詩編91編1節~9節には、神エホバを避難所とし、神エホバに依り頼むことによって真の安全・平安を得ることができることの保証が記されていました。特に後半では、多くの人々が神エホバを避難所としなかったたために、「まさしくわたしの傍らに倒れ」、霊的に死にます。いわば、「万人」が今日の霊的イスラエル人の「右手」に倒れます(詩編91:7.ガラテア6:16)。しかし、油注がれたクリスチャンも、その献身した仲間も、神エホバの「秘められた所」におり、全き安全を得ます(詩編91:1)。「邪悪な者たち」は商業、偽りの諸宗教、その他の分野で問題を刈り取りますが、真のクリスチャンたちはただ「見つめ、彼らの応報を見る」だけです(詩編91:8.ガラテア6:7)。今日紹介する詩編91編10節~16節には、神エホバを避難所とし、神エホバに依り頼む者にはどんな災いも降り懸からない、保証の言葉が記されています(詩編91:10)。対処しにくい危機の時代に住む私たちが信仰に堅く立つことができるように、モーセの祈りの言葉が記されています(テモテ第二3:1~5)。
詩編91編10節~16節には次のように記されています。皆様方はみ言葉の中からどのような宝を見いだされるでしょうか。
「10 どんな災いもあなたに降り懸かることなく、
災厄もあなたの天幕に
近寄ることはない。
11 神(エホバ)はあなたに関してご自分の使いたちに
命令を出されるからである。
あなたのすべての道において
守るようにと。
12 彼ら(み使いたち)は手であなたを支えて運び、
あなたが石に足を打ちつける
ことのないようにする。
13 あなたは若いライオンとコブラを踏みつけ、
たてがみのある若いライオンと
大きなへびを踏みにじる。
14 彼(モーセ)がわたしに愛情を傾けたので、
わたしは彼を逃れさせる。
彼がわたしの名(エホバ)を知るようになったので、
わたしは彼を保護する。
15 彼はわたしを呼び求め、わたしは彼に答える。
わたしは苦難の時に彼と共にいるであろう。
わたしは彼を助け出し、彼に栄光を授ける。
16 わたしは長い日々をもって彼を満ちたらせ、
わたしによる救いを彼に
見せるであろう」(詩編91:10~16)。
上の聖句に記されている通り、神エホバを避難所とし、依り頼む忠実な僕にはどんな災いも降り懸らないことが記されています(詩編91:10)。神エホバの忠実な僕たち、真のクリスチャンたちは至高の神エホバを「自分の住むまい」とし、そこに真の平和と安全を見いだしています。宇宙の主権者の神エホバをたたえ、イエスの教えの通り神の王国の良いたよりを全地で宣明しています(マタイ24:14)。それゆえ、「どんな災い」、つまりこの世の霊的な闇の精神、不道徳、物質主義等々の災いのいずれも「わたしたちに降り懸かることはありません」。真のクリスチャンも他の人と共に地震、ハリケーン、洪水、津波、飢饉、疫病、戦火、テロといった災いを被る場合でも、信仰や霊的な安全が破壊されることは無いのです。「すべての道おいて」わたしたちを神エホバは守ってくださいます(詩編91:11.マタイ18:10)。真のクリスチャンたちは神の王国宣明者としてみ使いの保護と守護の下にあり、霊的につまずくことはありません(啓示14:6,7)。真のクリスチャンたちの王国宣明の業に対する禁令などの「石」でさえ、わたしたちをつまずかせ、神エホバの恵みを失わせることもありません(詩編91:12)。公然と襲い掛かる若いライオンのように、一部の敵たちは真のクリスチャンの真理を証しする伝道活動の停止を狙った法律を制定し、平然と反対をします。一歩、コブラが隠れた所からとびかかるのに似た、予期せぬ攻撃が加えるられることもあります。諸宗教の僧職者は、表舞台には出ないで身を隠し、議員や裁判官をなどを通して攻撃してくることがあります(詩編91:13)。しかし、真のクリスチャンたちは神エホバを愛し、平和的な方法で救済を求め、そのようにして、「良いたよりを擁護して法的に確立」します(詩編91:4。フィリピ1:7.詩編94:14、20~22)。神エホバの忠節な僕の真のクリスチャンたちは神エホバの「名を知るようになった」ので、神エホバが保護を与えてくださいます。さらに祈りを通して神エホバを呼び求めるため、「苦難の時に共にいて」くださり、助けを施し、ご自分の民に栄光を与えてくださいます(詩編91:14,15)。神エホバの忠節な者への祝福は、長い日々わたり満ち足り、必ず救いを見せてくださるのです(詩編91:16)。ですから、神エホバを避難所とし、神エホバに依り頼む人たちは幸いなのです。
柑橘の マドンナ並ぶ 道の駅 今日の一句
ご近所の庭の「アブチロン(ウキツリボク)」