巳年に因んだ話題━。歌舞伎関係の“書体”は「勘亭流」
と呼ばれる。大相撲の番附における独特の文字は「根岸流」
と呼称すべきであろう。大正九年までは根岸(←三河屋)治
右エ門〔昭和二十六年五月まで唯一の“世襲年寄”だった。〕
という個人が番附・星取表等の版元であった。その番附文字
も筆者個人によって微妙に書体が異なる━昭和二十年代後
半~四十年代初めに担当した式守(→鏡山)勘太夫がもっとも
“名人”=能筆だったと称賛したい。小生なんか“猿真似”しか
できっこない。
ところで、その根岸流では「己」・「已」・「巳」の3字を厳格に
区別できず、「己」も「巳」も「已」になってしまうようだ。例えば
巳年の大正六年生れ、後の大鵬の師匠二所ノ関取締━大関
佐賀ノ花の下の名前は勝巳なのか、勝己なのか。番附では
勝已みたいに書いてある。
北朝鮮ウォッチャーの佐藤勝巳氏は「勝己」ではないが、
一般人では「…己」を「…み」と読ませることが少なくない。
と呼ばれる。大相撲の番附における独特の文字は「根岸流」
と呼称すべきであろう。大正九年までは根岸(←三河屋)治
右エ門〔昭和二十六年五月まで唯一の“世襲年寄”だった。〕
という個人が番附・星取表等の版元であった。その番附文字
も筆者個人によって微妙に書体が異なる━昭和二十年代後
半~四十年代初めに担当した式守(→鏡山)勘太夫がもっとも
“名人”=能筆だったと称賛したい。小生なんか“猿真似”しか
できっこない。
ところで、その根岸流では「己」・「已」・「巳」の3字を厳格に
区別できず、「己」も「巳」も「已」になってしまうようだ。例えば
巳年の大正六年生れ、後の大鵬の師匠二所ノ関取締━大関
佐賀ノ花の下の名前は勝巳なのか、勝己なのか。番附では
勝已みたいに書いてある。
北朝鮮ウォッチャーの佐藤勝巳氏は「勝己」ではないが、
一般人では「…己」を「…み」と読ませることが少なくない。