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ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

日銀の非独立性

2008-03-19 18:02:17 | 政治
19日の朝日新聞日刊によると、福田首相は、日銀総裁人事について、「金融・財政の連携」が不可欠で、「金融・財政の分離」という方の、気持ちが分からないと、記者団に語ったそうである。

しかし、彼が提示する人事案は、「財務省と連携する日銀」ではなく、「財務省の言いなり日銀」である。

「連携」は、「言いなり」からは生まれない。

例えば、チベット自治政府は、中国中央政府と、ぴったり共同歩調を取るが、それを指して、チベットは、中国と「連携」しているとは、誰も言わない。一方、アメリカと、英国は、間違いなく「連携」している。

真の「連携」は、「分離」と「独立」が根底にあってこそ、初めて、実現可能である。

ただ、「財務省の言いなり首相」には、理解不能かもしれない。



18日夜のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」で、コメンテーターとして呼ばれた、ある経済専門家が、面白いことを指摘していた。

家計における、金利による収支が、1997年までは、ずっと黒字だったのに、その年以降、現在に至るまで、赤字を続けているという。これは、95年に、公定歩合が0.5%に引き下げられ、超低金利時代に入ったことが、大きく影響している。

預貯金などからの利息が、ゼロに近い一方、住宅ローンなどの支払い金利があるため、その収支が、年間20兆円程度の赤字を生んでいるそうだ。

単純計算で、一人あたり二十万円。かなりの額である。

そのコメンテーターによれば、この負担が、消費を冷え込ませている可能性があり、公定歩合を、少しづつでも上げていくことが、経済の活性化につながるとのこと。

鋭い指摘だと思う。

日銀は、超低金利と量的緩和を、未だに続行しているが、それらに、景気刺激効果があるのかどうか、疑問に思うことが多い。

むしろ、消費意欲を減退させ、景気の足を引っ張っているのではないか。家計の金利収支が、ここ10年間、赤字続きになっているグラフを見て、その思いを、いっそう強くした。

さらに、現在の物価高騰の背景に、これらの金融政策があるのではないか、という疑問もある。

目立った成長産業がなく、魅力的な金融商品もないなか、お金だけは、じゃぶじゃぶ、潤沢に、供給され続けている。行き場を失ったお金が、最終的に、石油や小麦などの市場に、巨大な投機マネーとなって流れ込み、未曾有の価格高騰を招いている可能性である。

だとすれば、日銀の超低金利と量的緩和が、二重三重に、消費を圧迫し、経済に悪影響を及ぼしていることになる。

超低金利や量的緩和について、議論すべき問題点は、数多くあるはずだ。しかし、この専門家のように、それを指摘するひとは、なぜか、非常に少ない。

勿論、今のような円高では、直ちに金利を上げるのは、議論の余地がある。また、サブプライム問題で、金融不安が起こりかけている時期に、量的緩和を打ち切るのも、難しいかもしれない。

しかし、公定歩合0.5%以下、毎月1.2兆円の国債買い入れ、という常識外れの金融政策が、何年間も続いているのに、見直し論を、ほとんど耳にしないのは、不可解である。



興味深いことに、この二つの金融政策は、政府の国債発行には、非常に都合良くできている。

量的緩和で、日銀は、毎月1.2兆円の国債を、銀行から買っている。

直接引き受けているわけではないが、金利動向に関わりなく、毎年、15兆円近くも、国債を買ってくれるお客がいるのは、政府にとって、有り難いことこの上ない。

しかも、このお客は、自分で、紙幣を作れるので、金に困ることがない。

政府は、安心して、国債発行を、続けていける。

加えて、超低金利政策下で、国債は、利回りの高い金融商品となっていて、金融機関は、銀行も、郵貯も、買い入れに積極的である。

国債発行には、理想的な環境だ。

従って、もし日銀が、超低金利と量的緩和を止めると、国債がだぶついて、金利上昇を招き、政府は、新規発行が厳しくなっていく。

その場合、現在のような、国債依存の財政運営が、破綻する可能性が高い。

政府・財務省にとって、見たくない未来である。



今回の日銀総裁人事で、福田首相は、執拗に、財務省の元事務次官を提示してくる。財務省の日銀コントロールへの下心が、背後にあるのは、間違いない。

しかし、超低金利と量的緩和の見直しを、一切行わない日銀は、すでに長い間、政府・財務省のコントロール下にあるようだ。

そもそも、日本銀行法は、1942年の戦時下に制定され、日銀の「非独立性」は、出発点から、非常に強いものがあった。実際、政府の戦費調達のため、普通国債の無制限な引き受けを行い、戦後の悪性インフレを引き起こしている。

その後、なんと、1997年の全面改正まで、同じ法律が、使われ続けた。

この改正により、日銀の独立性は、制度上は強化された。しかし、今の金融政策に見るように、政府優位の状態は変わらず、日銀の独立性は、絵に描いた餅のままである。大蔵・財務省が、立法権を支配する、与党である自民党に、強い影響力を保持していることが、最大の理由だろう。

