「およそ身振りを必要とする者は、贋物である……あらゆる絵画的人間を警戒せよ!」といったニーチェの箴言は魯迅を思わせる。同時に現在の日本社会をも連想させる普遍性がある。

書名の「いま、なぜ魯迅か」は、「いまこそ魯迅なのだ」の意味であり、「批判をし抜く人」としての闘争継続宣言だ。

(週刊新潮 2019.12.12号)

 


【書評した本】 倉谷滋 『怪獣生物学入門』

2019年12月21日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

シン・ゴジラの乱杭歯の秘密とは?

倉谷滋『怪獣生物学入門』

インターナショナル新書/968円

 

1960年代は「怪獣」の全盛期だ。東宝の『ゴジラ』シリーズが毎年のように公開され、テレビの『ウルトラQ』や『ウルトラマン』が人気を集めていた。

当時、怪獣に関する知識を提供してくれたのが「怪獣博士」こと大伴昌司だ。雑誌に掲載された「怪獣図解」は、怪獣たちの身長や体重といったデータから体内の構造までを明らかにする画期的なものだった。大伴の解説が持つ独特の世界観とリアリティが怪獣ファンを魅了したのだ。

そんな「大伴の生徒たち」にとって、倉谷滋『怪獣生物学入門』は手に取らずにいられない一冊だ。とはいえ、そこには一種の警戒感もある。「形態進化生物学者」の著者によって、怪獣がアカデミズムの立場から検証され、存在自体を否定されたら辛い。怪獣がフィクションであることを承知で楽しんでいるからだ。

しかし、それは杞憂だった。本書は、「もしそれが本当に起こったなら」を前提に、科学的事実や法則という側面から怪獣を捉え直す試みである。

もともとゴジラはどこに棲んでいたのか。宇宙怪獣キングギドラはなぜ地球の脊椎動物と類縁性を持つのか。マタンゴになることは感染なのか。「ウルトラ怪獣」のジラースが持つエリマキの構造と機能とは。さらに、『シン・ゴジラ』のゴジラが見せた乱杭歯(らんぐいば)は何を意味するのか。

こうした設問に答えていく著者の筆致は喜びに満ちている。科学者であると同時に、年季の入った無類の怪獣好きでもあったのだ。

(週刊新潮 2019.11.14号)


【書評した本】 『山田宏一映画インタビュー集』

2019年12月03日 | 書評した本たち

 

 

ベテラン映画評論家が聞く 

世界の映画人の貴重な証言 


山田宏一:著『山田宏一映画インタビュー集 

       ~映画はこうしてつくられる』

草思社 3960円

 

是枝裕和監督の『真実』が公開された。主演はカトリーヌ・ドヌーヴ、共演がジュリエット・ビノシュ。そんな作品を日本人監督がフランスで撮る。すごい時代になったものだ。

本書は今年81歳になる映画評論家による、世界の映画人へのインタビュー集だ。さすがに是枝監督は登場しないが、映画史を築いてきた面々が自身と映画を率直に語っている。たとえば、「ジャズと映画はわたしの二大情熱」だというルイ・マル監督。画期的だった、『死刑台のエレベーター』でのマイルス・デイヴィス起用について、「対位法的に音楽を使うこと、つまりイメージと対立しながら調和がとれている音楽」を目指した結果だと振り返る。

また、フランスからアメリカへと移ったのは、なんと『プリティ・ベビー』が撮りたかったからだった。しかも、「わたしの思いどおりの作品にはならなかった」と本音を明かす。同時に、アメリカ映画産業のシステムは「企画から何から、すべてが金になるか、ならないかで決まる」と一種の絶望感も隠さない。

女優陣では、『めまい』などで知られるキム・ノヴァクの話が印象的だ。「ハリウッドのスター・システムによってつくられたセックス・シンボルにすぎない」と決めつけられたこと。そういう目で見る監督には「自分を与え、作品に加担することなど、とてもできない」こと。一方、ヒッチコック監督は役づくりについて、「あなたがこの役をつくるんだ。あなたにしかできない役だ」と鼓舞してくれたと感謝する。演じる側から見た監督たちの生態と、それぞれ異なる現場の様子が目に浮かぶ。

他にも、監督ではクロード・ルルーシュやジャン=リュック・ゴダール、俳優のジャン=ポール・ベルモンドやシャルル・アズナヴールなどが並ぶ豪華キャストだ。著者の知識や見識、そして映画と映画人へのリスペクトのなせる業ともいうべき、貴重な証言の数々がここにある。

週刊新潮 2019.10.24号)


<2019年11月の書評>

2019年11月30日 | 書評した本たち

 

 

<2019年11月の書評>

 

