goo blog サービス終了のお知らせ 

遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『日本史を暴く 戦国の怪物から幕末の闇まで』  磯田道史  中公新書

2024-09-27 13:58:30 | 歴史関連
 『日本史を暴く』というタイトルはショッキングな印象を与え、読者を惹きつける。それは、「暴く」という言葉から受ける印象にある。これって、広告の原則には則っている。
 「暴く」という語を念のために手元の辞書で引くと、「人が隠しておこうと思うものを、ことさら人目に触れるようにする。ことに、人が意図的に隠そうとしている悪徳・非行や、ともすれば多くの人が見逃しがちな欠陥などを、遠慮なく衆の前にそれと示す。」(『新明解国語辞典 第五版』三省堂)と説明されている。
 タイトルを読めば、誰しもこの語義の意味合いで受け止めていて、興味をそそるに違いない。私もその一人。副題がそれを助長する効果を持っている。

 本書は、『読売新聞』(2017年9月~2022年9月)に「古今をちこち」と題して連載されたものを一部改題のうえ、加筆修正を行い、2022年11月に新書として刊行された。
  
 本書の「まえがき」には「歴史には裏がある」という標題がついている。冒頭はこんな書き出し。「歴史には裏がある。歴史は裏でできている。この本に書いてあるのは、歴史の裏ばかりだ」。つまり、著者は歴史教科書はじめ、市販の歴史書などで取り上げられている史実では取り上げられていない側面を本書の話材としている。著者自身が遭遇あるいは発見した古文書を読み解き、さらに歴史研究者の諸論文を援用し、一般に語られる史実の表には見えなかった「裏」の側面をここでオープンにしていく。

 我々が知っているつもりの歴史は、史実の一面である。
 事実はいわば多面体。いろいろな側面があり、証拠資料が発見されれば、史実の内容がより明らかになる。解釈を深めることができる。そんなスタンスで、著者は「裏がある」と語っている。本書を読み、そう受け止めた。読後印象は、史実をより多面的にとらえるために、著者が実際に発見した事実を具体的に列挙してみせた。歴史を「暴く」というスタンスとは少し違うように感じた。
 よく言えば、我々が学び、知る歴史の史実は表層的な事実だけであり、その史実を多面的にとらえ、理解の奥行きを広げ、懐深く史実をとらえ直す一助となる書である。
 我々が知る歴史の史実解釈について、新しい証拠を示して覆そうという類の意図はない。今まで世に出ていなかった古文書の発掘、発見から得た情報を主体にしながら、史実の周辺を補強できる話材を集めた書といえる。ちょっと、人に教えたくなるようなトレビアな知識の集積本という一面を併せもつ。雑多な話材が盛り込まれていて、知的好奇心をかきたてられる書でもある。つまり、公知の史実から一歩踏み込み、その裏にある知られていなかった事実を証拠をもとに語ることで史実の解釈に新しい側面が加わり、理解が深まることに繋がる。

 著者は「おおよそ、表の歴史は、きれいごとの上手くいった話ばかりで出来ている」(pⅳ)と言う。そこに「自分で探した歴史だから、現場の一次情報」(pⅵ)と自信をもって、埋もれていたリアルな話材をこの本で紹介し、そのネタを料理してくれている。史実に絡んだリアルな話の好きな読者は、この料理を味わいたくなるだあろう。

 本書の構成は以下の通り。
   第一章 戦国の怪物たち
   第二章 江戸の殿様・庶民・猫
   第三章 幕末維新の光と闇
   第四章 疫病と災害の歴史に学ぶ

 副題に記された「戦国の怪物」は、第一章の話材として出てくる。松永久秀、織田信長、明智光秀、細川藤孝、豊臣秀吉、徳川家康をさすようだ。比類なき戦国美少年と称された名古屋山三郎を登場させ、淀殿との密通説について触れているのが興味深い。密通説はどこかで見聞したことがあるが、秀吉が「淀殿周辺の男女を淫らな男女関係を理由に大量に処刑している」(p36)という事実を本書で初めて知った。歴史記述の表には出てこない話である。また。「家康の築城思想」(p46-48)はおもしろいと思った。
 第二章では、徳川家と徳川御三家に関わる裏話、忍者の知られざる側面の話、赤穂浪士が「吉良の首切断式」を泉岳寺の尊君墓前で行った話、女性の力で出来た藩が実在した話、江戸時代の猫についての話など、話材が多岐にわたっている。すべて古文書などの資料的裏付けがあるので、興味深く読める。
 副題にある「幕末の闇まで」という記述はちょっと一面的。第三章の標題は、「幕末維新の光と闇」と題して、光の側面も話材にして、バランスがとられている。明るい側面としては、幕末の大名、公家や武士の日常生活の側面を具体例で取り上げている。坂本龍馬が関係する『藩論』の古文書が発見できたことを語る。松平容保と高須四兄弟にも触れている。一方で、西郷隆盛が抱えていた闇の側面、そして、孝明天皇毒殺説という闇の側面に触れている。孝明天皇の公式記録にも掲載されていない病床記録を発見したこととその内容の分析である。興味深い話材ばかりである。
 第四章は、まさに闇に近いだろう。これまでこの側面は大災害や大流行の疫病が歴史に名をとどめても、事実ベースで詳細に語られるというのは表の歴史ではほとんどなかった。具体的に話材としてこの章で取り上げられている。日本における「マスク」の起源を論じているところが興味深い。

