折角蒐集した相撲資料を活用しなければ
“宝の持ち腐れ”になってしまう。だから、
コレクションのひとつ━大正~昭和の古「番
附」なんかも、たまには引っ張出して拡げて
みる。
今夕は、押入に所蔵している日本相撲協会
〔昭和三二年まで「大日本…」〕機関誌『相撲』
の昭和三十年十二月号から渡邊光太郎氏寄稿
〔『相撲』の場合は渡辺港太郎。〕の連載もの
「昭和相撲史 豪勇無敵 双葉山時代」の玉稿
〔昭和二~六年の20場所が対象外は遺憾だ〕
が果して昭和六三年の遺著『昭和の相撲史 戦前
篇』と、そっくりその侭なのか・否かを調べる
ため…。
快晴の日曜で早朝からつめかけた観客で
スタンドもいっぱい。その数無慮八万を数
える相撲はじまって以来の大盛況を呈した。
平仮名「いっぱい」が漢字「一杯」になって
いただけで殆んどおなじだった。他に、眼に
ついたのは
なお、しばらく空席であった理事長には
藤嶋(元 常ノ花)が選任された。
─この箇所は『相撲』への旧稿には欠けて
いた。更に、遺著は出羽海だが旧稿は出羽ノ海
となっていた。また、旧稿では「何月場所」の
呼称じゃぁなかった。
過日、既述のとおり、『朝日グラフ』からの
“孫引き”の恰好で後楽園球場8万人観衆の大袈裟
ぶりは矢張り笑止千万だと思っちゃう。
“宝の持ち腐れ”になってしまう。だから、
コレクションのひとつ━大正~昭和の古「番
附」なんかも、たまには引っ張出して拡げて
みる。
今夕は、押入に所蔵している日本相撲協会
〔昭和三二年まで「大日本…」〕機関誌『相撲』
の昭和三十年十二月号から渡邊光太郎氏寄稿
〔『相撲』の場合は渡辺港太郎。〕の連載もの
「昭和相撲史 豪勇無敵 双葉山時代」の玉稿
〔昭和二~六年の20場所が対象外は遺憾だ〕
が果して昭和六三年の遺著『昭和の相撲史 戦前
篇』と、そっくりその侭なのか・否かを調べる
ため…。
快晴の日曜で早朝からつめかけた観客で
スタンドもいっぱい。その数無慮八万を数
える相撲はじまって以来の大盛況を呈した。
平仮名「いっぱい」が漢字「一杯」になって
いただけで殆んどおなじだった。他に、眼に
ついたのは
なお、しばらく空席であった理事長には
藤嶋(元 常ノ花)が選任された。
─この箇所は『相撲』への旧稿には欠けて
いた。更に、遺著は出羽海だが旧稿は出羽ノ海
となっていた。また、旧稿では「何月場所」の
呼称じゃぁなかった。
過日、既述のとおり、『朝日グラフ』からの
“孫引き”の恰好で後楽園球場8万人観衆の大袈裟
ぶりは矢張り笑止千万だと思っちゃう。