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ぶんやさんの記録

第8回 マタイ福音書講釈 この岩の上に教会を建てる

2014-07-28 09:39:39 | 聖研
みなさま、昨日の聖書研究会の原稿をお送りします。昨日は、1時間半かけて、第4節までしかできませんでした。5節、6節が肝心の部分ですが、前半に時間をかけすぎてしまいました。昨日、出席した方々は、特にこの部分をお読みください。

第8回 マタイ福音書講釈 この岩の上に教会を建てる(13:54~17:27)

はじめに(本日カバーすべきテキストは13:54から17:27)

主日日課に取り上げられているテキスト
14:13~21 特定13  五千人の給食
14:22~33 特定14 湖上を歩く
15:21~28 特定15 カナンの女の信仰
16:13~20 特定16 ペトロの信仰告白
16:21~28 特定17 死と復活の予告
17:01~09 大斎節前主日 イエスの姿変わりの出来事

主日日課に取り上げられていないテキスト
13:54~58 ナザレで受け入れられない
14:01~12 洗礼者ヨハネの処刑、平行記事でも取り上げられていない。
14:34~36 まとめの句
15:01~20 昔の人の言い伝え
15:29~31 まとめの句
15:32~39 4千人給食
16:01~12 ファリサイ派とサドカイ派、平行記事でも取り上げられていない。
17:10~13 エリアについて、平行記事でも取り上げられていない。
17:14~27 悪霊に取り憑かれた子供の癒し、平行記事でも取り上げられていない。

この部分は非常に多岐にわたり、取り上げられていない部分だけでも一回の聖書研究で収まりきれるものだはない。それで、今回はテーマを絞って16:13~20を中心にして、使徒ペトロと教会の関係について考える。
この部分については、ローマ・カトリック教会の教皇の権威根拠として重要で、宗教改革以来、激しく議論されてきたテキストでもある。この問題について正面から堂々と議論して有名になっているのがドイツのO.クルマンという新約学者の『ペテロ』という本である。本日はそれを参照しながらそのいくつかの問題点を取り上げて共に考えたい。

1.テキスト(16:13~23)の位置づけ
マタイ福音書全体を通して16:13~23がクライマックスであると思う。ここでの出来事の前後でモードがガラリと変わる。ここまでは頂上を目指してひたすら登る雰囲気があるが、山頂に立つと目的地がはっきりと見える。ここからはそこに向かってまっしぐらに進むという感じである。勿論、目的地は「十字架と復活」である。16:21で著者マタイは「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」と書く。

2.マルコのメッセージ
この部分で、マタイはマルコ福音書の「フィリポ・カイザリアの出来事(8:27~33)」の記事とマタイ独自の資料に基づく17節~19節とを組み合わせている。構造的に見るとマルコの記事を前半と後半とに分けて、その真中にマタイの記事が挿入されている。その挿入に際してマタイはマルコの記事を改定している。考えてみると失礼な話で、マルコにおいてはその物語自体にメッセージが込められているのをマタイはマルコの記事を自分の自身のメッセージを語るための「枠」として利用しているのである。
先ず、マルコのメッセージを確認しておく。
マルコはこの出来事を全く予期しなかった重要な出来事が起こったと感じている。それまではイエスが自己のメシア意識については全く触れようとせず、むしろ避けていたように見える。その姿勢が、突然そのことを話題にし始めたのである。「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」。その上、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たちに問う。こんなことは今まで、一度もなかったことである。そこでペトロが弟子たちを代表して、控えめに「あなたは、メシアです」と答える。この答えは半信半疑の答えである。答えてみたという感じである。そんなことはイエスの口から聞いたこともないし、何とはなしに弟子たちもそう思っているが、確証があったわけではない。ペトロはこの答えを以前にカファルナウムにおいて悪魔に取り憑かれた者が口にしていたのを思い出したのかもしれない(1:24、5:7)。それに対してイエスはイエスともノーとも言わない。ただ黙っている。そしてただ一言、「御自分のことをだれにも話さないように」と弟子たちを戒められたという。ただそれだけのことである。特に印象的なことは何もない。ただイエスはその時、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」と語る。この問答のちぐはぐは何だろうか。ここでの「人の子」という表現は明らかに終末時に現れるメシアを意味している。ここが最も肝心なことで、このイエスの答えによってイエスが考えるキリストという意味と弟子たちが答えたキリストという言葉の意味のギャップが示されている。にも関わらず、弟子たちはそのことに気がついていない。マルコはこの出来事を一つのことの始まりだという。つまり、キリストとは誰かということを「弟子たちに教え始められた」という。「 しかも、そのことをはっきりとお話しになった」ともいう。しかしその出来事は一過性の出来事であったのだろう。ただ教会が成立した後に「あの時から」教え始められたということに気がつくという種類の経験であろう。ところが次の瞬間、ペトロがとった行為が弟子たちの無理解を暴露する行為であった。その行為に対して、イエスは「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と言われた。弟子たちはイエスがここまで話しておられたのに、その時点では全く理解していなかった。
以上がマルコが語るメッセージである。マルコ福音書における「枠物語」(マルコでは決して「枠」ではない)の結論について、クルマンは次のようにまとめている。「あの『あなたこそ、キリストです』という言葉を話した者が、メシアへの告白の言表においてではないが、しかし、彼のこの言葉の理解において悪魔の器であったことを示している。この場合、悪魔はペトロの姿でイエスに近づく。それ故に、イエスはその弟子に言う。「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(218頁)。

