北海道滝川市内の小学校で自殺した女子児童(当時小6)が遺書で「いじめ」を訴えていたことを滝川市教育委員会が伏せていた問題で、滝川市長、教育長らが遺族宅を訪れ謝罪したことをニュース映像で見ました。
滝川市長は、応対した遺族に対して「いじめの把握、対応に不十分さがありました。お子さんの苦しみ、家族の心中をないがしろにしてしまい、心からおわび申し上げます」と謝罪していました。
教育長や小学校校長も「ごめんなさい、すいません」と児童の遺影に謝罪しながら焼香していました。
謝罪後に滝川市役所で行われた記者会見で教育委員会は「遺書の内容から総合的に判断して、いじめが原因だったと考えられる」との最終見解を発表しました。
教育長は冒頭、「遺書内容の公表について慎重を期す余り、児童の遺族への配慮が欠けていたことをおわびしたい」と謝罪しました。
しかし滝川市教育委員会は2日の記者会見で「原因は現時点で特定できない」として、いじめの存在を認めないとの従来の見解を繰り返しいました。
自殺を図った児童が遺書で「いじめ」を訴えていたことを伏せてきたことについては「慎重に扱ってきたためで、隠すつもりはなかった」などと釈明しています。
さらにいじめについては「原因とは特定できない」などと説明しました。
しかしなくなった児童が教室では計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかっています。
その児童は意識不明のまま今年1月入院先の病院で亡くなりました。
遺書は学校とクラス、母親と同居の親族、友人3人にそれぞれあてられていたそうです。
母親が「学校側は事実をうやむやにしている。いじめを認めてほしい」と訴えても、滝川市教委の千葉潤指導室長は「(遺書にある)無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。手紙(彼はこれを『遺書』とは認めていなかった!)の中身自体は学級でよくあること。原因は今も調査中だ」と取り合っていませんでした。
でも遺書の内容はこうです。
「学校のみんなへ
この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から『キモイ』と言われてとてもつらくなりました。
6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。
でもこわくてできませんでした。
でも今私はけっしんしました。
6年生のみんなへ
みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。」
態度や言葉によるいじめは目に見えない傷を被害者に残します。遺書の中身からいじめがあったのは明らかではないですか。
この遺書はクラス全体に抗議する意味があったのだと思います。
それでも滝川市教委は、かたくなにこの内容を公表しませんでした。
この問題で、伊吹文明文部科学相は3日の閣議後会見で、
「子供が訴えていたことを公表せずに握りつぶすことはあってはならない」と述べ、遺書の公表を遅らせた滝川市教委の姿勢を批判しています。
伊吹大臣はさらに「幼い子供の動揺を出来るだけ早く見抜いて、家庭あるいは学校現場がしっかりと対応してもらわないといけない。そのためにも、(遺書を)握りつぶすのはあってはならないことだ」と繰り返しました。
全国から抗議の電話やメールが滝川市や市教委に殺到しました。
そのせいでしょうか。
今日、滝川市長、教育長らが遺族宅を訪れ謝罪しました。
いまさらなんだ!
自分たちが、昨年以来ずっと「いじめ」と認めなかったものを、たった数日で認めるのか。
それまで認めなかった根拠はどう崩れたんだ。
彼らが、児童の霊前で流した涙は何の涙だ!
悲しみの涙か!世論に屈した悔し涙か!
何の説明もなく、態度を一変させた大人たち・・・
やりきれない思いが残ります。
滝川市長は、応対した遺族に対して「いじめの把握、対応に不十分さがありました。お子さんの苦しみ、家族の心中をないがしろにしてしまい、心からおわび申し上げます」と謝罪していました。
教育長や小学校校長も「ごめんなさい、すいません」と児童の遺影に謝罪しながら焼香していました。
謝罪後に滝川市役所で行われた記者会見で教育委員会は「遺書の内容から総合的に判断して、いじめが原因だったと考えられる」との最終見解を発表しました。
教育長は冒頭、「遺書内容の公表について慎重を期す余り、児童の遺族への配慮が欠けていたことをおわびしたい」と謝罪しました。
しかし滝川市教育委員会は2日の記者会見で「原因は現時点で特定できない」として、いじめの存在を認めないとの従来の見解を繰り返しいました。
自殺を図った児童が遺書で「いじめ」を訴えていたことを伏せてきたことについては「慎重に扱ってきたためで、隠すつもりはなかった」などと釈明しています。
さらにいじめについては「原因とは特定できない」などと説明しました。
しかしなくなった児童が教室では計7通の遺書が教壇の上に置いてあるのが見つかっています。
その児童は意識不明のまま今年1月入院先の病院で亡くなりました。
遺書は学校とクラス、母親と同居の親族、友人3人にそれぞれあてられていたそうです。
母親が「学校側は事実をうやむやにしている。いじめを認めてほしい」と訴えても、滝川市教委の千葉潤指導室長は「(遺書にある)無視が即、陰湿ないじめに結びつくとは思わない。手紙(彼はこれを『遺書』とは認めていなかった!)の中身自体は学級でよくあること。原因は今も調査中だ」と取り合っていませんでした。
でも遺書の内容はこうです。
「学校のみんなへ
この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から『キモイ』と言われてとてもつらくなりました。
6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。
でもこわくてできませんでした。
でも今私はけっしんしました。
6年生のみんなへ
みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました。」
態度や言葉によるいじめは目に見えない傷を被害者に残します。遺書の中身からいじめがあったのは明らかではないですか。
この遺書はクラス全体に抗議する意味があったのだと思います。
それでも滝川市教委は、かたくなにこの内容を公表しませんでした。
この問題で、伊吹文明文部科学相は3日の閣議後会見で、
「子供が訴えていたことを公表せずに握りつぶすことはあってはならない」と述べ、遺書の公表を遅らせた滝川市教委の姿勢を批判しています。
伊吹大臣はさらに「幼い子供の動揺を出来るだけ早く見抜いて、家庭あるいは学校現場がしっかりと対応してもらわないといけない。そのためにも、(遺書を)握りつぶすのはあってはならないことだ」と繰り返しました。
全国から抗議の電話やメールが滝川市や市教委に殺到しました。
そのせいでしょうか。
今日、滝川市長、教育長らが遺族宅を訪れ謝罪しました。
いまさらなんだ!
自分たちが、昨年以来ずっと「いじめ」と認めなかったものを、たった数日で認めるのか。
それまで認めなかった根拠はどう崩れたんだ。
彼らが、児童の霊前で流した涙は何の涙だ!
悲しみの涙か!世論に屈した悔し涙か!
何の説明もなく、態度を一変させた大人たち・・・
やりきれない思いが残ります。