19日の朝日新聞日刊によると、福田首相は、日銀総裁人事について、「金融・財政の連携」が不可欠で、「金融・財政の分離」という方の、気持ちが分からないと、記者団に語ったそうである。
しかし、彼が提示する人事案は、「財務省と連携する日銀」ではなく、「財務省の言いなり日銀」である。
「連携」は、「言いなり」からは生まれない。
例えば、チベット自治政府は、中国中央政府と、ぴったり共同歩調を取るが、それを指して、チベットは、中国と「連携」しているとは、誰も言わない。一方、アメリカと、英国は、間違いなく「連携」している。
真の「連携」は、「分離」と「独立」が根底にあってこそ、初めて、実現可能である。
ただ、「財務省の言いなり首相」には、理解不能かもしれない。
18日夜のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」で、コメンテーターとして呼ばれた、ある経済専門家が、面白いことを指摘していた。
家計における、金利による収支が、1997年までは、ずっと黒字だったのに、その年以降、現在に至るまで、赤字を続けているという。これは、95年に、公定歩合が0.5%に引き下げられ、超低金利時代に入ったことが、大きく影響している。
預貯金などからの利息が、ゼロに近い一方、住宅ローンなどの支払い金利があるため、その収支が、年間20兆円程度の赤字を生んでいるそうだ。
単純計算で、一人あたり二十万円。かなりの額である。
そのコメンテーターによれば、この負担が、消費を冷え込ませている可能性があり、公定歩合を、少しづつでも上げていくことが、経済の活性化につながるとのこと。
鋭い指摘だと思う。
日銀は、超低金利と量的緩和を、未だに続行しているが、それらに、景気刺激効果があるのかどうか、疑問に思うことが多い。
むしろ、消費意欲を減退させ、景気の足を引っ張っているのではないか。家計の金利収支が、ここ10年間、赤字続きになっているグラフを見て、その思いを、いっそう強くした。
さらに、現在の物価高騰の背景に、これらの金融政策があるのではないか、という疑問もある。
目立った成長産業がなく、魅力的な金融商品もないなか、お金だけは、じゃぶじゃぶ、潤沢に、供給され続けている。行き場を失ったお金が、最終的に、石油や小麦などの市場に、巨大な投機マネーとなって流れ込み、未曾有の価格高騰を招いている可能性である。
だとすれば、日銀の超低金利と量的緩和が、二重三重に、消費を圧迫し、経済に悪影響を及ぼしていることになる。
超低金利や量的緩和について、議論すべき問題点は、数多くあるはずだ。しかし、この専門家のように、それを指摘するひとは、なぜか、非常に少ない。
勿論、今のような円高では、直ちに金利を上げるのは、議論の余地がある。また、サブプライム問題で、金融不安が起こりかけている時期に、量的緩和を打ち切るのも、難しいかもしれない。
しかし、公定歩合0.5%以下、毎月1.2兆円の国債買い入れ、という常識外れの金融政策が、何年間も続いているのに、見直し論を、ほとんど耳にしないのは、不可解である。
興味深いことに、この二つの金融政策は、政府の国債発行には、非常に都合良くできている。
量的緩和で、日銀は、毎月1.2兆円の国債を、銀行から買っている。
直接引き受けているわけではないが、金利動向に関わりなく、毎年、15兆円近くも、国債を買ってくれるお客がいるのは、政府にとって、有り難いことこの上ない。
しかも、このお客は、自分で、紙幣を作れるので、金に困ることがない。
政府は、安心して、国債発行を、続けていける。
加えて、超低金利政策下で、国債は、利回りの高い金融商品となっていて、金融機関は、銀行も、郵貯も、買い入れに積極的である。
国債発行には、理想的な環境だ。
従って、もし日銀が、超低金利と量的緩和を止めると、国債がだぶついて、金利上昇を招き、政府は、新規発行が厳しくなっていく。
その場合、現在のような、国債依存の財政運営が、破綻する可能性が高い。
政府・財務省にとって、見たくない未来である。