 読者に新たな知見を少し加え、話材が豊富で日本の歴史の多岐にわたり、読者を飽きさせない構成になっているのは間違いない。楽しめる一書である。

 ご一読ありがとうございます。

『ロータスコンフィデンシャル』   今野敏   文藝春秋

2024-09-26 00:44:58 | 今野敏
 先日、『台北アセット 公安外事・倉島警部補』の読後印象を載せた。これは第7弾。その時、第6弾の本書を見過ごしていたことに気づいた。このことには触れている。
 そこで遅ればせながら本書を読んだ。冒頭の画像は単行本の表紙である。
 奥書を読むと、「オール讀物」(2020年2月号~2021年3・4月号合併号)に連載された後、2021年7月に単行本が刊行された。
 
 2023年11月に文庫化されている。この文庫本の表紙を見て気づいたことがある。カバー写真として景色を撮った視点が変化している。それよりも、文庫本には、「公安外事・倉島警部補」という添えの標題が加わっていた。第7弾の単行本には添え標題が記されていた。この第6弾の単行本には記されていない。調べてみると、文庫の新カバー版からこの添え標題が冠されたようである。

 公安部外事一課第五係に所属する倉島警部補が、「作業」に従事すると、それは諜報活動なので極秘事項である。つまり、「コンフィデンシャル」なマターを扱うという意味でこの第6弾のタイトルに「コンフィデンシャル」が使われることはいたってあたりまえといえる。だけど、本作を読了してみて、ロータス(LOTUS)という語が冠言葉として選択されたのはなぜなのか。読後印象としてこの由来がわからなかった。倉島は佐久良公総課長に作業の計画書を提出したが、別にこの計画書にコード名が付された記述はないし、ストーリーの中でも、記憶では「ロータス」という言葉は出てこなかった。なぜ「ロータス」が冠されたのか。それが一つ不可思議として印象に残った。

 さて、本作のおもしろさは、警視庁公安部外事一課の倉島、外事二課の盛本、刑事部捜査一課の田端課長以下の殺人事件捜査本部、この3者が複雑に絡み合っていくところにある。3者それぞれは、己の捜査活動においてコンフィデンシャルな情報を抱えている。問題解決のためには、立場が異なるとはいえ相互に情報を交換して関わり合っていかなければならない。お互いの立場を斟酌しつつ、ぎりぎりのところで連携協力関係を築き上げる努力を重ねる。互いにコンフィデンシャルな情報の共有を図らなければ、効率よく効果的に目指す目的を達成できないからだ。想定される敵よりも早く対処しなけらば・・・・という緊迫感がつきまとう。刑事部と公安部という水と油のように発想の違う組織がぶつかり合いながら協力するところが読ませどころになる、

 冒頭では、ロシア外相が随行員を伴い総勢65人で来日する。公安部は随行員のうち、50人を行確対象者とし、分担して監視体制を組む。この中に第5係の倉島たちも24時間体制で組み込まれる。公安部の作業班、つまり諜報活動担当者の一人である倉島は、ロシア大使館の三等書記官コソラポフとコンタクトをとりつづける。倉島の情報源である。このストーリーの進展で、しばしば登場してくる人物。勿論、タヌキとキツネのだましあいのような駆け引き関係が繰り広げられる。

 監視中に、倉島は、刑事部から公安部に異動してきた年齢では先輩の白崎から、殺人事件のニュースを知らされる。被害者はベトナム人で、外事二課も動きだしたそうだという。倉島は軽く聞き流した。監視業務を終え、宿舎で眠っていた倉島は、公安機動捜査隊の片桐秀一からの電話で起こされる。片桐がもたらした情報は、白崎が言っていたベトナム人を殺害した被疑者がロシア人かもしれないことと、そのロシア人が来日中の随行員の一人と接触した可能性があるということである。そのことを捜査一課の刑事から聞いたという。
 片桐は一度行確に駆り出されそのロシア人の名前を思えていた。名前はヴォルコフ。日本に滞在する音楽家でバイオリニスト。刑事部では、まだ被疑者と断定した段階ではないという。片桐は、ヴォルコフを要注意人物と認識し、彼の犯行と思っているという。倉島は初めて聞く名前でもあり、片桐の情報をも軽視した。
 これが後に、倉島にとっては、大きな反省材料になっていく。

 被害者はベトナム人。チャン・ヴァン・ダット。37歳。技能実習生として来日。
 被疑者はロシア人。マキシム・ペトロヴィッチ・ヴォルコフ バイオリニスト。
     日本在住。

