旅の恥はかきすてです

旅行が好きです。
いままで行った国は41、都市は160以上。
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そんな旅行を書いていきます。

La La La LAOS

2014-09-03 | 2014年08月 ラオス旅行

2014年8月28日~2014年9月2日の6日間(実質的には4日間)夏休みでラオスに行ってきました。
チケットを予約したのはずいぶん前。
そろそろ夏休みの予約をとネットでチケット見てたら、ベトナム航空のアジアが爆安だった!
サーチャージなしだと、2万代だったかな?
そのベトナム航空で行けるところで、一番行きたかったのがラオスだった。
特にラオスに行きたい!ということで計画した旅行ではないです。

サーチャージなど全部混みで5万5千円。
帰りのトランジットで小耳にはさんだ日本人の話だと、4万代もあったらしい。
まあ、タイに行ったらしかったが。

あまりの爆安ぶりに先にチケット予約してしまい、はてさて,ラオスのどこに行こう?と。
ベトナム航空は世界遺産のルアンババーンにも飛んでいるらしく、初めはルアンババーン往復でネットでお願いしました。
でも、ルアンババーンから日帰りで観光できる所はなく、ヴィエンチャンでも観光しようと,ヴィエンチャンIN-ルアンババーンOUTにしてもらいました。

最近私がいつも航空券を購入しているサイトは、enaツアーというところ。
ここは取り扱っている航空会社も多いし値段も安い,ネットでお願いした後でも電話で相談できます。
そして、電話の対応も◎。
お勧めです。

そして、ヴィエンチャンからルアンババーンへは国内線をネットで予約しました。
ラオス航空の代理店が日本にあるらしく、日本語で予約ができます。
しかし、これがまた痛かった。
片道で12000円です!
高い!
55000円の国際線に対して、12000円の国内線です。
トホホ。。。

ラオスの足 ツゥクツゥク

ラオスは2007年の年末旅行で行った国。約7年前。
そのころはVISAがいらなくなったからか、旅行者人気No1の国だった。
ルアンババーンはクリスマス休暇だと思われる西欧人であふれかえっており、町も見学施設も混んでいて、落ち着きがなかった。
町の目抜き道りには食堂というよりオープンテラスのカフェがたくさんあり、西洋からの観光客目当てで西洋料理を提供していた。
目抜き道りのカフェには地元の人はだれも入っておらず、旅行者だけしかいなかった。
まるで、テーマパークのようだった。

今回もちょっとはそう思ったけど、前ほど旅行者で混んではいなかった。
カフェの様子は相変わらずで、外国人しかいないようだが、7年前と比べていくぶん装飾などは落ち着いていた。

7年前は、なかなか宿が予約できなくてイライラした。
ルアンババーンにはその頃から多くのゲストハウスがあったのに。
ネットでルアンババーンの宿の予約を申し込んだけど、何回違う宿をお願いいてもFullという回答だった。
その頃は、ネットに部屋の空き状況は出ておらず、申し込んでから回答を待つ予約方法だった。
仕方ないから、地球の歩き方に載っていた「サトリ・ハウス」という宿にメールで直接頼んだらOKの回答があった。
今年度の地球の歩き方にも載っていたが、高級ホテルの分類で3万ぐらいするようだ。
7年前も1万近くはしたと思う。
あまりの高さに悩んだが、そこしか空きを見つけられなかったし、昔の邸宅を改装したホテルという事にもひかれたので、サトリ・ハウスを予約した。
今でもアジアで1万以上のホテルなんて、高くて泊まれないです。

サトリ・ハウスは昔の邸宅の雰囲気を残す建物と、共用ルームにはアンティークな調度品が飾られていて、素敵だった。
でもプライベートルームは広くなく、真ん中に天街付きの大きなベットがあり、バスタブは赤だったかな?タイルは緑だったかな?
そんな感じのなかなか奇抜なデザインで、高かったせいか,がっかりした記憶がある。
もっと安くて素敵なホテルはいっぱいあるのに、と。
今回ラオスにしたのは、この時のリベンジという事もあった。

今回は時間があった事もあり、懐かしさもあったのでサトリハウスの前に行ってみた。
朝の7時半過ぎぐらいかな?
前は道路沿いのお庭で朝食をとった。
しかし、お客はおろか従業員の姿もなかった。
だれも泊まってないのかな?あの値段じゃ、難しいかも。

その時は宿難民であふれていた。
ようするに、予約なしで来たけど宿の空きがなくて、宿を求めてさまよう旅人がたくさんいた。
一人の日本人の女の子と話したが、彼女は通常の3倍ぐらいの値段で泊まっているとのことだった。
まあ、予約しておいてよかったかも、とも思った。

こうして、過去きた所に再度訪れるのもなかなかよいかもしれない。
ずっとその国にいたり、時々訪れていると、その違いはそれほど顕著には感じないのかもしれないが、7年も開くとその違いは顕著である。

ヴィエンチャンでは、インターシティ・ブディックホテルという川沿いのホテルに泊まった。
前も同じホテルだった。
その時はお客が少なかったのか、大サービスでスイートに泊まらせてくれた。
スイートは角部屋で、両面に大きな窓があり、窓からメコン川に落ちる夕焼けを眺めた。
このホテルの紹介写真によく出ている部屋だ。
部屋からみるメコン川の風景はすばらしかった。
今回も淡い期待は抱いていたが、そんな幸運には恵まれなかった。
普通の部屋。

なぜ今回もここにしたと言うと、値段が安いのはもとより、川沿いの屋台で食べたご飯が忘れられなかったから。
川沿いに広げたござの上で、ラープーと鍋みたいなラオス料理を食べた。
そのラープの辛かった事,辛かった事。そして、すっごく美味しかった。
店のおじさんの優しい笑顔も忘れられなかった。
今でもタイ料理屋でたまにラープを頼むことがある。
私のラープの基準はその時に食べた味で、それを超えるラープにはお目にかかった事はない。
今回の旅行でも食べたが、足元にも及ばなかった。
私が日本一美味しいと思ってるタイ料理屋の自由が丘のクルンサイアムはなかなか美味しいが、やはりその時の味には劣る。


前はなかったコンクリートタイルの遊歩道

しかし、川沿いに屋台はなかった。
砂だった川沿いには、川よりかなり高いコンクリートタイルの遊歩道ができていた。
たぶん、雨での洪水を防ぐために作ったんだろう。
そして、その上には夜市でたくさんの雑貨なんかを売る屋台がならんでいた。
かっかり。。
あの食べ物屋台はどこに行ってしまったんだろう?
遊歩道には、韓国とラオスの国旗の看板が建っていた。
ラオスという国は、援助してくれた国はこういう風に看板に国旗を書いてくれる。
日本の国旗もちらほら見た。
さんざん援助だけさせて、非難しかしない某国々とは大違い。

町はやはり7年前より洗練されていた。
建物は新しくきれいになり、全く同じ店もあったが、ワインレストランなんかのきれいな高級レストランもできていた。

ルアンババーンでは、サトリ・ハウスの前の道は砂道で、町の大人と子供が仕事をしたりして、行きかう様子があった。
しかし、道路はコンクリートで舗装されて、民家はゲストハウスに変わっていて、人の姿はあまりなかった。

こんふうに、町は変わっていく。
ベトナムもそうだが、東南アジア圏は経済発展が著しい今日、その違いは顕著ではっきりとわかる。
私としては残念だ。
いつまでも素朴な人々と町でいてほしい。

でも、それは旅人のわがままなのかもしれない。

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