相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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巳年の話題

2013-01-01 19:58:58 | 日記
  巳年に因んだ話題━。歌舞伎関係の“書体”は「勘亭流」
と呼ばれる。大相撲の番附における独特の文字は「根岸流」
と呼称すべきであろう。大正九年までは根岸(←三河屋)治
右エ門〔昭和二十六年五月まで唯一の“世襲年寄”だった。〕
という個人が番附・星取表等の版元であった。その番附文字
も筆者個人によって微妙に書体が異なる━昭和二十年代後
半~四十年代初めに担当した式守(→鏡山)勘太夫がもっとも
“名人”=能筆だったと称賛したい。小生なんか“猿真似”しか
できっこない。
 ところで、その根岸流では「己」・「已」・「巳」の3字を厳格に
区別できず、「己」も「巳」も「已」になってしまうようだ。例えば
巳年の大正六年生れ、後の大鵬の師匠二所ノ関取締━大関
佐賀ノ花の下の名前は勝巳なのか、勝己なのか。番附では
勝已みたいに書いてある。

 北朝鮮ウォッチャーの佐藤勝巳氏は「勝己」ではないが、
一般人では「…己」を「…み」と読ませることが少なくない。
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3万収容の国技館構想

2013-01-01 12:49:46 | 日記
 皆さん、新年おめでとうございます。本年も当ブログを
何卒よろしく お願い申しあげます。

 3年ちかく前、廃刊した『大相撲』昭和三十九年三月号
の天竜三郎・玉ノ海梅吉両氏の対談より━。

天竜 〔前略〕丁度東京オリンピックの大体決ったときだった。
そのとき私は時津風理事長〔註=元横綱双葉山〕に「〔中略〕
大国技館を造りなさい」と言ったのだ。〔中略〕出羽海梶之助
(元両國)が“今の両国の一万何千人ぐらいの収容能力しか
ない〔旧〕国技館では小さい。少なくとも三万人ぐらい入れる
大国技館にしたい”ということで土地を物色、そしてあの蔵前
の土地を買入れたのです〔中略〕“理事長、思い切ってオリン
ピックに屋内競技場を提供するという名目で大国技館をやん
なさい”こう言って勧めたのです。ところが“そんな金はない”
と只聞き流しにされてしまった〔中略〕そういう前提で政府に
交渉すれば金も出してもらえるし、銀行利子も安く借りられた
〔中略〕
玉ノ海 あの当時の国技館は、一杯に客が入らなかった。そこで
四階は学生を招待して埋めておった。あのときあそこで観ていた
連中が現代の相撲ファンになっているのだから、まず上の方は
次期の相撲ファンをつくるため学生を招待して観せていく。そう
いうことをすることが財団法人 相撲協会の仕事だと思う。
天竜 〔中略〕満員にならないと心配する向きもあるが、プロ野球
だって閑古鳥の鳴く試合だってある〔中略〕相撲だっていい取組が
あれば三万ぐらい入る。それが5日続けば、今の15日に当る訳です。
〔後略〕

 東京五輪の競技場と関聯づけた“発想”は凄いと思う。
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