自宅から御用邸まで30分はかからないが、20分で行くにはかなり足早
に行かねばならない、しかし昨夜は十六夜の月を楽しむ閑雅の里の住人と
いう風で歩いたので25分位かけたでしょうか。
その時の御用邸前の景は、2013-08-25 の写真(下)を参考に描いて
頂ければと思います。神輿の一群を外し全体を暗くすれば昨夜の景となりま
す。月は東の空30度くらいでしたから松の木立を浮き正せる様には至って
いません。
御用邸前を左に曲がりかけると、右側から横断してきたのが剣道具を肩に
した少年剣士です。右側の葉山警察署で剣道の稽古を終えた小学4、5年生
位、すると先方から乳母車と幼い女の子を連れた婦人が来ました。男の子を
囲み向きを変え歩きだしました。男の子は乳母車の子に手を振って笑いかけ
ます。こんな点描も松の木立の影を背景に見ますと閑雅の趣と映ります。
通りを御用邸側に渡り塀にそって左に向かいます。海側に入る横道の何本目
かを曲がってみました。かなり大きい和風建築を左に見ながら行くと、空き地が
開け奥に洋館(こんな表現が似合いそうな)が、窓をオレンジ色の明りで浮き立
たせています。
さらに行くと足元が砂地に入り込んでいました、先ほどから潮の匂いがしていた
のですから当然ですが、浜辺に出ていたのです。右側のコンクリート塀が切れると
警察官が立っています、御用邸の端に出ていたのです。すると左側に続いていた
石垣は葉山公園か、と気付きました。
波打ち際の白波は湾を縁取りながら、まさに鎌倉へとつながっているのです。
飯田龍太さんの鑑賞文の「良夜のきらめく海」を見渡すためには月の高度がか
なり上がらなければならないでしょう。公園にあがり鎌倉方面に目をやっても海
面に近いせいか展望が開けず、「あれが鎌倉の灯だ」といえる所まで行ってみよ
うと、葉山と横須賀の境・長者ケ崎に出ました。
そこに立てば確かに葉山と鎌倉がつながりました。
それにしても、“葉山から鎌倉を” の句はどこで詠んだものなのでしょう。そして
その場所は今でも「鎌倉を見る」ことができるのでしょうか。また、詠み手である
眞山静枝さんという人はどういう人なのか、何時頃詠まれたのか、知りたいもので
す、手探りをはじめたいと思います。
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