遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『千里眼の教室』  松岡圭祐  角川文庫

2024-08-03 14:26:40 | 松岡圭祐
 千里眼新シリーズの第5弾。新シリーズを読み継いでいる。新シリーズと言っても、この第5弾は平成19年(2007)5月に文庫の初版が発行された。
 
 岐阜県立氏神工業高校は過疎化した地域の公立高校が合併し、普通科、工業科、農業科が混在する奇妙な学校で、学習指導要領で必須とされる世界史の未履修問題が是正されないままの学校である。落ちこぼれの生徒が集まる学校でもあった。この氏神工業高校の生徒たちが、学校長はじめ教師達全員が学校の敷地から出払ってしまったタイミングをとらえて、学校に籠城し、生徒の自治による独立国家、氏神高校国の建国を宣言した。日本国という領土内に、突然に独立国が宣言された。このストーリーは、この氏神高校国の建国から終焉までの顛末譚である。
 自衛隊の戦闘機が一機、雷鳴のような轟音を響かせながらかなりの低空飛行で飛び去って行った直後に学校の体育館の方向で青い光が瞬くという現象が生じた。それからしばらくの時間が過ぎて、校舎の屋外スピーカーが、氏神高校国建国宣言を告げた。これが事件の始まりだった。

 このストーリー、冒頭は、岬美由紀が津島循環器脳神経科病院の五十嵐哲治院長を見つけ、出頭を勧める場面から始まる。五十嵐には、台湾製の時限式爆発物を海外のブローカーから購入した容疑がかけられていた。五十嵐は酸素欠乏症が脳細胞のいくつかを破壊し人が暴力的になり、いじめの原因となるという持論を主張していた。その主張を実証するために、時限爆弾をどこかに仕掛けた。五十嵐は説得する美由紀の前から逃亡する。この逃亡と美由紀の追跡場面がまず奇想天外な活劇風であり、映画のイントロにしたら観客を惹きつける市街破壊場面になることだろう。だが、イントロ場面にそれほど金をかけられないか・・・・・。まずフィクションのおもしろさがぶつけられている。

 このストーリー、氏神高校国建国後の内部状況をまず描きあげていく。旧生徒会役員が氏神高校国行政庁となり、生徒自身による民主的な自治を国家として独立運営すると決定し、実行するという。独立運営するといっても、どのようにして・・・という疑問から、読者は興味津々とならざるを得ない。
 学校敷地内に集団籠城するとして、ライフラインをどうするのか。食料をどのように確保するのかなど、次々に疑問が出てくる。一方で、これは単なる一時的憂さ晴らしの茶番劇の一幕か・・・そんな疑念も芽生える。
 いやいや、なかなか筋立てに理屈が通り、整合性が築かれていくのだから、おもしろさが増す。
 建国と宣言されれば、マスコミレベルの好奇心だけでは済まされず、日本政府も対応を迫られるという側面が当然生まれてくる。学校に籠城する高校生の集団を相手に、国家権力を行使するところまで行くのかどうか・・・・。
 
 ここには、氏神高校国という建国による国家という組織構築のシミュレーションがある。想定外の状況に投げ込まれた高校生達の心理変化、集団社会への適応などが描き込まれていく。
 ストーリーの進展に沿う氏神高校国描写関連の章見出しを一部ご紹介しておこう。
 「貴族・平民・奴隷」「処刑の真実」「統治官・補佐・平民」「貨幣経済とは」「数値と漫画」「独立国と女たち」・・・・と進展する。運営機構の確立、秩序の確立、運営資金源の確保、食料入手ルートの確保、方針と行動目標の設定と、独立国のメカニズムが動き出すのだから、なかなかに興味深いストーリー展開となる。
 最もおもしろいのは、「習研ゼミのセンター試験向け大学模試を、全国民にて行うものとする」という目標設定がなされ、それが進展していくことである。

 岬美由紀がどう関与するのか?
 五十嵐哲治を追跡した美由紀は、五十嵐が爆弾を仕掛けたのは氏神工業高校と推測した。そして、岐阜に所在の高校に向かうのだが、爆弾は作動してしまった。学校は氏神高校国として建国宣言された。学校を取り巻く待機所で数日を状況監視に費やした後、美由紀は、日本国代表使節団に加わり、学校内に入る。そして、使節団の中でただ一人、氏神高校国に残留する。美由紀の目的は、五十嵐が仕掛けた爆弾の爆発の証拠確保とその結果の事実確認であった。それは氏神高校国の実態把握とも関連していた。そして、美由紀は事実を解明する。

 フィクションならではの要素がいくつか組み込まれているものの、ストーリーの流れには整合性があり、現代社会の問題に対する風刺性、特に学校教育についての問題点への切り込みが加えられている。一方エンターテインメント性も十分に織り込まれていておもしろい。

 本作の各所に書き込まれたメッセージのいくつかを引用して終わりたい。
*突然の変化が訪れ、従うべきものが変わっても、どうすることもできない。集団がそちらに向かえば、ひとりだけ流れに逆らって生きることはできない。きづけば、驚くほど柔軟な自分がいた。   p86
*修学旅行も、学徒が兵役に出るときの団体行動の予行のためにおこなわれたのが始まりだ。出陣という目的があったころは、まだ集団も統率がとれていた。しかし目的を失い、形式だけが残って、団体教育は行き詰まった。   p114
*アメリカの心理学者ゴールドスタインとローゼンフェルトによれば、心になんらかの弱みを持った人は、同じ境遇の人たちとの仲間に加わることで安心を得ることができるらしい。生徒たちを支えているものが同胞意識だとすると、そこまで生徒たちを追い込んだmんがなんなのか、はっきりさせる必要がある。  p159
*子供たちが自活できることを主張する。それはすなわち、親への対抗意識にほかならない。   p172
*誰もが生きて、よりよい生活を営むための競争に参加している。同一の目的を与えられた集団が、こんなにまとまるものとは思わなかった。共存と繁栄は、いつの世でも平和をもたらすものだ。  p198

 ストーリーの底流になっているキーワードは「酸素」である。この酸素がどのように作用するのか。例によって、最後はどんでん返しが仕組まれている。そこがおもしろいところ!!

 そして、次の箇所に、著者の問いかけが重ねられているように受け止めた。
 ”正しいのは生徒たちだ。十代の子供たちが、社会の大いなる矛盾に疑問を突きつけている。われわれは、真摯に耳を傾けるべきではないか。
 それに、氏神高校国は本当に平和や平等を乱しているのだろうか。
 平和、平等。われわれの社会に、そんなものはあるのだろうか。たしかにかつては存在していた。だが、いまはどうなのだろう。
 それらが存在するのは、むしろ氏神高校国のなかではないのか。”    p268

 本書のタイトルに「教室」が使われている。それは美由紀が氏神高校国に残留し、内部からこの氏神高校国を観察し、彼らの信頼を獲得するに至ること。独立国家の終焉において、美由紀が一働きすることになることに由来するのだろうと思う。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
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