松本一弥

『ディープフェイクと闘う~「スロージャーナリズム」の時代』

朝日新聞出版 1760円

スロージャーナリズムとは、「ゆったりした時間軸の中で問題を深く掘り下げてく」報道を指す。それがフェイクの時代への対抗策だと著者は言う。なぜヘイト表現が横行するのか。なぜ大統領の「つぶやき」が世界を翻弄するのか。メディア不信を押し返す論考だ。(2019.09.30発行)

 

原 武史『「松本清張」で読む昭和史』

NHK出版新書

今年生誕110年を迎える松本清張。その作品をテキストとして、「昭和史」を解読していくのが本書だ。占領期の闇に迫る『日本の黒い霧』。格差社会を背景とした『点と線』。そして高度経済成長の暗部を描く『砂の器』。歴史家、思想家としての清張が甦る。(2019.10.10発行)

 

丸々もとお、丸田あつし『日本夜景遺産 15周年記念版』

河出書房新社 2860円

夜景評論家と夜景フォトグラファーによる究極の「夜景大全」だ。自然夜景、施設型夜景、ライトアップ景など多彩な美しさを堪能できる。香港やモナコと並ぶ「世界新三大夜景」の長崎・稲佐山も、「アゲハチョウの夜景」青森・釜臥山も陶然とする眺めだ。(2019.10.30発行)

 

田中 聡『電源防衛戦争~電力をめぐる戦後史』

亜紀書房 1980円

いまだ全貌が見えない関西電力のスキャンダル。そもそも電力はいつから「利権ビジネス」となったのか。発電所から左翼勢力を排除した田中清玄。原子力発電を強行する正力松太郎と中曽根康弘。権力、金、暴力が支配する驚きの内幕は、電力版「黒い報告書」だ。(2019.10.07発行)

 

カル・ニューポート:著、池田真紀子:訳

『デジタル・ミニマリスト~本当に大切なことに集中する』

早川書房

「一億総スマホ中毒」の時代。便利な道具を使うのではなく、道具に使われているのではないか。行為依存と疲労感。特にSNSには「より大事なこと」から注意をそらす力があると著者は言う。本書は、テクノロジーを活用しながら主体性を失わないためのヒントだ。(2019.10.15発行)

 

小谷野敦『哲学嫌い~ポストモダンのインチキ』

秀和システム 1650円

突然乱入して斬りまくる、小谷野流〝道場破り〟の一冊だ。今回の相手は哲学。それは学問ではなく、文学ではなく、宗教でも精神分析でもないと容赦ない。しかし、取り上げられた古今東西の文献の「読み方」は独自で興味深く、哲学講談として大いに楽しめる。(2019.10.15発行)

 

小須田 健『哲学の解剖図鑑』

エクスナレッジ 1760円

神社、お寺、戦争などを、絵とコンパクトな文章で解説してきたシリーズの最新刊。男と女、自由、幸福、正義などについて、古今東西の哲学者たちがいかに考えてきたのかを展望できる。カントもヘーゲルもフーコーも、どこか親しげに感じられる異色の哲学入門書だ。(2019.10.07発行)

 

山森宙史『「コミックス」のメディア史』

青土社 2640円

電子コミックスの売り上げが、紙のコミックスのそれを上回ったのは2年前だ。そもそもコミックスは書籍なのか雑誌なのか。また読み物なのか商品なのか。さらに受け手の経験としては読書なのか消費なのか。モノとしての戦後マンガの歴史と実相が見えてくる。(2019.10.23発行)

 

青柳英治、長谷川昭子『専門図書館探訪』

勉誠出版 2200円

専門図書館は、特定の分野について知りたい人の駆け込み寺だ。野球殿堂博物館、神戸ファッション美術館、日本カメラ博物館、日本海事センターなど様々な施設が、ユニーク資料や情報を一般公開している。知られざる〝宝の山〟にアクセスするための必携ガイド本。(2019.10.25発行)

 

町田哲也『家族をさがす旅~息子がたどる父の青春』

岩波書店 2310円

現役証券マンにして作家でもある著者。父の緊急入院によって異母兄の存在を知った。かつて映画界にいたことを手掛かりに、父のき日の足跡をたどり始める。交差する病状と探査行。理屈ではなく自分に繋がる父。家族とは何かを問う、異色のノンフィクションだ。(2019.10.24発行)

 

田尻久子『橙書店にて』

晶文社 1815円

著者は熊本市にある書店の店主だ。小ぶりな店だが、渡辺京二は常連客だし、村上春樹の朗読会も開かれる。何より「みょうなか本ばっかり置いとるけん、つぶれんごつ買わんといかん」と立ち寄る町の人たちが素敵だ。優しい時間が流れる本屋から生まれたエッセイ集。(2019.11.10発行)

