相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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大鵬の印象

2013-01-19 20:20:08 | 日記
  元横綱大鵬逝去。そこで名解説者神風正一氏(元関脇)に
彼を批評してもらう━。

〔前略〕相撲ぶりに強烈な印象がない。これは、彼の取口から
きている。攻めるところは攻め、しのぐべきところはしのぐのだ
が、“そつ”がないという印象ばかりが強く残る。〔中略〕大鵬の
強味は、巧味にあったと思う。相手を疲れさすという芸も身に
つけていた。やはり「負けない相撲」が身上だったといえよう。
そして、そうした技術を駆使し得るだけの賢明さと、しつこさと、
体力、体質など、恵まれた素質が兼ね備わっていたのだろう。
〔後略〕

 著書『神風一代』より抜萃した。ついでだから、別項「現在の
相撲について」から━。

〔前略〕昭和六十年の初場所には両国の新国技館が完成、
立派な建物ができあがった。だが果してこの大相撲の殿堂に
ふさわしい土俵内容かどうかは、大いに疑問に思う。〔後略〕

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70年間に15例の大関改名

2013-01-19 12:37:39 | 日記
  文政十年春場所、東大関の小柳が阿武松(おうのまつ)
と改名した。それ以前における大関の改名は━。

明和二(1765)年冬 都嶋→洞ヶ嶽
 〃 六年 冬  冨士ヶ嶽→東森

安永元(1772)年冬 恵蘇嶋→恵蘇嶽
 〃 四年 春  大鳥居→大 渡
 〃 七年 冬  砥並山→鬼方嶋
 〃 八年 春  鳴 沢→鷲ヶ濱

寛政十(1798)年春 磐石→不知火
 〃 十二年春  大山→荒 滝
 〃  〃  冬  陣幕→押尾川

享和二(1802)年春 花頂山→市野上
 〃  〃  冬  関ノ戸→大見

文化九(1812)年冬 鉞(まさかり)→鈴ヶ峰
 〃 十年 春  桑の弓→白 川
 〃  〃  冬  雪見山→鳳(おおとり)

文政十(1827)年春 小 柳→阿武松

 尚、明和六年冬場所、後横綱谷風の伊達関が達ヶ関
と字を変えているが、読み方は同じなので除外した。
 寶暦七(1757)年からの70年間に15例━凡そ5年弱に
一人の大関が改名した勘定。  
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