 倉島はものの見方を逆転させる。ヴォルコフが被疑者という観点から、彼の身辺調査と殺人の理由を調べ始める。ここからこのストーリーが始動する。
 その最初の進め方が、後に問題視される。随行員の行確、監視業務が終了した後、白崎が独自の行動をはじめ、倉島は白崎との連絡がつかず、白崎の行方不明という状況が発生する。
 倉島は、まずはできること、優先度の高い事項を列挙する。「ヴォルコフノ身辺調査。白崎の足取りを追う。ヴォルコフの行確。チャン・ヴァン・ダッド殺害の捜査の進捗を聞く」
 直属の上司上田係長と佐久良公総課長の二人から大目玉を食う羽目になる。このあたりも、公安部という組織のあり様がリアルに描かれていて興味深い。
 紆余曲折をへて、倉島の作業計画書は佐久良課長から承認される。作業班が立ち上げることがな能になる。そのメンバーを記しておこう。
 リーダーは勿論、倉島警部補。
 白崎  第五係の同僚。元刑事の人脈が生かされていく。
 片桐  公安機動捜査隊員
 伊藤  公安総務課公安管理係。公安のセンスがある人材。
それぞれの持ち味がうまく相乗効果を生んでいくところが楽しめる。特に、伊藤のキャラクターが一つの要として作用しているように思った。このシリーズが続いていくならば、いずれ再び登場してくるのではないかという気がする。

 倉島は外事二課で中国担当の盛本とコンタクトをとる。一方、殺人事件の捜査本部を訪れ、情報のギブ・アンド・テイクを行いながら、捜査本部との協力関係を築いていく。面白いのは、公安機動捜査隊の隊長との交渉である。公安的センスのない隊長というのが、ユーモラスである。どんな組織にも、場違いな人物が居る。そんな要素を盛り込んでいるのもおもしろい。
 なぜ、外事二課が絡んでくるのかがこのストーリーを複雑にし、かつおもしろくする要素になっていると思う。

 このストーリー、倉島がヒューミントと称される情報収集活動を中軸に織り込みながら殺人事件の捜査と公安視点の捜査の違いを対比させつつ、公安部と刑事部が連携していく難しさと必要性をリアルに描いている。そこが読ませどころである。
 著者は、公安部と刑事部の思考・発想の違いとそれぞれの長所の対比を読者がイメージしやすく描き出そうという意図が根底にあったのではないかと思った。

 情報をどのように収集し、分析し、読み取っていくか。情報をどのように組み合わせ、ていくか。そこにも力点がおかれているように感じる。公安の「作業」の意味合いを感じ取れるところがよい。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
この作品を読み、リアルな現実世界での事実情報を少し検索してみた。

ベトナムにおける原子力発電所建設計画に係る事務レベル協議について
        平成23年(2011)9月9日         :「外務省」
ベトナム、原発計画中止 日本のインフラ輸出に逆風 2016.11.22 :「日本経済新聞」
ベトナム・原発からの「勇気ある撤退」の理由とは  :「FoE Japan」
ベトナムの国情と原子力開発  2014年12月   :「ATOMICA原子力百科事典」
ロシア ベトナムの原子力科学技術センター建設を支援 2024.1.26:「原子力産業新聞」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



『ボス・イズ・バック』    笹本稜平   光文社文庫

2024-09-22 18:30:20 | 笹本稜平
 笹本稜平さんの作品をゆっくりとしたペースで読み継いでいる。本書は、「小説宝石」の特別編集「宝石 ザ ミステリー」のシリーズ(2011~2014年)に5編、「小説宝石」(2015年8月号)に1編が掲載された後、2015年10月に単行本が刊行された。2017年10月に文庫化されている。6編からなる短編連作集である。

 著者作品を読み継いできた印象からは、ちょっと異色な短編集と言える。
 主人公は私探偵。「おれ」という自称で登場する。私立探偵が主人公というのは奇異ではない。顧客のほとんどがS市を地場として仕切り縄張り争いをしている暴力団なのだ。S市最大の暴力団が山藤組。この他に猪熊組一家、橋爪組が存在する。おれは、じかに犯罪の片棒を担ぐ話でない限り、およびがかかれば仕事を引き受ける。それぞれの組とは等距離外交という方針をとり、どの組とも仕事上の付き合いがある。これ自体がちょっと異色な設定といえるのではないか。暴力団を顧客とする弁護士や会計士もいるだろうからそのこと自体は他にも同種の関係があるだろうけれど、ストーリーの主人公に登場させるという点が異色である。さらにその話の内容がちょっとコミカルなタッチのものになっているからおもしろい。暴力団の幹部たちにもそれぞれの個人生活がある。たとえば、山藤組の組長、山虎はこわもての組長なのだが、可愛げのないブルテリアのベルちゃんと称する犬が愛しくてしかたがないという犬好きなのだ。このベルちゃんは人に?みついたら離さないという必殺技を持っている。組員の下っ端で犬の世話係は噛まれたりして往生している犬なのだ。だが、このベルちゃん、おれの探偵事務所の電話番をする由子とは実に相性が良い。山虎から直接に犬の世話を頼まれるくらいなのだ。この短編集、ベルちゃんの出番がちゃんと組み込まれているのだから、おもしろい。
 暴力団からの依頼案件を扱った短編集なのだが、暴力団に対する社会批評的側面を扱う次元とは、位相をずらせた局面をこれら短編のモチーフにしている故か、気軽に楽しみながら、さてどうするの・・・・と読み進めるられておもしろい。ユーモラスでもある。

