鎌倉市議会議員 納所てるつぐブログ

日々の議員活動でのできごとや思ったことをつづっています。

いまさらなんだ!

2006年10月05日 | Weblog
 北海道滝川市内の小学校で自殺した女子児童(当時小6)が遺書で「いじめ」を訴えていたことを滝川市教育委員会が伏せていた問題で、滝川市長、教育長らが遺族宅を訪れ謝罪したことをニュース映像で見ました。

 滝川市長は、応対した遺族に対して「いじめの把握、対応に不十分さがありました。お子さんの苦しみ、家族の心中をないがしろにしてしまい、心からおわび申し上げます」と謝罪していました。

 教育長や小学校校長も「ごめんなさい、すいません」と児童の遺影に謝罪しながら焼香していました。

 謝罪後に滝川市役所で行われた記者会見で教育委員会は「遺書の内容から総合的に判断して、いじめが原因だったと考えられる」との最終見解を発表しました。
 教育長は冒頭、「遺書内容の公表について慎重を期す余り、児童の遺族への配慮が欠けていたことをおわびしたい」と謝罪しました。

 しかし滝川市教育委員会は2日の記者会見で「原因は現時点で特定できない」として、いじめの存在を認めないとの従来の見解を繰り返しいました。

 自殺を図った児童が遺書で「いじめ」を訴えていたことを伏せてきたことについては「慎重に扱ってきたためで、隠すつもりはなかった」などと釈明しています。
 さらにいじめについては「原因とは特定できない」などと説明しました。

 しかしなくなった児童が教室では計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかっています。
 その児童は意識不明のまま今年1月入院先の病院で亡くなりました。
 遺書は学校とクラス、母親と同居の親族、友人3人にそれぞれあてられていたそうです。
 
 母親が「学校側は事実をうやむやにしている。いじめを認めてほしい」と訴えても、滝川市教委の千葉潤指導室長は「(遺書にある)無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。手紙(彼はこれを『遺書』とは認めていなかった!)の中身自体は学級でよくあること。原因は今も調査中だ」と取り合っていませんでした。

 でも遺書の内容はこうです。

「学校のみんなへ
 この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
 私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から『キモイ』と言われてとてもつらくなりました。
 6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。
 でもこわくてできませんでした。
 でも今私はけっしんしました。

6年生のみんなへ
 みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。」

 態度や言葉によるいじめは目に見えない傷を被害者に残します。遺書の中身からいじめがあったのは明らかではないですか。
 この遺書はクラス全体に抗議する意味があったのだと思います。

 それでも滝川市教委は、かたくなにこの内容を公表しませんでした。

 この問題で、伊吹文明文部科学相は3日の閣議後会見で、
「子供が訴えていたことを公表せずに握りつぶすことはあってはならない」と述べ、遺書の公表を遅らせた滝川市教委の姿勢を批判しています。

 伊吹大臣はさらに「幼い子供の動揺を出来るだけ早く見抜いて、家庭あるいは学校現場がしっかりと対応してもらわないといけない。そのためにも、(遺書を)握りつぶすのはあってはならないことだ」と繰り返しました。

 全国から抗議の電話やメールが滝川市や市教委に殺到しました。

 そのせいでしょうか。
 今日、滝川市長、教育長らが遺族宅を訪れ謝罪しました。

 いまさらなんだ!
 自分たちが、昨年以来ずっと「いじめ」と認めなかったものを、たった数日で認めるのか。
 それまで認めなかった根拠はどう崩れたんだ。
 
 彼らが、児童の霊前で流した涙は何の涙だ!
 悲しみの涙か!世論に屈した悔し涙か!

 何の説明もなく、態度を一変させた大人たち・・・
 やりきれない思いが残ります。

第6回公明党神奈川県本部大会

2006年10月05日 | Weblog
昨日、横浜市内で第6回公明党神奈川県本部大会があり、県内120名の代議員が出席して行われました。

承認案件の提出議案の趣旨説明、承認の後、代表選出があり、上田勇代表(衆議院神奈川6区選出)が再選されました。

県本部幹事長の交代があり、横浜市南区選出の仁田昌寿(にったまさとし)市議が新たに幹事長に就任しました。(この方は私が若いときお世話になったちょっと怖い存在です!)

また夏の国会見学の時にお世話になった谷口和史衆議院議員(総務政務官)が県の副代表に就任しました。(おめでとうございます!)


中田宏横浜市長および石渡徳一鎌倉市長(お心遣いに感謝です!)からのメッセージ紹介の後、党本部より、先日選出されたばかりの太田昭宏新代表が出席され、挨拶がありました。

太田代表は、公明党支持者、支援団体の文字通り献身的な支援の恩を忘れることがあってはならないと強調されました。

まさしくその通りで、私の選挙のときも、まるで我が事のように必死になって応援してくださった支持者の恩を忘れることはできません。

「庶民の気持ちのわかる政党や政治家はいないのか」との獅子吼に応えて、公明系無所属議員が国政選挙に進出して今年で50年目を迎えます。
この半世紀、変わらぬ姿勢で応援し続けてくれた名も無き庶民の支援者のおかげで、いまの公明党があります。

そして私も一庶民として、その使命を全うしていきたいとの決意を新たにしました。

休憩の後、人事紹介があり、我が鎌倉市議会の藤田紀子議員が県本部副幹事長に再任されました。(いつも気さくでやさしい藤田議員ですが、実は県本部の中ではかなり偉い人なんだなと改めて認識しました。いつも生意気言ってすいません!)

議決案件の提出議案の説明と、それに対する採決のあと、党大会で採択された新宣言が読み上げがあり、また統一地方選挙候補への公認証書授与と候補の決意が披露されました。

間近に迫った神奈川16区補欠選挙での自民党亀井善太郎氏の大勝利を勝ち取り、それをばねにして明年の統一地方選挙、それに続く参議院選挙(とくに神奈川選挙区松あきらさん)を大勝利しようとの勝どきを上げて、県本部大会は盛会のうちに終了しました。