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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

丸谷才一の日本語相談

2018-04-14 18:16:54 | 丸谷才一
丸谷才一 1995年 朝日文芸文庫版
ちょっと前に、気になって、中古で買った文庫。
「日本語相談」というのは、週刊朝日で、読者からの質問に四人の執筆者が答えるというコーナーがあったそうで。
今もあるのか知らないけど、こういうのはおもしろいし、ためになるので、ぜひどこかで誰かが続けてほしいものだ。
読者からの質問というのは、たとえば、「黄色以外の声の色は?」とか、「『ど根性』『ど真ん中』のドは何か?」とか、「入試や芝居はなぜ『水もの』なのか」とか、もちろん日本語に関するもの。
ふるくからの言い回しに関してもあるし、最近の言葉づかいは乱れてないかみたいなのもあるし、これはネタだろみたいなのもあるようにみえる。
私が期待してたのは、べつのエッセイにちょっと触れられていた、「士」と「師」の違いは何か、だったんだけど、それへの答えは収録されてなかった。
全67編の質問と回答が載っているんだけど、一読したなかでいちばんおもしろい日本語論だと思ったのは、どうして現代短歌には枕詞が使われないのかというもの。
万葉から平安王朝といった古い時代の和歌は、呪術と社交という性格をもっていたけど、明治に正岡子規が革命を起こした結果、西洋文学ふうの詩のような短歌がつくられるようになり、三十一音は同じだけど中味はまったくちがうものになった、そのとき枕詞は捨てられたんだという。
うーむ。文学史はこういうことを教えるべきだよね。
ちょっと前に島田雅彦の文学史を読んだときに、政治家とか官僚とかの言葉の使いようが悪いって批判があったんだけど、時代は違えどやっぱ同じように作家からみると、そういう政治の世界の言葉はおかしいって映ってたようで、
>わたしが言ひたいのは、婉曲法が悪いといふことではない。お互ひに意味がよくわかつてゐるのではない婉曲法はいけない、と言つてゐるのです。(p.197「お互いに満足しない「痛惜の念」」)
なんて指摘があちこちにある。
この言い方はおかしいみたいな読者の投稿に対して、賛成するときは、あなたの言語感覚は正しい、といったような答え方をする。
そして、言語感覚をよくするには、すぐれた文学作品を読めとすすめる。
>普通、文学の効用は、おもしろい話を聞かせてもらふとか、為になる知識を得るとか、そんな方面だけが強調されてゐますが、言葉の最高の使ひ方を見物するといふ楽しさもあるのです。(p.31「「魚でいい」のと「魚がいい」」)
みたいなこと言われると、やっぱ島田雅彦の書いてたこと思い出して、文学は実用的な人文科学なんだと意を強くする。
あと、巻末にほかの回答者である井上ひさし、大岡信、大野晋との座談会が収録されて、主たるテーマは恋と和歌のはずなんだけど、なかで丸谷才一が、
>昔の日本人と接触した中国人は、日本人の頑固さにあきれていたと思うんです。中国文化を少しは受け入れていながら、まったく中国文化の大事なところは受け入れていない。何という野蛮、頑固、わがままな国民であろうかとあきれはてる。そのあきれ方は、いまアメリカ人が日本人に対してあきれているのとおなじくらい、あるいはそれ以上だったのじゃないでしょうか。
って言ってるところがあって、どうでもいいけど、これに関しては、ホリイ氏の『愛と狂瀾のメリークリスマス』で、日本人は西洋文化を理解して受け入れたふりをするけど本質的なものは持ちこませようとはしない、ってのを読んだ後だったってこともあって、やっぱずーっとそうだったんだと思った次第。
コメント
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