3.マタイによるマルコの記事の改変
マタイはこのストーリーを作り変える。先ず手始めにマルコの「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」の「わたしのこと」を「人の子のこと」に言い換える。田川建三氏はこれを「ただ格好つけただけ」と解釈しているが、そうだろうか。マタイは彼の福音書の中で「人の子」という言葉を34回用いているが、そのほとんどは「人間の姿をとった神」「終末に現れる救済者」という意味に用いている。つまり「キリスト」という意味である。だとするとこのイエスの質問はすでに答えを予想し含んでいることになる。つまり弟子たちの「あなたのメシアです」という答えは当然予想された答えであってマルコにおけるような「たどたどしさ」は感じられない。その気持を強調するかのように「メシアです」という言葉だけでは物足りないと感じたのか「神の子」という言葉まで付け加えている。それでもまだ足りないと思ったのか「生ける」という言葉も付け加える。これでペトロの答えは完全、いや120%完全な答えとなる。しかしそれだけにマルコのような「生き生きさ」が失われ、典礼的な答えとなっている。
後半(20節以下)では、マルコ福音書と同じように「御自分のことをだれにも話さないように」という弟子たちに対する箝口令から始まる。ここでもマタイはマルコの「御自分のこと」という節約された言葉を「御自分がメシアであること」と丁寧にフルセンテンスに変更している。その上で、御自分の受難の予告を述べられる。それに対してペトロがイエスを「諌める」。マルコでは諫める内容が書かれていないが、マタイでは明確に「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」とペトロのセリフを書き加えている。それに対してイエスは「振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた」という。つまりマルコではイエスの言葉はペトロだけではなく弟子たちにも向けられている。ところがマタイでは「弟子たちを見ながら」という言葉が省かれ、イエスの言葉はペトロにだけ向けられている。これではペトロの傷のつき方は尋常ではないであろう。イエスに対する諫言もマルコでは弟子たち全体の意志であり、イエスは弟子たち全体に対する「サタン」と言われたのであるが、マタイではそれはペトロだけに対して向けられた言葉となる。このことが後に重要なこととなる。

4.17節~19節の語義解題
マタイがマルコの記事に挿入したテキストが今日の課題である。一体、マタイはこの資料をどこから得たのであろうか。この資料の背景にあるものは何か。そのことを取り上げるまでに、先ずこのテキストに含まれている重要な言葉について整理をしておく。
先ず、ペトロの命名についての記事。イエスが本名シモンという男にペトロという名前を付けた。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」という言葉だけを取り上げる。ペトロという名前の意味は「岩」であり、アラム語では「ケファ」で、マタイではここの場面でイエスがペトロという名前を付けたように描かれているが、マルコ福音書では12人の弟子の選定の際に付けられている(マルコ3:16)。ヨハネ福音書では最初の出会いの日に「イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」(ヨハネ1:42)。ここではペテロの風貌から命名されたように思われる。
つまり、この岩の上に教会を建てるというペトロ命名説話は、マタイの事後のコジツケに近いものと思われる。
もう一つここで問題になるのは「教会」という言葉である。現在にまで至るいわゆる「教会」という存在が歴史の上で登場したのはペンテコステ以後のことである。時間的経過からいうとイエスの十字架と復活の後、分解した弟子たちの集団が復活のイエスの顕現という出来事を経験し、再結集した時から始まる。
という訳で、この句は時代錯誤、あるいは教会成立後に、ペトロ命名のエピソードと共にペトロの権威を高めるために挿入された句であるという主張がなされる。しかし、そう判断するのは性急である、とクルマンは言う(232頁以降)。
ここで用いられている教会という単語、エクレーシアという語は何もイエスに始まったわけでもなく、教会成立後にできた言葉でもない。旧約聖書のギリシャ語訳(70人訳聖書)では実に100回以上も用いられている。そのような使い方は新約聖書にもある。使徒言行録に保存されているステパノの演説の中に「この人(モーセ)が荒れ野の集会(エクレーシア)において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです」(7:38)という言葉がある。ここで用いられている「集会」という言葉が「エクレーシア」である。ヘブル語では「カーハール」でそれは端的に言って「神の民」という意味である。従ってここでイエスが「エクレーシア」という言葉を用いたからといって驚くべきことでも、時代錯誤でもない。むしろ、この語を後に成立するキリスト教の「教会」という意味で考えることが間違いなのであってユダヤ教的な意味での「神の民」である。従って、この部分でも「わたしはこの岩の上にわたしの神の民を建てる」と言い直すことができる。むしろ重要なことは、このエクレーシアという言葉に付加されている「私の」という所有格である。「わたしのエクレーシアを建てる」という意味は重要である。当時のユダヤ教におけるメシア観においては、メシアは「イスラエルの残りの者」を集めてメシアに対応する新しい神の民「聖なる民」を形成する信じられていた(ダニエル7:18、27)。要するに「わたしのエクレーシアを建てる」という宣言は、わたしはメシアであるという宣言に等しい。