従って、日銀の独立性など、歴史上、一度もなかったと言った方が、いいかもしれない。

日銀は、一刻も早く、その独立性を獲得して、財務省のための金融政策ではなく、日本経済全体、そして、世界経済を考えた金融政策を行うべきである。

もちろん、武藤氏や、田波氏のような、元事務次官が、総裁に就任したのでは、財務省寄りの金融政策が続くのは、間違いない。

財務省自身が、その人事に、こだわっていることが、すべてを物語っている。財務省の嫌がる政策を実行する人物を、財務省が、ここまで執拗に推したりはしない。

そして、その人事がまかり通った場合、超低金利や量的緩和の見直しが遅れ、国債発行は止まらず、財政赤字は、増え続けるだろう。

それが、明るい未来を招くとは、到底思えない。消費の停滞と景気の脆弱が、いつまでも続き、日本は、このまま、ずるずると沈没していくだけである。

バブル崩壊後、不良債権処理を先延ばしにし、国債の発行抑制に妥協を重ね、日本経済が、ずるずる落ちこんでいったのと、同じように。

財務省は、自らが座礁させた、日本という沈みゆく船に、自らの手で、とどめを刺すつもりらしい。

そうなる前に、国民が、財務省から、日銀を、取り上げなければならない。

それには、総選挙による政権交代が、一番の有効な手段である。
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「自民・財務省リスク」の解消を

2008-03-18 21:15:49 | 政治
政府は、18日、日銀総裁候補として、田波耕治・国際協力銀行総裁を、国会に提示した。

田波氏は、財務省事務次官経験者で、先に、参議院で不同意とされた、武藤氏と同じく、大蔵・財務省の中枢を歩いてきた、エリート官僚である。

民主党には、田波氏の過去の行動から、武藤氏以上に、この人事案への反発が強く、再び、不同意になる公算が強い。

副総裁候補の西村清彦・日銀審議委員に対しては、野党も一定の評価をしている。従って、19日の福井総裁任期切れ後、二人の副総裁は決まったものの、総裁不在でスタートするのが、必死の情勢である。

この責任は、福田・自民党と、財務省にある。

中央銀行トップの人事案提示は、任期切れの数ヶ月前に行うのが、先進国の常識だ。国民や市場に対して、次の金融政策を周知させる意味合いと、議会での紛糾・不同意の場合、トップ不在の事態を避けるためでもある。

しかし、福田首相が、国会に人事案を提示をしたのは、現総裁任期切れの、僅か11日前。常識外れの、直前提示だ。

市場や国民への周知という点で、急に過ぎる上に、今は、ねじれ国会である。国会で議論が長引く可能性は、十分に分かっていたはずだ。

あまりにも、無能な内閣と、言わざるを得ない。

政府与党には、「他国でも、事務次官経験者が、中央銀行トップに就任することはある。財務省出身者だから反対というのはおかしい」という主張がある。

しかし、欧米では、武藤氏や田波氏のように、大学卒業・入省以来、何十年も、財務省一筋で、事務次官になるケースはあまりない。さらに、そういう人物がいたとしても、中央銀行トップに推薦されることは、まずない。実際、総裁には、学者が就くことが多く、政府側の人間は、なるべく入れないよう、気を配っている。

ましてや、今の日本は、1100兆円を越える財政赤字にあえぐ、世界一の借金国である。この状態では、日銀の独立性は、他の国より、さらに厳密に守られるべきだ。

とくに、日銀の国債買い入れは、金利変動やデフレ・インフレの観点から、慎重に決定すべきであり、その年の財政赤字に左右されてはいけない。

財務省からすれば、国債の大口引受先であり、かつ、通貨供給量・公定歩合などの決定権を持つ、日銀への影響力を、何としてでも死守したいのだろう。

だが、「財政と金融の協調」という名の下に、政府の都合通りに、日銀を動かすという発想が、バブル経済や巨額の財政赤字など、日本を瀕死の重傷にまで追い込んでいる、さまざまな経済失政を生んできた面がある。

その張本人である、武藤氏や、田波氏を、財務省は、総裁候補に推している。しかも、現実に総裁の席に空白が生じ、日本の金融政策が身動き出来なくなっても、構わず、ごり押ししようとしている。まるで、彼ら以外には、金融の専門家が、一人もいないかのようだ。

結局のところ、財務官僚は、日本の財政や金融のことは、どうでもいいらしい。

「日本を自分たちの意のままに動かす」、「自分たちこそが、この国の、指導者である」。それさえ、維持できれば、国が破滅への行進を続けていても、さほど気にならないようだ。

省の権益しか考えない財務省。それを抑えるどころか、積極的に擁護する、福田首相と自民党。

まず財務官僚ありき。その番犬として、与党である自民党が存在。そして、彼らを守るために、国民が税金を払っている。

こういう国家を、民主国家とは呼ばない。

市場にとってだけでなく、日本という国にとって、「自民・財務省リスク」は、早急に解消しなければならない課題である。

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大蔵官僚の責任は、不問なのか

2008-03-17 18:08:19 | 政治
日銀総裁人事が迷走している。

一時は、黒田東彦・アジア開発銀行総裁と渡辺博史・国際金融情報センター顧問の名前が挙がっていた。両者とも、事務次官の経験はないが、財務官を務めた、大蔵・財務省のエリート官僚である。

