相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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最近判明の6番

2013-01-18 20:26:43 | 日記
 事実上廃刊の『大相撲』からの転載につづいて、今度は
日本相撲協会機関誌と銘打つ『相撲』のバックナンバーを
引張り出してみた━その理由とは…。

 江戸時代から大正期まで、現代と“興行形態”の異なるこ
との一つに、取組順序━横綱・三役力士だって「中入り前」
の土俵へ上った…。したがって、拙稿「江戸大相撲熱戦譜」
は各場所初日~千秋楽の取組順がわかるようにしている。
 文政十(1827)年冬場所は、『日本相撲史』は勿論、準拠
したと思われる『相撲起顯』も五日目で終った━と記録。
 しかし、十数年前になって真実は6日間興行だったことが
判明━幕内関係取組順が『相撲』平成十二年九月号に記載。

 前一○東 関─由良ノ海(幕下1)
 関脇○江戸ヶ浦─鳥井●前六
  〃●源氏山─越ヶ濱○前一
中入り後
 前五○越ノ海─春日山●前五
 小結○岩戸山─黒 柳●前二
 大関○阿武松─璞(あらたま)●前三

 …博物館へ照会せずに済んだ次第。

 
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読者の意見にも……

2013-01-18 12:35:09 | 日記
 読売新聞社刊『大相撲』昭和37年7月号の彦山論文に
つづいて、同誌の同39年2月号「読者席」から━。

 初場所初日から、立行司木村庄之助は山梨県知事から
贈られた、信玄型の軍配を使用している。
 元来行司は公正中立の立場に立つものであり、その手に
持って勝敗を決するのは“軍配”ではなく“団扇”であるはず。
 軍配は敵をうち破るために、部将が味方に指示を与える
もので、決して公正中立を象徴するものではない。
 したがって公平な立場で、両力士の勝ち負けを判断し、判
定を下すべき道具として、信玄型の“軍配”を使用するのは
関係者の不見識によるものであろう。
 テレビ放送などでも、「軍配かかえる」とか「朱房の軍配」
とかアナウンサーが言っているのを聞くが、これも正しくは
「団扇」というべきで、すみやかに訂正されたいと思う〔後略〕

 言葉は時代とともに変化するものだが、団扇→軍配は明治
後期からであろう。
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