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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

浮かれ三亀松

2017-11-23 17:29:28 | 読んだ本
吉川潮 2000年 新潮社
春風亭柳朝一代記の『江戸前の男』を読んで、すぐだったか、古本市で見かけて、思わず買ってしまった本。
柳家三亀松ってひと、知らないんだけどね、私は。
なになに、明治34年生まれで、昭和43年に亡くなった、そりゃあ知らないわ。
それを読んでみようかという気にしちゃうのが、著者へというか前掲書への絶大な信頼であって。
芸人だっていうのは想像できたけど、噺家なんかぢゃなかった、都々逸とか、さのさとか、三味線弾いて歌う、なんていうの音曲師でいいのかな。
ちなみに都々逸の発祥は寛政年間の尾張熱田だっていうのは、本書読んではじめて知った。
おかめという娼妓が二十六文字の唄の後に「ドドイツドイドイ、浮き世はサクサク」という文句をつけたんだと。
で、それはいいとして、この主人公も、やっぱ江戸っ子なのね、木場のあたりの生まれ。
子どものころから、川並っていうんだ、あの川の上で木材に乗って走り回れるような、仕事について。
自然と聞きおぼえた唄なんか歌うと、声がいいもんだから、まわりにホメられて、いつしか芸人になりたいと思うようになって。
ひょんな縁から幇間になったんだが、嫌な客とケンカしたのはまだしも、禁止事項である芸者と恋仲になったことで、やめる。
その後、流しの三味線コンビをやるようになったんだが、関東大震災の翌年に寄席に出るデビューを飾る。
しかし、なんだね、江戸っ子の話はいつ読んでも気持ちがいいねえ。
>要領がよくてテキパキしているのを江戸言葉で「小取り回しが良い」という。
>江戸っ子は「小」を好み「大」を嫌う。小ざっぱりした髪形に小ぎれいな服装をして、小腹がすくと小体な小料理屋の小座敷へ陣取る。日々食するのは鰯や沙魚といった小振りな魚である。(略)
そして、正面切ったい粋よりも、何気ない「小粋」を良しとした。(p.16)
って万事がその調子なのがかっこいい。
三亀松は、芸の世界に入っても、「人一倍の見栄っ張りで、芸人仲間や客の手前、格好をつけたいだけのために大金を使う(p.233)」んで、宵越しの銭なんてもたない気前のいいタイプ。
売れっ子の後輩にポンと高価なオーバーコートとかカメラとか買ってやって、「その代わり俺のことを『アニさん』と呼べよ」とか言ってる。それで、みんなの前でそう呼ばれて、満足してたりする。
まあ、そんなんだから、晩年には美空ひばりから「お父さん」とか石原裕次郎から「おやじさん」とか呼ばれたらしい、それってすごいな。
それはそうと、たいそう女性にもてたらしく、数々の浮名を流したんだが、最大の逸話は、結婚したときに別れ話のついてない愛人が五人残っていて、それを披露宴の途中で抜け出して、切れてくれと回ったってやつだろう。
思い立ったらすぐに行動に移るのがすごいとこだが、主役の新郎がいなくなっちまって、帰ってきたのは四日目の朝だったっていう話。
結婚してからは浮気はしないようにしてたけど、芸人仲間に奢っちゃうのはあいかわらずだから、その年の大晦日には掛け取りが押し寄せたっていうが、ホントにあるんだそんなこと、落語のなかだけかと思った。
なんぼ稼いでも使っちゃうんだけど、芸はたしかだし、そのキャラは相当人気があったそうで。
東京でデビューしたものの、すぐに関西の吉本に引き抜かれる(吉本って昔っからあったのね)んだが、当時の吉本の女社長は、挨拶で顔を合わせただけで、「あの男には客がころっといかれる愛嬌が備わっとる。特にご婦人の客がな。わての目に狂いはあらへん。(p.92)」と言ったそうな。
戦時中におぼえたヒロポンのせいで、晩年はだいぶ心身が不健康になったらしいが、中毒から抜けて回復したら、やっぱとことん粋だったんで、すごいエピソードとして、銀座のキャバレーでの遊びぶりを見て、吉行淳之介が遊蕩指南の弟子入り志願をしたという。
コメント
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