しかし、最新のニュースによると、福井氏の総裁続投、武藤氏の副総裁留任を、民主に打診したそうである。

問題を先送りしただけの、歴史に残る愚案だ。

政府は、どうしても、財務省出身者を、日銀に残しておきたいようだ。恐らく、日銀総裁に空白が生じても、この方針だけは、譲るつもりはないのだろう。

無責任極まりない、政府与党の態度だが、財務省の立場から見れば、当然の動きでもある。

日本の国家財政は、通常の税収が、50兆円程度に対して、30兆円規模の新規国債と100兆円を越える借換国債を、毎年、発行している。そして、普通国債の残高は550兆円、政府発行証券などを含めた、すべての借金総額は、実に1100兆円を越えている。

もちろん、世界一の借金国である。

これは、年収250万円の家庭が、毎年、650万円を新たに借金して、そのうち500万円を借金返済に、150万円を家計の足しにしているが、まだ全部で5500万円の借金が、残っているのと同じである。もちろん、借金残高は、増え続けている。なんせ、今年だけでも、150万円の新規借金で、金利分もある。減るわけがない。

こんな無茶苦茶な財政運営が可能なのは、国債を買って、お金を貸してくれる、日銀という、強い味方が居るからである。

確かに、普通国債の日銀引き受けは、財政法で、「禁止」されている。しかし、さまざまな特例を積み重ねることで、近年、その「禁止」が形骸化しつつある。

とくに、日銀保有国債が、巨額になるにつれて、その償還が大きな問題になっているが、今のところ、日銀は、政府に、現金償還を急かさないので、事実上の借金引き受け状態が、出現しつつある。

その結果、財政の日銀依存が、加速している。

従って、政府にとって、今後の財政運営は、日銀が、国債引き受けや、その償還に関して、寛容な態度を取り続けるかどうかに掛かっている。

しかし、日銀は、何年間も、銀行預金が無意味なほどの超低金利を維持してきた。さらに、その上で、毎月1兆円以上、銀行から国債を買い続けるという、強力な量的緩和策を実施。国債引き受けだけでなく、ひたすら、じゃぶじゃぶ、お金を、流し続けてきた。

異様な金融政策である。

物価上昇が顕著になっている昨今、ここで、もし、インフレ抑制に前向きな日銀総裁が誕生した場合、その人物は、国債の引き受け・償還にも、厳しい態度を取る可能性が大きい。

そうなると、政府の財政運営は、全面的な見直しを迫られる。歳出は厳しくカットされ、歳入増のため、大型増税に踏み切るかもしれない。国民は、税負担が増える上に、あらゆる場面で、行政サービスの低下を経験するだろう。夕張市が、今経験しているより、さらに厳しい事態が、国家レベルで起こることになる。

これは、日本にとって、悪いとばかりは言えない方向である。借金を返す最良の方法は、一時的に生活を切りつめても、新たな借金をしないことだ。そして、早く始めれば、早く始めるほど、ダメージが少なくてすむ。

だが、財務省にとっては、気懸かりな点がある。破綻した銀行幹部の責任が問われるように、国民の目線が、大蔵・財務官僚の責任問題に集まるかもしれない。

年金問題で、はっきりしたように、実質的な損を被ると、国民は、容赦がない。

従って、財務省は、是が非でも、日銀に、国債を引き受けて貰わないと、大変に困る。短期の借り換えに応じなかったり、自分たちの出した国債額に、文句を付ける人物が、日銀総裁だと、大いに具合が悪い。

加えて、国家財政が逼迫しすぎて、景気対策で、ほとんど打つ手がない現在、財務省は、日銀の金融政策しか、頼るものがない。

日銀への影響力を失うということは、財務省が、財政運営でも、経済政策でも、今までのように、自分の意のままに振る舞うことが、出来なくなることを意味する。それは、明治以来、この省が持ち続けてきた、日本における主導的地位を、手放すことに等しい。

これらを回避する、一番の方法は、財務省OBを、日銀総裁、最低でも、副総裁にすることである。

しかし、日本の財政を、このような瀕死の状況に追いやったのは、自民党と、まさに、大蔵・財務省である。とくに、武藤氏や、黒田氏・渡辺氏のような、組織の中枢を歩いてきたエリート官僚の責任は、非常に重い。

彼らは、過去の財政運営の失敗、あるいは、金融政策の失敗について、その責任を問われるべき人間であって、これからの日本を背負うべき人物ではない。

ましてや、その失敗の尻ぬぐいをさせられている、中央銀行のトップに座るなど、「財金分離」の原則以前の問題で、考えられない人事だ。

新聞やテレビで、「財務省出身だからダメ、というのはおかしい」という意見を、よく耳にする。

では、逆に聞きたい。

大蔵・財務官僚は、この数十年間、何をやってきたのか?

そして、それは、日本という国に何をもたらしたのか?