 各編について、簡単に触れておこう。

<ボス・イズ・バック>
 本書のタイトルに使われた標題の一編。山藤組の組長、山虎が、突然に組を解散し、引退して堅気になると言い出す。托鉢して日本全国を行脚する。極道稼業の垢にまみれた心を清めたいと言う。おれはベルちゃんの世話を頼まれる。勿論、世話の謝礼は出る。
 山虎は1週間後に、喜多村和尚のもとで得度式をするという。喜多村和尚は一癖も二癖もある生臭坊主。おれはこの話には裏がると直観し、この謎解きに首を突っ込んでいく。坊主がらみのオチになるところがナルホド!
 山虎は元の稼業に舞い戻る。つまり、ボス・イズ・バックである。これで今後もおれは生業を続けられるという次第。
 現代社会の潮流の一面をうまく取り出した、ありそうな・・・・筋立てに納得!

<師走の怪談
 S署きつての悪徳刑事、門倉権蔵、通称ゴリラが探偵事務所にやってくる。おれへの頼み事。ゴリラの妻がおめでたで、これを機会に、隣の町内の一戸建ての物件を買おうと考えている。その物件を調査してほしいという。現物を見たところ格安の良い物件と思えるので、念のために調べてほしいという依頼。
 おれは由子と夫婦を装ってその物件の下見に行く。担当者はマルカネ不動産の丸山兼弘の名刺を出した。由子は所長と丸山の話を聞いていた印象から、ワケあり物件との印象を抱く。
 おれは、由子の抱いた印象の根拠を究明していくことに・・・・・。
 これもありえる話だな・・・・そんな印象を残すストーリー展開がおもしろい。

<任侠ビジネス>
 山虎の姪・夢子を女房とする近眼(チカメ)のマサは、サンライズ興産の社長であり、山藤組の企業舎弟である。その近眼のマサが3ヵ月ほど前に宝くじを当て、5億5000万円を得たという。マサは介護ビジネスを立ち上げるという。外観上やくざとの関係を切り、許認可等を円滑に行う上からも、この新会社の社長をおれの名義で行いたいという。それなりの報酬を支払うということでもあり、おれはこの社長職に一枚かむことにした。
 そんな矢先に、マサの妻、夢子がおれに疑問をもらしてきた。宝くじで5億5000万円手に入れたという話は本当だろうかと。おれはその裏取り調査を始める羽目になる。介護ビジネスの社長職の件が絡んでくるのだから。
 いくつも裏側の手練手管が出てくるところが興味深い。暴力団関係者の預貯金問題もその一つ。

<和尚の初恋>
 金と女に目がない朴念寺の喜多村和尚に依頼を受けた調査についての話である。ここ1週間ほど、和尚の見る夢の中に幼馴染の久美ちゃんが出てくるという。おれは、50年ほども音信不通になっている本名、木村久美子という女性の調査を引き受けることになる。調査費用の値切り方の交渉がユーモラスだ。
 調査を始めると、和尚の初恋相手の問題は、朴念寺に近い山林の開発問題と絡んでいく・・・・。おれはS署のゴリラを巻き込んで、この問題解決に邁進する。
 かつての清純な恋の思い出と、現在の欲の絡んだ思惑の絡み合う問題とに接点があったというところがおもしろい。

<ベルちゃんの憂鬱>
 山虎の屋敷の前を通り探偵事務所に通勤している由子が、山虎に声をかけられた。相談事があると言う。三日前からベルちゃんが縁の下に潜り込み出てこないのだ。山虎の呼びかけにも、ドッグフードを準備しても相手にしない。おれはこの犬事件に巻き込まれていく羽目になる。発端は犬の問題なのだが、パラレルに組同士の縄張り争いの動きが潜行していた。意外なきっかけからおれがそのことに気づく。勿論然るべき手を打つ。
 一方、ベルちゃんの思わぬ行動があきらかとなっていく。
 ハッピーエンドで終わるところが楽しい。ホームドラマ調のユーモラスがある。

<由子の守護神>
 由子が失踪する事件が起こる。失踪して3日が経つ。おれはS署のゴリラに捜索の相談を持ち掛けた。一方、おれは近眼のマサから頼み事を受ける。組員の砂田富夫探しである。山虎のお気に入りの壺を割ったために怯えて逃げたらしい。だが、怪我の功名で、割れた壺が二重底であり、そこにお宝が隠されていたのだ。山虎は砂田に報奨金をやりたい気持ちになっているという。
 由子の失踪と砂田の逃走に接点が見つかる。だが、おれにとっての砂田探しは頓挫することに・・・。一方、由子探しには、おれの前にベルちゃんが現れる!
 意外な展開のオチとなる。まさにユーモラスなオチなのだ。

 組織としての暴力団の行動ではなく、暴力団に一括りにされる人間の個々人に着目し、そこに題材を見つけた短編連作である。探偵の「おれ」は、いわばテーマの引き出し役になっているように思う。気楽に楽しめる一冊!
 
