相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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宇良、明日は「入幕試験」だ

2017-01-20 20:52:33 | 日記
 十両の技巧派力士宇良が遂に“二桁”の
白星をあげた。

 彦山選抜175技〔昭和三十八年発表〕では
劈頭に「額・顎・頚・肩で攻める技」18名
称のうち、5番めに「たすきぞり」があり、
その説明を転載してみたい。

 相手の左(右)差し手を右(左)手でかかえこみ、
その腋の下へ頭をつっこみ、自分の左(右)差し手
のひらを相手の左(右)膝の内側近くへ外から
あてて刎ねあげながら、自分の右(左)後へそり
かえす。三濱洋が智異ノ山(194cm)を、廣瀬川
と栃錦がそれぞれ不動岩(212cm)をこの技で
倒した。

 いやぁ185cm・206kgの巨体を“裏返し”に
したのは凄いですなぁ。
 10勝のなかに「元関脇」も含まれているが、
殆んど十両下位が相手だった。
 「番附運」も想定外にすべきじゃぁない。
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90年前「不戦勝」が問題化?!

2017-01-20 13:01:19 | 日記
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 戦わずして白星の「不戦勝」なるものが
初めて適用されたのは大正末だったが、当初
不戦…力士は土俵へ上って「勝名乗り」を
受けなかった。
 「優勝」制度との関係がはじめて問題と
なったのは昭和二年十月〔於 京都〕場所で
ある。

 東横綱 常ノ花〔後出羽海理事長〕









●能代泻(大関)
□宮城山(横綱)

 西大関 能代泻〔後立田山監事〕








●常陸岩(大関)
◯常ノ花(横綱)
◯大ノ里(大関)

 後昭和三六年「停年制」施行で退職した
立田山親方は、「あの制度はわしに優勝
させなかった」と、ぼやいたらしい。

 尚、当時11日間制で、「…決定戦」制度
がなかった。
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