この巨額な借金で、本当に苦しむのは、次の世代の若者である。しかし、それを作った張本人である大蔵・財務官僚は、今のところ、誰一人責任を問われそうにない。それどころか、日銀総裁にまで上り詰めそうな人物までいる。

そして、最後は、天下って、悠々自適な老後。

究極のモラルハザードだ。

3月16日付朝日新聞朝刊7面に、「武藤さんでだめですか」という題で、編集委員の西井泰之氏が、次のようなことを書いている。

****************************************
財務省時代、自民党幹部に「出入り禁止」を受けながら財政放蕩に抵抗し続け、「国債30兆円枠」の生みの親でもあったことを知る人は、単に武藤氏の出自にこだわった「財金分離」論に上滑りを感じたはずだ
****************************************

財務省という組織は、巨額の国債発行を推し進めたが、財務官僚である武藤氏は、国債削減に奔走していた。そういう主張である。

個々の官僚の責任を、組織全体の問題にすり替える、笑止千万な詭弁だ。「財政放蕩に抵抗を続けた」武藤氏は、その後も順調に出世を続け、事務次官にまで上り詰め、その間、どういうわけか、財政放蕩がやむ気配はなく、日本の借金は、止めどなく増え続け、現在では、1100兆円を突破している。

100%、武藤氏を含めた、財務官僚一人一人の責任である。

大手新聞の中心にいる人間ですら、大蔵・財務官僚を擁護する、おべっか記事しか書けない。多分、財務省に、取材させて貰えなくなるのを、怖れているのだろう。

大蔵・財務省が強大すぎて、評論家も、ジャーナリストも、学者も、財政・金融の世界に身を置いている人間は、ほとんどが、武藤氏のような、エリート官僚を批判できない。

これこそが、一番の問題かも知れない。
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児童ポルノ単純所持禁止は本当に必要か?

2008-03-15 21:52:43 | 政治
児童ポルノの単純所持を禁止する法改正が、自民党内で、本格的に検討されている。現在の提供、販売目的所持の禁止から、さらに踏み込んだ措置で、罰則も付けるという。

サイトからダウンロードする側、つまりユーザーへの処罰を設けることで、市場規模を縮小して、児童ポルノの撲滅をはかることが狙いである。

しかし、児童ポルノとはいえ、文書の単純所持禁止は、一歩間違えると、悪用されて、市民の権利が不当に侵害される危険性をはらんでいる。

例えば、家宅捜索などで、パソコンの中味を調べて、児童ポルノが発見されたとき、本来の容疑とは全く関係ないのに、単純所持違反による別件逮捕という事例が、多発するかもしれない。

これは、冤罪の温床になる、危険がある。

とくに、昨今の、警察・検察による冤罪事件を見ていると、当局が、児童ポルノをねつ造して、紛れ込ませることも、あながち、絵空事とも言えない。

従って、そういった危険を冒してまで、単純所持禁止を導入するならば、はっきりとした効果が期待できることを、自民党は、示さなければならない。

読売新聞のオンラインニュースによると、神奈川県警は、今年に入って、児童ポルノの動画配信業者を逮捕したが、立件を断念したという。サーバーを米国に置いていたため、違法画像の収集など、十分な捜査が出来なかったのが、その理由である。

アメリカの捜査当局と緊密に連絡を取り合えば、立件の可能性はあったが、すぐには捜査協力を得られないので、断念したとのこと。

このケースでは、仮に、単純所持禁止違反を使えたとしても、業者の立件が不可能という点は同じで、それでは、何にもならない。

政府がまず着手すべきは、児童ポルノ摘発のための、国際ネットワークを作って、警察が、他国の警察と、迅速に共同捜査ができる環境を整えることである。

それこそが、もっとも有効な策だ。

さらに、摘発に成功して、子供への性的虐待を、立件できたとしても、それを裁く刑法が、手緩すぎる点も、大きな問題である。

今の日本では、中学生の少女が、在日米軍兵士に暴行されても、それを、大人の場合と同じ、親告罪でしか裁けない。幼児への暴力も、大人への暴力と同じ法律が、適用されるだけで、子供だからといって、特別扱いされるわけではない。

子供の権利が守られているとは、到底言えない司法状況である。

子供への暴力を、特に厳しく罰する法律を作る。これは、すぐに検討を始めるべき課題だ。

マスコミは、毎日のように、子供の虐待事件を報じている。その多くは、加害者が、親や、教師など、ごく身近な人物で、子供の心に残る傷跡は、計り知れないものがある。

しかも、表に出てくるものは、ごく少数で、身近な人間でも、気が付かないほど秘密のうちに、虐待が常態化している場合が、ほとんどである可能性が高い。とくに、性的虐待の場合は、その傾向が顕著であるのは、想像に難くない。

しかし、こういった事態を前にしても、自民党政府は、刑法改正など、子供を守るための法改正については、本質的には、ほとんど何もしてこなかったと言っていい。

子供への性的虐待を撲滅するために、はっきりと有効な方策があるのに、それらを議論せず、児童ポルノの単純所持禁止という、効果が不明な上に、危険性だけは明確な法改正に邁進するというのは、不思議な光景である。

さらに、マンガやアニメなども、制作自体を、違法化しようという動きがあるらしい。

一般的に、「検閲」と呼ばれる法的措置である。

これは、戦後日本が、営々と築いてきた言論の自由を、どぶに捨てるようなものだ。加えて、「有害」マンガ、「有害」アニメがなくなれば、子供への性的虐待がなくなる。そう考えるのは、戦争ゲームさえなくせば、この世から戦争がなくなるという発想と同じである。