 ご一読ありがとうございます。


『黒牢城』   米澤穂信      講談社

2024-09-21 22:36:36 | 諸作家作品
 先日『可燃物』を読み、その後で、著者が戦国時代にシフトしてミステリー小説を書いていることを知った。著者が時代小説としてミステリーものをどのように描くのか、という関心から読んでみた。
 奥書を読むと、2019年に「雪夜灯籠」が「文芸カドカワ」に、「花影手柄」「遠来念仏」「落日孤影」が2020年に「カドブンノベル」に連載された後、加筆修正を経て、2021年6月に単行本が刊行された。そして、2024年6月に文庫化されている。
単行本で読んだ後、調べてみると文庫版には単行本の表紙が引き継がれている。上掲は文庫版の表紙である。
 本書は第166回直木賞受賞作となった。

 本書は、「序章 因」「第一章 雪夜灯籠」「第二章 花影手柄」「第三章 遠来念仏」「第四章 落日孤影」「終章 果」という構成である。
 読後の第一印象をまず記したい。時間軸に沿って次々に独立の事件が発生する。それが最初に短編として発表された。そこには、通底する視点が併せて含まれていた。その4つの連作短編に序章と終章を加える形で内容が加筆修正された。そんな経緯を想像をした。雑誌掲載時の本文は未読なので、あくまで印象にすぎない。間違っているかも・・・・。
 第一章から第四章は、それぞれ独立した短編として読むことができる。その一方で、時間軸の進展の中で、一貫して人間心理の変転が通底していく。実に巧みな構成になっている。
 時代は戦国時代。主人公は荒木村重。村重は摂津国有岡城の城主である。単行本刊行時点での全体のストーリーの時間軸は、天正6年11月から始まる。村重は織田信長に叛旗を翻し、大坂の石山本願寺を本拠とする本願寺方に味方し、有岡城に籠城する戦略に出る。本願寺に味方する毛利につき、連携する形である。総構えの有岡城は籠城しても数年は十分持ちこたえる鉄壁の城とみなされていた。それを守るのが荒木村重ならばなおさら盤石だと。
 序章は、小寺官兵衛、つまり黒田官兵衛が有岡城に織田方の使者として来城するところから始まる。官兵衛は死を覚悟の上で村重への使者となる。官兵衛の子・松寿丸は織田への人質として羽柴秀吉に預けてあった。勿論、官兵衛の目的は、村重が織田には戦で勝てないことを説くことである。村重は、怒って官兵衛を殺すという挙には出ず、有岡城地下の土牢に官兵衛を閉じ込め、生かしておくという選択肢を取った。

 「黒牢城」というタイトルは、官兵衛の投げ込まれた立場、つまり、城の地下、暗黒の土牢に幽閉状態であることを象徴しているのだろう。一方で、総構えの有岡城に籠城する人々ー武士と兵士たち、その家族、城下の住民たちーは、籠城の結果、いわば自ら先が見えない状態で、総構えの城という大きな区域に拘束されている。いわば牢屋に居るような側面がある。この意味で、有岡城は村重側も第三者視点で見れば、黒牢城に居ることになる。そういう意味では、ダブル・ミーニングなのかもしれない。
 本書の表紙には、「Arioka Citadel case」と英語のタイトルが付されている。Citadelは辞書を引くと「城、とりで、要塞」の意味である。ストレートに「有岡城の事件」ということになる。

 序章と終章は因と果というタイトルのもとに、照応している。村重が信長に叛旗を翻し、使者の官兵衛を牢に幽閉したのが、因となり、それがどのような結果をもたらしたのかを、押さえている。時間軸で見れば、天正6年11月から始まり、天正7年10月の有岡城落城及びその後の顛末を明らかにするまでの期間になる。
 
 その期間に、4つの事件が次々に発生していく。
 <雪夜灯籠>
 天正6年師走、安部二右衛門が織田方に寝返った。人質の一子・安部自念を見せしめとして殺すことをせず、村重は、牢が設営できるまで、11歳の自念を一旦屋敷の奥の納戸に閉じ込める指示をし、御前衆に警護をさせた。だが、その自念が死んだ。遺体を検分し、村重は死因を矢傷と判断する。庭に積もる雪には一切の乱れなく、警備に落ち度も見つけられない。どういう手段を使い、犯人は誰か。調べるほど謎が深まっていく。

 <花影手柄>
天正7年3月初め、有岡城の西を守る上臈塚砦に滝川家中の佐治新介が名乗って矢文を射てくる。中西新八郎はその矢文を村重に届ける。織田方の振る舞いに諸将は憤懣を吐露するが、村重は一旦皆を諫める。
 有岡城の東の沼沢地に、織田方の大津伝十郎長昌が陣を設営する動きに出た。諸将の憤懣気分のいわばガス抜きを狙い、村重は一つの戦略を立てた。己の配下の精鋭と、根来孫六率いる根来衆と高山大慮の率いる高槻衆にて、夜討ちをかけて陣地を壊滅させるという策略である。その結果、根来衆と高槻衆が挙げた首級4つが首実検の対象となる。若者の首級はそのうち2つ。いずれが大津伝十郎の首級なのか。その確定が重要な課題となるが、情報を集約するほど村重には混迷が深まっていく。