 

内田樹、平川克美『沈黙する知性』

夜間飛行 1980円

小学校以来60年のつき合いが続く2人の最新対話集だ。社会、知性、自由、グローバルといった話題が展開されるが、村上春樹と吉本隆明をめぐる話が特に熱い。「ありえた世界」を想像させる村上。知識人と大衆の中間にいた吉本。身体性が共通するキーワードだ。(2019.11.11発行)

 


【書評した本】 西垣 通、河島茂生『AI倫理』

2019年11月02日 | 書評した本たち

 

 

人間とAIの関係を根本から問う警世の書


西垣 通、河島茂生

『AI倫理~人工知能は「責任」をとれるのか』

中公新書ラクレ 929円

 

18歳で運転免許を取った頃、クルマのギアはマニュアルだった。その後、オートマが当たり前になったが、今でも時々、シフトレバーを握る左手がむずむずする。

最近はEV(電気自動車)もたくさん見かけるようになった。11万キロ走ってきたガソリン車から、「クルマも家電の時代ですか」と横目で眺めているうちに、今度は「自動運転」だそうだ。

確かにテレビでも、ドライバーがハンドルから手を離して走るCMが繰り返し流され、メーカーは「近い現実」としてのアピールに余念がない。まさにAI(人工知能)サマサマだ。

しかし、素朴な疑問がある。万一、自動運転車が事故を起こしたら、責任は誰がとるのだろう。ドライバーは乗っているだけで、運転していない。だからと言って免責なのか。ならば自動車メーカーや販売店が背負うのか。それともAIが責任をとってくれるのか。

いや、それは無理だ。そもそもAIが人間に代わってクルマを運転するなら、そこで生じるはずの責任、また倫理や道徳の問題を無視することは出来ない。だが、AIをめぐる技術開発の根底にあるべき倫理については、きちんと論じられないままだと著者は言う。

西垣通、河島茂生『AI倫理』では、「AI倫理とは何か」に始まり、近代社会における倫理思想の流れ、AIロボットと人格、生物と機械の差異など、緻密な考察が重ねられていく。自動運転の例も含め、これからの人間とAIの関係を根本から問う警世の書だ。

(週刊新潮 2019年10月17日菊見月増大号)

 

 

AI倫理-人工知能は「責任」をとれるのか (中公新書ラクレ (667))
西垣 通,河島 茂生
中央公論新社

 


書評した本:『日本SF誕生~空想と科学の作家たち』

2019年10月04日 | 書評した本たち

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

いわば「文学運動」でもあった

日本SFが根を下ろすまでの回想記

 

豊田有恒

『日本SF誕生~空想と科学の作家たち』

勉誠出版 1944円

 

早川書房が『SFマガジン』を創刊したのは1959年だ。60年代初頭は日本SFの草創期にあたる。著者をはじめ当時の書き手たちは、米国の作品に導かれて新たなジャンルに足を踏み入れ、やがて独自の世界を構築していった。本書はその「苦闘と、哀愁と、歓喜の交友」の物語であり、「日本SFが根を下ろすまで」の貴重な回想記である。

約60年前、SFはどんな位置にあったのか。著者が、『夕ばえ作戦』などで知られる作家、光瀬龍の言葉を紹介している。曰く「SFは、二つの偏見の狭間(はざ ま)にある」と。それは「くだらないもの」と「難しいもの」というネガティブな評価だった。SFは、それまでにないものを生み出し広めていく、いわば「文学運動」でもあったのだ。

SFでは食べられなかった頃の作家たちを支えたものの一つが、当時誕生したテレビアニメだった。63年、著者は『エイトマン』で「アニメのオリジナル脚本家の第一号」となり、『鉄腕アトム』にも参加した。65年の『スーパージェッター』には、著者の他に筒井康隆や『ねらわれた学園』などの眉村卓も名を連ねている。SFは「活字と映像の垣根がないメディア」というのが著者の持論であり、アニメとの深い関係は、後の『宇宙戦艦ヤマト』まで続いた。

また本書で注目したいのは、登場するのが作家だけではないことだ。たとえば、『SFマガジン』の鬼編集長といわれた福島正実。当時のSFはプロとアマチュアの境界が曖昧で、福島はプロを熱望していた。著者も厳しいダメ出しを受けることで成長していった。福島以外にも、SFがマイナーだった時代に応援してくれた編集者たちの逸話が披露されている。いずれも陰の功労者だ。

著者は本書を「遺言」と呼んでいる。少年時代に「ジュブナイル(青少年向け)SF」を愛読していた者としては、SFの歴史を次代に伝えてくれたことに感謝したい。

(週刊新潮 2019.09.26号)