相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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新横綱丸山ら当地で興行

2012-05-16 21:01:34 | 日記
 「長崎相撲の由來」⑩「その昔相撲巧者は谷風
よりも丸山關」を鳥渡ばかり転載━。

〔前略〕寛延二年十月におよんで當時の新横綱
丸山等に對する西方大關阿蘇ケ嶽等を一行とする
大相撲が、小島〔註=現長崎市に西小島・中小島・
上小島…の地名が存在。〕において華々しく興行
された。その顏觸は、榎津町西氏の書留たところに
よると、東方は、丸山、源氏山、御所ケ島、八光山、
湯ケ崎、出日崎、宮城野、七ツ森などであり 西方
は、阿蘇ケ嶽、御所車、獅千〔ママ〕飛、根津ケ關、
不知火、驅獅子、若山、大嶽等であつた。東西とも
に、當時における著名の強剛力士ぞろひであり、
これまで來崎したもろ〱の團體中、もつとも整備
した代表的大相撲の一行であつた。
 このとき丸山が來崎したのは 彼がいよ〱大成
して、横綱をゆるされることになり、同年八月熊本に
くだつて、司家から免許をうけ、その途次を利して、
日ごろ念願した訪崎の目的を達成したものであらう。
〔後略〕

 当、本河内に天草出身の雲早山らとともに仙台
生れの横綱丸山の墓が在る。附近出身の瓊ノ浦改め
両國(当時待乳山)が“案内役”だったらしい。
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