本当に、子供への虐待をなくしたいのか、それとも、反対しづらいテーマに絡めて、言論の自由への規制手段を、政府が、ポケットに入れておきたいのか。国民は、単純所持禁止の議論を、注意深く、冷静に、見守る必要がある。

言論の自由が制限され、別件逮捕が横行し、冤罪が多発する、その一方で、子供への虐待は、一向に減らない。そういう社会だけは、まっぴらごめんだ。
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日銀総裁人事の再考は当然だ

2008-03-12 06:42:39 | 政治
政府与党が提案した次期日銀総裁の人事案が、民主党を中心とする野党の反対で、参議院で否決される見通しである。

候補である武藤敏郎氏が、大蔵・財務省の元事務次官であり、日銀の独立性を担保出来ないというのが、その理由である。

もっともな主張だ。

武藤氏は、1966年に入省以来、2003年の退官まで、実に40年ちかく、大蔵・財務省に勤務して、事務方トップにまで上り詰めた人物である。鳩山幹事長の言うように、まさに、「大蔵省そのもの」だ。

こういう人間が、総裁として、日銀の独立性を守っていくと発言しても、それを真に受けるひとは、まずいない。実際、日銀総裁は、日銀出身者と、大蔵省出身者が、交互に務めており、今回は、政府の意向を反映させるための人事であるのは、間違いない。

武藤氏は、事務次官を最後に、財務省を退官し、そのまま、日銀副総裁となり、現在までその職にある。五年間、日銀のために働いたのだから、財務省とは、縁が切れているという詭弁を弄する向きもある。しかし、そもそも、財務事務次官が、日銀副総裁に横滑りしていること自体が、考えられない人事だ。

その人物を、さらに総裁に昇格させるというのだから、日銀の独立性を考えれば、「あり得ない人事案」と、言えるだろう。

これまでの日銀の金融政策、とくに超低金利政策は、経済界の要請に耳を傾けすぎると言う点で、あまりにも政府・自民党寄りだった。その結果、物価の安定や、貯蓄の便益など、日銀が目を配るべき、重要な視点を、あからさまに欠いてきた。

従って、人事案への民主党の反対は、日銀の金融政策を、よりバランスの取れたものにするという点からも、意味がある。

与党は、武藤氏昇格案の再提示を、示唆しているが、非常識な国会運営だ。武藤氏昇格案を撤回して、野党が同意できる人事案を出すしかない。それが、憲政の常道である。

もし、「党首会談」など、姑息な手段を使ってでも、武藤氏を認めさせ、是が非でも、「財務省ポスト」を確保するというのであれば、自民党は、政党というより、財務省の「番犬」に過ぎない存在と批判されても、仕方ない。

先の国政選挙で、自民公明の与党は惨敗し、その結果、参議院での優位を失ってしまった。これは、今までのやり方ではダメだ、という国民の意思表示である。

いつまでも、同じことを繰り返していては、自民公明は、衆議院での優位も、なくすだろう。

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石破大臣の責任は重い

2008-02-24 14:49:14 | 政治
イージス艦「あたご」が、マグロ漁船清徳丸と衝突した事件。漁船団乗組員の証言が明確であるのに対して、防衛省側の説明に、不可解な点が多く、真相が見えてこない。

各漁船の動きから、「あたご」に、回避義務があったことは、はっきりしてきた。しかし、なぜ、「あたご」が、一切、舵を切らず、自動操縦で直進を続けたのか、その理由が分からない。

「あたご」の見張り員が、漁船の存在に気付きながら、「緊急性を感じなかった」ため、報告を怠ったとも言われている。

だが、漁船を確認した見張り員が、それを上に報告しないというのは、ちょっと考えられない。緊急性があるかないか、判断するのは、艦橋にいる人間の仕事であって、見張り員のすることではない。それは、訓練で、叩き込まれているはずだ。

実際、元海上自衛官で、見張り員の経験のある人物が、自分の判断で、情報を上にあげないなど、あり得ない、とテレビで証言していた。頷ける話である。

だが、仮に報告をしなかったとしても、「あたご」には、立派な航行用レーダーが備わっており、それにレーダー員が張り付いている。また、艦橋は、非常に高い位置にあって、遠くまで見晴らすことが出来る。

つまり、見張り員以外に、二重三重の「目」を持って、海上を見ていたはずで、誰も、漁船に気づかないというのは、むしろ不可能である。

従って、問題は、別のところにある。

自動操縦を手動に切り換えたり、衝突回避のために減速したり、舵を切ったり、そういう命令を下す人物は、誰だったのか、そして、その人物は、なぜ、それらを怠り、漫然と航行を続けたのか。それが一番の問題だ。

防衛省の記者会見を聞いていると、見張り員の話は、やたら出てくるが、責任者である、当直士官や、艦長については、さっぱり、情報が出てこない。

国民が、不信を募らせているのは、まさに、この点だ。

つまり、防衛省は、そういったエリートをかばおうとして、情報操作しているのではないか。万一、当直士官が、持ち場である艦橋に居なかった、あるいは、航行の危険水域に入っているのに、艦長が寝ていた、とすれば、重大な怠慢である。