<遠来念仏>
 年は五十ばかりの無辺という廻国の僧がいる。戦の前から無辺は有岡城下の人々に敬われていた。村重はある時から無辺を使者に使っていた。無辺は惟任日向守光秀に仕える斎藤内蔵助利光からの返書を持ち帰って来た。それに対して、村重は改めて光秀宛てに書を届けるように無辺に依頼する。この依頼には人質代わりに、村重所蔵の名物茶壷<寅申>を持参することを無辺に託す。だが、無辺は有岡を立つ前に、何者かにより殺害され、<寅申>も何処かに持ち去られてしまった。警護についていた御前衆の一人、秋岡四郎介もむくろとなって見つかった。無辺に依頼した時から無辺の死を知った時までの情報を村重は緻密に整理して考えるが、謎が深まるばかり。

<落日孤影>
 無辺殺しの犯人を追い詰めたが、犯人は奇しくも落雷を受け絶命した。その時から一月半後、7月下旬に、村重は御前衆の組頭、郡十右衛門にある探索を命じる。犯人が絶命する際、近くにいた村重は犯人の近くに撃ち込まれたと思える鉄砲の玉に気づいていたのだ。その時、誰が鉄砲で撃ったのか。狙撃者の解明とその背後にいる人物の特定が解明すべき謎として残っていたのだ。
 村重は、当日の鉄砲所持者の追跡調査を十右衛門に命じる。狙撃はどこから実行されたのか。鉄砲はどのようにして入手したのか。狙撃者は誰の命を受けていたのか。これも謎多き事柄だった。

 この4つの事件は、正に有岡城周辺で発生した事件の謎解きである。ミステリー短編仕立てになっている。村重は情報を家臣に収集させ、自らも関係者に細部にわたって尋ね、情報を集積して論理的に思考し、推理して犯人を解明していく。とことん考え詰める過程で行き詰まると、村重は地下の土牢まで下り、官兵衛に状況をつぶさに語って、官兵衛の意見を聞く。この二人の対話が、事件解決へのブレークスルーになっていく。官兵衛は己が村重に解答を述べることはしない。あくまで示唆という形で回答するだけである。村重が考え尽くしたうえでの示唆であるゆえに、それは村重にとり堂々巡りから抜け出す重要な契機となっていく。この経緯と二人の会話が、これらミステリーの読ませどころである。

 このストーリー、それだけでは終わらない側面がある。それは、城主である荒木村重の立場にある。有岡の地、摂津は村重にとり、生まれながらに地縁のある土地ではない。実力で、下剋上のプロセスを経て領主に上り詰めてきた。その過程で、摂津に地縁のある武士たちを家臣として束ねてきた。己の力量と才覚のみが家臣たちを総べる力になっている。その不安定さを村重は熟知している。
 堅城とはいえ、長期間に及んで籠城しているただ中にある。家臣、兵士たちの憤懣は徐々に増し、士気が振るわなくなりつつある。その渦中で謎めいた不可解な事件が発生すれば、噂が噂を呼ぶ。理解しかねる事象は、すべて神罰、仏罰などに結び付けられていく。ネガティブな気運が動き出す。それは結束力、士気を破壊する方向に向かう。それは城主である村重から離反を促す推進力になりかねない。村重はそういう諸将や人々の心理状態を考慮しながら、城主としての力量を発揮していかねばならない。
 つまり、事件の謎解きに専心する背景には、城主村重の立場という意識が厳然としてつきまとう。心理の動きはコインの一面である。謎解きと心理描写が一体化していく。この部分がもう一つの読ませどころとなっている。4つの事件に通底している。

 このストーリー、有岡城内に官兵衛が幽閉されていることにより成立する。城主である村重の心理が理解できる官兵衛がいなければ成り立たないという構成になっているところが面白い。そして、その官兵衛は官兵衛自身の視点で、智謀を働かしつつ村重に対応している。そこが重要なオチになっている。

 天正7年9月2日、荒木村重は有岡城を抜け出る。これは官兵衛が読んだ村重の心理通りの行動が。それとも、官兵衛との対話の後に、さらに村重に生まれた新たな思考と心理が引き起こしたことなのか。その点は、巧みに読者の解釈にゆだねているように思う。

 終章は、有明城落城とその後についての凡その事実が列挙される形に転換していく。本体はフィクション主体のストーリーが展開され、最後に歴史的事実が列挙されていく。有岡城落城後の状況をリンクさせている。すんなりと歴史時代小説の雰囲気を濃厚に漂わせる終わらせ方になっている。実に巧みだと感じる。
 
 ご一読ありがとうございます。
 

補遺
荒木村重    :ウィキペディア
だし      :ウィキペディア
黒田孝高    :ウィキペディア
有岡城址史跡公園    :「HYOGO!ナビ」
有岡城跡    :「伊丹市」
摂津 有岡城 伊丹市  :「兵庫県立歴史博物館」
有岡城の戦い  :ウィキペディア

