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5連敗で土俵を去ったが…

2024-06-10 13:43:57 | 日記
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 幕末の弘化二(1845)年春場所六日目の
中入り前、幕内力士一番手として土俵へ
上った数え41歳の音羽山(←十万ノ海←
笘ヶ嶋←象ヶ鼻)は、二日目から黒星が
続いていた。〔彼は、在幕中の引分けが
皆無の当時の珍しい力士なのである。〕
 対戦相手は、番附頭書が片仮名で「カ
ラツ」とある“万年幕下”玉ヶ橋で当場所も
前半戦白星がなかった。それでも、“貧乏
神”〔隠語で幕下(現十両)筆頭のこと〕を
当場所を含み通算5場所つとめている。
当然、幕内挑戦が数番あり白星も得てい
る。
 勝負は熱戦・凡戦いずれか不明だが、
音羽山は遂に5連敗を記録してしまった。
拙稿「熱戦譜」には「引退間近?」と書
く…が、どうやら限界を悟って土俵へ再
度上ることはなく、翌場所番附から名が
消えている。
 一方、玉ヶ橋は安政三(1856)年まで幕
下番附にその名が載っている。不運なの
か、古今の入幕力士に列することはない
ばかりか、「年寄」を襲名する機会もなく
角界を去り、『相撲の史跡』に採りあげ
られず、その後の消息や・墓碑の存在も
判然としない。唐津出身だったと思える
が、如何ともし難い。
 反して、音羽山の方は、年寄Ⅵ音羽山
からⅧ雷 権太夫を襲って慶應年間には
相撲會所の重鎮になり、明治二年65歳で
逝った。
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