だからこそ、当直士官や艦長について、当時の居場所、行動、指示内容を、明らかにしなければならないが、今もって、何も分からない。

この責任は、石破大臣にある。

トップが指導力を発揮しなければ、防衛省からは、エリート幹部について、都合の悪い情報は、絶対に出てこない。せいぜい、一番下の見張り員が、詰め腹を切らされるだけである。

石破氏は、当時、「あたご」の中で、艦長や当直士官は、何をしていたのか、国民に説明するよう、命じなければならない。巨額の税金で購入したイージス艦が、その納税者を、二人も死なせている。防衛省の、近視眼的な組織防衛は、国民が許さないだろう。

海上幕僚長は、事故直後の会見で、イージス艦搭載のレーダーは、小さな漁船だと、映らないこともある、と発言している。

真っ赤な嘘である。

この手の小賢しい嘘が、海上自衛隊のトップから出てくるのは、石破大臣が、事実を正確に伝えるよう、部下に徹底しないからだ。軍事技術の専門家であるべき制服組のトップが、技術情報をねじ曲げて国民に伝える。この発言だけで、海幕長は、更迭に値するが、大臣からは、お咎めなしである。

亡くなった方の遺族が、石破氏に、こう言ったそうである。

「辞めるなら、真相を明らかにしてから、辞めて欲しい」

真相を明らかにする力がないのなら、石破大臣は、今すぐ、辞めるべきである。

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高速を作ってる場合じゃない

2008-02-20 19:27:17 | 政治
宮崎県の財政状況は、相当に厳しいようだ。

5500億円程度の予算規模で、自主財源が、四割弱の2000億円。県債残高は、9000億円に達していて、毎年、700億円近い県債を発行している。そのため、教育、福祉、警察、医療、地域振興など、あらゆる支出について、前年度からの減少を余儀なくされている。

昨日の東国原知事の発言で、さらに、驚くべきことを知った。

現在問題になっている、高速自動車道に関しては、宮崎県は、すでに、毎年、63億円を、直轄事業負担金として、支払っており、その八割の52億円を、県債発行でまかなっているらしい。

知事の言い分では、暫定税率を廃止して、直轄負担金をなくしても、借金が減るだけで、実際に捻出できる一般財源は、差額の11億円だけで、負担金全部を回せるわけではない。従って、道路特定財源は、維持して欲しい、そういう理屈のようである。

かなり無理のある主張だ(笑)。

県財政が火の車のときに、さらに52億円も起債して、高速道路建設に税金をつぎ込むのは、どうかしている。そう考えるのが、普通の感覚だと思う。しかも、工事が本格化すると、負担金は、さらに増える可能性がある。

62億円すら払えないのに、今後、どうするつもりなのだろう。11億円しか余裕がないのなら、11億円で道路整備を進めるべきで、それでは、全然足りないというのなら、それは、自治体として破産しているということである。

財政を切りつめて、県民に痛みを求めている時に、首長が、借金膨張に奔走しているというのは、理解できない行動だ。

まず何より、この高速道路は、どう見ても採算が取れない。

建設費を50億円/kmとすると、宮崎県内分の費用は、6000億円程度。三十年で償還するとして、利子、維持費などを合わせて、毎年、400億円くらいは必要である。

料金を、3千円にすれば、年間1千3百万台の通行量で、収支が取れるが、東京湾アクアラインが年間4百万台程度であることを考えると、途方もない数字である。もちろん、実現すれば、宮崎大分間は、九州のすべての高速道路の中で、一番の交通量を誇る路線になる。

現実的な、通行量設定をすれば、三分の一の地元負担で、直轄金は、100億円程度にまで、膨らむ可能性がある。宮崎県民は、今後三十年間、子供や孫の代まで、こんな多額な税金を、毎年、払い続けていくつもりだろうか?

どう考えても、止めた方が良い、プランである。

勿論、高速道路開通の結果、県の経済が活性化して、税収が100億円アップすれば、問題は少ない。しかし、これは観光客数に換算すると、一人あたり2万円落としてくれるとして、税率10%で、年間500万人増が必要な計算である。

宮崎県の県外からの観光客数が、年間500万人だそうなので、高速開通の年から、それが二倍にならなければならない。これも、厳しすぎる目標である。

かつて、前大分県知事は、「高速がないから、シーガイアは失敗した」との発言をしている。

しかし、これは、間違いだ。なぜなら、今、シーガイアは、黒字に転じて、成功し始めている。そして、高速道路は、まだ出来ていない。シーガイアの倒産は、高速道路とは、何の関係もない。

また、建設業者やメンテナンス業者を、県内から選べば、毎年数百億円規模の公共事業で潤うが、元が税金なのだから、税収アップも、そのごく一部が、戻ってくるに過ぎない。

問題は、こういった収支のバランスではないのだ、という意見もある。

例えば、高速道路は、命の問題だというひとがいる。高速があれば、救急患者を、すみやかに大きな拠点病院に運べるという主張である。

しかし、宮崎県の来年度予算で、すでに、医療費は削られることになっている。しかも、救急医療対策費が6億円、看護師等確保対策費は3億円で、高齢人口の多い県としては、少な過ぎる気がする。

高速道路建設が本格化すれば、これらの支出は、さらに削らざるを得ないかもしれない。

せっかく、高速道路を作っても、貧弱な医療予算の下では、むしろ助けられない命の方が、増えるのではないだろうか?