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)




『人新世の「資本論」』    斎藤幸平    集英社新書

2024-09-17 17:39:53 | 科学関連
 先日、ジェレミー・リフキン著『限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭』(NHK出版)の読後印象をまとめた。その時、新聞の対談記事でジェレミー・リフキンさんを知ったことを冒頭に記した。この対談の相手が、本書の著者、斎藤幸平さんである。『人新世の「資本論」』をその記事の著者紹介で見たが、数年前に新聞の広告で幾度も取り上げられていたので、タイトルは知っていた。タイトルが気になり、いずれ読んでみよう・・・。それ故、対談記事から本書を読む動機づけを得た次第。
 本書が刊行されたのは2020年9月。読後に少し調べてみて、本書が「新書大賞2021」や「アジアベストブックアワード2021」を受賞していることを知った。

 本書の<はじめに>を読み、「人新世」を「ひとしんせい」(Anthropocene の訳語)と読むこと。さらに、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが名付けた用語だと初めて知った。この用語は「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、・・・地球は新たな時代に突入したと言い、・・・人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味」(p4)を持つと言う。著者はこの「人新世」の最大の特徴を挙げる。二酸化炭素は温室効果ガスの機能を担っている。だが、資本主義の発展過程で、人類が石炭や石油などの化石燃料を大量に使用し、膨大な二酸化炭素を排出しつづけてきた。地球環境の平均気温を上昇させ、気候変動を引き起こし、人類の存続の危機を引き起こしている。この二酸化炭素の排出量の累積増大による気温の上昇と気候変動の激化による人類存続の危機を、著者は「人新世」という一語でシンボライズしていると理解した。
 <第一章 気候変動と帝国的生活様式>では、資本主義の現状を分析する。
 この「人新世」を生み出したのは、科学技術の発展を手段として取り込んだ「資本主義」にあるとする。資本主義は、時代の進展につれ経済思想の視点を変えてきているが、あくなき利益追求、無限の価値増殖を目指すという根幹は微動ともしていない。一方、地球は有限である。ここに、矛盾が発生し、危機の本質が内在している。資本主義システムこそが、地球環境の危機をここまで深刻化させた原因であり、人新世における危機の到来は、資本主義システムでは解決できないと著者は説く。
 帝国的生活様式と環境負荷の外部化という用語は、資本主義経済社会に住む我々にとっては、耳の痛い言葉である。

 著者は<第二章>において、「グリーン・ニューディール」という政策プランを俎上にのせ、その欠陥を論じていく。章見出しは<気候ケインズ主義の限界>。詳しい説明はないが、20世紀の大恐慌の際のニューディール政策の再来をという願望であることから、ケインズという経済学者の名前がここに冠されているのだろう。「アメリカではトーマス・フリードマンやジェレミー・リフキンといった識者たちが提唱し」(p59)と記す。冒頭で記したリフキンは気候ケインズ主義者の一人として名指しで取り上げられている。

 著者は「緑の経済成長」は現実逃避の域を出ないと断言し、「脱成長」という選択肢を<第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つ>で論じていく。
 政治経済学者ケイト・ラワースの議論の出発点となる「ドーナツ経済」の概念図を手掛かりにして、公正な資源配分が、資本主義のもとで恒常的にできるかどうかを追究していく。著者は、「気候ファシズム」「野蛮状態」「気候毛沢東主義」「X」という未来への選択肢をフレームワークとして設定し、論じている。選択肢はわかりやすく類型化されている。これらの選択肢の説明のキーポイントに触れておこう。
 気候ファシズム:現状維持を願望。資本主義と経済成長に固執
 野蛮状態:超富裕層1%と残り99%との対立。大衆の反逆による勝利。世界は混沌に回帰
 気候毛沢東主義:中央集権的な独裁国家の出現。トップダウン型の気候変動対策
 X:強い国家に依存しない。民主主義的な相互扶助と自発的行動。持続可能性の追求
この提示説明から、著者の提言は「経済成長に依存しない経済システム、脱成長が有力な選択肢となるのだ」(p116)当然ながら、様々な反論に対して、著者は個別に己の考え方を説明していく。読者にとっては、一種のディベートを傍聴する様相となり、頭の整理にもなっていく。