今回の日銀総裁人事で、福田首相は、執拗に、財務省の元事務次官を提示してくる。財務省の日銀コントロールへの下心が、背後にあるのは、間違いない。
しかし、超低金利と量的緩和の見直しを、一切行わない日銀は、すでに長い間、政府・財務省のコントロール下にあるようだ。
そもそも、日本銀行法は、1942年の戦時下に制定され、日銀の「非独立性」は、出発点から、非常に強いものがあった。実際、政府の戦費調達のため、普通国債の無制限な引き受けを行い、戦後の悪性インフレを引き起こしている。
その後、なんと、1997年の全面改正まで、同じ法律が、使われ続けた。
この改正により、日銀の独立性は、制度上は強化された。しかし、今の金融政策に見るように、政府優位の状態は変わらず、日銀の独立性は、絵に描いた餅のままである。大蔵・財務省が、立法権を支配する、与党である自民党に、強い影響力を保持していることが、最大の理由だろう。
従って、日銀の独立性など、歴史上、一度もなかったと言った方が、いいかもしれない。
日銀は、一刻も早く、その独立性を獲得して、財務省のための金融政策ではなく、日本経済全体、そして、世界経済を考えた金融政策を行うべきである。
もちろん、武藤氏や、田波氏のような、元事務次官が、総裁に就任したのでは、財務省寄りの金融政策が続くのは、間違いない。
財務省自身が、その人事に、こだわっていることが、すべてを物語っている。財務省の嫌がる政策を実行する人物を、財務省が、ここまで執拗に推したりはしない。
そして、その人事がまかり通った場合、超低金利や量的緩和の見直しが遅れ、国債発行は止まらず、財政赤字は、増え続けるだろう。
それが、明るい未来を招くとは、到底思えない。消費の停滞と景気の脆弱が、いつまでも続き、日本は、このまま、ずるずると沈没していくだけである。
バブル崩壊後、不良債権処理を先延ばしにし、国債の発行抑制に妥協を重ね、日本経済が、ずるずる落ちこんでいったのと、同じように。
財務省は、自らが座礁させた、日本という沈みゆく船に、自らの手で、とどめを刺すつもりらしい。
そうなる前に、国民が、財務省から、日銀を、取り上げなければならない。
それには、総選挙による政権交代が、一番の有効な手段である。
しかし、彼が提示する人事案は、「財務省と連携する日銀」ではなく、「財務省の言いなり日銀」である。
「連携」は、「言いなり」からは生まれない。
例えば、チベット自治政府は、中国中央政府と、ぴったり共同歩調を取るが、それを指して、チベットは、中国と「連携」しているとは、誰も言わない。一方、アメリカと、英国は、間違いなく「連携」している。
真の「連携」は、「分離」と「独立」が根底にあってこそ、初めて、実現可能である。
ただ、「財務省の言いなり首相」には、理解不能かもしれない。
18日夜のテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」で、コメンテーターとして呼ばれた、ある経済専門家が、面白いことを指摘していた。
家計における、金利による収支が、1997年までは、ずっと黒字だったのに、その年以降、現在に至るまで、赤字を続けているという。これは、95年に、公定歩合が0.5%に引き下げられ、超低金利時代に入ったことが、大きく影響している。
預貯金などからの利息が、ゼロに近い一方、住宅ローンなどの支払い金利があるため、その収支が、年間20兆円程度の赤字を生んでいるそうだ。
単純計算で、一人あたり二十万円。かなりの額である。
そのコメンテーターによれば、この負担が、消費を冷え込ませている可能性があり、公定歩合を、少しづつでも上げていくことが、経済の活性化につながるとのこと。
鋭い指摘だと思う。
日銀は、超低金利と量的緩和を、未だに続行しているが、それらに、景気刺激効果があるのかどうか、疑問に思うことが多い。
むしろ、消費意欲を減退させ、景気の足を引っ張っているのではないか。家計の金利収支が、ここ10年間、赤字続きになっているグラフを見て、その思いを、いっそう強くした。
さらに、現在の物価高騰の背景に、これらの金融政策があるのではないか、という疑問もある。