宮崎県が、なぜ、多額の借金をして、財政破綻の危険すら冒してまで、ここまで高速道路にこだわるのか、分からない。観光地として、大都市から、客を呼びたいのであれば、宮崎県へ行く時間を短縮するよりも、掛かる料金を、安くする方が、効果的だと思う。

例えば、宮崎空港は、地方空港の中でも、成功している空港の一つと言われているが、東京や大阪からの航空運賃を、今の半額程度に出来れば、相当な観光客増加が見込めると思う。

実際、北海道は、これで大成功した。

つまり、今ある交通機関、フェリーでも、鉄道でも、飛行機でも、その運賃を下げる努力なら、試みる価値はあるし、高速道路を、いちから作るより、断然安上がりだろう。

東京湾アクアラインや本州四国連絡橋などを見ていると、ガソリン税を使って、立派な道路を作って、いくら便利になっても、結局、ガソリンの値段や通行料金を下げる努力をしないと、車で来る観光客は、そんなに増えないと思うのだが。

どうだろう?
コメント (4)
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沖縄米兵犯罪とイラク問題

2008-02-19 15:31:08 | 政治
女子中学生への強姦容疑で、海兵隊員が逮捕された後も、酒酔い運転、住居侵入、果ては、偽札作りにその使用。出るは出るは、アメリカ兵の犯罪は、止まるところを知らない。

日本に来ている若い米兵は、様々な家庭環境や教育レベルを背景に持っていて、その中に、著しく遵法精神を欠いた連中が存在している、ということだと思う。

従って、日本で犯罪を起こす兵士は、恐らく、本国でも、どこでも、何かしらの問題を引き起こす可能性が高いはずである。

しかし、日本には、それでもまだ、確立した治安と、司法制度が存在している。それらが、米兵犯罪への抑止力になっているのは、間違いない。

では、今のイラクのような場所では、どうだろう?

治安は崩壊し、米兵は、重火器を持って、街中を歩いている。そういった状況では、沖縄以上に酷い犯罪が、頻発するのは、想像に難くない。

実際、イラクで、犯罪行為に走って、軍法会議にかけられる米兵は、後を絶たない。気に入らないイラク人を、米兵数人で射殺して、武装勢力のテロで死んだように、見せかけたなど、犯罪の中味も、凄惨を極めている。

日本では、あまり報道されないが、アメリカでは、一時期、毎週のように、軍法会議にかけられる米兵のニュースが、流されていたそうである。

しかし、イラクは、米兵犯罪について、沖縄の拡大版、というだけではない。イラクにおける米軍の活動は、沖縄をはじめとする、在日米軍基地が、全面的にバックアップしている。

自衛隊の補給した油が、イラクでの作戦に使われていたと、問題になったが、日本は、アメリカ軍に基地を提供し、「思いやり予算」を出すことで、すでにイラク戦争に参加している。

集団的自衛権どころか、米国の軍事的世界戦略に、完全に組み込まれて、それを強力に支援している。

従って、見方を変えれば、沖縄だけでなく、イラクでの米兵犯罪も、その責任の一端は、米軍展開を可能にしている、われわれ日本国民に、帰されるべきものである。

問題なのは、アメリカ国民は、議会選挙や大統領選挙などを通して、その世界戦略を、利点と欠点を踏まえて、自ら選択することが出来るが、日本国民には、選択の自由がないという点だ。

イラクから撤退するのも、踏みとどまるのも、米国国民の民意次第である。その決断カードは、国民の掌に握られている。

一方、日本国民は、米国の方針が決まったら、それをひたすら支援するしか、今のところ、道がない。少なくとも、日本政府は、国民に、別の選択肢を、一切示してこなかった。

ここに、真の意味での、日米間の差別がある。

米兵犯罪に関する日米地位協定以上に、改善しなければならないのは、アメリカの始めた戦争に、日本国民が意思表示をする機会もなく、巻き込まれ、納税者の血税が使われ、基地の騒音に住民が耐え、米兵の犯罪に苦しめられている、という点である。

日本人は、主権独立国家と言いながら、こと、米軍の問題に関しては、アメリカの州ほどの権利も持っていない。そして、日本政府は、その歪みを、沖縄県民に押しつけ、最後には、もっとも立場の弱い、幼い少女が、それを背負わされている。

本当に、日本にアメリカ軍基地が必要なのか。これほどの規模が、何のために要るのか。誰を守っているのか。

国民全体が、真剣に議論するべき時期に来ている。

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チャイナ・フリーか、ブランドか ~ 決まるのは、今だ

2008-02-16 14:53:50 | 政治
警察の鑑定によると、中毒を起こした冷凍餃子のメタミドホスは、国内で流通する精製度の高いものではなく、不純物の混ざった、純度の低いものだと判明した。

メタミドホスが、穴の開いていない袋の内側から、検出されたことと合わせると、これで、天洋食品の工場で、混入したことは、ほぼ間違いなくなった。

ところが、中国側は、会社も、当局も、「製造過程に問題はない」「製品から、農薬は検出されていない」などと、繰り返すばかりである。

会社に不満を持つ作業員が、故意に混入させた、という説以外にも、清掃作業やネズミ駆除の際に、誤って袋に付着した可能性など、調べることは山ほどあるはずだ。

出入りの業者が、メタミドホスを使っていたのなら、天洋食品の薬品リストに、名前が出ていなくとも、不思議はない。そもそも、禁止薬物なのだから、どの業者のリストにも、載っていないだろう(笑)。

