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若き私が見抜けずにいたこと・・・・・

2011-07-20 00:49:48 | 日記
人が如何に生きるべきか・・・

ヒントはあちらこちらで見かけても答えは自分で探すしかない。

人は何をするために生まれてきて、そして生きているのか・・・

既存の伝統的な宗教はその明確な答えを決して教えてはくれない。
が、探すための手がかりはそれとなく示される場合が多い。

だが、新興宗教ならその答えを教えてくれる。
・・・が、しかーし!

本来自分で生涯をかけて見出すべき生きることの意義を簡単に示されると言うのは、十中八九それがまがい物であることを示している。
物質論と人間の英知にすがる傾向の強い今般において、若い人がカルトに引っ掛りやすくなったのも古来の宗教的倫理観が薄れて唯物的な思考が教育を支配する現在においては必然性を帯びているのかもしれない。もちろん、そうなった背景に既存の宗教の腐敗という問題が根源にあり、仏教・キリスト教を問わず特権階級である僧侶の愚行の数々がそうした事象を誘発させていることは否めない。



時に大人と子供の境界線上にいる学生と言えば、大学生であろう。

大学に合格したら、そのうちのどこかに入学手続きを行うわけであるが、それを待ち構えるようにどこの建物のどの扉から入ればいいかを親切に教えてくれる学生さんに出くわす人もいよう。
そのこと自体は今でもありがたく思うわけであるが、そこで帰ろうにも「ほんの少しだけでいいから話を聞いて」と言って一室に閉じ込め、「もし貴方が明日死ぬとしたら?」「何故人は生きるのか」と迫り、「人生の意義を共に考える」と称するサークル活動に強引な勧誘を行い、首を縦に振らなきゃ出してくれない環境下で新入生は入部を余儀なくされる。

ちなみに私は文科系の硬派サークルというのが結構好きではある。

実際のところ、高校を出て程なく社会経験のほとんど無い未成年を無理矢理勧誘して洗脳して、卒業する頃には「入部は多少強引な勧誘だったかもしれないが、もう大人で自分の意志で残っている」と仕立て上げる算段であろう。

こうして私は信仰宗教団体が哲学や人生論というオブラートで実態を包み込んだダミーサークルに入ってしまったのである。

さて、入った後の私はどうなったか?

続きは次のエントリーで・・・


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