怪人クンのムフフ日記

ムフフ、ムフフ、時々オヨヨの〝怪人クンワールド〟炸裂!
あの大物も、この人も。愉快な仲間続々登場!

「格」を譲ったG馬場と、譲らないA猪木

2006年01月18日 | Weblog
<1月17日(火)>

夜はTVドラマを2本見た。21時からは「NS‘(ナース)あおい」(石原さとみ主演)と22時からの刑事もの「アンフェア」(篠原涼子主演)。いずれもフジテレビ。現在、怪人クンにしては珍しくドラマを3本も見ている。残りの1本は「夜王~yaoh~」(金曜22時・TBS)TOKIOの松岡昌宏が主演。ホストの物語だ。唐沢寿明主演の「小早川伸木の恋」(木曜22時・フジテレビ゛)も初回は見たが、こりゃ暗そうだ。やめよう。
この日、ほかにしたことといえば読書。それ以外は何もない。のんびりするのもいいだろう。“祭り”の前の温存時間というわけだ。今週は水曜日と土曜日に予定が入っている。“ネコの足跡”のMUROちゃんを“怪人クンワールド”に初めて招待する。もう一つ異色の顔合わせが実現する。御前崎のセメント父ちゃん、しょっぱいMC、怪人クンの“静岡一揆塾”メンバーにDr.トドーが加わるのだ。この組み合わせ、ブログがなかったら実現していないだろう。
「ブログ最大の魅力は出会いにあり!」とターザン山本!さんがおっしゃったことがあるが、まさにそのとおりだ。そういえば、月曜日にセメント父ちゃんはメールでこんなテーマを課してきた。(カエルたちよ、ぬるま湯から出よ!)というもの。ただの飲み会で終わりそうもない。野郎が4人。どんな展開になるのか?今から楽しみである。

日記は以上だ。ここからはちょっとコラムっぽくなる。「格」ということについて怪人クンなりのことを書いてみたい。
政界では総理大臣が頂点に君臨。続いて官房長官など各担当大臣がいる。一般企業も同様だ。ここにもいろんな役職、肩書きがある。トップには会長や社長がいて、その下には副社長、専務、常務、部長、課長、係長、平社員と続く。「格」というものがハッキリと存在しているのだ。
ところがだ。ある瞬間から「格」は覆る。職種や掟(定款)によっては任期というものがある。自動的に変動する場合もあるし、そうでない場合もある。実力主義による政権交代ということだ。

マット界に目を向けてみよう。この世界も「格」を重んじる社会である。中でもプロレス界はターザンさんに言わせれば“格そのものだ!”となる。
現在のマット界にはリング上の“絶対君主”が存在しない。だから株価変動ならぬ、“格価変動”が当たり前のように起こるのだ。政権交代は日常茶飯事の出来事。きのうまでベルトを巻いていた王者が、きょうはパートナー(現王者)より格下扱い、なんてことも当たり前なのだ。どんぐりの背比べである。これがこの業界をダメにした1つの原因でもある。主役がコロコロ代わることは、見るものを混乱させる。興行においても締まりをなくす。柱のない家は崩れるのだ。
プロレス界の絶対君主を挙げるなら、この3人以外にない。“プロレスの父”力道山(故人)。“世界の巨人”ジャイアント馬場(故人)。“燃える闘魂“アントニオ猪木。ほかは絶対君主でも何でもない。長州力も初代タイガーマスク・佐山聡(サトル)も前田日明も大仁田厚も、そこまでにはなってない。絶対とはその業界君主を指す。彼らは残念ながら団体君主止まりである。この業界に限らず巷で“カリスマ”ということばが氾濫しているが、世間はその使い方を間違っている。レベルが違いすぎるのだ。

怪人クンは力道山を見て育っていない。それほどの知識もない。だからこの人については今もこの先も語れない。
ここからは馬場と猪木で話を進める。この2人、どちらもワンマンだった。何も言わせなかった。しかしだ。その生き様、違いはハッキリしていた。
猪木さんとは現在もこれからもお会いする機会があるが馬場さんは違う。怪人クンは生前の馬場さんに実際会ったことはないから、あくまでTVやマスコミ報道から得た“ジャイアント馬場像”のイメージで書いていることをあらかじめ断っておきたい。

馬場さんは絶対君主といっても、どこかマイルドな部分を持っていた人のように思う。とくに晩年の馬場さんは“時代”に合わせる人だった。これなんかまさにそうだ。
ある日の試合。弟子であるジャンボ鶴田(故人)とタッグを組み強敵外国人レスラーチームと対決した時のこと。花道こそ後を歩いたものの、入場テーマ曲も鶴田のもので入ってきた。リング上でコールされる順番も鶴田より先だったのだ。この世界では格下が先を歩き、先にされるのが常。当時、チャンピオンベルトを巻いていたのは鶴田だ。この意味からすると鶴田が“格上”となる。しかしだ。力道山の時代からそうであるように、師匠は絶対なのだ。けれども馬場さんは“鶴田という時代”に合わせた。それまでの常識、「格」を度外視したのだ。

一方、猪木さんはというと…。まずありえない話である。絶対それはしない。
こちらも一番弟子の藤波辰巳(現・辰爾)とタッグを組んでの試合。時にベルトは藤波の腰にあった。だとしても猪木さんはそれをさせなかった。チャンピオンに花道を先導させ自身はその後ろを歩いてくる。場内には耳をつんざく“イノキ・コール”の大合唱と『♪INOKI BOM-YE』のテーマが鳴り響いている。馬場さんとはまったく逆をいく。「人間・猪木」に触れてみたら納得すると思うが、猪木さんにそれを望むこと自体ナンセンスなことだと解る。なぜならこの人は常に時代の遥か先を走っているからだ。極端な言い方をすると、試合中もリング上にいながら現代にいない、と言ったほうがいいのかもしれない。これは猪木さんが逃げているということじゃない。この人、立ち止まることをしないからこちらが辿り着いた時にはすでにそこにいないのだ。猪木さんには“時代”など関係ないのである。
80年代に巻き起こったあの有名な“逆下克上発言”。「オレを超えてみろ!首をカッ切ってみろ!」と追いすがる弟子たちに言っておきながら、そこにいないのだから“猪木時代”は永久不滅なのである。猪木はとっくに終わったという声もあるが、今もどっこい続いている。
猪木さんて追いかけようがないんだもん。誰も“猪木超え”できないのも納得だ(笑)。馬場さんはどんな時でも“現代”にいた。だから弟子にも“時代”を譲った。ニーズにも合わせたのだ。
「格」を譲った馬場さんと、引退後も永遠に譲らない猪木さん。真逆だ。そういうことだから、猪木さんと馬場さんはやっぱり交わるはずがないのだ。
うん、怪人クンなりに“二人が交わらない謎”が解けたような気がしてきたぞ。


※次に読むのはこの2冊(写真)。林真理子著『アッコちゃんの時代』が先か?はたまた重松清著『流星ワゴン』が先か?さてどっち?