5.ペトロの告白物語の背景
さてこの部分(17~19節)の出典はどこか。この部分は明らかにキリスト教のものであるから、そっくり教会成立後の出来事とする学者もいる。中には2世紀のものであろうという学者もいる。しかしこのテキストはカトリック教会においては存立の根拠の一つでもあり、プロテスタントの学者たちとの非常に複雑な議論が展開される。それでここではそれらのすべての議論を省略して結論だけを述べておく。先ずこのテキストはマタイ独自の資料によるものであり、マルコに見られる「フィリポ・カイサリアの出来事」の資料とは独立している。おそらく受難物語の中にあったものであろう。次にイエスがシモンに「ペトロ」という名前をつけたのは何時か分からないがイエスの生前の出来事であるということは否定出来ない。イエスによるペトロの命名物語と教会の土台及び「天国の鍵」とを結びつけたのは教会成立後間もない頃、まだペトロが教会の指導者として活躍していた頃であろう。
さてクルマンは以上の結論を背景にして一つの仮説を立てる。この物語は明らかにイエス復活後の出来事の記録であり、それはヨハネ21章のイエス顕現の物語、およびルカ22:31~34のイエスとペトロのと対話の伝承と共通の背景を持つとする。ここからは非常に専門的な話になる。ルカの物語では要するに、ペトロはイエスのために命をかけて従うと告白するが、その後に裏切ることになる。しかしイエスはペトロのために祈り、そのペトロに信徒たちを励ます役割を命じるという予告である。
この場面をドラマティックに描いているのが、ヨハネ21章の「わたしの羊を飼え」という場面である。つまりマタイ16:13~23のマルコの引用部分、マタイでは物語の枠の部分(13~16、20~23)は十字架と復活以前のペトロの姿を描き、17~19節は復活後のペテロの復活の場面を描いている。

6.何故ペトロなのか
ここで思い出さべきことはペトロに対するイエスの言葉である。もともとは弟子たち全員に述べられた叱責であるが、それをペトロは自分のこととして受けとめ、大きな心の傷として残った。「私のメシア観」と「イエスのメシア観」とのギャップが「トラウマ」として残った。「私のメシア観」が正しければ、イエスは敗北者である。逆に「イエスのメシア観」が正しければ、自分が敗北者である。今、私の前でイエスは十字架上で死んだ。これは敗北者の死であろうか。いや、あの時すでにイエスはこれを覚悟しての、いやこれを目指してのエルサレム行きであった。イエスは決して敗北者ではない。敗北しているのは自分である。このような葛藤の中で復活者イエスがペトロに現れた。これが1コリント15:5で復活者イエスが「ケファに現れ」と筆頭に書かれている意味であろう。復活者イエスを最初に認知したのはペトロである。あの時の傷が最も大きかったペトロが最初に復活者を見た。これが最初期の教会の告白である。このペトロの経験についてマタイは「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなくわたしの天の父なのだ」というイエスの言葉を付け加えている。
この出来事を長閑なガリラヤ湖を舞台に描いているのがヨハネ21章の出来事である。あの時もペトロだけが「主だ」と叫んで湖に飛び込んでいる。なんと象徴的な描写であろう。このペトロに、イエスは3回も繰り返し「わたしの小羊を飼え」と語られた。最初期の教会の成立を考える時、この出来事を無視できない。使徒言行録を読むと、ペトロが教会成立の始めらから第1の指導者であったことを同然のこととして語る。確かに、使徒ペトロを中心として教会は成立した。イエスの十字架と復活についても、パウロが登場するまでは使徒ペトロの考え(神学)出会ったことは否めない。イエスの十字架をどう解釈するのか。

7.ペトロの神学
ペトロがペンテコステの日に行なった説教によると、「ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方」(使徒言行録2:22)であり、この方が十字架に向かって進まれた。あの十字架の死は「そのために遣わされたものの死」であった。つまりペトロにおいてはイザヤ書が語る「苦難の僕像」(イザヤ52:13)とイエスの生き方とが重なっていたのであろう。
ペトロが神殿において行なった説教ではイエスのことを「神の僕」として述べ(使徒言行録3:13、3:26)議会の取り調べの席のあと、仲間のところに戻って感謝の祈りにおいてもダビデの詩を引用して「あなたの僕」(同4:25)と言い、「あなたが油を注がれた聖なる僕イエス」(同27)と述べ、「聖なる僕イエスの名」(同30)と述べている。おそらくこれらが最古のキリスト論であろう。(参照:1ペトロ2:21)
このキリスト理解は全て、マタイ16章における「あの事件」に由来している。

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