目立った成長産業がなく、魅力的な金融商品もないなか、お金だけは、じゃぶじゃぶ、潤沢に、供給され続けている。行き場を失ったお金が、最終的に、石油や小麦などの市場に、巨大な投機マネーとなって流れ込み、未曾有の価格高騰を招いている可能性である。
だとすれば、日銀の超低金利と量的緩和が、二重三重に、消費を圧迫し、経済に悪影響を及ぼしていることになる。
超低金利や量的緩和について、議論すべき問題点は、数多くあるはずだ。しかし、この専門家のように、それを指摘するひとは、なぜか、非常に少ない。
勿論、今のような円高では、直ちに金利を上げるのは、議論の余地がある。また、サブプライム問題で、金融不安が起こりかけている時期に、量的緩和を打ち切るのも、難しいかもしれない。
しかし、公定歩合0.5%以下、毎月1.2兆円の国債買い入れ、という常識外れの金融政策が、何年間も続いているのに、見直し論を、ほとんど耳にしないのは、不可解である。
興味深いことに、この二つの金融政策は、政府の国債発行には、非常に都合良くできている。
量的緩和で、日銀は、毎月1.2兆円の国債を、銀行から買っている。
直接引き受けているわけではないが、金利動向に関わりなく、毎年、15兆円近くも、国債を買ってくれるお客がいるのは、政府にとって、有り難いことこの上ない。
しかも、このお客は、自分で、紙幣を作れるので、金に困ることがない。
政府は、安心して、国債発行を、続けていける。
加えて、超低金利政策下で、国債は、利回りの高い金融商品となっていて、金融機関は、銀行も、郵貯も、買い入れに積極的である。
国債発行には、理想的な環境だ。
従って、もし日銀が、超低金利と量的緩和を止めると、国債がだぶついて、金利上昇を招き、政府は、新規発行が厳しくなっていく。
その場合、現在のような、国債依存の財政運営が、破綻する可能性が高い。
政府・財務省にとって、見たくない未来である。
今回の日銀総裁人事で、福田首相は、執拗に、財務省の元事務次官を提示してくる。財務省の日銀コントロールへの下心が、背後にあるのは、間違いない。
しかし、超低金利と量的緩和の見直しを、一切行わない日銀は、すでに長い間、政府・財務省のコントロール下にあるようだ。
そもそも、日本銀行法は、1942年の戦時下に制定され、日銀の「非独立性」は、出発点から、非常に強いものがあった。実際、政府の戦費調達のため、普通国債の無制限な引き受けを行い、戦後の悪性インフレを引き起こしている。
その後、なんと、1997年の全面改正まで、同じ法律が、使われ続けた。
この改正により、日銀の独立性は、制度上は強化された。しかし、今の金融政策に見るように、政府優位の状態は変わらず、日銀の独立性は、絵に描いた餅のままである。大蔵・財務省が、立法権を支配する、与党である自民党に、強い影響力を保持していることが、最大の理由だろう。
従って、日銀の独立性など、歴史上、一度もなかったと言った方が、いいかもしれない。
日銀は、一刻も早く、その独立性を獲得して、財務省のための金融政策ではなく、日本経済全体、そして、世界経済を考えた金融政策を行うべきである。
もちろん、武藤氏や、田波氏のような、元事務次官が、総裁に就任したのでは、財務省寄りの金融政策が続くのは、間違いない。
財務省自身が、その人事に、こだわっていることが、すべてを物語っている。財務省の嫌がる政策を実行する人物を、財務省が、ここまで執拗に推したりはしない。
そして、その人事がまかり通った場合、超低金利や量的緩和の見直しが遅れ、国債発行は止まらず、財政赤字は、増え続けるだろう。
それが、明るい未来を招くとは、到底思えない。消費の停滞と景気の脆弱が、いつまでも続き、日本は、このまま、ずるずると沈没していくだけである。
バブル崩壊後、不良債権処理を先延ばしにし、国債の発行抑制に妥協を重ね、日本経済が、ずるずる落ちこんでいったのと、同じように。
財務省は、自らが座礁させた、日本という沈みゆく船に、自らの手で、とどめを刺すつもりらしい。
そうなる前に、国民が、財務省から、日銀を、取り上げなければならない。
それには、総選挙による政権交代が、一番の有効な手段である。