だが、今になっても、工場の清掃方法や、防虫殺鼠方法など、詳しい情報は、何一つ出てこない。

こういった中国側の態度には、問題を曖昧にして、誰も責任を取ることなく、このまま切り抜けたいという意図が、見え隠れしている。非を認めたら終わり、という信念である。

しかし、それこそ最大の勘違いだ。

食品工場で、万全の衛生管理を行うのは、並大抵のことではない。大変な努力が必要である。それでも、思わぬところで、問題が発生することはある。人間なのだから、100%はあり得ない。

重要なのは、その後の対応である。

速やかに問題点を見つけ出して、それを公にして、同じことが起こらないよう、抜本的な改善をはかる。そのことによって、以前より、さらに高いレベルの安全性が確保され、やがて、消費者の信頼も、取り戻すことが出来る。

日本をはじめ、先進国の企業は、問題を起こして、厳しい批判にさらされ、それを正面から克服することで、世界の消費者の信頼を勝ち取り、製品のブランド化に成功してきた。

しかし、問題をうやむやにしたままでは、永久に、信頼回復の機会はない。

近年、中国製品の質は、格段に上がって来ている。「安かろう、悪かろう」ではない、という認識が、消費者の間に生まれつつあった。

今回の事件も、天洋食品や、政府当局が、しかるべき対応を取れば、中国製品に対する信頼を、さらにアップする、絶好のチャンスになるだろう。だが、残念ながら、彼らは、そのチャンスを、無駄にしているように見える。

中国は、三権分立が不十分で、民事訴訟を起こせない。さらに、厳しい検閲のため、言論の自由がなく、マスコミが機能していない。そういった社会では、記者会見で、社長や、当局の人間が、「冷凍餃子」の安全性をいくら訴えても、信じろという方が、無理である。

つまり、中国は、その政治体制のために、自国製品への信頼獲得に対して、大きなハンディキャップを背負っている。それを乗り越えて、メイド・イン・チャイナが、世界ブランドに発展するのか、それとも、チャイナ・フリーで終わるのか。

今回の、メタミドホス事件への対応こそ、その分岐点である。

かつて中国は、水泳選手の、禁止薬物の組織的使用で、国際水泳から、完全に閉め出された時期があった。そのときも、ドーピング検査の結果に、執拗に反発して、連盟の怒りを買ってしまった。もし、薬物の使用を、もっと早く認めていたなら、あれほどの厳しい処分は、免れたかもしれない。

あれから、何年も経っている。同じ過ちを繰り返さないことを、祈るばかりである。

それは、何よりも、中国自身の利益にならない。

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税金問題は、政府の信頼度を映し出す

2008-02-12 19:39:12 | 政治
政府与党は、道路特定財源の暫定税率を、どうしても継続したいらしい。「開かずの踏切」の解消を訴えるなど、生活に直結する問題を取り上げて、盛んに、ガソリン税の重要性を訴えている。

しかし、世論調査でも、「廃止」が「継続」を、二倍ちかく上回っていて、その訴えは、国民の心に、あまり届いていないようだ。

その一番の理由は、今の政府に、お金を渡しても、ろくな使い方をしないだろう、という不信感だと思う。

「マッサージチェア」や「カラオケセット」などは、氷山のごく一角に過ぎない。地方へのばらまき予算や、天下り官僚の退職金などなど、どうせ一部の役人や政治家の、懐が潤うだけだ。

多くの国民が、そういう風に見ている。

実際、道路特定財源を、「開かずの踏切」対策に使っていれば、とうの昔に、大都市から踏切がなくなっているはずである。ところが、何十年経っても、いっこうに、減る気配はない。

さらに、先日の岩国市長選で見られたように、国の意に沿わない現職候補に対して、市庁舎建設の補助金をカットして、圧力をかける。そういう税金の使い方をされてしまう。

税金を払った国民は、米軍基地問題で、さまざまな意見があると思うが、官僚は、集めた税金を、自分たちのお金と、勘違いしているらしい。

かつて、選挙公約に反して、自民党が、消費税を強硬導入したとき、当然ながら、その年の財政は、大幅な黒字になった。そのときが、赤字国債を大幅に減らして、財政健全化をはかる絶好のチャンスだった。

しかし、政府は、国債を、それまで以上に発行し続け、国の借金は、今やどうにもならないところまで、来てしまった。

こういう連中に、いくら税金を渡しても、自分のポケットに入れるか、つまらない物を作るか、お金は、国民の眼の前から、ただ消えていくだけである。

日本国民は、そのことに気がつき始めている。

NHKは受信料を、社会保険庁は年金を、思うように集められないで、苦しんでいる。しかし、それは、もはや、政府全体の問題になりつつある。

自民公明の政治家や官僚は、税金を集めることが出来ないほど、自分たちは、国民の信頼を失いつつあるという事実を、真剣に見つめ直すべきである。

あなた達は、国民から、無能だと思われ始めているのだ。

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