 <第四章 「人新世」のマルクス>では、著者の研究成果の本領が発揮される。
 カール・マルクス著『資本論』は有名である。内容を知らなくても、その名称とソ連や中国等の社会主義革命の根幹にマルクスの思想、マルクス主義があることはよく知られている。だけれど・・・である。『資本論』の第1巻はマルクスが著述した。だが第2・3巻は、マルクスの没後に、盟友エンゲルスが遺稿を編集し出版したものに過ぎないという。この点、私自身は知らなかった!お粗末! 『共産党宣言』(1848年)はマルクスとエンゲルスの共著である。
 著者は今まで人々があまり関心を抱かなかったマルクスの膨大な「研究ノート」や草稿、マルクスの書いた新聞記事、手紙などという貴重な一次資料に着目して研究を重ねてきたという。『資本論』第1巻(1868年)を刊行した以降のマルクスの思想の進展と変化をここで論じていく。
 第1巻を刊行するまでの若きマルクスは生産力至上主義者であり、ヨーロッパ中心主義の立場で、進歩史観を抱いていたと分析する。だが、第1巻刊行以後、研究分野を広げ、深めて行く過程で、マルクスの考え方は大きく変化していったと著者はいう。マルクスが、エコロジー研究と共同体研究に力を注いだ点を著者は重視している。
 マルクスは、持続可能な経済発展をめざす「エコ社会主義」の考えを経て、晩年には「無限の成長ではなく、大地=地球を<コモンズ>として持続可能に管理すること」(p190)へと考え方を推し進めたと、新しい解釈を提示している。「ザスーリチ宛の手紙」の読み解き方を軸に論じていく。
 この章、マルクスの考えを知るうえで、実にエキサイティングである。
 かつて、ソ連や中国がめざしたもの、今もそうかもしれないが、その根幹のマルクス主義は、最終的なマルクスの考えとは異なるものを追求したことになる。おもしろく、かつ興味深い。
 著者は、「経済成長しない共同体社会の安定性が、持続可能で、平等な人間と自然の物質代謝を組織していた」(p193)という認識にマルクスが至ったと分析する。「定常型経済に依拠した持続可能性と平等が、資本への抵抗となり、将来社会の基礎になるとマルクスは結論づけたのだ」(p195)
 「西欧資本主義を真に乗り越えるプロジェクトとして、『脱成長コミュニズム』を構想する地点まで、マルクスは到達していたのだ」(p199)と著者は説く。
 マルクスが何を考えていたのか。その考えをとらえ直す上で、重要な資料となる章だと思う。

 「拡張を続ける経済活動が地球環境を破壊しつくそうとしている今、私たち自身の手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わりを迎える」(p206)という切実な認識のもとで、著者が提示する選択肢「X」が明らかになる。それは「脱成長コミュニズム」である。
 <第五章 加速主義という現実逃避>、<第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム>、<第七章 脱成長コミュニズムが世界を救う>、<第八章 気候正義という「梃子」>という一連の章は、著者の提唱する選択肢について、理解を促すために論じられている。著者の論理の展開は本書をお読み願いたい。
 ここではいくつかの命題的な記述箇所を引用し、ご紹介するにとどめたい。
*生産者たちが、自然との物質代謝を「合理的に規制」することを、マルクスはあくまでも、求めていたのである。  p226
*「本源的蓄積」とは、資本が<コモン>の潤沢さを解体し、人工的希少性を増大させていく過程のことを指す。つまり、資本主義はその発端から現在に至るまで、人々の生活をより貧しくすることによって成長してきたのである、 p237
   ⇒<コモン>とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のこと。 p141
<コモン>は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、
    自分たちで民主主義的に管理することを目指す。p141
*潤沢さを回復するための方法が、<コモン>の再建である。
 資本主義を乗り越えて、「ラディカルな潤沢さ」を21世紀に実現するのは<コモン>な
 のだ。・・・<コモン>のポイントは、人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理す
 るという点である。

 資本主義の問題点指摘、マルクスの考え方への新解釈、人新世の時代への選択肢に「脱成長コミュニズム」を提唱、と知的刺激に溢れている。

 <コモン>についての説明は部分的に各所で記述されている。だが、<コモン>を中核にした「脱成長コミュニズム」という選択肢の実現が、資本主義システムからの転換としてどのような筋道が描けるのか、どのようにして転換が可能なのか、具体的な管理はどのようになるのか、これらのイメージが私には具体的に湧いてこなかった。この点が残念。私の読解力不足なのかもしれないが・・・。
 もう一点、冒頭で記したジェレミー・リフキンさんは、第三次産業革命という視点で論じていき、本書で言う「人新世」の危機的課題について、「コモンズ」という事象に着目し論じている。彼は、「コモンズ」を共有型経済と述べ、協働主義者がコモンズを推進している各種事例を論じている。現象的には両著者が同じ側面のことに着目していると感じるのだが、両著者の概念の違いについて、頭の整理ができずにいる。課題を残した。

 いずれにしても、本書は問題提起の書として、一読の価値があると思う。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
人新世(アントロポセン)とは・意味  :「IDEAS FOR GOOD」
[3分解説] 「人新世」とは?その意味をわかりやすく :「SPORT2 スポーツを社会のために」 
「人新世の科学的根拠とその否認について」の解説文公開について: 「日本第四紀学会」
「人新世」地質時代提案の否決   :「JIRCAS 国際農林水産産業研究センター」
カール・マルクス  :ウィキペディア
資本論       :ウィキペディア
Marx-Engels-Gesamtausgabe  略称MEGA  :ウィキペディア
フリードリヒ・エンゲルス  :ウィキペディア
人新世の「資本論」 :「東京大学教員の著者自らが語る広場 UTtokyo BiblioPlaza」
「人新世の『資本論』」著者に聞く ~経済成長主義がもたらす未来、持続可能な社会へのヒント     :「business leaders aquare wisdom  NEC」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)